2022/02/08

デジタル神棚でNFTをつくる


 先月、うちの青年が新しく購入したコンピュータです。

かたちはごくふつうの立法形の黒いマシンですが、側面が透明になってて、マシンの中が見えるようになっています。

コストコのお徳用チョコレートみたいな大きさのRAM、ごっついグラフィックカード(下の部分だそうです)、冷却用ラジエータつき。そして、……龍もいる!

御神体みたいな鏡は(Vサインが映っている)、ラジエータの一部だそうです。

なんか、コンピュータというよりも、…神棚?みたいな風情が。


 

榊をかざりたくなる感じですが、さらに、光ります。ちょっと神々しい。綺麗です。

龍ちゃんもちゃんと光ってる。


青年は、会社のしごと(ボストンの会社にリモート勤務中)とは別に、去年から自分のプロジェクトとして3Dアートのシューズをちまちまとつくっていたのですが、ノートパソコンではあまりにもレンダリングに時間がかかりすぎるので、思い切って投資することにしたそうです。

そしたら、それまでノートパソコンで20時間くらいかかっていた処理が、1時間内ですむようになったとかw





デザイン作業はVRメガネをかけて、VR空間で「Gravity Sketch」をつかってデザインし、レンダリングは「Blender」を使うそうです。

で、完成したこのバーチャルシューズたちを、先週、NFTとしてリリースしました。

「Chrisalis(蛹)」コレクションの第一弾で、ぜんぶで8足。

このあと2回にわけて全20足リリース予定なんだそうですが、 第1回目のリリースは、24時間で売り切ったそうです。

お値段は「0.069イーサリアム」で、最初なのでかなり低めの、ちょっとふざけた値段にしたんだ、というけど、NFTの相場感というものがまったくつかめないので、ふーん、というしかない。

初期投資のコンピュータを回収するほどではないけれど、いまのレートでもその半分くらいは回収できる売上になったもようです。よかったね。

従来のアートだと、転売された途端に、それからどのくらい値段が上がろうが、作品をつくった作家には関係ない話になってしまうけれど(作家が10万円で手放した作品がサザビーズで1億円で売れようと、作家の手元には一銭もはいってこない)、NFTの場合には、転売されて持ち主が変わるたびに、その一部がもとの作家のところに印税のように振り込まれるというのが、面白いなーと思います。

仮想通貨もNFTも、何度仕組みを説明されて、わかったような気はしても(わかんないけど)、感覚的になにかこうピンと来ない。なんだかすごく抽象的な話を聞いているような。

それに加えて、なんでこのアグリーなゴリラのデジタル画像ファイルが1億円なんだよ?っていうの、もう本当にわからない。

CNETの記事「NFT--人はなぜJPEG画像に何億円も払うのか」によると、仮想通貨のバブルで巨万の富を手にした人がすくなくとも世界中に10万人くらいいて、そのコミュニティ内での見栄の張り合いやブラフや、いろいろな思惑があっての1億円アートバブルなんだそうだ。なるほどねぇ。

これからNFTが健全な、真正の文化媒体になっていくのか、まったくみたことのないものになるのか、やっぱりわたしにはよくわかりません。

 

 

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2022/02/06

毛糸をほどく


 2年くらい前に編みかけてほったらかしにしていたマフラーに、謎の巨大なほつれ穴ができているのを発見して、ほどいてやりなおすことにしました。

 


ちがう、2年くらい前じゃなくて3年半も前だったwwwww


「癒やされるー」、とかいいつつ、いつのまにか紙袋に放置して忘れ去ってる自分w

いや正確には忘れてはいなかったけれど、意識のうすぐらい辺境に追いやっていました。

このたび断捨離効果により、部屋の一隅から救い出してまた手にとって少し編み進めてみると、おお、やっぱり癒やされるー。 

すこし編み進めたところで、下のほうに大きな穴を発見したので、このさいやりなおそうと思ったのです。




ほどいた糸のラーメン的なかたちもかわいい。

この明るいマルチカラーに心惹かれます。薄紅、むらさき、柚子、萌黄、水色。朝の空とか、春の花の色。



こちらもiPhone13のマクロで寄ってみました。




久しぶりに晴れて、ちょうどリビングに朝の光がはいってきた時刻。

家がたて込んでいるので、室内に直射日光がさすのは、1日のうちほんの1時間か2時間くらいのスペシャルアワーです。


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2022/02/05

もふもふクローズアップ


近所のおうちの石垣にはりついていた、存在感のある、もふもふな苔。

あるきだしそうな、たたずまいです。





去年11月に機種変更したiPhone 13のマクロで撮ってみました。けっこう寄れる。


13Proにしたかった理由は、これがやってみたかったから、でもあるのでした、実は。

ここまで寄ると、苔にかわいい花がたくさん咲いてるのがわかります。

しかし、老眼鏡がないと、せっかく寄ってる被写体がよく見えないことに気づいて、愕然…wwwww



ケイタイ電話でここまで撮れるようになるとはねー。

iPhoneのモデルチェンジのたびに、やっぱりいちばん注目されるのはカメラ機能の進化。

望遠、広角、4Kビデオ、暗いところでの撮影、スローモーション、パノラマなど、もうカメラでできることはすべて網羅されてしまったような気がします。

この次はいったいどこへ行くのだろう、やっぱりVRかな。

きっと、撮ったものの情報の処理と、情報やそこにないものを「つけくわえる」方向になるのでしょうね。


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2022/02/04

ないなら、ないように


キリコちゃんがニューハンプシャーからのおみやげに買ってきてくれた、フェルト製のブルーバード。

「ブルーバード」って、青い鳥。
西海岸にはいないけど、こういう子らしいです。せなかが青で、おなかがオレンジ。

 



 この正面顔は…。



 綾波レイの朝ごはんかよ!と自分でつっこんだ、今週の「おめざ」セット。

ほとんどがサプリ、マグネシウム、ビタミンですが、青くてちっちゃい子が、じつはいちばん強力なステロイド剤です。こんなちっちゃいなかに、すごい成分がギューッと入ってて、体が睡眠に向かなくなるの、すごい。

ミクロな世界で体は変わり、それがすぐに思考や意思や行動にピキーンと反映される。できることとできないこと、感じ方がすぐに変わる。

 

て、このあいだも『バカの壁』を読んであらためて思ったけれど、 「自分」というのは、そう思いたいほどしっかりしたシステムではなくて、わりとすぐ書き換わっちゃうものなんですよね。

ステロイド剤の服用は、とりあえず、昨日、10回をもって終了しました。



こんなに小さいのにすんごくはたらいてくれているおかげで、1日24時間のうち、2〜3時間くらいずつ合計5時間くらいしか眠れない。

ステロイドがいったい体の何をどうしているのかわたしには理解できていませんが(『はたらく細胞』のステロイドを思い出すのみ↑↑↑)、こんな強力なものはさすがにあまり長期にわたって入れてよいものではないということだけは、わかる。

 


 こちらは、まっとうなアボカドトースト。

 

退院してきた日にたまたまご依頼頂いたちいさな仕事を、先週末かけて1件だけお引き受けしました。

健康時ならば1日半くらいでやるものを、ぼーっとする時間を考慮して、3日分相当の時間を割り当てておいて、ちょうどよかったです。

内容が新しいテクノロジーとビジネスに関するもので、ちょうど興味のある分野の記事だったし、原文がすっきりわかりやすく書かれていたので、かなり楽しかった。

やっぱりわたしは翻訳が好きだなあ、と思いました。

原文に出てくる、知らないコンセプトや、きちんと理解していないコンセプトをまずリサーチして理解する。それを、日本の読者層にあたる方がどのような言葉で表現しているか、日本の媒体でリサーチする。まだ日本語のサイトがヒットしない場合には検索語を変えて周辺からいろいろ読んでみる。

詳しくない分野の(それがほとんどですが)翻訳は、そんなことをしているので、けっこう時間がかかります。

(わたしが翻訳の仕事を始めたのはインターネット時代になってからなので、前世紀のプロの方たちはいったいどんな知識を蓄えていたのだろうか、と思います)。

ひとつの単語について1時間くらいあれこれリサーチして、考え込んでしまうこともあります。

でも、自分が理解した内容を、すっきり読みやすい日本語に置き換えられた、と思えたときは、達成感があってうれしいです。

その出来上がりに、クライアントさんや読者さんがどのくらい同意していただけるかは、わかりませんが。

いまのところ、体力的にフルタイム相当での稼働はちょっと無理で、ピーク時の半分以下の仕事量になっていますが、それでも、こうやってぽつぽつご依頼いただくものに対応できるのはほんとうに嬉しいことです。

朝日新聞デジタル版に安藤忠雄さんのインタビュー記事がでてました。いま80歳で、なんと、8年前に、胆囊、胆管、十二指腸、膵臓、脾臓をがんで全摘したんだそうです。
まさに「五臓のないからだ」。

それなのに「五臓がないなら、ないように生きる――。こう決めて、退院後は1日1万歩歩き、昼食は1時間かけて食べ、その直後は休憩するように生活リズムを整え」て、いまのところ、特に目立った不調がない、という。

それで、五臓がないのに元気なのは奇跡だといって、むしろ縁起が良いからと、中国から仕事の依頼が増えたんだとかwwww 神様化している! 

「ないなら、ないように」生きる、という姿勢。希望を自分で作り出すこと。

希望とは「生きる誇り」であり、それは安藤さんの場合、建築の仕事を通して社会とつながること、スタッフの生計を支えること、大阪人としての誇り、だといいます。

幸せとか希望とか、生きがいとか、いろいろ言い方はあるけど、自分が充実することって、やっぱり、自分の思いと行いを通して社会/ほかの人、世界、とつながること、でしかないのだな、と思います。

ほんのすこしでも人の役に立てたっていう実感は、うれしいものですねー。



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2022/02/03

アフタヌーンティーと副反応


 うちの青年のもと彼女、キリコちゃんが、ポピーシードケーキを焼いて遊びにきてくれました。




高校生のときから7年以上も家族ぐるみのおつきあいをしてきたキリコちゃん、うちの青年とパートナーとしては別れてからも、いまもなかよし。

編みものとお菓子づくりが上手で、読書家で、植物を育てるのも上手で、アートの才能も理系の才能もある才女です。いまはカレッジ編入のため、物理の勉強中。

考えていることや興味の対象がとても広く、話題が豊富で楽しい。感じ方もわたしとよく似ているので、いつもインスパイアされます。才能もあるし、心が豊かで愛情深い人。

エコロジー、生物学、植物、さいきん読んだ本(ヴァージニア・ウルフ、小川洋子など)、12月に行った東海岸への旅で見たおもしろい鳥たちの話など。

 


 しっとりした生地のポピーシードケーキに、鮮やかなマゼンダピンクの手作りラズベリーソース、オレンジと、このあいだPちゃんからいただいた柚子の皮、フリーズドライのラズベリーをふりかけた、美しいケーキでした。

おかわり2回しました。

 

 

せっかくのアフタヌーンティーなのに、青年は目が死んでいますね。

実は、一昨日、コロナのブースター接種を受けてきて以来、副反応でややゾンビ化していて、かなりダメな感じをかもし出しているのです。

接種後2日、悪寒と倦怠感が続き、かなり長時間眠って、だいぶ回復したものの、腕が痛いのと、倦怠感がまだ続いているとか。

昨日、デンマーク在住の翻訳者仲間Aさんとチャットでおはなししてたら、デンマークでは、ワクチン接種が普及したのを受けて、生活上の制限を完全に撤廃するのだそうです。へー!

コロナが人類にとってどんな影響を及ぼしたのか、50年後くらいに研究ブームが来たりするのかもしれませんね。


 

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2022/02/02

柳の木とソフィーの呪い


 ある日の朝、窓のそとの景色。ロビンかな、ブルージェイかな。

寝室の窓のそとに、路地をはさんでヤナギの巨木があって、アライグマやカラスやリスや、ありとあらゆる小鳥たちがやってくるのです。

以前この家に住んでた一家が去年コロナ渦中で引っ越してしまい、デベロッパーが裏庭にもう1軒別の家をたてるそうなので、この樹も伐られてしまうのかな。

朝晩、この窓から見えるこのワシャワシャした枝が、ほんとうに心の癒やしなのですけれど。

ヤナギの木にはキャラクターがあります。

日本の古い物語にも、柳の木が人になるお話がありましたよね。

 


 『ハウルの動く城』の話つづきもうすこし。(全面ネタばれです。)

2004年公開。

ハワイにいた時で、映画館で見たような記憶がありますが、ストーリーはよく覚えてなかった。

今回見直してみて、ああ、いい話だなあ、としみじみ思いました。

個人的に、ほんとにタイムリーなお話でした。

 


 
声の出演者がすばらしい。

 主人公ソフィーちゃんは、戦後の明るい少女、「下町の太陽」、倍賞千恵子さんそのもの。
意思の強そうな顔が似てる! 倍賞さんをイメージしたキャラなのでしょうね。

60代で少女の声ができる人が、ほかにいるだろうか。永遠の少女。

 


 

荒れ地の魔女の美輪明宏さんも、絶対にほかにありえないキャスティング。

このひとほど声に特徴のあるひとも、珍しいのではないかと思います。

魔力を失って、ただのおばあちゃんになってしまったあとの、毒気が抜けたものの生命力とワガママは旺盛なありかたもすごくよくって、なんとなしに『贅沢貧乏』の森茉莉さんをちょっと思わせる、かわいらしさ。(お二人は同時代で親しく、いろいろあったようですが)



ソフィーちゃんのすごいところは、呪いがかかってしまったことに、まあ当然驚くものの、泣いたり叫んだり嘆き悲しんだりしてないで、できることを考えて、すぐに行動しはじめることですね。

 


 

逃げるのではなく、問題解決にむかって、淡々と、乗り込んでいく。

そしてその途上で、必然的に出会う人たちに、ふつうに、親切にしてあげる。

 


 

自分に呪いをかけた魔女にも、「がんばりなさいよ!」って応援してしまう。

敵のスパイも、自分を呪った人も、悪魔も、みんなみんなフラットに、家族と、というより自分と同じように扱ってしまう。

これってふつうの社会では異常なことだし、さらっとできる人はあんまりいないですよね。

でもたまにいるし、そういう人は、人混みにいても、ピカーっと光っている。

たぶん「菩薩」とか「天使」っていう存在に似てる人たちです。

だからみんな、ソフィーが大好きになっちゃうんですね、彼女から自然な愛があふれているからです。


『風の谷のナウシカ』の(映画ではなく原作のマンガ版の)最後のほうのナウシカと、ソフィーちゃんの行動は、まったく同じです。

敵だった魔王も、破壊的な兵器の巨神兵も、自分の家族と同様に抱きしめてしまう。本気でかかわってしまう。




そうせざるを得ない。ナウシカにはほかのあり方はないのです。

だからその愛にうながされて、魔王も成仏してしまう。ナウシカはまさに「菩薩」。

 

 


 

ソフィーちゃんは、呪いをかけられたからこそ、ゆいいつ解決策がありそうな荒れ地を目指し、 冒険をはじめて、自分の物語を新しいレベルで生き始め、結局まわりにいる人を助けることになるんですね、とっても淡々と。

呪いがあったからこそ、自分のいくべきところ、会うべき人に導かれる。


 

という、スピリチュアル・ジャーニーのお話だったんですねー、この映画って!!

呪いを解くために動き始めることによって、初めて、自分が本当になにを求めているのかがわかってくる。

だから呪いはソフィーにとって恵みだった。

そして、ハウルという、とても大きな才能があるけれど、心がアンバランスで、不安が大きくて、怖がっている人をも、助けてしまう。ソフィーちゃんが、自分の心としっかり向き合っていたからです。

だから、ハウルもソフィー自身も、自分を縛っていた恐れから自由になることができた。

最後はハッピーエンド。こんなにいい人ばかりなわけない、うまくいくわけがない、と恐れているときには、やはり何もうまくいかないし、停滞していくものなのでしょう。

 目の前の問題とまっすぐ向き合い、対話をして、手を動かすこと、そして、自分のためだけでなく、目の前の人を惜しみなく助けることを通して、呪いが新しい恵みに変わり、世界を変えていくというお話なのでした。

病や老いや逆境といった、理不尽におもえる「呪い」は、新しい世界へ入っていくためのきっぷ。そう思うと、なにもかもが変わってしまいます。

変わらなければならないのは、自分のほうなのでした。

 

 

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「年取っていいことは……」


2月ですね!
きのう、月曜日は、退院後、はじめて外に散歩に出ました。

綺麗に晴れて、明るくて、なんだかもう春の気配。小鳥たちも忙しそうに鳴いて巣作りをはじめているようです。

東海岸は嵐と大雪で大変そうですが、シアトルは2月になるともう春めいてきます。

近所でマンサクが咲いていました。






青年がこのあいだどこかで買ってきた、ブラジルのアーティスト。
まったりしてて、春にぴったり。ジャケは秋っぽいけど。

退院してきてからなんだかとってもスッキリしてきて、頭は元気です。
たぶんステロイド剤のせいで、いろいろ体がフル回転しているのだと思う。

ちょっと活動するとすぐに酸素不足になってしまうので、家のなかでもおばあさんのようにゆっくりゆっくり歩いています。
『ハウルの動く城』で呪いをかけられて急におばあさんになってしまったソフィーちゃんのように…。
(退院してきてから、HBOで『ハウルの動く城』を初めて見直しました。おもしろかった。)


ソフィーは20代の娘さんから急におばあちゃんになったのに、落ち着きはらって

「年とって良いことは、驚かなくなることね」

なんていうの不思議、と思ったけど、体が変わると見方も変わる。




「変わってみないと、わからない」のですね。体験しないことは、わからない。

ソフィーちゃんは荒れ地の魔女に急に年寄りにされたことで、冒険に出ることになり、新しい人たちと出会い、自分の力を発見し、世界と自分の美しさに目覚め、愛をみつけていく。

わたしも、静かな1週間を病院で過ごせたおかげで、そして、とてもゆっくりゆっくり生活することになったことで、深いところで、自分にとって本当になにが大切なのかを確認できたような気がします。


病を得るっていうのは悪いことではないのだな、と本当に思えるようになりました。

年寄りにならなければ自分の気持ちがわからなかったソフィーちゃんのように、わたしにも、病を得なければ理解できなかったことがある。

そう思うと、ウイルスもがん細胞も、お急ぎ便メッセージを持ってきてくれた自分の一部なのだなと思えてきます。

まあ、健康でいられるに越したことはないですけれど、順調なときには気づかないことってあるものです。人生にとって健康で長生きすることだけがいつも最重要課題とはかぎらないのだし。

自分にとって大切なものを常に更新していくことが、つまり幸せっていうものなのだな、と思います。

ハウルの城を徹底的に掃除しちゃうソフィーちゃんほどではないけど、わたしも病院から帰ってきてから、断捨離がさっくさくに進んで、部屋の空気ががらっと変わるほどすっきりしました。


フィニーリッジのジャパニーズカフェ『MODERN』のカレー、からあげつき。

コロナ罹患でゴロゴロしているあいだ、入院前に『3月のライオン』をKindleで全巻読んでしまい、川本家の唐揚げカレーが心に残っていたので…。



 抹茶ロールケーキもふんぱつ!これは日本の味〜。

 

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2022/01/28

オミクロン渦中に入院の巻


日曜日の夜から木曜日の夜まで、入院してました。

10日のPCRで、コロナ陽性です!といわれたのが翌日11日朝。

以降、喉の痛み、微熱、咳という症状が数日続き、それはおさまったものの倦怠感が抜けず…という状況でしたが、陽性発覚後10日ころから、息切れがひどくなりはじめ、パルスオキシメーターで測ると、ちょっとした日常動作のあとで80台になってしまうという状況が続きました。

オミクロン禍のさなかにできるだけ病院には行きたくない!と思ってたんですが、21日の金曜あたりから息切れがますますひどくなってきたので、日曜の夜、ついに、うちの青年に有無をいわさずERへ強制連行されました。
ふだんのかかりつけの腫瘍クリニックは、コロナ陽性発覚後20日は受診できず、受け入れ先はERだけだったのです。

コロナ陽性が発覚したのはもうその時点で約2週間前なのだけど、ERではまだコロナ患者扱いで、待合室もコロナ患者専用。

ERに到着したのは日曜の午後8時すぎでしたが、コロナ待合室はわたしのほか誰もいず、普通の待合室にも3人か4人が待っているだけで、わりとすぐに診てもらえました。

何人かの医師や看護師さんになんどか聞いてみたところ、1月のはじめ頃は患者が急増して、かなり緊張状態だったこともあったそうですが、もうかなり全体数が減っているとのこと。

やっぱりシアトルではもうとりあえずオミクロン株の感染もピークアウトしているというのは本当みたいです。

すぐにER内の簡易病室に入れてもらい、レントゲンとCTを撮ってもらいました。

血液検査のほかに、夜中と明け方に2度の追加PCR検査をして、1回目は陰性だったものの、2回めは陽性になって、ここでコロナ患者に再決定!

感染後もう2週間で、一度症状はおさまってるのに????まだウイルスが活動してるの???と驚きました。

その間、医師が3人入れ替わりにやってきて、レントゲンでは判断できないけれど、コロナによる肺炎の疑いがあるといって、とりあえずコロナ陽性の肺炎患者として、2種類の薬で治療を受けることに。
もともと腫瘍と胸水の組み合わせで肺機能が低下しているのはわかってるんですが、そこに肺炎を併発しているのではないかという所見でした。
肺炎にしては、熱もなかったんですけどね。

コロナ患者扱いなので、もちろん付添いの息子も同室できず、入室してくる看護師さんや医師は全員、マスク、不織布ガウン、フェイスシールドの完全装備です。

しかも、隔離患者なので、廊下のトイレを使うことができず、「これ使ってね」と「おまる」を持ってきてくれました…。


これがいちばん悲しかった……。急に部屋に看護師さんその他が入ってくることもあるので、気が気じゃないし!

持ってきてくれた女性看護師さんが「わたしこっち向いてるから、ドウゾ」と背中を向けてくれたんですが、さすがにかたまりました。

好きなときにトイレが使えるって、なんて幸せなことなんだろうか、と実感しました。
水洗トイレが当たり前だと思っている毎日よ。

去年の夏読んだ『アンジェラの灰』で、毎日家のおまるのナカミを捨てに行く話を思い出して、我が身の幸運をつくづく感じました。


結局、ワシントン大学の向かいのメインキャンパスの病院のほうに移送されることになり、翌日の午後5時になってようやくERを脱出。

日曜の夜中、息子にチーズバーガーを買ってきてもらい、翌朝、看護師さんが朝食を持ってきてくれたあとは、まったくなにも食べていなかったので(通常の病室ではないので食事のことなど忘れられていて、自分でも何か外から注文するという発想はなかった)、夕方に救急車で搬送される頃にはかなりおなかがぺこぺこでした。


生涯2度めの救急車。搬送チームは若い男女のペアで、とてもテキパキしてて親切でした。
「大変な患者さんも多いでしょう」ときくと、「うん、すごく怒ってる人が多いんだよねー」と言ってました。

機嫌のわるい病人に当たられると、辛いだろうなあ。なんて大変なお仕事だ!

 「そんなのどうやって対処できるのか見当もつかない。あなたたちほんとにすごいね」
というと、寂しく笑っていました。

 



ここからは、ワシントン大学の向かいにある大きな病院の、呼吸器病棟の広々した個室に入れてもらって、ものすごく快適でした。

専用の広いトイレとシャワーつきで、西向きの窓からは針葉樹と湖の一部、そしてきれいな夕焼けが見えて、なにかのリトリートのようにほっとして過ごすことができました。


バスルームはやたらに広く、なぜかオレンジ色の照明。

オミクロン感染拡大中につき、病院全体で面会は一切禁止になっていて(本当に命が危ない、臨終のときだけ、例外が認められるそうです)、ビジターは病棟のフロアまで上がってこれません。

息子に家から身の回りのものを持ってきてもらい、下の受付にあずけてもらって、看護師さんが取りに行ってくれました。





コロナ感染後、ぜんぜん食欲がなかったのですが、ステロイド剤を投与されたせいか食欲がでてきて、移送後さっそくがっつり夕飯を完食。

チキンのグリル、マッシュルームソースとマッシュポテト、トマトスープ、いんげんも歯ごたえがありゆで加減上々で、おいしゅうございました。

食事は、ベッドサイドの電話かアプリで注文すると、部屋に持ってきてくれます。





こちらは別の日のポットロースト。メイン、サイドディッシュ、スープやサラダ、飲みもの、デザートなどをカテゴリべつに一つ一つ選べます。


ここでもコロナ患者として完全隔離で、部屋のドアは内側から開きません。

看護師さんや医師も、フェイスシールドとガウンの完全装備で入ってきて、診察や用事が終わったら、着ていた不織布ガウンを部屋の中のゴミ箱に捨て、外の人にドアを開けてもらって出ていく、というのが、プロトコルになっているそうです。


使い捨てのガウンですぐにいっぱいになってしまうゴミ箱をみつつ、わたし一人のためにこんなにたくさんのゴミが出るなんて、と本当に申し訳ない気持ちになりました。


ここの病院の腫瘍医チームと呼吸器内科の医師たちが診てくれて、ひきつづき3日間、コロナの治療薬とされている「レムデシベル」とステロイド剤、それと血栓予防の薬剤を投与してもらっていたのですが、水曜の午後になって、とつぜん、その医師のひとりがやってきて、「疫病医と一緒に履歴を再検討した結果、あなたはもはやコロナ陽性ではないと判断しました」と宣言されました。

そして急に魔法のように隔離が解かれて、コロナ患者から非コロナ患者になりました。

「PCR検査って、感染後30日くらいまで陽性になることがあるから、再検査は推奨されないのよねー」
と、その医師が言うのですが、でも検査、したやん、2回も……。

やはり、渦中だけに、すこしでも可能性があればコロナと思えという姿勢になるのでしょう。



で、じゃあもう退院かとおもいきや、病室でやった心臓の超音波検査(これは呼吸器の患者に対するデフォルトの検査だそうです)で、心房のひとつに異常かもしれないものが見つかり、CTで脾臓にも梗塞かもしれないものが見つかったので、血栓のおそれがあるとのことで、再検査のためもう一日入院することに。


ベッドサイドの超音波検査。この時点ではまだコロナ患者扱いで隔離中だったので、検査技師もフル装備でした。

木曜日に再度CTを撮り、心電図を取り、血液検査をしてもらいました。そしてこんどは、心臓血管科の医師たちがぞろぞろとやってきて、「新しいデータをかんがみるに、異常はないとほぼ断言できるので、これ以上の検査はとくに必要ないです」といわれ、退院になりました。

レントゲン、CT2回、超音波検査、心電図、救急車搬送、1日3回以上の血液検査、いろいろな薬剤、ゆうに10人以上のいろんな科の医師の診断、看護師さん、そのうえ栄養士とフィジカルセラピストのカウンセリング。

これ全部自費だったら、たぶん小型のクルマがさくっと買えちゃうくらいの費用だと思います。

オバマケアがなかったら、フリーランスという身分のわたしには保険のチョイスがほとんどなかったので、ほんとうにありがたいことです。

わたし一人のためにこんなにリソースが使われて…とも思うけれど、わたしを媒体として、医療の現場に経済がまわっているのだと思うことにしています。(捨てられる不織布とプラスティックの多さには心が痛むけど)

どれだけの医療がほんとうに「適切」なのかどうかは、難しい問題ですよね。

本当に血栓の原因になる脾梗塞が発見されて、命拾いをすることになったかもしれないのだし、そういう可能性が目の前にあったら、医師は見過ごすわけにいかないですよね。

なんて手厚いシステムのなかにいるんだろう、と感謝する一方で、こんなに手厚いシステムに守られていることを、すこし居心地悪くも感じてしまう。






いちばんおいしかった、鮭のグリルつきシーザーサラダ、チョコトルテ。


病室で活躍した、うちの青年のクロックス(サイズ10)。看護師さんたちにやたら褒められた。

結局、これだけ大騒ぎした後、コロナ肺炎じゃなかったということがわかった以外は、あんまり状況は変わってないのですが、息がくるしくなったとき用に酸素吸入器をかりてきました。


 


高度医療のおかげで、いろいろ不具合はありつつも、まだ生きてます。しかもとても快適に。

既往症のあるうえに最新流行のウイルスに感染までしてみると、いろいろと新しい立場でものごとを見ることになります。

いろいろ社会のリソースを使いつつ、そのぶんきっと、誰かのなにかの役に立っているはずだ、と思って暮らしています。医療費や研究費などのリソースを回す媒体としても、ほかのもっと別のよいものを回す媒体としても、きっと役に立っているし、役に立てることはうれしい。

とりあえず、毎日楽しく快適に過ごせること、まわりの心優しいひとたちに、ほんとうに感謝です。



帰ったら、ハワイのえりぴょんから、マンガとバター飴とはちみつなどが届いてました。

バター飴うまい!



 

 

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