2011/08/30

ブルーベリーとグレースハーバーのヨーグルト


ベリーの季節です。
今年は少し遅いのかもしれません。

ハワイにいたときは、ブルーベリーったら高級品で、半パイント(カップ半分くらい)のパックにはいった、ちょっとくたびれちゃって裏のほうにカビなんか生えてるのが4ドルくらいしたのを有り難く買ってきたものですが、ワシントン州はさすがに産地♪ 近隣にたくさんブルーベリー農園があって、フレッシュなベリーがスーパーでも山づみになってます。



そのかわり、パパイヤはハワイの3倍のお値段ですが…w パパイヤとブルーベリーの組み合わせは大好きなのだけど、なかなか廉価にはいかないようですw  たまーに、仕入れすぎたのか、激安で1個2ドルくらいのことがありますが、これはハワイ産でした。

Mt. Vernonのあたりにある日系のサクマ・ブラザース農園のブルーベリーは、格別おいしい。葡萄のような大粒です。
今シーズンの最安値は、地元スーパーのBallard Market で、この4パイントの箱が8ドル弱でした。ぱくぱく食べながら、ソースを作ります。ペクチンを入れればジャムになるのかもしれないけれど、イチゴと違ってそのままだとゲル状にはなってくれません。


でも用途はヨーグルトやパンケーキにかけるだけだから、これで充分。
地元農園の新鮮ブルーベリーソースをGrace Harbor のヨーグルトにかけて頂くのが、このところ毎朝の幸せです。


シアトルから北に100マイルほど、カナダ国境に近いところにある家族経営の小農場「Grace Harbor Farm 」製のヨーグルトは、PCCCentral 系の地元スーパーで手にはいります。
濃厚さで有名なガーンジー牛のミルクでできていて、フタの裏にはこってりとクリームがついています。

アメリカに来てから、ずーーーっと、「明治ブルガリアヨーグルト」や「カスピ海ヨーグルト」級の、柔らかなおいしいヨーグルトを探し求めていたのですが、これは軽〜く量産ものをしのぐおいしさ。初めて食べたときには真剣に感動しました。アメリカのスーパーでこんなにおいしいヨーグルトに出会えるなんて、これだけでノースウェストに引っ越したかいがあったと思ったくらいです。


実はこのヨーグルトの写真、ことしの3月に撮ったものです。このヨーグルトのことを書こうと思っていた矢先に震災があって、それから安全性の確認できない牛乳しか手にはいらない東日本のお母さんたちのことを思うと、なかなか書くことができませんでした。
食の安全に関しては世界一といっていいくらい関心の高かったはずの日本の食卓が、こんな形で脅かされるとは。
日本の子どもたちの食卓が安全な食材で満たさるように、祈るばかりです。

2011/08/28

Diners

Sequim で帰りにごはんをたべたダイナー「Hi-Way 101 Diner」。

店の壁中にマリリン・モンローやジェームス・ディーンの写真が飾ってあり、クラシックなジュークボックスやガムボールマシンがある50年代風ダイナーでした。

壁はペパーミントグリーン、ピンクのネオン管の時計があって、床はお約束の白と黒の市松もよう。ハラジュクにもありそうな可愛い内装のお店がこんな片田舎の街道沿いにあって、地元のお年寄りがたくさん来ているところが素敵。

ウェイトレスのおばちゃんも、絵に描いたような正統派「ダイナーのウェイトレス」=<清潔なユニフォームに短い白いエプロン、明るく声は大きく歯切れよく、お客の注文したものにニッコリ笑ってコメントし、コーヒーのポットを持って戻って来て若い男の子に少々威圧的な態度でお愛想を言う、ちょい太めのきわめて健康的なおばちゃん>…でした。


『リーダース英和辞典』ではDiner を「道路際の食堂」と説明しています。


『Denny's 』にはじまるファミレスの先祖なわけですが、アメリカで車が普及しきったころ、1950年代には、車での家族旅行やダイナーでの食事が豊かさの象徴だったのでしょう。ファーストフードにアメリカの「道路ぎわの食堂」の王座を奪われるまで、ダイナーはアメリカらしさの象徴のような存在だったようです。

ウィキペディアは、
…But as a rule, diners were always symbols of American optimism
(とは言っても、原則として、ダイナーは常にアメリカの楽観主義の象徴であった)
と言っています。


自動車での家族旅行が輝かしいアメリカらしさだった「街道」の黄金時代は、ダイナーの黄金時代でもあり、今も残っているダイナーたちは、やっぱりデフォルトで50年代のデザインを受けついでいます。 居酒屋に縄のれんとモツ煮込みが欠かせないように、ダイナーにはネオンのサインとジュークボックスと、市松もようの床とチェリーパイがなくてはならないようです。




映画や小説に出て来る街道沿いのダイナーには、やるせなさが漂ってます。

夜のダイナーでまっさきに思い浮かぶのは、エドワード・ホッパーの『Night Hawks』。
都会の深夜のダイナーの、真空に浮かんでいるような、どこにもつながっていないような空間。外から見るととほうもなく寂しいのに、中にいる人びとはそれだけで完結した金魚鉢のような世界でそれなりに居心地よく過ごしているような。1942年、ダイナー興隆期のころの作品です。

もう少し前、自動車旅行黎明期の作品では、スタインベックの『怒りの葡萄』に出て来る食堂がすごく印象的でした。作中ではダイナーじゃなく「ハンバーガースタンド」 と呼ばれていますが。オクラホマの貧農家族が、新天地を求めて家財道具一切を積んだぽんこつ車でカリフォルニアを目指すルート66の途上、なけなしのお金でパンを買うために立ち寄る、夫婦が経営する小さな食堂です。

トラックの運ちゃんたちがジュークボックスにニッケル硬貨を入れてビング・クロスビーを聞きながらバナナクリームパイを食べているところに、ジョード一家が「パンを10セントぶんだけ売ってくれないか」と入って来る。

ウェイトレスの奥さんは、最初は「うちは食料品屋じゃないよ」と冷たくあしらうのだけれど、奥から旦那さんに売ってやれと言われて、渋々パンを包んでいると、父親のあとからついてきたボロボロの服を来た子どもが、キャンディのケースを魅せられたように見つめる。父親は、これからまだ長い道のりを行かなきゃならないんで、と謝りながら、ポケットから出した全財産の中から10セントを払い、ふと子どもが見入っているケースを見て「あのキャンディはひとつ1セントかね?」と尋ねる。食堂の奥さんは、あれは2つで1セントだ、と答え、ペニー硬貨1枚でキャンディ2コを売ってやる。
親子が出て行ってから、トラックの運ちゃんは奥さんを冷やかすように、「何言ってんだ、あのキャンディは1個5セントじゃねえか」と、口汚い言葉を残して出て行くのだけれど、カウンターにはパイの代金の何倍ものチップを置いていく。

『チキンスープ』シリーズに出てきそうな話だけど、スタインベックの簡潔で鋭利な筆が食堂の夫婦やトラック運ちゃんをすごく的確に描いてて、このくだりは何度読んでも泣けてしまいます。
 「アメリカの楽観主義の象徴」というのはこういうことなのかもしれません。
 
ダイナーに不可欠なパイは、アメリカ人にとって、懐かしいところに触れる存在なのだという気がします。
イーストウッド監督の映画『ミリオン・ダラー・ベイビー』でも、ダイナーのパイが印象的な役割で出てきました。実の娘とはなにかの理由で永遠に疎遠になってしまった老トレーナーが、自分にとっては天国とは、どこそこの寂しい道ばたにあるダイナーの「完璧なレモン・メレンゲ・パイ」だと、娘のようなボクサーに語ります。救いがないほど厳しい色調の映画の中で、そのレモン・メレンゲ・パイだけが、なんとも言えない切ない甘さを感じさせるのです。最後のシーンは、暗い峠道にあるそのダイナーだったと記憶しています。


ダイナーの食事は、ハンバーガーが基本で、まああんまり期待しないのが普通だけれど、店によって相当差があります。

この「101 Diner」でうちの息子が注文した「Barbeque pulled pork」バーガーは、びっくりするほどおいしかった。週末だけのスペシャルで、何時間もかけて準備するのだと、ウェイトレスのおばちゃんが自慢してました。サツマイモのフライもおいしかったです。手前はわたしの頼んだマカロニ&チーズ。これはふつうだけど、チーズの組み合わせやクルトンなど、田舎のダイナーにしてはオシャレなマックチーズ。サラダの野菜もぱりっとしていて新鮮で、ひとつひとつ丁寧な感じが好感もてました。
ポートアンジェルス方面に行ったら、また寄りたいお店です。

2011/08/24

Street Donutsのカレードーナツ


この前、Groupon で「ミニドーナツ2人前、ドリンク2つつき、8ドル」というのがあったので買ってみました。

パイクプレイス・マーケットの近くの駐車場に停まっているぴかぴかの銀色トラックで揚げて売っているミニドーナッツやさん、「Street Donuts」。

デザインも内装も、お兄さんの格好も、シアトルらしくなかなかスタイリッシュです。


1ダースくらいの揚げたてミニドーナツに、お好み「トッピング」を2種類目の前でかけてくれるのですが、シナモンやキャラメル、ココナツ、チョコレートなどのほか、「カレー粉」というチョイスもありました。

へんなものは取りあえず食べてみる。チョコとカレーのドーナツ、めっちゃめちゃうまいというほどでもないけど、ふつうにおいしかったです。カルダモンや「NERDS」(ちっちゃいキャンディ)もあるようです。

ドーナツ激戦の地シアトルで、生き残って行くでしょうか。

2011/08/21

Game Farmのエルクの料金所


ラベンダー園のあるSequim にて。以前Kaoru さんから聞いていたOlympic Game Farm に行ってきました。実はこのシマウマの看板を見るまで、すっかり忘れていたのですが…。

ディズニー映画にも協力した動物好きの家族が経営する私設動物園で、サファリパークのように、車に乗ったまま動物を見学できます。

 ゲートでお金(12歳以上は1人12ドル)を払うと、「パンいる?」と聞かれる。動物に与えるためのパン、1ローフ2ドルなり。あとでわかりましたが、これは絶対に必要

なぜならば。


入ってすぐ、道の真ん中にヤクが立ちはだかっているからです。
道の左がわは崖なので、避けることも出来ない。
車を近づけてもびくともしないし、どいてぇーとお願いしても絶対に聞いてくれない。

パンを見せるとやっと動きだし、おもむろに近づいてきます。

きょぇぇぇえ。
近づきすぎーーー! 瞬く間にパン2枚を完食したヤクが、窓から首を突っ込んでくるのを振り切って、そろそろと車を前に出して逃げる。

このヤクだけでなく、料金所のように道に立ちふさがる動物がゆくてに次々現れます。


シマウマは、もうおなかいっぱいらしく、パンにも車にも見向きもせず。



クマはさすがに電気が流れていると思われる柵の中に居住。でっかいのが5頭くらい。車の窓からお客さんが投げるパンを上手にキャッチして食べてました。
ライオン、オオカミ、トラなどの猛獣は、金網の中でウロウロしたり、お昼寝中。

ここにも料金所がーー。Elk (エルク)の群れに襲われる囲まれる車。車を取り囲んだまま一向に動こうとしない群れのために渋滞が出来てしまったので、左のおじさん(係の人)が追い払ってました。

盛り場で酔っぱらいを取り囲んで恐喝している不良少年グループのようだった…。

 エルクはふつうの鹿よりもずっと大きくて、立派な角のある雄エルクはSUVより背が高い。


集団で一目散に向かって来られると、 かなり怖いですー。


このほかにはバッファローやリャマもいます。


バッファローのこの雄は、前の車のトランク部分を角でごりごり押していて、その車にはトランクのところにかなり大きなキズがついてしまっていました(怖)。

小1時間ほどかかって1周し終わったときには、車の中はパン屑だらけ、窓はヤクやバッファローにべろべろ舐められて縞模様に。それでもバッファローの角で押されなかっただけ良かった。

エルクに恐喝されてみたい方はぜひ。

2011/08/20

ラベンダー狩り


先週の日曜日、オリンピック半島のSequim (「セクィム」?)に行ってきました。

ポートアンジェルスのちょっと手前、カナダとの間の狭い海峡に面した、このへんの田園地帯です。シアトルからはフェリーに乗る時間もいれて片道2時間ちょっと。


人口6000人ちょっとの市で、最近ラベンダー畑で町おこしに成功している模様。


見渡す限りラベンダー畑ではないけど、小規模な家族経営のラベンダー農園が集まっていて、7月には「ラベンダー・フェスティバル」も開催されてます。今年で7年目。

「U-Pick」(自分で切った分だけ買って持って帰るシステム。「ラベンダー狩り」?)の看板が出ていた、「Lavender Connection」というラベンダー園に行ってみました。



ラベンダーオイルを蒸留する機械の前に座っていたオーナーのおじさんが、ここには24種類のラベンダーがあるんだよ、と、とっても嬉しそうに説明してくれ、オイルの蒸留の仕方も詳しく解説してくれました。
ご夫婦で8年くらい前に始めた農園だそうで、直営の売店では奥さんが自家製オイルや石けんなどを売ってます。



U-Pick 中の16歳少年。ラベンダー畑に似合わん。
畑のあちこちから切ってきた、片手にいっぱいくらいの束を売店に持っていくと、きれいなラベンダー色の包装紙とリボンで包んでくれて、5ドル。ラブリーです。



今年はなかなか夏の気候にならなかったので花期が遅れ、ほんとうは7月半ば頃に満開になっているはずが、今頃やっと満開に。

シアトルの住宅街でも、あちこちでラベンダーがもりもり咲いてます。

2011/08/18

Mad Homes

もう先週の日曜で終わってしまったのですが、シアトルのCapitol Hill で行なわれていたインスタレーション、 Mad Homes に行ってきました。


場所はシアトルのダウンタウンからすぐ丘を上ったあたりのエリア、Capitol Hill (キャピトル・ヒル)。 このあたりは最初に開発された住宅街のひとつで、今では大学の近くに画材屋さんやパブやレストランやカフェやブティックやインデペンデント映画館など、個性の強い店がかたまったファンキーな街と、それを取り巻いてコンドミニアムやアパートがやや密集して建っている、ちょっと東京の下北沢〜渋谷あたりを彷彿とさせる街。


 見晴らしの良い高台に残っていた、おそらく築80年くらいはたっていそうな、こじんまりした家6軒。取り壊しが決まったこの家たちを、14人のアーティストが2週間だけ作品に変えてしまったインスタレーションでした。

 ラップでぐるぐる巻きにされた家や、テープでぐるぐる巻きにされた家。壁や床一面に、古い洋服が貼付けられていたり。

 ここに住んでいた人たちの影のような、糸でつくられた家族の肖像とか。


「ここから覗く」と、壁にわざわざ開けられた穴から観ると、ほこりだらけの古びた電子オルガンのある居間が。

Allan Packerさんの「The Fulcrum of Prescience」。床の下からコヨーテ?がせり出し、逆さ吊りのコンドルが壁にあけられた隙間を通ってブラックライトで照らされた隣の部屋と言ったりきたり。


3週間ほどで6000人以上が見に来たそうで、ギャラリーでやる展覧会なんかにくらべると遥かに多かった、と、受付のもの静かなお兄さんが言っていました。
 
取り壊された跡には、コンドミニアムが出来るそうです。こんな風にたくさんの人に集まって見送ってもらったら、家たちも嬉しいでしょう。

シアトルの人は本当に古い建物が好きなのだなあと思わされるほど、古い建造物を再利用やそのまんま利用しているオフィスや店舗、住宅が多くて、すぐに綺麗さっぱり何でも取り壊してしまう東京から来た者にとっては羨ましい限り。それだけ土地に余裕があるということなのだろうけれど。
東京では、林芙美子も住んだことがあるという巨大木造アパート「本郷館」がついに取り壊されてしまったそうです。一度見に行きたかったなあ。

2011/08/15

Sons


もっとも翻訳しづらい言葉のひとつに、呼びかける言葉、「対称詞」があります。

これはきっと英語と日本語だけではないと思うけれど、いちばん文化の違い、関係性の違いが現れるところなのでしょう。

Darling とかHoney、Sugar、なんて呼びかけ言葉は、もうそのまま訳すしかありません。
南部のダイナーでウェイトレスがお客に「シュガー」と呼びかけるのを、いったいどんな言葉に置き換えられるでしょう。


呼びかけの「Son」というのも訳せない言葉だと、映画を観ていて思いました。

地位も年齢も相手よりも圧倒的に高い男性だけが、青年や子どもに対して語りかける言葉。

たとえば、「僕は嘘なんかついていない」と主張する被告席の青年に向かって、判事が

- I KNOW you are not a liar, son. 

と言う。日本語にするなら、「きみが」しか思いつきません。

「君が嘘つきでないことは分かっているよ」

 または、南アフリカで開催されたラグビーワールドカップを題材にした映画『Invictus 』で、モーガン・フリーマンが演じるネルソン・マンデラ大統領が、自国代表チームの一人ひとりの手を取って、

- Good luck, son.

と激励する場面。 



 日本語では、年齢が上の人に対して、一般的な親族名称の「おじさん」「おじいちゃん」と呼びかけることはあるものの、この「son」に相当する言葉はありません。

圧倒的に自分のほうが経験を積んでいるという自信と、相手との距離感と、親しみと、時には愛情も言外にこめた、年若い相手に対する呼びかけ。

この自信というのは、威圧的なのでなくて、「きみと僕とはこれだけ離れているが同じ線上にいるので、きみもそのうちここに立つのだ、頑張りたまへ」という目線が感じられて、良い距離感だと思うのです。

日本のお父さんたちにも、こういう言葉があったらいいのに。

2011/08/14

ハワイの花咲く木々


「私たちの住んでいるところにも花はたくさん咲くけれど、木には咲かないのよ!」

ホノルルに住んでいたとき、どこかで立ち話をした本土からの観光客がそう言っていました。50代くらいの女性だったか、木々の梢高く咲く色とりどりの大きな花によほど感激しているようでした。

中西部だか東海岸だか、彼女の家の近くでも木々にひっそりと花は咲いているに違いないのだけど、目の覚めるような色彩の、派手な花が咲くことはないってことなんでしょう。


ホノルルのマノア小学校のそばに咲いていたJacaranda(ジャカランダ)は、中南米原産。


「この木なんの木」のCMで有名なMonkey Pod (モンキーポッド)。

この木も、プルメリアも、さらにはバニヤンツリーも、観光客が「ハワイの植物」といったときに思い浮かべるに違いない木々は、みんなほとんどが南米やアジア、アフリカから持ち込まれたものばかり。


African Tulip (アフリカン・チューリップ)。これもハワイ州から「侵略的植物」に指定されてますが、山の中から町中まで、ほんとにオアフ島中にたくさんある木。

コオラウ山脈の山腹にも、ジャングルの深い緑の中に、この塗り立ての鳥居のような鮮やかな朱色が濃い緑の中に点々としているのがよく目につきます。


アフリカン・チューリップの木。木のてっぺんで、天に向かって手を広げているように見えるのが、種の入っている豆さやです。

このさや、差し渡し20センチ以上あり、ミニチュアボートのような形をしていて、中には風に飛ぶ軽い種がたくさんはいっています。

10年ほど前、子どもが小学校のときに拾ってきたこの豆さやを、私は今でもアクセサリー入れに使っています。も内側はすべすべした綺麗な蜂蜜色で、軽くて丈夫で驚くほど長持ちします。


これもマノアに咲いていた、Rainbow Shower Tree (レインボウ・シャワーツリー)。
この木はハワイで作られた純園芸種のハイブリッドで、繁殖力はなく、ホノルルの街路樹として多く植えられています。


両側にこの木が植わっている道路は、6月から8月にかけての満開時にはコロコロした花が風に舞い散ってゴージャス。


Royal poinciana(ホウオウボク/鳳凰木)。これも東南アジア産のマメ科。
この木はもう花がほとんど終わっちゃってますが。


カリブ海の島や沖縄でもポピュラーな街路樹だそうで、上品で華麗な花。


 豆さやはブーメランかなにかのよう。さしわたし30センチ以上もあります。


 哺乳瓶を洗うブラシみたいな Bottlebrush (ブラシノキ)、オーストラリア原産。
これもマノアにて。

近年のホノルルでは、新しく植樹するときは原生種や「カヌー植物」(ポリネシア人がタヒチからカヌーで移住したときに持ち込んだ植物)を多く植えるようになっていて、 街路の植え込みでもショッピングセンターでも、派手な花は咲かないけれど土地を代表するハワイアン植物が多く見られます。



原生種のNaupaka (ナウパカ)。海辺に良く植えられている、塩分に強い灌木。引き裂かれた恋人たちの伝説をもつ、「半分の花」です。これはカイルアビーチの近く。


 ワイキキビーチの木陰を作っているHau Tree (ハウ・ツリー)。ポリネシアからカヌーで海を渡ってきた「カヌー植物」は皆そうだけれど、用途の多い木。火を起こすのに使われたそうです。
朝方開いた薄い黄色の花が、だんだんとオレンジ色に変わっていって、夕方には赤茶色になって、ぽとりと落ちてきます。


そうしてやっぱり、ハワイではとても身近に感じられる Ti Leaf (ティ・リーフ)。
ハワイの家では魔除けとして家の周りに植えられていることが多い、広い美しい葉っぱで、赤のも緑のも綺麗です。

丈夫なつやつやした葉で食べ物を包んだり、レイにしたりする便利植物。

ノースウェストの植物も多彩で飽きることがないのだけど、ハワイ滞在中に久しぶりに強烈な光の下で南国の植物をたくさん撮ったら、鮮やかさのスケールが全然違う。

写真を整理していると、今年は浴び足りてない、痛いほど照りつける太陽の光がなつかしくなります。

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