2019/05/23

シアトル市内のおうちの値段、2019年夏


マロニエの咲く5月です。


この間、うちの郵便ポストにはいってた不動産屋の広告。
うちの近くの可愛いおうちも、ミリオン・ダラー・ハウスに近づきつつあるー。

シアトル市内で果敢にハウスハンティング中の友人によると、やっぱり、いいなと思うおうちは、キャッシュでオーバービッドされてしまうケースがほとんどだそうです。

この広告(左上)もリストプライスが87万5000ドルで売れた値段が93万5000ドルって、うわー、 5万ドル分上積みしたんだねー。そこそこ高級な車が一台買える。

現金で何万ドルも上積みする層って、チャイニーズ?と思ったらそうでもなくって、やっぱりIT長者たちが多いらしいです。ベイエリアから流れこんでくるらしい。

LYFTやPinterestがIPOしたから、そのへんのIPO長者がどっとシアトルに来るかもー、うわーん、と、おうち探し中の友人は戦々恐々としています。




かとおもうと、散歩道のおうちがいつのまにか近所の変人画家、ヘンリー画伯の絵で覆われていました。ビバ・シアトル。Keep Seattle Weird。うえーい。


うちのリビングの窓から見える景色でございます。すぐ目の前は隣んち。

前にもご紹介いたしましたが、ここの電気のコンセントに毎年巣をかけてる雀ファミリー。
最近、ブルージェイやスターリングやカラスまでがなぜかこの巣に興味しんしんで、毎日覗きに来る。雀たちは騒ぐだけで反撃しないのですね。受難の家族である。


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2019/05/21

LUCCA


イタリア日記、最後です。最終日、フィレンツェからルッカという近郊の街に寄りました。

フィレンツェから車で1時間ちょっと。

街のまわりがぐるりと城壁に囲まれてます。


街の入り口はこんな。街の中は住人の車以外乗り入れ禁止。
日曜の午後だったので観光客がいっぱいで、パーキングを探すのにけっこう苦労しました。町はずれに大きな駐車場がありました。


窓の下半分だけ開くようになっている面白い鎧戸。


街の反対側の城壁入り口。この壁はルネサンス期にできたものだそうです。
昔はここに槍を持った番人が立ってて、夜は門を閉めてたんでしょうね。

ドラマの『メディチ』でも、シエナだったっけ、教皇から派遣された総督的な立場の聖職者を街の城門の中に入れないようにメディチ兄弟が手を回す場面がありました。

このルッカという街も、ドラマでは大きな都市国家や教皇領に隙あらば襲われ、フィレンツェの属国みたいな立場で小都市として描かれてました。どのくらい史実に忠実なのか、わかりませんが。


 いろんな方向に刻み目のある石畳。



壁を街の中はこんなに狭いので、車を入れないわけですよね。


街の番をしてるのはひょうきんなライオン君でした。


3月はじめ、マグノリア(木蓮)が咲いている時期だったのでした。


ヴェネツィアやフィレンツェに比べると少しくたびれて寂しい感じはするものの、やっぱりどこをとっても絵になる。


このオレンジと緑がすごくいいトーン。
日本の建物がオレンジを使うと、おおむねものすごいトーンになっちゃうのはなぜなのでしょう。


広場と教会。アーチがたくさん重なっていて繊細な、女性的な感じのする建物です。
隣の塔の上のほうにも小さなアーチの形がケーキの飾りみたいに繰り返されてるのが可愛い。



ギャラリーなのか、古い建物の個性を生かしつつ、とてもモダンに改装している建物がありました。


駆け足の滞在だったけど、初ヨーロッパは本当に面白かったです。

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2019/05/15

フィレンツェごはん <フィレンツェ思い出し日記 その15>


フィレンツェ思い出し日記の最後です。
泊まった宿は、家族経営の小さなホテル、というよりB&Bで、すごく良かった。
Residenza Vespucciという名前です。Hotels.comで見つけました。
アルノ川沿いにあって、ポンテヴェキオまでも、シニョーリア広場までも歩いて10分という超便利なロケーションで、一部屋100ドルそこそこという激安価格。もちろん夏場はもっと高くなると思いますが。

築200年以上という建物の2階フロアの、3部屋だけ?のほんとに小さな宿で、経営者の親子がとても親切でした。到着が夜中になっても嫌な顔ひとつせず対応してくれたし。



荷物が散らかってたので部屋の中の写真は撮らなかったので、Hotels.comの方でどうぞ。
各部屋小さなベランダがついてます。ベランダからの景色。


ベランダからアルノ川も見えます。霧の朝。


こちらは霧が晴れた朝。


同じブロックの、3軒となりくらい(といってもこのあたりの建物はみんな隙間なくつながっているので、何軒目だかはっきりわからない)に、やはり家族経営のカフェ& ジェラテリアがあって、クロワッサンもコーヒーもとても美味しかったです。毎朝通った。


アメリカの「カフェモカ」みたいなのだと思ってチョコレートのコーヒーというのを頼んだら、板チョコ2枚分くらいのチョコレートたっぷり!の中にエスプレッソのショットが入って来るという衝撃的なものが出てきました。

お母さんと20代の娘二人がいつもカウンターの中にいて、すっごく感じが良かったです。
お父さんはローマの近くで歯医者さんか何かをしていて、週末だけ帰ってくるとかw


そのまた数軒先にあるビストロで晩ごはんを食べたのだけど、ここも美味しかった。
これはアーティーチョークとパルメジャーノとボッタルガの「カッペラッチ」。トルテッリと同じなのかな。ボッタルガって何?と聞いたら、魚の塩漬けみたいなものだというので頼んでみました。この、上にパラパラとふりかけてあるのがボッタルガ。
ぐぐってみると、日本のカラスミとほとんど同じものみたい。


昼間は見て歩くのに忙しくて、カフェでコーヒーとパン、くらいしか食べなかったのだけど、コーヒーはさすがにどこ行っても美味しかったです。イタリアのお店のおっちゃん、ノリがいいのですぐにポーズをとってくれます。


こちらは、小腹が空いてはいったシニョーリア広場のカフェで、カウンターに美味しそうなおつまみが用意してあったので、「これはおいくら?」と聞いたら、ハッピーアワーのようなものでカクテルを頼めば食べ放題だよ、という。お酒飲まないんだけど、というと、カンパリソーダみたいなノンアルコールの飲料をだしてくれた。5ユーロくらいでした。
お兄ちゃんとっても親切だった。

3泊しかしてないけど、第4の故郷はフィレンツェだと思ってる。


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2019/05/14

聖人の指 <フィレンツェ思い出し日記 その14>


ドゥオーモ美術館でもう一つ、ほぇぇー!とたまげたのが、聖遺物の間でした。

ベネツィアのサンマルコ寺院にも少しあったけれど(聖マルコの遺体が最大の聖遺物というべきでしょうし)、このフィレンツェの聖堂とサン・ジョバンニ洗礼堂には600以上もの聖遺物があったそうで、そのうちのいくつかが展示されています。


このきらびやかな十字架の説明書には「Reliquary of Passion」とあった。
キリストが磔になったその十字架の一部、というわけです。
あまりにもきらびやかに宝石と金箔で飾られているので、いったいどこに遺物があるのかぱっと見ではわかりません。


 よく見ると、中心は真珠と黄金でイバラの冠が表現されてます。


聖遺物はここにあった。十字架の両側、黄金の天使の顔に囲まれたこの石。たぶんこれが、ゴルゴダの丘に立てられた十字架の下にあった石というわけなのでしょう。
十字架の細工は、11世紀から18世紀までさまざまな時代のものだと説明されてました。

 

こちらは「聖アガタのベール」が収められているもの。

聖アガタって知りませんでした。シチリア島で3世紀に殉教した聖女で、両乳房を切断されるという拷問を受けたという(ひー)。

「 そのために彼女は切り落とされた乳房を皿の上に乗せて持つ姿で描かれることが多い。彼女が捧げ持つ乳房の形との関連からアガタは鐘職人やパン屋の守護聖人とされてきたが、近代に入ると乳癌患者の守護聖人ともされた」by ウィキペディア。

パン屋の守護聖人………。



そんな美しい聖女アガタの遺物を収めるいれものは18世紀の細工。




そしてこちらが、「洗礼者ヨハネの指の骨」を収めたもの。


たしかに指の骨らしいものが。
細工は15世紀はじめのもの。アーチがゴシックだ。

聖遺物って、新世界アメリカの教会ではたぶんお目にかかることはないもの。

ローマカトリック教会の分厚い歴史をまざまざと見た感いっぱいになりました。


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2019/05/13

巨匠の晩年 <フィレンツェ思い出し日記 その13>


フィレンツェ3日目、最終日にはドゥオーモ美術館に行きました。
この日は単独行動。午後別の街に回る予定のため午前中だけしかなかったので、さくさくと。

美術館の横にカフェがあったので、このクーポラを見上げながらの朝ごはん。
日本のサンドイッチみたいな三角形のツナサンド。まあまあでした。



カウンターで飲むとエスプレッソは1.5ユーロなんだけど、外のテーブルに座ると3ユーロ。というシステム。


メニューに作曲家ヴェルディの「コーヒーは心と魂のための香油である」なんていう言葉が書いてありました。


この美術館はわりあい最近に改装されていて、ピカピカです。

ドゥオーモ美術館、洗礼堂、鐘楼、クーポラ、ドゥオーモの地下にある遺構は全部共通のチケットで18ユーロ。

「フィレンツェカード」を買うと全部含まれてますが、フィレンツェカードから引き換えるときはここの美術館じゃなくて洗礼堂の前のチケットカウンターに行かないといけないので要注意!

わたしは最初、鐘楼のところにいた係のお姉さんに聞こうとしたら「ここに書いてあるでしょっ!」と、このドゥオーモ美術館に行けと書いてある看板を示されました。フィレンツェで遭遇したなかで一番機嫌の悪い人だった。そして美術館の入り口の列に15分並んだあとで、ドゥオーモの反対側の洗礼堂前にいかなきゃいけないと言われたのでした。ちぇっ。

まあでもとにかく、この美術館もとても素晴らしかったです。ドゥオーモの外壁や堂内に飾られていた彫像やお宝がすべてここに安置されています。
ロレンツォ・ギベルティさんの制作した洗礼堂の扉も、本物はここ。


ドゥオーモと洗礼堂の外壁を再現したギャラリー「Salone del Paradiso」。「天国の間」でしょうかね。

当初聖堂の外壁は彫像で埋めつくす計画だったのが、結局、下のほう三分の一しか完成しなかったそうです。それでも歴代最高の彫刻家たちの作品でいっぱい。


左はドナテッロさんの「聖ヨハネ」。「ヨハネの福音書」「黙示録」の著者とされるヨハネです。


ドナテッロさん22歳のときの作品。あごヒゲとドレープが美しい。すっごい巻き毛ですね。


麗しい手描きの楽譜もある。


これは17世紀に造られた、ドゥオーモのファサード案のモデル。

クーポラ建設に使われた機材の模型とか、映画とか、いろいろインタラクティブな展示もあって面白い。この辺ももうちょっとじっくり見たかった。



鐘楼の壁を飾っていたレリーフのパネル、アンドレア・ピサーノ作、1348〜50年。
28枚のパネルは、聖書物語の一部だけではなく、擬人化された7つの惑星や、当時の産業・技術を擬人化したものもあります。惑星の擬人化ってキリスト教会とは相いれない気がするけど、中世の教会は占星術を排斥せず、むしろ取り入れていたのだそうです。

これは「建築」のレリーフ。ほかに「天文学」「医術」「狩猟」「織物」「法律」などがあります。

この鐘楼の壁をレリーフで飾るために資金を出したのはフィレンツェで当時一番の産業だった羊毛組合で、だからこの街の象徴でもある鐘楼の壁を当時の産業と技術を誇らしげに飾ったのだそうです。

まさにルネサンスの時代精神って、産業が支えてたんだなってことがわかる。


こちらは「メカニカルアーツ」の擬人化で、ダイダロスさん。

ギリシア神話の人物で、イカロスのお父さん。塔に閉じ込められて、人工の羽根を作り、息子イカロスと共に脱出するも、イカロスは太陽に近づきすぎて墜落してしまったというお話で、お父さんよりも墜落死した息子のほうがどちらかというと有名です。

「メカニカルアーツ」ってなんだろう?工学かな?と思ってググってみたら、中世のコンセプトで、修辞学、論理学、数学などの7つの「リベラルアーツ」と比べてそれより劣る実学、といった位置づけの学問だったらしい。

エンジニアが崇められる21世紀とは違って、実際にものを作る技術というのは「リベラルアーツ」よりも下の世界のものだとみなされていたのでした。

このダイダロスさんはいろんな天才的な発明をした人だったので、やっぱりエンジニアの元祖といっていいのかも。
その「メカニカルアーツ」を堂々と鐘楼の壁に飾ることで、フィレンツェの人たちは職人仕事や芸術といったものづくりの技術についての誇りを示したんですね。

しかし、キリスト教会の壁をギリシア神話の人物で飾るってアリなんだ!というのがちょっと衝撃的でした。惑星の擬人化もギリシア・ローマ神話の神だし。

という衝撃は、きっとプロテスタント的な感覚なんですね。

ずっとアメリカにいて、キリスト教といえばこう、とプロテスタントの価値観が刷り込まれていたので、それこそ目からウロコでした。


こちらは「論理学と弁証法」のレリーフで、プラトンさんとアリストテレスさんが代表してます。プラトンもアリなんだ!


この美術館にある2つの重要彫像のうちの一つ、ドナテッロさんの「マグダラのマリア」。

一瞥して、「毛皮をまとった洗礼者ヨハネ」かと思ってしまいました。

荒野でイナゴを食べて暮らしていたヨハネ、ではなくて、マグダラのマリアだと知ってほんとにびっくり。

こんなマグダラのマリア、初めて見た。体を覆っているのは毛皮じゃなくて髪の毛なのでした。

新約聖書の登場人物中でも聖母マリアとセットの美女として描かれることが多いマグダラのマリア。「罪深い女」であったところをイエスに出あって癒やされたという設定で、キリストの死と復活に立ち会った女性の一人です。イエスの妻だったという俗説もあり、とにかくいろいろ後世の想像を刺激した色彩豊かな女性なんですが、このような姿で描かれているのは寡聞にして初めて見た。

キリスト復活後、マグダラのマリアは荒野で30年間悔い改めの生活を送ったという話があるんですね。知らなかったです。しかしこんなにガリガリに痩せて老いつつも、まだ悔い改めの真っ最中という表情で、瞳は宙をみつめ、ひたすら悔いでいっぱいですという表情。鋭く尖った鼻、落ち窪んだ眼窩。

それほどまでに女人の罪は深いんだよという意味なのか。

同性愛者だったドナテッロさん自身の、自らの死後の救いへの思いがあるのか。
切ない。


ドナテッロさん晩年の1455年の作品。
大理石ではなく、ポプラ材を使った木彫で、もとは彩色されていたそうです。



マグダラのマリアにはこんな解釈というか表現もあったんだ!と、ほんとにびっくりした作品でした。


もうひとつ、この美術館の中で別格扱いの重要彫刻はミケランジェロの「ピエタ」。

ミケランジェロのピエタ像といえば、20代初めに制作して出世作となったバチカンにあるのが有名ですが、これは晩年の1547年〜55年頃の作品。


右にいるのは聖母マリア、左はマグダラのマリア。

後ろで支えるベールの人物は、弟子たちと共にキリストの遺体を埋葬したニコデモさん。ミケランジェロはニコデモの顔を自分の顔をモデルに作ったと歴史家のヴァザーリさんは語っています。

そろそろ80歳になろうかというミケランジェロさんは、自分の墓の上に飾るためにこれを作っていたのだといいます。


でも結局未完成のまま放棄してしまった理由には諸説あるそうですが、ミケランジェロさんはかなり晩年、落ち込んでいたらしい。

このピエタ像に向かい合う形で、反対側の壁に、ミケランジェロさん自身が最晩年に書いたという詩が大きく展示されてました。

The course of my life has now brought me
through a stormy sea, in a frail ship,
to the common port where, landing,
we account for every deed, wretched or holy.

So that now I clearly see
how wrong the fond illusion was
that made art my idol and my king
leading me to want what harmed me.

My amorous fancies, once foolish and happy:
what sense have they, now that I approach two deaths-
the first of which I know is sure, the second threatening.

Let neither painting nor carving any longer calm
my soul turned to that divine love
that to embrace us opened his arms upon the cross.

<若い時に芸術を至上のものとして追い求めていたのはなんと愚かだったことか。
死を前にした今では、絵画も彫刻も自分の魂を鎮めてはくれない。
ただ十字架の上で両手を広げている救い主の神聖な愛だけに自分の魂は向かっているのだ、…>

という内容。

一世を風靡したドナテッロさんもミケランジェロさんも、長生きした晩年はちょっと寂しくなっちゃって救いを求めていたのか。

ローマの有名なピエタはもちろん本物を見たことがないけれど、わたしはこの未完成のピエタ像、すごく好きです。
 
聖堂の美術館に置かれるにふさわしい作品でした。

ローマのピエタも見てみたい…。


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