2012/09/27

巻き干し草LOVE


サウスダコタの平原で見かけた可愛いもの。

それは、Hay(干し草)のロール。


こういうお菓子があったよね。おいしそうではないですか。

これがゆるく波打つ平原に点々とちらばっている風景は、叫びたいほどかわいいです。

…1個につき重さ1トンくらいの、機械化農業の産物なんですけどね。 でも可愛い。


動物の飼料にするための干し草ですが、だだっぴろい平原地域では機械を使ってこういうロールにまとめるようです。作り方はこちら。 アイダホのあたりでは四角い箱型にしているのを見かけました。

Round bale というのが正式名称のようです。Hay roll と言ってしまうととんでもない別の隠語があるので注意… (〃゚д゚;!!  調べてみてね…。(←さんざん言ってしまった人)


そういえば、昔、Widows 2000の頃だったか、デスクトップをこんな干し草ロールのある風景にしていたことがあったなあ。あれはWindowsについてきたやつだったのか。このあたり(サウスダコタとか)で撮影したものだったのかもしれませんね。


 ハイウェイを走行中、巻き干し草運搬のトラックを目撃しました。相当に重そうです。
あんなのが前から落ちてきたら怖いよねえ、なんて言ってたら


 …どうやら本当に落としたようで、ポリスにチケット切られてた…
 ヘ(゚曲、゚;)ノ~  これはこわい…
巻き干し草のトラックを見たら、後ろを走るのはやめましょう…。


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2012/09/26

ミズーリ川とスー族の土地、ラコタの年代記、ローラの大平原



シアトルから東へ向かった旅行は、サウスダコタ州のChamberlain (チェンバレン)という町で折り返しました。

サウスダコタの真ん中よりちょこっと東がわにある、ミズーリ川沿いの小さな町。商店街はメインストリートが1本あるだけの町でした。


その「メインストリート」にあった、ものすごくいい味だしてる手描きのドラッグストア看板。
 

名所といっては、ネイティブ部族のアートなどを集めたラコタ博物館があります。
右の人、役所広司に似ている。

カソリックの学校の敷地の中にちんまりとある小さな博物館でした。

収蔵品の中で、バッファローの皮に年ごとの出来事を絵で描いたWinter Count と呼ばれている絵記録が、すっごく面白かった。
こんなのです。(←これはアメリカ議会図書館所蔵の水彩画バージョンですが、たしか内容はこれとほぼ同じだった)

その年の最重要出来事を、ひとつだけ!きわめて簡潔な絵であらわしている、絵日記じゃなくて絵年記。

「十大ニュース」じゃなく「一大ニュース」を絵文字ひとつで。なんと簡潔なサマライズ。

絵が表わしている正確な意味はわかりませんでしたが、毎年戦争があったり疫病があったり(矢がたくさん刺さっている家の絵や、全身に赤い斑点ができている人の絵)、あとの方の年代では帽子をかぶった西洋人が出て来たり、素朴な絵柄だけにドラマの壮大さに頭がくらくらします。

かなりの時間、このバッファローの皮を眺めて過ごしてしまいました。


200年ちょっと前にルイス&クラークがさかのぼって来たミズーリ川ですが、まわりの景色はその頃と、きっとほとんど変わっていない。ひらたい丘陵がえんえんと続く地帯です。

この川がずーっと南のほうでミシシッピ川にそそいで、さらにもっと南でメキシコ湾に流れ込む、と思うと壮大です。

ミズーリ川は浅くてうねうね蛇行していて、所々で静かな池のように広くなっているものの、大河というほどの川幅はありませんでした。

浮世絵に描かれたころの荒川・隅田川ってこんなだったんだろうなあと思うような、のどかな風情の川です。
土地が広いから、川も蛇行し放題のまま。

ミズーリ川に沿った田舎道を、州都のPierreまで北上してみました。

この地帯はスー族の居留地。

ひと目で、暮らしが豊かではないとわかる。

荒んだといってもいいほど、さびれた風景の集落、手入れの行き届いていない家々が目につきます。

ローラ・インガルス一家が住んでいた『大草原の小さな町』は、ここから東へ車で2時間くらいのDe Smetという町です。ローラの町として観光名所になってますが、往復4時間の半日観光になってしまうので見送り。

でも大草原はたーっぷり見ることができました。


小学生の時、ぼろぼろになるほどの愛読書だったインガルス一家の物語は、いま読み返してみると、かなりきわどいインディアンとの接近遭遇もあり、本当にアメリカの「インディアン戦争」まっただなかの時代の物語だったのだなあ、と今更ながら軽いショックを受けます。それこそリトル・ビッグホーンの戦いと同時代だったのだ、と。

アメリカ史の背景をいろいろ知ってから読むと、小学校のときに読んだのとは違う風景が見えてきます。

インガルス一家物語は挿絵が準主役といっていいほど重要な存在です。子どもの頃、ガース・ウィリアムスの柔らかい鉛筆で描かれた草原を何度も見飽きずに眺めては、一面の草原を一生懸命想像しようとしていました。

サウスダコタの草原は夏枯れて茶色くなっていましたが、ところどころ丘陵のくぼみに緑が生きていて、ガース・ウィリアムズの絵で何度も見た、ごつごつした幹のハヒロハコヤナギ(cottonwood)の樹が細かい葉を広げているのを見かけました。



州都Pierre。日本語では「ピエール」じゃなくアメリカ式に「ピア」と読むようです。

立派な州議事堂と川沿いの公園のほかは、あまり個性的な特徴のない、これもまた州都にしては本当にちっちゃな町。自動車ディーラーやファーストフードのチェーン店が並ぶ4車線のメインストリートには、「スー」アベニューという名前がついていました。




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2012/09/23

大草原のミサイル


Badlands National Park のそばにある、隠れた観光名所?『D-9』。
これは何かと申しますと、


Missile silo (ミサイルサイロ)Minuteman Missile National Historic Site です。

冷戦時代、ソ連向けのミサイルが格納されていて、すぐにも発射できるようになっていた格納庫です。

国立公園ではないけれどHistoric Site ということで、National Park Service (国立公園局)の管轄下にあります。こんなシロモノまで国立公園が管理してるんですね。

国立公園の管轄だから、例の『ひとまねこざる』に出て来る黄色い帽子のおじさんみたいな帽子をかぶったパークレンジャーが常駐していて、少し離れたところにある管制室(もちろんこれも現在は使われていません)のツアーも行なわれているのですが、わたしたちはプレイリードッグの鑑賞に時間を費やしすぎたため、参加できませんでした。


なので、無人のサイトを勝手に見学。当時はもちろん厳重に警備されていたのでしょうが、今は人影もない大草原の真ん中に、ただ金網に囲われてぽつんとあるだけ。『X-Files』に出てきそうです。

冷戦時代にはこんなのが1000基以上も、もちろん核弾頭を裝備して、地中に格納され、発射を待っていたそうです。 今はサウスダコタ州からはすっかり撤去されたものの、まだ大平原地帯のどこかに500基ほど現役のが埋まっているとのこと。


ミサイルのてっぺんがガラス越しに見物できるようになっています。
もちろんもう核弾頭は取り外されていますが、ソフトクリームのような形のミサイルを上から見下ろすと、なんとも言えない気分になります。

 You Tubeに、ツアーの様子がよくわかるビデオがありました。冷戦時代に現役で本当にそこで働いていたおじいちゃんが説明をしてくれるようです。

ドミノスピザの箱を真似て、World Wide Delivery in 30 Minutes or Less なんてドアにペイントされているのが写ってます。当時この地下で働いてた兵隊さんたちが描いたんでしょうけど、最低最悪のジョークですね。


格納庫のすぐ外はこんな道。牛が座りこんでて通れません。冷戦中もきっと牛たちは何も知らずにミサイルの上で草を食べていたことでしょう。


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2012/09/22

シアトル5番街の Old & New


大西部旅行wの写真の整理にちょっと疲れてきたので、一回やすみ。

シアトルお散歩with iPhoneです。

このところ、寒くて暗かった7月の埋め合わせをするかのように、夏めいた爽やかな晴天の日が続いていました。

またしばらくオフィス仕事中です。週日はオフィスにこもりっきりで青空も窓から眺めるだけだけど、時間のある日は少し早めに出て、ダウンタウンのバス停3つ分くらい、ぷらぷら歩いて帰ります。

晴天の日、5th Avenueを Columbia から Pikeまで歩きました。

5番街は新旧とりまぜて個性的なビルの多い通りです。


5th Ave. の空き地。5th and Columbia Tower というビルが建つ予定。まだ本格的な工事は始まっていなくて、なんだかアートのインスタレーションみたいな色とりどりのテープがはためいてます。なんだろうこれ。飾りかな。


同じ区画にはクラシックな建物があって、なんなのか気になってました。グーグル先生に聞いてみたら、これはもとFirst Methodist Church の礼拝堂で、長いこと紛糾していた建物だったのでした。


1910年に完成した、パイプオルガンも備え付けの荘厳な建物です。中はこんな

1985年に、持ち主のメソジスト教会の反対を無視して、シアトル市がこの建物を歴史的建造物に指定。
ここを取り壊して土地ごと売り払い、運転資金にしたかった教会との間で、それ以来20年にわたる法廷バトルが繰り広げられたそうです。

昔日は5000人以上の信徒がいたけれど現在は600人ほどの小世帯になってしまい、この一等地を売って新しい教会でもっと能率的に神への奉仕をしたいという教会、かたや、古いものには目のない保存マインドなシアトル市。

21世紀にもつれこんだ裁判の結果、「信教活動の自由を保障するため」市が敗訴したのですが、そこへデベロッパーが登場。この礼拝堂はコンサート用のホールとして保存し、半分の敷地に高層ビルを建てる計画で、結局買い取ったそうなんです。ほー。

上の色とりどりのテープがはためいている土地が、もと礼拝堂につづく別館があったところ。ここに2014年完成の予定で、ビルが建つそうです。まるくおさまったようですね。


その先のブロックは、レム・コールハース設計のかっちょいい図書館ビル。この図書館についてはまた今度あらためてご紹介したいです。ここの写真も、たまっているなー。


2ブロック先にはルイ・ヴィトンが入っているRainier Tower。草間彌生の水玉もように心をうばわれて、ビルの写真を撮るのを忘れた。ニューヨークのワールドトレードセンターを設計したシアトル出身の建築家ミノル・ヤマサキ氏の、なんというかとっても画期的なビルです。画像はこちらで。


そしてさらに2ブロック先、Pike の角にはBanana Republic のダウンタウン店。シアトルに初めて来たとき、このビルを見てけっこう感動しました。最初はバナリパが建てたなんちゃってクラシック風ビルかと思った。そのくらい、このブランドにしっくり溶け込んでる。

これはもと映画館だったビルで、1916年建造。大正5年ですね。三越日本橋本店だって昭和10年完成だから、それよりさらに20年古い建物ですよ。大正時代の映画館がすっかりリモデルされて、まるで最初からバナリパのために造られたかのようなはまり具合。

小ギレイな男女が出入りする活気あるブティックに生まれ変わって、ビルもさぞ幸せなことでしょう。

いろんな時代のオールド&ニューが並ぶ5番街です。ほんとにシアトルの人って、建造物保存に熱心ですね。


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2012/09/19

バッドランズの動物たち


Badlands National Parkでは、公園の中のロッジCedar Pass Lodge に宿泊しました。


こんなロケーションのキャビン(「離れ」というか、小屋)で、1泊税込み90ドルくらいでした。

バスタブやテレビやインターネットはありませんが、とても清潔な部屋で、シャワーも普通に使えます。まったくアメリカの国立公園って、ホテルを一歩出れば大自然のはずなのに、異常なまでに快適にすごせます。


お部屋はこんなでした。これは「historic cabin」。これから建て替えるみたいです。
難をいえば窓が壊れていた(笑)。エアコンもついていたけれど、夜は涼しくて必要ありませんでした。4月から10月までの営業です。

息子は星が見たいといって、屋根の上に寝袋を出して寝てました。
コヨーテが吠えているのが聞こえて、満天の星空で最高だったそうです。


レストランとショップとロビーを兼ねたセンターが、小屋から徒歩2分の距離にあります。
レストランはちょっとオーバープライス。なかみはアメリカ版ファミレスです。
こんなところで美味なレストランを求めるべきじゃないですが。


ハイキングトレイルの入口。


Badlands、悪い土地。というのはここを横切ろうとした白人たちのつけた名前でしょう。

テレビシリーズの『ロンサム・ダブ』でも、牛の群れを連れて北上してきたテキサスのカウボーイたちがここを横断して、死にそうになる場面がありました。

今は舗装道路が国立公園内をぐるっと回っていますが、車で運転していてもえんえんと続くバッドランズに圧倒されます。

ここを徒歩で横断しなくてはならない旅人にとっては、ほんとに悪夢のような土地だったことでしょう。


正午近く。ぽつんと1本だけ立っている木の下に、鹿の親子が。まわり一帯、ここのほかに日陰はないのです。炎天下は摂氏40度。
こんな環境で子どもを二人も育てているお母さん、大変すぎる。


乾いた砂でできている山々は、どれもババロアか焼き菓子のような、おいしそうな色合い。ピンクと白の縞模様や、黄色とピンクの上に白が乗っていたり。


 よく見ると谷あいには細い流れがあるか、または雨水が長くとどまっているらしく、谷に沿って緑がちらほら続いていました。


岩の丘陵地帯が終わると、大草原の生き物たちの生活ゾーン。


草原の入口には若いbighorn(ビッグホーン、大角羊)がいました。1920年代にこのあたりでは乱獲で絶滅してしまった種ですが、そのあとほかの州から再導入されたそうです。


バッファローも同じく、いったんこの地域からすっかり消えてしまい、再導入でまた増えてきている保護動物。
この大草原を覆い尽くすほどの大群がいたのに、わずか数十年で絶滅寸前にされてしまったという想像を絶するスケールの乱獲が、まさに『大草原の小さな家』の時代に進行中だったんですね。

バッファロー達はすこしも人を恐れません。ゆうゆうと道を横切っていきます。
保護される動物になってから1世紀。もう何世代も、追いかけられたことはないんですもんね。


草原には見渡すかぎり、プレーリードッグの広大なタウンが広がっていました。

小学生の頃、『大草原の小さな家』でローラがプレーリードッグを追いかける場面を読んで以来、本物のプレーリードッグをいつか追いかけてみたい!と熱望したものでした。あれから数十年。ほんものをやっと見られました。

でもここのプレーリードッグたちは、Devils TowerやWind Caveにいたのよりずっと警戒心が強くて、車でそろそろ前を通る間は草原の上で活動しているのに、車を下りて徒歩の人間が近づいてくると、さっと穴にかくれてしまいます。他の場所より天敵が多いのか。

 (拡大図) 何度も車を停めて写真を撮ろうとしたのですけど、人間が車から降りた気配を察すると、ハッ!として全員がさっと穴に隠れてしまう。

(さらに拡大図)ハッ!としているところ。この1秒後には地面の下に。

後ろにいるのは、 アンテロープ/プロングホーン。国道沿いの畑にもうろうろしているのをたくさん見かけました。恥ずかしながらこんな動物が米国西部にいるとは知らなくて、夕暮れに広い畑で水を飲んでいるアン テロープの群れを見た時には、てっきり牧場で趣味で飼っているエキゾチックな動物だと思ってしまいました(「ラマ牧場」みたいに)。アフリカから連れて来られたのかと思った ら、これは固有種なんですね。
望遠レンズではなかったのでこんなボンヤリ写真です。


きちんと撮影できたのは、プレーリードッグ不在の穴たちばかり。ちょっと前までこの穴のとこに立ってたのに!



これは朝の散歩で出会ったウサギ。

「バッドランズ」と呼ぶのは人間の勝手で、動物たちにはここがスイートホーム。苛酷な環境に見えても、意外に賑やかに生きものたちが暮らしているのでした。


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2012/09/16

惑星タトゥイーンを散歩 バッドランズ国立公園


今回の旅行中で一番良かったのは、Badlands National Park(バッドランズ国立公園)でした。

Wind Cave から1時間ばかり、ブラックヒルズの丘陵地帯を抜けてラピッドシティのほうへ戻り、そこから東に向かって田舎道に入ると、えんえんまた1時間ばかり、こんな道が続く。↓↓↓↓↓


小一時間ほど、1台の車ともすれ違いませんでした。
ダリかなにかのシュールな絵の中に入り込んでしまったような風景。


バッドランズでは国立公園内のロッジに泊まったので、翌朝は7時前に息子を叩き起こして、早朝ハイキングに行きました。

日中の予想気温は最高華氏106度 (41度C)だというので、歩くなら日が高くなる前に、と思い。

いつもは夜更かしで朝がめっぽう弱いのに、旅先では早起きになる。



ボードウォーク完備の数百メートルの短いトレイルから10マイルを超えるバックカントリーまで、いろいろなハイキングコースがありますが、ロッジをチェックアウトして次の目的地へ向かわなくてはならないので、さくっと2時間以内で行って帰ってこられるバックカントリーのルートにしました。

草むらは毒ヘビがいるというので、トレイルを離れないように歩きます。
 

この光景は、いつかどこかで見た気が。

STAR WARSに出て来た、惑星Tatooine (タトゥイーン)のようだ。


ルーク・スカイウォーカーが育った農場があったあの惑星です。


岩山の間を歩いていると頭の上からジャワサンドピープルが出てきそう。


チョコレートのように、おいしそうにめくれた泥。

 

ガトーショコラの上に乗ってそうです。
年間降雨量はとても少ないけれど、降るとなったら半端なく降るようです。


こんな場所でも植物はしっかり根を張ってます。


アスターのような可憐な花でした。岩の形が面白い。

サボテンも。




早起きしてよかった。三文以上の得でした。


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