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2022/02/08

デジタル神棚でNFTをつくる


 先月、うちの青年が新しく購入したコンピュータです。

かたちはごくふつうの立法形の黒いマシンですが、側面が透明になってて、マシンの中が見えるようになっています。

コストコのお徳用チョコレートみたいな大きさのRAM、ごっついグラフィックカード(下の部分だそうです)、冷却用ラジエータつき。そして、……龍もいる!

御神体みたいな鏡は(Vサインが映っている)、ラジエータの一部だそうです。

なんか、コンピュータというよりも、…神棚?みたいな風情が。


 

榊をかざりたくなる感じですが、さらに、光ります。ちょっと神々しい。綺麗です。

龍ちゃんもちゃんと光ってる。


青年は、会社のしごと(ボストンの会社にリモート勤務中)とは別に、去年から自分のプロジェクトとして3Dアートのシューズをちまちまとつくっていたのですが、ノートパソコンではあまりにもレンダリングに時間がかかりすぎるので、思い切って投資することにしたそうです。

そしたら、それまでノートパソコンで20時間くらいかかっていた処理が、1時間内ですむようになったとかw





デザイン作業はVRメガネをかけて、VR空間で「Gravity Sketch」をつかってデザインし、レンダリングは「Blender」を使うそうです。

で、完成したこのバーチャルシューズたちを、先週、NFTとしてリリースしました。

「Chrisalis(蛹)」コレクションの第一弾で、ぜんぶで8足。

このあと2回にわけて全20足リリース予定なんだそうですが、 第1回目のリリースは、24時間で売り切ったそうです。

お値段は「0.069イーサリアム」で、最初なのでかなり低めの、ちょっとふざけた値段にしたんだ、というけど、NFTの相場感というものがまったくつかめないので、ふーん、というしかない。

初期投資のコンピュータを回収するほどではないけれど、いまのレートでもその半分くらいは回収できる売上になったもようです。よかったね。

従来のアートだと、転売された途端に、それからどのくらい値段が上がろうが、作品をつくった作家には関係ない話になってしまうけれど(作家が10万円で手放した作品がサザビーズで1億円で売れようと、作家の手元には一銭もはいってこない)、NFTの場合には、転売されて持ち主が変わるたびに、その一部がもとの作家のところに印税のように振り込まれるというのが、面白いなーと思います。

仮想通貨もNFTも、何度仕組みを説明されて、わかったような気はしても(わかんないけど)、感覚的になにかこうピンと来ない。なんだかすごく抽象的な話を聞いているような。

それに加えて、なんでこのアグリーなゴリラのデジタル画像ファイルが1億円なんだよ?っていうの、もう本当にわからない。

CNETの記事「NFT--人はなぜJPEG画像に何億円も払うのか」によると、仮想通貨のバブルで巨万の富を手にした人がすくなくとも世界中に10万人くらいいて、そのコミュニティ内での見栄の張り合いやブラフや、いろいろな思惑があっての1億円アートバブルなんだそうだ。なるほどねぇ。

これからNFTが健全な、真正の文化媒体になっていくのか、まったくみたことのないものになるのか、やっぱりわたしにはよくわかりません。

 

 

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2021/11/29

インスピレーションの人、ホリデーの大学いも



日曜の朝はデザイナーのヴァージル・アブローさん死去のニュースにびっくりでした。

41歳、若い。

あちこちの記事を読んで今日知ったけど、ヴァージルさん、建築科出身だったんですね。

ファッションのことなどわたしはほとんどなにも知らないけれど、半世紀前の60年代〜70年代に起きたさまざまな「革命」を思い、ヴァージルさんがルイ・ヴィトンのアーティステイックディレクターに就任してアイコンとなったことも含め2010年代以降に起きてきた実質的な変化を思うと、その「ほんとに変わってきた」ということの厚みに圧倒されます。

60年代の若者たちをいっとき熱狂させたアイデアが着地して実体を持つまでには紆余曲折と挫折と揺り戻しとが何度もあって、もちろん理想の社会正義が実現したわけではぜんぜんないし、貧富の差はますます拡がっているけれど、レプレゼンテーションという面では、ここ10年ほどの変化には、目をみはるものがありますよね。

時代が常識を変えていく速度、実際にプラットフォームも変わっていく速度が加速しているんですね、よくも悪くも。

そして、変化を恐れたり憎む人たちの抵抗もそれだけ激しくなってきている。

ヴァージルさんの才能はなんといっても、時代の事象をつかまえてプロジェクトに落とし込んでいく才能だったのだろうなあと思います。そのエネルギーの量たるや。

多くの若者たちに、とてつもない量のインスピレーションを与えながら、日々、なにか新しいことをしていた人。うちの青年ももちろんその一人。


「いつも17歳のバージョンの自分のために仕事をしていた」というヴァージルさんの言葉が紹介されていました。RIP。



きょうは久しぶりに晴れて(サンクスギビングの長い4連休はずっと雨降りだったのに)、きれいな夕焼け。

しかし日没が早くなりましたね〜。まだ冬至までに20日以上あるのに。

 


 なんだか19世紀ロマン主義の大作絵画みたいなかんじのドラマチックな空。
荒れ狂う海、龍、海の怪物、難破する帆船、火を吹く大砲、て感じがしませんか。

 



サンクスギビングは、アーティストのSさん宅におまねきいただきました。
ベジタリアンディナーだというので、肉食人のうちの青年は一瞬かたまった。



でも、豆のローフのほかにミートローフも用意してくださっていました。

美しいリビングルームにていろいろな世界のお話が聞けて、楽しかったです。


 わたくしは簡単大学いもで参加。コウケンテツさんの揚げないレシピ。ちょっと焦がした。

 


 Mさんのパイ2種もたいへんおいしくいただきました。




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2021/11/24

不気味でかわいいものたち

 


このあいだマダムMにいただいたお宝、ヒグチユウコさん絵皿。 

すこしホラーでかわいい細密画、好きです。

 

 

不気味かわいい細密画といえばこちらも。


ことしの初夏に、海辺の小さな本屋さんで見つけて即買いしたお気に入りの言葉のない絵本『WANDERER』。

日本語版が、今月出版されたようです。ぐうぜんアマゾンでみつけました。


訳者は岸本佐知子さん! やはりタイトルの訳か!
解説かエッセイを寄せているのかな。

日本語タイトルは『旅する小舟』という、とてもロウキーな、けれんみのない選択で、なるほどさすがですね、と納得。

求龍堂という出版社からです。ほんとに不気味で詩的でステキな本なので、書店でみかけたらぜひ手にとって見てみてくださいね。

USのアマゾンでは、なんとKindle版も出ています。でもやっぱりこれは紙でないと!!

 

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2021/10/23

大人の講座!


秋のひざしを浴びて気持ちよさそうな、ハニワーず


 メイプルの葉はカラーバリエーションがすごく豊富です。

 

さいきんはまっているYouTubeチャンネルは、山田五郎さんの「大人の教養講座」。

 



セザンヌ、ドガ、ゴッホ、ルソー、ボス、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ピカソなど、有名美術作品のナゾを解説するシリーズで、めっちゃ面白いです。

ドガは内気な「NTR」志向画家だった。

意外と指摘されていないが、セザンヌは実は絵がヘタだった。

天然画家ルソーには突っ込みどころが無数にあるが、たとえば人の足が描けなかった。

…など、教科書には絶対載らない言葉で切れ味鋭く、面白おかしく語っているけれど、五郎さんの解説はどこを切っても作品と作家への愛にあふれているので、心あたたまります。

面白おかしいだけじゃなく、広く正確な見識に裏打ちされた視点も信頼できる。

たとえば印象派の最初の展覧会を評した評論家はモネの「印象・日の出」を嘲笑した、というのが通説になっているが、それは誤解ではないか、と原典の新聞にあたって検証したり。この人も料理人のコウケンテツさんとおなじで、美術作品が「とにかく大好き」というオーラが快いのです。

助手のワダさん(女性、23歳)のあまりにも何も知らない白紙っぷりもすごいし、それで良いとも思っていないらしいけれどまったく悪びれない素直さも心あたたまる。皮肉でなくほんとうに。


たとえば「『最後の晩餐』て、なにが最後なの?」という問いに

「え?………世界の終わり?…お別れ会?」

という最強の答えに、腹の皮がよじれるほど笑ってしまいました。



このシリーズを観たら、ルネッサンスから印象派からピカソまで、画家たちが連ドラのキャラクターのように身近に感じられること間違いなしです。

現代作品は版権の問題があってなかなかYouTubeで取り上げるのが難しい(お金がかかる)そうなのですが、ぜひぜひ20世紀〜の作家たちも取り上げてほしいです。

デュシャンとその後の前衛芸術について語った

「デタラメにも歴史がある」

というのが五郎名言集の金字塔のひとつ。言い得てます。素晴らしい。



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2021/10/07

配慮に欠く表現


 シアトル・ダウンタウンにできた、新しいビル、レーニア・スクエア・タワー

ミノル・ヤマサキの設計した、棒つきアイスみたいな形をした「レーニア・タワー」(1974年完成)と呼応する、末広がりなデザイン。

全面ガラス張りの外壁にアクセントが配されていて、遠くから見ると編んだ籠のように見える表面のデザインも面白く、空を映して品よくキレイです。

「こんなビルができるんだって」というブログ記事を書いていたのが5年半前、2016年でした。

トランプ以前の時代です。

この5年のあいだに、世間にもわたしにもずいぶんいろいろあって、世界はいろいろ激変しました。世の中は、目に見えている以上に、ものすごく変わったと思います。たった5年で。

そして5年たてば、以前は影も形もなかった58階建てのビルが完成していたりもする。

 

2016年の段階では2019年完成予定といわれてましたが、結局オフィスと住居のテナントが入居開始したのはつい先月だそうです。

オフィスの一部にはAmazonが入居するはずだったのが、とりやめになったそうな。

オフィスビル需要、コロナのあと、どうなるんでしょうねー。

まだまだ、シアトルのダウンタウンの真ん中は人影がなく、オフィスビルは静まり返ってひと気がない感じです。新しく完成したのも古くからのも。

AmazonもAppleもまだほぼ全社リモート勤務が続いているそうです。

うちの青年の勤務先も、まだ役員以外は全社リモート勤務。9月にはボストンでのオンサイト勤務を再開するはずが、11月に延期され、さらに来年1月に延期されました。

日本の会社では、かなりオンサイト勤務が戻っているのでしょうか。

一昨日、Twitterで品川駅の構内に掲示された広告の写真が炎上していて、それにも驚いたのだけど、それに加えて、ふつうに出社の人がこれだけいるんだ?というのも意外に感じました。


もちろんコロナ以前のラッシュ時はこんなものではなかったとはいえ。

 

「今日の仕事は楽しみですか。」

この広告が大炎上して、「サラリーマンの心を折る」と批判にさらされ、たった1日で取り下げることになったそうです。


Yahoo!ニュースにも取り上げられて、話題作りとしては大成功でしょうけれども、この広告を作って出したプラットフォーム&メディア企業が「ブランドメッセージにおいて、当駅利用者の方々への配慮に欠く表現となっておりましたことを心よりお詫び申し上げます」
というお詫びをしているのに、またびっくり。
 

「配慮に欠く表現」というのも、この5年くらいというもの、いろいろな意味で注目された考えでした。

「配慮に欠いていたことをお詫びする」とは、つまり、自分の言動が誰か特定の人をいちじるしく傷つけていることに思い至らなかったこと、その人たちの体験に対して想像力が働いていなかったこと、自分が無自覚により精神的な暴力をふるっていたことに気づき、そのことを詫びる、という意味です。

以前は当然のこととして見過ごされていた他人種・他民族・マイノリティへのあからさまな差別表現がいろいろな場面で見直されるようになったのも、ここ最近のことです。そういった見直しを快く思わない人たちからの反発も、当然ながら目にすることが多かった数年間でした。

でもこの広告主がこういう形で「お詫び」するのはどうなん?というか、本当にそう思ってるのかな、と疑問に思います。しかもブランドメッセージという、基本姿勢を示すべき場で。

そもそも、この広告は、どんな狙いで誰になんのメッセージを届けたかったのか。

「仕事は楽しいですか」

という問いは、生き方を問うています。それは、
<毎日仕事が楽しいと感じるのが人間の生活であるべきだと私たちは考えていますけれども>
という前提があっての問いのはず。

そしてそれは、
<楽しくないなら、あなたの毎日は何かがちょっとおかしいんじゃないですか?>
という挑戦をはらんだ問いでもあるはず。

これが広告である以上、
<うちのサービスを使えば、そのおかしい現状を是正して、仕事が楽しい毎日にシフトできますよ>
というメッセージがその後ろにあるはずだと、ふつうは読める。

そしてこの挑戦は、
<この広告ターゲットである、品川駅を歩いている人たちは、このメッセージを受け止め、理解し、あるいはショックを受けて、自分の生き方を変える力のある人々である>
ということを前提としていないのであれば、単なる嫌がらせになってしまう。

「アートは人を傷つけるものだ」と、社会学者の宮台真司さんがどこかで(批判が殺到して話題になった愛知のトリエンナーレについて)言っていたけれど、広告コピーもしかりで、インパクトの強いメッセージは、人を傷つけるものです。

そして送り手の側がそのことに自覚的でなければ、アートであっても広告であってもまったく成り立たないはずですよね。

自分のメッセージがどのような人々にどのような効果を与えるかということに自覚的でないなら、アーティストもコピーライターも送り手として資格がないことになります。

わたしは、この上の写真を最初に見たとき、なかなか秀逸な広告コピーだな、と思いました。

だけど、このコピーを見て、楽しいわけがないだろう、上から目線でイラつく、何が言いたいんだか意味不明、と反応する人たちがかなりの数にのぼることを知って、そのことに衝撃を受けました。

日本がもっともっと元気だったバブルの時代、80年代〜90年代前半の東京で同じコピーが同じように掲示されていても、絶対に炎上などしなかったと思います。
当時はもっと過激な挑戦的なコピーがたくさんあったと思うし。

この広告への反応は、いまの日本がいかに弱っているかを、まざまざと示してしまったようです。

日本が一番浮かれていたころに、井上陽水が「みなさん、お元気ですかぁ〜〜〜」と呼びかけるCMがあったんですが、あれも今やったら「元気なわけねえだろう(怒)」「おめえ何様」って炎上するのかも。

このプラットフォーム&メディア企業は、日本のオーディエンスがいかに追いつめられてイライラしているのかを見切れていなかったのか、それとも、もしかして意図的にそういうストーリーを作りたかったのか、どっちなんだろう。

いずれにしても、
<うちのサービスを使えば、そのおかしい現状を是正して、仕事が楽しい毎日にシフトできますよ>
なんていう提案を届けるにはいたらず、ただ疲れている人たちを言葉で殴ったうえに、謝って逃げることになってしまった。

謝るくらいなら最初から殴るなよ!と思うのだけど。
殴るんだったら最後まで、矢面に立ってその理由をきちんと説明する姿勢が見たいです。

「配慮に欠く表現でした」という曖昧な言い方は、逆にオーディエンス、または批判している人たちを見くびっているように感じます。

「傷ついた」という批判に対しての答えを持つということは、ほかの人の経験への想像力を持ち、そのうえ自分の立場を明確に説明できること。

言葉は暴力になるということをよく自覚して、自分の言葉にどんな意図があるのか、個人のレベルでもちゃんと考えなくては、と思わされます。

 


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2021/09/29

美しい入れ物と豚の思い出


この夏、木工作家のMotokoちゃんにいただいた、美しいいれもの。

Pちゃんからいただいた瀬戸内の美しい藻塩お塩を入れてます。なんと贅沢なことか。

メープルの木目がきれいですねー。

木の肌って本当にいろいろで、木工作家さんたちはその材質の活かし方を知りつくしてるんですね。

先日行ったウィドビー島のギャラリーにも、地元の作家さんのつくった木のボウルなどがあって、マドローナ材のボウルが、明るいオレンジ色で軽くて、木目も緻密で面白く、本当に綺麗でした。


メープルや楓の葉の色が、すごい勢いで変わっています。



ダリアはまだ咲いていますが、もう9月も終わりだものね。


散歩の途中で出会った現場。ここで一体何がw。




小学校の前にあった注意書き。

学校には豚を連れていってはいけないのだそうです。知らなかった。子羊はいいのかな。

ハワイで一番最初に住んだ家には、庭に巨大な豚がいました。大家さんはペットだと言い張っていましたが、たいへん凶暴な豚でした。大家さんは子どものいない白人夫婦で、下の部屋を貸して2階に住んでいて、月に1度は泥酔して派手な喧嘩をして何か家のなかのものを破壊していました。一度は大きな熱帯魚の水槽を壊して、天井から水が降ってきたことがありました。
いろんな人がいるものです。面白い家だった。



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2021/09/28

ウィドビー島の牡蠣とソーシャルプレッシャー


快晴の土曜日、ウィドビー島(Whidbey Island)に行ってきました。

華氏77度(摂氏25度)という、夏が戻ってきたかのような気候。
あったかくて爽やかな秋の一日でした。




ウィドビー島は、くにゃっと曲がったドアの取っ手みたいなかたちの細長い島で、北側には橋がかかっているので地続きで車で行けますが、島の南端にフェリー港があって、シアトルからはフェリーで行ったほうが早い。フェリーだと島の南端までは1時間とすこし。

シアトル側のフェリー乗り場は、ボーイングの工場に近いマカティオにあります。

真新しそうなゲートに、ネイティブ部族に敬意をあらわすアートが設置されてました。



 さすがに快晴の土曜日、フェリーは混んでいて、1隻待ちでした。


いつものことながら出足が遅いわたくしたち、午後2時すぎにようやく島に到着。


 
今回は島の南側だけを訪問しました。

フェリーターミナルから近い小さな町ラングレー(Langley)と島のまんなかへんのクープヴィル(Coupeville)へ。

ラングレーでは往年のギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの名前を冠した小さい音楽フェスティバルが開催中で、あっちこっちでジャズのバンドが演奏してました。
 
 


 アーティストもたくさん住んでいる島で、ギャラリーも多い。

ラングレーのMUSEOはとっても洗練されたギャラリーで、 素敵な作品がいろいろありました。

すごく気に入ったのが、ROBIN & JOHN GUMAELIUSさんのセラミック作品でした。

左側の、顔のついている大きめの作品は、2,800ドル。お買い得じゃありませんか。
ウマの上に、おなかがたらり〜んとなったおじさんが座っていて、その上にトリが止まっています。なんだか心あたたまる、不思議な味わいの作品です。

日本の人の作品っていわれてもなるほどって思うような、日本っぽい感覚だと思います。

日本に持っていったら人気がでそう。雑貨カフェとか書店に置きたい感じです。
日本のギャラリーの方、いかがでしょう。

テクスチャがとても面白いです。




クープヴィルは、貝の産地で(このへんでは)有名な、ペン・コーヴという入り江に面した小さな町。



ここのお店で牡蠣を食べるのが遠足の目的だったのだけど、当然のように予約などしておらず(笑)。


開店1時間前にウェブサイトから予約をしてみたら、携帯に電話がかかってきて、本日は満席です、とのことで、ウェイティングリストにのせてもらいました。

午後5時の開店後、直接行って、青年が食い下がる。
実際行ってちょっとねばってみたら、1時間後に席を作ってもらえました。

クレイマーじゃなくて、にこやかな「ソーシャル・プレッシャー」を実践しているのだと青年。
担当者も人間なので、まずラポールを築き、申し訳ないような気分にさせて、そこをやんわりとつつく。するとうまくいくことが多いと。

これほんとに、アメリカでは窓口の担当者次第でかなり融通が効くことが多いので、重要です。銀行とかクレジット会社とか電話会社とか役所とかでも。

日本では、個人としての裁量よりも決まりが優先されていることが多くて、あまり考える余地がないようなのが残念です。


このお店ではQRコードじゃなく、クラシックな紙のメニューでした。



牡蠣。美味しかった。幸せだ。

「カバナ」「クマモト」「ロックポート」という品種。
で、やはり、クマモトがいちばんおいしいね、ってなる。

このほかに、ベーコン味でグリルした牡蠣、フライしたオクラとグリーントマト。

メインはハリバットのグリルをいただきました。


テーブルにかわいい花が飾られてました。

外から見ると漁師の倉庫みたいな建物なんだけど、かなりおしゃれ。

お値段もそれなりにおしゃれ!

ビーツのサラダのアミューズと、メインの前にかりんの小さなジェラートがでてきました。



写真撮り損なってすごいエフェクトになった、ハリバット(オヒョウ)です。

走り去るハリバットみたいな。

日本じゃあんまり見向きもされない白身魚だけれど、ハリバットはアメリカでは高級魚です。繊細なうまみがあって美味しいです。

パンフライで、カリカリの表面がおいしかった。

 

デザートにベニエ。 

ニューオーリンズに行った頃には高校生だった息子も、いっぱし、わたしよりもたくさん稼ぐようになって、ごはんをおごってくれるようになりました。めでたし。

食べるのは2人前以上で、3人分くらいの食費がかかるのに財布はひとり分という、釈然としない時代が長うございましたのよ。





最後に小さいチョコレートのサービス。ローズマリー味でした。


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光の部屋


シアトル美術館で開催中のもうひとつの小さな展示。

地元シアトルの切り絵作家、バーバラ・アール・トーマスさんの「The Geography of Innocence」。



ものすごく美しいインスタレーションでした。

 



今回、お皿の部屋で見つけた衝撃的な1枚。どこの国のか見てくるのも忘れた。フランスかな。

 


 いまSAMの常設のなかで一番好きなアンゼルム・キーファーさんの作品。


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2021/09/27

モネさんの海


 シアトル美術館で開催中のMonet at Etretatをみにいってきました。




ノルマンディー地方のエトルタという海岸で描いた作品を中心にした小さな展覧会です。

点数は少ないものの、見応えがあって面白かったです。

今あんまり体力がないので、規模的にちょうどよかったかも。


当時から観光地だった、エトルタ。日本でいったら「松島」みたいな感じの景勝地なのかな。

モネさんは、海を目の前にした、こんな可愛らしいホテル↑に泊まって制作をしていたそうです。


モーリス・ル・ブラン作アルセーヌ・ルパン・シリーズの『奇巌城』に出てくる有名な海岸で、この海岸に突き出した奇岩や波の表情を新鮮に捉えるために、モネさんは崖のうえから眺めたり、後ろ側からみたり、色々とご苦労をかさねたようすがわかります。

 


このエトルタの海岸は、画家たちにも人気のスポットであったそうで、有名作品もたくさん生まれています。

同じ場所で制作していた、モネさんよりちょっと先輩の世代の画家たちの作品も並べて展示されていました。

クールベさんとコローさんの作品が印象的だった。




クールベさんの作品は、自然をあくまでも対象/他者として見ていて、その自然のなかにはなんなら敵意に近いようなものも、危険な性格も、見ようと思えば見ることができます。

一方で、モネさんの絵は、ひたすらに自然と一体化してる感じがします。

描かれた波のひとつひとつにエモーションのようなものを感じてしまうほど、波や光に心を寄せているというか。でもエモーションではなく、それ以前のもっと未分化なエネルギー。

自分の感情を自然に投影しているのではなくて、あくまでネタはネタとして冷静に見つめながらも、生命が響き合っている感じ。

そのような自然との一体感が、とくにモネさんが日本人に超絶人気がある秘密の一つなのではないかと、今回クールベさんの絵のとなりでモネさんのこの波の絵を見ていて、そう思いました。

 

モネさんの絵は、とにかくまっすぐにキレイなものを見ることの純粋な楽しみを提供してくれるっていうことを、あらためて感じた展覧会でした。

眼福ってやつですね。 この楽しみっていったい何なのだろう。

 


 楽しかったです。お風呂と美術館は命の洗濯です。



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