2016/07/06

ウソと欲望と神聖少女 リップヴァンウィンクルの花嫁@エジプト劇場


6月のシアトル国際映画祭(SIFF)の日記が書きかけでした。

今年はSIFFで何本か映画を見て、岩井俊二監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』も、観に行った。

場所はキャピトル・ヒルのエジプシャン・シアター。 有名なハリウッドのエジプシャン・シアターほどではないですが(行ったことないけど)、キッチュなエジプト風のデザインがそこここにほどこしてあるクラシック映画館。1915年の建築だそうです。

ここは数年前に一度閉館したのだけど、クラウドファンディングでSIFFがお金を集めて、SIFFの専用映画館にしたというところ。あっというまに30万ドル以上集まったらしい。

だから名前も今は「SIFF Cinema Egyptian」。
シアトル近辺にはこういうモノにおカネをぽんと出す方々が多いんですね。


さて映画の後、岩井俊二監督のQ&Aがありました。
通訳の方がついていたものの返答は監督自ら英語で、とつとつと答えてらっしゃいました。


岩井監督、キュートだわ〜。
53歳の男性に向かってカワ(・∀・)イイ!!というのもなんだけど、素でかわいいー。

80年代の文化系高校生がうっかりそのまま大人になってしまったような。それこそリップ・ヴァン・ウィンクルw。

岩井監督の映画はこれまで『打ち上げ花火…』『スワロウテイル』(←かなり好き)と『リリィ・シュシュのすべて』くらいしか見てなかったですが、岩井監督は、きっと80年代の少女マンガが好きだったのではないだろうか、とくに大島弓子作品。と思った。

大島弓子が好きな人は岩井監督の映像が好きなのではないだろうか。私も好きです。

大島弓子の描く、蒸留水でできているような涙をパタパタと流す、線が細くて透明で重さがないような少女たちを、黒木華ちゃん演じる七海ちゃんを見ていて、すごく懐かしく思い出しました。

以下ネタバレあります。


クラゲがでてきます。この写真のクラゲはアトランタ水族館のだけど、映画のはミズクラゲでした。でも毒があるのはこっちだよね。

主人公の七海(黒木華)は、風が吹いたら死にそうなほど小心な、コミュニケーション障害で主体性のない女。

声が小さくて教員のしごとをクビになり、SNSで知り合った夫にもハラを割って何もかも明け渡すような付き合いはできない。結婚式に親族が両親だけというのは「恥ずかしい」と夫に言われて、SNSで知り合った怪しい斡旋屋アムロ(綾野剛)に頼んでニセの親族を雇う。

アムロは、食わせもの。
優しく理解のある顔をして、その実どんどん七海を陥れているのだが、七海は最後までそれに気づかない。
白いウサギについて不思議の国に入り込んでいくアリスみたいに、アムロの後をついていく七海はどんどん訳の分からない境遇に陥っていく。

夫の不倫を心配してアムロに調査を依頼すると、どういうわけか自分が浮気をしていたことになってしまい、夫の母に離婚を言い渡される。

行き場のなくなった七海はアムロの紹介で結婚式のニセの親族のアルバイトをし、そこでAV女優のましろ(Cocco)と出会う。

アムロはさらに、不思議な大きな屋敷での「メイド」の仕事を七海に紹介する。でも実はこの仕事の雇い主はましろで、彼女は、 乳がんで余命数ヶ月しかなく、一緒に死んでくれる人を求めていたのだった。
ましろは、毒のある魚やクラゲや貝に囲まれて、死をみつめている。


この映画に出てくる主人公の3人は、アムロも、七海も、ましろも、みんな現実感がない。
なんとなく少女マンガの登場人物のように、重力のない世界にいる。

でもそれはこの映画の難点ではなくて、個性なのだと思います。

たとえば大島弓子の描く少女マンガには、ギラギラした欲望の世界から可能なかぎり遠く離れて鋭く鋭く儚さを研ぎすませた世界で、詩や祈りの中にしか存在し得ない、ものすごくパワフルなリアリティがあった。

岩井作品にはそれと同じような感触の詩的なリアリティがある。

岩井監督はもしかしたら、80年代少女マンガの直系の後継者なのかもしれない。

ウェディングドレスの2人のシーンは本当にはかなくて綺麗で、ああこれは少女マンガの感性だ、と思いました。

主人公の3人は3人ともがウソの中で生活していて、ウソを通してしか人とコミュニケートができない。

七海は一番近い人間であるはずの夫にも本音で話すことができず、顔を見たことのないソーシャルネットワーク上の仲間にだけ心を打ち明ける。ニセモノの姉妹として出会ったましろと、かつてレストランだったというニセモノくさい洋館で暮らすうちに、本当の愛情が芽生える。

ましろはAV女優としての仕事に自分なりの誇りを持ちつつも、人間として失敗しているとたぶん思っていて、七海には自分の仕事も立場も打ち明けない。

「この世界は本当はさ、 幸せだらけなんだよ」とましろは酔って、七海に語る。
でもそんなことが分かったら、私はこわれちゃう。だからおカネを払うんだ。という。

アムロは平気で人を陥れるが、なにか超然としていて、自分の使命をまっとうするかのようにウソを塗り固めている。

ウソの生活の中に急に唐突に現れる、誰かを無条件に信じたいという、激しい望み。

ましろはそれを、金銭を支払うというかたちで実現しようとする。

七海は自分の前に飛び込んでくるものを闇雲になんでもかんでもそっくり信じようとする。

アムロはそれをなんだか少し羨ましそうに見ている。

岩井監督はQ&Aで、これは「コメディ映画だと自分では思っている」と言ってました。
「題名を『ラッキーガール』としてもいいくらい、この主人公は殺されそうになっても死なない」と。

七海はとことん騙されても自分では気づくことなく、とことん元気で生きている。
映画では彼女が最後に幸せそうに笑う人になる。

コメディ映画になっているかどうかはちょっと疑問だけれど、あまりにも無防備なものの持つ神々しさみたいなものが、とても丁寧に描かれている映画です。


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