2012/03/30

パイオニア・スクエア界隈


パイオニア・スクエア(なぜかいつも、ユニオン・スクエアと言ってしまう)界隈は、今でこそ観光名所になっているけれど、70年代までは忘れられた地区だったそうです。


 町が手狭になったり古くなると、さっさと別の場所に新しい町を作ってしまう国アメリカ。

アラスカのゴールドラッシュが終わると、ビジネスの中心街は今のダウンタウンがある北の方に徐々に移って行き、 風紀のよろしくない商売がはびこっていたこのエリアはだんだんさびれてしまったようです。


ランドマークになってる、「ROOMS 75セント」の看板。

1泊75セントだったのは20世紀初頭のことのようですが、本当に物持ちが良いというか、建物に関しては古いものをとっておくのが好きなシアトルの人。


煉瓦のビルたちを解体してさら地にしてパーキング用地にしようという動きに反発して、70年代に保存運動が起こり、めでたく地域ごとまるまるNational Register of Historic Places(歴史登録財)に指定されました。 


 初めて来たとき、うちのCTちゃんがなぜかイタリアンレストランと間違えた、教会経営のホームレスシェルターです。


道ばたにトーテムもあるし。

 いろいろ見飽きない界隈です。

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2012/03/29

地下探検 アンダーグラウンド・ツアー


というわけで、シアトル名物アンダーグラウンド・ツアーに行ってきました。
パイオニア・スクウェアの、このオレンジと青の建物が出発地点です。

まず、19世紀の酒場を再現した重厚なカウンターのある部屋で20分ほど、シアトルの町の出来た当時の人びとのことや、どうして予定外の地下街ができたのかの説明をききます。

それから20人くらいのグループに分かれて、アンダーグラウンドへ。
土曜日で春休み期間だからか、ツアーは結構な盛況でした。



19世紀なかば、一山当てようと今のシアトルにやってきた「町の父」たちは、みんな中西部の出身だったので、海には潮汐があるというのを知らなかった(というのがツアーのお兄さんの説明ですw)。のでみんなして、ピュージェット湾に向かって海岸線ぎりぎりに町を作ってしまった。

だから満潮の時間になると、あらびっくり、トイレが(当時、水洗トイレが爆発的に普及しはじめていた)逆流して「まるで間欠泉」のように下水を噴き出し、おがくずを敷いた道路にドロドロと流れ出してもうそれはそれは大変な光景だったとか。


そこへ、1889年、大火事が起こって、当時のシアトル中心街だったこの地域25ブロックをすっかり焼き払ってしまいました。(奇跡的に死人はなかったそうです)

復興に取りかかる際に、もうトイレが逆流する事のないよう、町を上げ底にすることが決定されたのでした。このあたり30ブロック近くをそっくり持ち上げるという大工事、ずい分思い切った都市再開発です。よほど「間欠泉」に懲りていたのでしょうね。

海岸近くで8フィート(約2メートル半)、建物の1階分、地面を持ちあげるという計画でしたが、いかんせん19世紀のこと、工事には時間がかかる。

道の両側にまず煉瓦壁を作り、その中を埋めていくという気の長~い工事で、商店主たちは何年もかかって道が出来るのをのんびり待っているわけにいきません。で、もとあった場所に(今度は焼けないように煉瓦で)ビルを建てて、営業を始めます。



そのうち数年かかって道が出来てくると、いままで1階だった各ビルの1階正面入口は地下に埋もれてしまいました。
道路とビルの間にあった歩道の上をふさぐ橋のような形で新しい歩道ができ、下に取り残された旧歩道は何の役にもたたない地下迷宮になったのだそうです。


こんな階段を下りていくと、昔の歩道とビルの正面入口だった1階が、


こんな感じで現れます。道ができて歩道にフタがされた後は、長年ほったらかしにされてネズミの王国になっていたようです。


ツアーは、あちらこちらのビルや道の入口から地下道に入って、


ひょっこり煉瓦の路地裏に出て来ます。

ガイドのお兄さんはとってもエンターテイナーで、火事の始まったわけとか、上げ底道の建設途中の町の様子を面白おかしく話してくれたので、歴史には毛ほどの興味もないうちの17歳男子も興味をもって聞いてました。


頭上は現在の歩道。ところどころにこんな明かり取りのガラスもはめ込まれているから、地下は全く廃墟にしてしまうつもりでもなかったのでしょうね。足の下にこんなアンダーグラウンドワールドがあるとは、この上を歩いていても全然気づきません。

地下にいる間に気になって仕方なかったのは、今地震が来たら超無理…ということでした。どうみても耐震構造にはなってない、煉瓦壁に支えられた歩道。
2001年のM6.8地震ではいくつかのビルの壁などが崩れた程度でしたが、それより大きな地震がきたら、この地下道はかなりまずい場所のはず…。


この地域は労働者のための安宿、娼館、飲み屋が集合していたので、それこそアンダーグラウンドなエピソードが豊富なようです。

そういう逸話を聞かせてくれる、21歳以上限定・大人のための『アンダーワールド』ツアー(カクテル付)もあり。これも面白そう…。  


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2012/03/28

(元祖)スキッドロウ



SKID ROW   n.   どや街  『リーダーズ英和辞典』

どや街」……よりはオシャレな響きの「スキッド・ロウ」 、ヘビメタバンドの名前にもありました。

もとはskid road = 材木運搬用の道路、が転じたものだそうです。
木で線路みたいなものを作って、がーっと丸太を運び下ろす、こんな感じのやつ。

photo: 『Out West』  より

19世紀後半から20世紀初頭、北米ノースウェスト沿岸の丸太業界は日雇いの労働者が集まっていて、「材木ロード」の周りはしぜん、飲み屋や娼館や労働者用のホテルが並ぶことになり、「材木ロード」だったスキッドロウが、「風紀のよろしくない界隈」という意味になった、とのこと。


そして、シアトル人が「これがオリジナルのスキッドロウだ」と自慢する?のが、Yesler Way。

上の写真の、右側の坂道です。

いまでも結構傾斜のきつい坂ですが、材木ロードだった当時はもっと傾斜がきつく、一説によると49度の坂だったという。
 その後、坂を削り、沿岸の町のあたりを埋め立てて上げ底にしたので、坂道も緩やかになりました。

その急坂の上から、伐り出した材木を海岸の製材所まで一気に運び下ろしていたのだから、相当の迫力だったでしょう。

スキッドロウと呼ばれる界隈は同時多発的に北西沿岸部に出現していたのですが、シアトルのYesler Way がオリジナルのスキッドロウの一つには間違いないようです。



ふもとの製材所近くに出来上がった元祖「スキッドロウ」周辺が、今のPioneer Square (パイオニア・スクエア)。

先日、ここの「アンダーグラウンド」ツアーに行ってきました。すごく面白かった。
その話はまた今度~。


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2012/03/26

ベニスモモ満開



ソメイヨシノはまだですが、早咲きの桜にまじってベニバスモモが絶賛満開中です。
上はバスルート28番の終点Broadview あたりの住宅街。ピュージェット湾のむこうにオリンピック半島の山々が見えて、良いですねえ。




 ベニスモモ、ベニバスモモ、紅葉李、またはアカバサクラ。
スモモなの?サクラなの?どっちなのっ?と問いただしたくなりますが、サクラとスモモとは意外に近い親戚関係にあるようです。


英名は Purple leaf plum。花が終わると葉の色が濃くなって、夏には赤じその葉のような色になります。




シアトルの住宅街ではサクラよりも多く、すーごくたくさん見かける木です。
なんとはなしに北欧っぽい花の木だと勝手に思っていますが、ベルギーにも多く植わっているそうです。東京では見た覚えがありません。



花の色はサクラのような白に近いのや、桃に近い濃いピンクまでいろいろ。ユスラウメの花に少し似ています。


 「実は食用になる」そうなのだけど、食べたことのある方いらっしゃいますか?


ジャムやジェリーにもなるそうです!今年の秋にやってみよう。


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2012/03/25

春のマーケット


先日パイクプレイスマーケットに行ったら、入り口あたりに並んでいるお花屋さんが、ぱーっと明るい春景色になってました。



ねこやなぎもいっぱい。
短い切り落としみたいな小さな束が5ドルだったのでひとつ購入。


スカジットのチューリップ畑も、そろそろ白鳥が去って花が咲き始めている頃でしょうか。

ハリバット漁が解禁になって、アラスカで穫れた初物が魚屋さんに並んでました。ハリバットは高いから1ポンド5ドルのアサリをスープ用に。殻がものすごく分厚かった。

おつかいもののチョコレートを買いにいったのに、帰る時にはなんだかんだ両手がいっぱいになってしまいます。マーケット恐るべし。

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2012/03/23

こども病院のクジラ棟


少し前、Seattle Children's Hospital (シアトル・チルドレンズ・ホスピタル)に行ってきました。

ここは全米でも数少ない小児総合病院で、米国内だけでなく世界各地から移植手術などを受けに小さい患者さんが来るようです。

今回は、うちの息子が2月の末に試合で頭を打ってconcussion (軽い脳振とう)と診断された例の件のあと、2週間たっても時々軽い頭痛があり、特に数学の宿題をしていると頭が痛くなるというので、school nurse (日本でいう「保健の先生」的存在です)やサッカーチームのトレーナー(高校のスポーツ部には、コーチのほかに必ずこのプロのトレーナーがついていて、練習や試合中にケガをしたり身体を痛めた場合にすぐその状態を確認してくれ、試合に出て良い状態かどうかを判断し、故障のある子にはストレッチなどの指導をシてくれたりします)はじめ、いろんな人に一度ちゃんとお医者さんにみてもらいなさい、といわれたので行ってみました。


うちの息子はもう身長170センチの高校生なんですが、それでも紹介されたのは小児科。


子ども病院は「きりん棟」と「くじら棟」に分かれていて、くじら棟は海のテーマで統一されてます。


病棟真ん中の明るい吹き抜けには、ノースウェストのネイティブアメリカンアート様式の、おおきなクジラ(一番上写真)。


エレベーターの中にもイッカクが。


待合室や廊下も海テーマ。

Concussion 外来はくじら棟の4階、整形外科>Sports Medicine (スポーツ医学)科の中にあります。数週間前、別件で来たときに診てもらったのと同じ整形外科のドクターでした。

こんな可愛い待合室に、うちの息子はまったく似合わない



でも整形外科外来なので、走り回るちびっこちゃんたちに混じって、ほかにもスポーツで怪我したっぽいティーンエイジャーたちが親に付き添われてちらほらと、居心地わるそうに座ってました。ひよこの囲いの中に入れられたダチョウみたいな感じで。





 診察室の床にもクジラ。ランプはオルカ。徹底したコーディネート。

 ドクターは問診だけで、実は学校のサッカーチームのトレーナーに数日おきにチェックしてもらっているのとほぼ同じ項目をチェックしただけでした。

頭がどのくらい正常に動いているかを確認するための項目で、たとえばランダムな単語を5つ聞いて、聞いたのと反対の順番に繰り返す。5ケタの数字を3つ聞いて、これも反対から繰り返す、といったもの。

横で聞いていて………この数字のテスト、わたし頭を打ったことはなくても完全に落第だと思いました。ふつうに覚えられないし。

これはものすごく個人差あるはず。だから学校のスポーツはシーズンが始まる前にこのようなテストを受けておいて、頭を打ったらもう一度 、同じテストを受けさせて、その差を比べるのだそうです。

だいたい自然回復に向かってるようだし、様子を見ましょうというだけの結論だったのだけれど、「頭を使いすぎると症状が出ることがあるので、少し勉強量を減らす必要があるかもしれません」というドクターのお墨付きレターを学校宛にもらって帰ってきました。

母ちゃんとしては8割くらいは気のせいじゃないかという気がするんですけど。数学はともかく、もうシーズンが始まっているのに学校のサッカーの試合はもちろん練習にも参加できないのは、本人にはかなり辛いもよう。早いとこ完全に回復すると良いのですが。



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2012/03/21

梅の坂道


先日Inter Bay のスタジアムへ息子を送っていった帰り、見上げると、坂道が春でした。



道の両側にピンクと白の花が満開。のどかな景色。雨が上がって青空も見えちゃって。


よく見ると、梅、うめ~@@!! 梅の花だ! 
 シアトルで梅をまだ見たことがないので興奮してしまいました。

でも日本の梅のような芳香はありません。
小さいプラムの種類か。花のつき方や枝も微妙に違います。


これは桜のようだけど、枝ぶりと幹は梅っぽい。うーん、わからない。
桜と梅の区別がつかないなんて、ちょっと日本人としてどうなの? 

追記:桜博士、prunusさんに教えていただきました。 ベニバスモモと日本の梅のハイブリッドで、Blireiana flowering plum  という種類だそうです。
ハーフちゃんだったんですね!


 でも、シアトルってほんとにサクラの種類が豊富で、日本では全然見たことないのがたーくさんあるんです。


遠くから見ると同じピンクと白ですが、近くで見てみると一本ずつ違う木でした。
これは家の近くでも良く見かける「ベニバスモモ」かな?


 晴れたり降ったり忙しい、まだ寒い春です。

今年は3月半ばをすぎてもなかなか日中の気温も10度C以上に上がらず、雪だの霰だのが降ったりもするのに、花はもう待ちきれないようで、景色が明るくなってきました。



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2012/03/20

Multiculturalism の死?



Multiculturalism
n. 多文化性、単一社会における異文化の共存 (研究社『リーダース英和辞典』)

10年以上アメリカに住んできて、いろいろな文化が共存するというのは当然の事だと思っていたのだけれど、ヨーロッパではそうではないらしい。

「多文化社会は完全に失敗した」と、2010年にドイツのメルケル首相も宣言してて、かの地では「多文化化」には臨終宣告が出ているらしいのです。知らなかった……

アメリカでいう Multiculturalism とヨーロッパ各国のとは、定義が少し違うようです。


先週提出した学校の期末ペーパーは、Christian Joppke  というUCバークレー出身の教授がイスラム移民のベールに対するヨーロッパ各国(仏・英・独)の反応について書いた『Veil』という本のレビューでした。これに関連していろいろ思ったのでちょっとだけその件について。

ヨーロッパで今移民に対してひどく排他的になってきているのは、実際に移民が増えたのと同時に、失業率が高止まりしている上に、戦後以来の体制だった福祉社会を含む「これまでのウチの国」の存続が危ぶまれているからで、その不安に乗じてウヨク政党がこれまでリベラルで先進的だといわれてた北欧諸国でまで、驚くべき速さで中央に進出してきています。

実際にモスリムの住民による事件も先日あったばかりですが、これまでの伝統と調和を乱す異文化と暴力を持ち込まれた、という感情が高まってるのは事実のようです。


前述のメルケル首相の発言も、念頭におかれているのはモスリムの移民です。

フランスでは2004年に、イスラム教のベールをつけて公立校に登校してはいけない法律ができました。
でもこれは宗教的シンボルを目立つような形で身につけてはいけない、という決まりであって、同時にクリスチャンの十字架も禁止しています。

これは20世紀初頭に政教分離に成功してからずっと長い討論を続けてきたフランスの伝統に基づいた議論であって、「laicite」 という概念に乗ったものだというのです。

子どもが、生まれた背景や伝統や因習から「解放」されて、「進歩的な」中立的な場で学ぶためには、学びの場所に各自の宗教を持ち込んではいけない、という決まりを作るしかない、という考え方。アメリカ的感覚からするとずい分極端で無理があるように見えますが、とにかくスジは通っています。

これは「多文化化」ではなくて、世俗化という一つの価値観を一種聖域化した、「統合」を重視した考え方。「多文化化」とはむしろ反対を行っているとJoppke先生は言ってます。

翻って英国の場合は、実は政教分離が中途半端な形でしか進んでいない。英国では実に3分の1の公立校は教会が経営しているうえ、全部の公立校に「祈りの時間」があるほど、宗教色が強い。教会(英国国教会とカソリック教会)が教育への影響力を手放さなかったために、移民が増えた80年代になって、イスラム教などほかの宗教に対しても 同じ権利を授与しなければならなくなった。結果、イスラムの公立学校もできたし、モスリムの住民はますますモスリムだけの学校に集まるようになってしまい、「お互いに全く無関心な閉鎖的な文化が、たがいに関わりを持たずに並んでいるだけ」な状況になってしまったというのです。

しかも英国というのはその中心に成文化されたミッションや思想がないのが弱点で、多文化化もなし崩し的に進んできたため、移民の側からの「極端なクレーム」にいちいち対応しなくてはならないんだ、と Joppke先生は言います。

だから真に先進的な文明的な国家に移民を統合していくためには、フランスのようなモデルでがっつりした決まりのある社会を提示していくべき、移民はそれに合わせるべき、というのが主張のようです。




フランスのモデルは確かに立派で哲学的な実験ではあるけれど、結局背後にあるのはイスラム原理主義に対する肌で感じる警戒感が主な理由です。

Joppke先生の著作は、イスラム移民全体を原理主義とひとからげに捉えて論じているところと、ベールの禁止令について女性の権利問題として論じてしまっているところがどうにもこうにもイライラしました。
モスリムから転じて反イスラムの闘士となって原理主義者から命を狙われているHarsi Ali のような女性を持ち出してきて、ベールは女性を服従させる封建的シンボルだからいかんといい始めるのは、どうにも看板のすり替えのような気がします。
だってヨーロッパのおじさんたちが本気でモスリムの女性の人権のためだけに憤ってるとは思えません。

 そうではなくて、主に旧植民地だった地域からの移民が本国にたくさん流れ込んで来て、経済格差に不満を持って暮らしていて、それがイスラム原理主義と結びついて社会不安になるから、イスラム主義を助長するようなベールをかぶった女の子たちが増えると困る、だってイスラムって時代錯誤的でヨーロッパの価値観と折り合わないし、てことではないですか。後者の方はつけたし的理由であって主な動機じゃないでしょ?と思ってしまいました。

シアトルにも結構モスリムの人口が多くて、ベール姿の女性はあちこちで目にします。
特にソマリアからの難民はシアトル周辺で3万人くらいいて、全米で第三番目に大きなソマリア人のコミュニティがある地域なのだそうです。

息子の学校にもモスリムの子はかなり多く、ベール女子もよく目にするけれど、ベールが何かの問題になったことはまったくなし。問題になり得るという感覚がたぶんアメリカ人には理解不能だと思います。
あの911のテロのすぐ後でさえ、むしろモスリムの住民に対する嫌がらせを心配する声のほうが多かったように思います。

Multiculturalism はアメリカの自負心の中心近くにあるのだと思います。

というか、アメリカ文化には、奴隷制度の遺産て形ですでに異文化が埋め込まれていたから、いやおうなしにリクツにあった「中間の場所」を確認していかなければならなかった。公民権運動で「アメリカの理想」は何なのかが激しく問われて、その結果、たとえ多くの場合タテマエであっても、きちんと明文化されて、アメリカのアイデンティティになっている。

次々に流れ込む文化を消化できるだけの国土の広さとリソースも、自負心になってると思います。

ソマリア人の子たちはやっぱりあんまり学校でほかのグループと混ざり合わないらしいけど、それこそ「FOB」とか陰で言い合いながらも、アメリカの若者文化には求心力があるんじゃないかと思います。

ていうかそれだけまだ社会に余力があるってことなのか、北西海岸の若者たちは、意外とのんきです。


日曜日、近所のショップの壁に例のOBEYの人のグラフィックがはがれかかってて良い感じだったのでお買い物帰りに息子を前に立たせてみるも、ぜんぜんドラマチックにならず。むしろなんか道に迷った人みたい。ププッ。


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