2017/09/19

脳みそが変わるの話、ふたたび




冷たい雨がしとしとと降り出して、シアトルはとつぜん、秋になってしまいました。
気づけばもう9月もそろそろ終わり…!ひょえーーー。


ところで前回のつづきです。

意識は幻想かどうか、というお題とはすこし離れるんですが、TEDトークでもう一つ面白かったのが、モシュ・シーフさんというバルセロナのエピジェネティクス研究者の話。
エピジェネティクスというのは、遺伝子発現のメカニズムを研究する学問であるらしい。

シーフさんは、ネズミのお母さんの子どもの舐め方などを観察する研究などにより、「DNAというのは、ダイナミックな映画のようなものであり、環境によって実際にフィジカルに変化する。特に幼児期のインプットはとても大きい」と結論しています。

日本語字幕つきのトークはこちら


つまり、DNAに書かかれていることは、変えられない「宿命」ではなくて、いろいろなものの相互作用によって変わっていくものであると。

サポルスキーさんとは違い、シーフさんはヒトには「エージェンシー(行為の主体)」があり、環境とダイナミックに働き合って環境を変え、DNAを変え、行動を変え、社会を変えていくものであると言っています。

その行動の主体となる「私」は、場合によって個人でもあり、コミュニティでもあり、世界そのものでもある。それらがすべて関与しあっているのだと。

わたしはこれ、すごくすとんと納得できるのです。

そして「受動意識」仮説の対象であるところの「意識」は、「意識」や「個人」「自我」を固定されたものとする、昔ながらの、19世紀の西洋知識人的な定義なのでは?と、思うわけなのです。


去年、福岡伸一ハカセの著作『動的平衡』を読んで、がっつーんとやられてしまったんですが、福岡ハカセはこういってます。

「消化管神経回路網をリトル・ブレインと呼ぶ学者もいる。しかし、それは脳とくらべても全然リトルではないほど大がかりなシステムなのだ。私たちはひょっとすると、この管で考えているのかもしれないのである」(74)

つまり私たちがふつうに考えている「意識」というのは、脳の一部で起きていることにすぎないわけで、消化管の神経網とかそのほかの部分で身体が「考えている」ことを、私たちはまだ正確に知る手立てももってないということ。

だから、 そういう観点から考えると、脳の一部の「意識」が常に身体や行動を支配しているというのはもちろん間違いで、

「指を動かそうと決断する瞬間よりも0.35秒前から、脳内で行動の準備が始まっていることが判明した」

…というのも、別に驚くに値しないような気がするんですよ。大脳皮質でつくられる意識が、辺縁系とか身体のほかの部分ですでにゆるく決められている自分の決断に気づくのが遅いってことでは。

そして、ある良くない傾向に気づいたときに、大脳皮質の「自分」は、「これはあかん、やめよう」という決断を下して方向を転じることもできる。
そういう意味では自由意志というのは絶対にある、とわたしは思います。

 あともう一つ、最近観た意識関連のTEDトークで面白かったのが、哲学者のジョン・サールさんのプレゼンテーション。



意識は演算以上のものであり、現実を作り出すものである。

意識は主体的なドメインにあるものであるが、科学の方法で客観的に研究の対象とできるものである。

意識などというものはない、というのも、意識は単なる演算、というのも間違いで、意識は完全に生化学的な現象である。光合成や消化のしくみのように。

ただ私たちはその詳細をまだ知らないだけだ。

…というのがサールさんの主旨。

この主張は、「わたしたちは考えるちくわ、またはゆるい淀みである」という、福岡ハカセの考え方とほぼ同じではないかと思うんです。

そして、この考え方も仏教の教えていることと似ていなくもないな、とも。

あと、デジタルクリエイターズ&ぽんず単語帳で「還元主義」について書いたときにも思ったんですが、松尾豊さんが書籍『人工知能は人間を超えるか』で

「脳は、どうみても電気回路なのである。…人間の思考が、もし何らかの「計算」なのだとしたら、それをコンピュータで実現できないわけがない」

と言ってましたが、そのように人工知能の可能性のほうから考えていくと、すべてはデータに変換可能ならば、存在とは一元的であり同時に多元的であるということになってしまい、そそそれは、般若心経に書いてあることと一緒では?とクラクラしたりするのです。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/09/16

自由意志は幻想かどうか



セーラー服おじさんことケバヤシさん(でいいのでしょうか)は、デジタルクリエイターズというクラブ活動のようなメルマガに私をひっぱりこんでくれた張本人です。

セーラー服を着て街に出没するという活動(最近は中国など海外にも招聘されてセーラー服活動を行っていらっしゃる様子)をするかたわら、まっとうなエンジニアでもあられるケバヤシさんですが、先日のメルマガ記事『意識は機械に宿るのか?受動意識仮説と幸福学と仏教』が面白すぎて、メールでレスを書こうと思ったんだけど長大になりそうなので、ブログで書くことにしました。

さてさてどこから手をつけたものか。

ケバヤシさんのこの記事は、『受動意識仮説と幸せ』という、慶應義塾大学大学院の前野隆司教授の講演を聴講してのレポートと感想が中心になってます。

「意識の謎」と「仏教」と「幸せ」についてはケバヤシさんも非常に関心をもっている領域なんだけど、なかなかその3つをまとめて興味ある!という人は少ないので、前野教授のような人は「けっこうミラクルなんじゃないか」と思われたと、記事に書かれています。

いやわたくし、その3つとも、ものすごい興味あるんですけど!

意識と、仏教、そして幸福。

わりと暇さえあれば、脳がアイドリング状態のときにはその3つのどれかについて考えてしまっている時間が多いです。

ほかにもあといくつか、アイドリングで考えていることがある。

キリスト教、日本の神様、エクスペリエンス、アートと価値について、 意味と言葉、環境とデザイン、インプットとアウトプット、スケールについて、「ミーム」とおカネなどについて、愛と誠について。うふふ。

もうすこし「現実的な」ことに脳を使うべきな気もするけど、もういろいろな意味で仕方ないです。

みんな、こんな面白いことに興味がないの?正気なの?と思うほど面白い話題だと思うんだけど、意外とそうでもないらしい。

あまり人に話題をふると、すこし気の毒そうな顔で見られる方面なのですね。

世の中は深く広い。

わたしは前野氏の著作は読んだことありません。この方は脳科学者ではなく、ほかのハードサイエンスの人でもなくて、システムデザイン工学という部門のエンジニアなのだそうです。そんな分野があるのね。それすら知らなかった。世の中には知らないことが多すぎる。

(ここからはケバヤシ氏のブログからの引用なので、孫引きです)
前野氏は、

「心は幻想であって、実は存在していないようなものである」という立場をとっている。


ベンジャミン・リベットという研究者の有名な実験結果で、

「指を動かそうと決断する瞬間よりも0.35秒前から、脳内で行動の準備が始まっていることが判明した」

というのがある。
脳の中では、意思よりも先に行動がすでに準備されている、したがって意識は遅れてやってくることが証明された。
この結果は、つまり自由意志というのは錯覚にすぎないということ、と前野さんは結論している。

 「脳を調べてみると、意識領域と無意識領域とからなる」

「心の機能を5つの要素に分解して、それらについてひとつひとつ検証していくと、どれもこれも主体的には機能しておらず、ものごとが無意識下で機械的に決定されていくのを下流で眺めているだけであって、受動的にしか機能していないことが判明する」

(以上ケバヤシ氏の記事より)

というのが、前野さんの見解だそうです。

……分解して検証するっていうその発想が、いかにもエンジニアらしいなあ。

人の脳には確固とした「意識」があるという旧来のモデルでの理解はまちがっている、と前野さんは考えているらしい。

「旧来モデル:「意識」がボスで、すべてをコントロールしている
新モデル:意識は無意識の結果を眺めているだけ」

と、前野さんは考えているそうです。


……うんうん、それはわかるよ!

意識というもの、つまり「個人」とか「我」とかというものは、そんなにくっきりしたものではないんじゃないか。と、わたくしも、このところますます確信をもって考えていたのである。

私は慶応大の教授とかではないので誰にも意見を聞かれる機会はないのであるが、「意識」って、つまり「自分」って、今までの歴史、特に18世紀以降の西洋インテリジェンスの世界で思われていたほど、たいそうなものじゃなのかもしれないな、という気がしてきていたのです。 

でも前野さんやケバヤシさんのように「自由意志なんて幻想」という立場とは少し違います。

わたしは、むしろ、人間ってきのこのようなもので、意思というのは、現在考えられているものよりも、もっとゆるふわなものじゃないのか?と考えているのです。



えーとまず、リベット教授の知見は、「さもありなん」て感じなんですが、ちょっと待って。
これを「だから自由意志なんて、ない」という証拠として使うのは、かなり乱暴ではないですか?

これは「何を自由意志と呼ぶのか」「何を意識と呼ぶのか」という、定義の問題ではないのかと思うんですよ。
 
 「行動を決断する0.35秒前に脳の中で行動の準備が始まっている」
という生体反応と、
「今このドーナツを食べるか食べないか」
というヒトとしての大きな決断の間には、スケールにして、たぶん微生物と象くらいの違いがあるのでは?

それをすべて「自由意志」というひとつの言葉/概念でくくってしまうのは、あまりにも乱暴な話ではないかと思う。

 単細胞の微生物も象も、ひとつの生命体という意味では同じだけれど、象は単細胞生物よりもずっと、複雑な層からなってますよね。

 わたしは、 「行動を決断する0.35秒前に脳の中で行動の準備が始まっている」ということは、「決断」をした主体である個人の「意識」にその「決断」がのぼる前に、「わたくしという総体」が決断をしてしまっているということではないのかと思うんですよ。

つまり、その「意識」をもつ主体は自分が決断したことをまだ知らないのではないかと。少なくとも0.35秒の間は。

この主体が、普通一般に「自我」といわれているもので、その少し外側に、無意識のもやもやとした境界を含む部分があって、そこも含めて「自由意志」と呼ぶべきではと思うんですよ。

このもやもやとした部分は、たぶん、脳のなかで最初に進化した部分であり、言語に関連する論理を扱うところとは別のロジックで動く、原始のエネルギーを持つ部分です。
情動とか、生きる力とか、身体の筋肉や神経組織、ホルモン分泌や消化組織のメカニズムを動かす、そういう方面。

さいきん、TEDで、「意識」に関連したとても面白いトークをいくつか聴きました。
ひとつめは、スタンフォード大のロバート・サポルスキー教授のもの。



日本語字幕つきのバージョンはYou Tubeで見つからないので、こちらで。

サポルスキー教授は、やはり前野教授とおなじく、「自由意志はない」という立場。

でもこのトークでは、人間のあらゆる行動には、生化学的なものから環境、文化まで、様々な作用がはたらいていること、そして行動やその条件としての脳の状態は変化するものであること、私たちはそれに自覚的になることでのみ「善」に近づけるのだと語っています。

他者に暴力を振るうのを楽しむこともできる、かと思えば他のために自らの生命を投げ出すこともある人間の行動は、単一の遺伝子やトラウマや行動から成るのではなく、無数の層からなるもので、私たちはその結果であると。

これも、仏教の因果の法とおなじこと言ってますよねー。と、思いませんか?

長くなるのでつづきはまた別の日に。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/09/06

テンパった時のGo-to music


ひっさびさにぽんず単語帖を更新しました。

忙しさについていけず、うなされる毎日。あちこちに不義理をして、忘れている気がする。

車で山に行って道がわからなくなる夢を見る。そのまんますぎて、朝起きてからうなだれる。

前に(去年だ)、かなり偏った仕事中の音楽について書いたんですけど、実は「かなりテンパった時専用のgo-toミュージック」という武器がある。

それはこちら。


すごく面倒な作業で集中が必要な時にはRadio Headをヘッドフォンで聴くと、ある地点に到達できます。しかしあまり続けると頭痛がしてくる。




最近これも超おきにいりの「Dark Necessities」。歌詞がいい。ギターが超好き。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/09/03

マーケットのStoryville Coffee


パイクプレイスマーケットの、入り組んだところにあるコーヒー屋さん、Storyvillle Coffee。


 花屋さんの脇から階段を2階分のぼったところにあります。


ロースターとしては2006年創業だそうですが、カフェが開業したのは去年くらいだとたしかバリスタのお兄ちゃんが言っていた。


はやりのナチュラル&再生材をつかったクリーンで落ち着く内装。


いつも激混みのスターバックスよりはよっぽどくつろげる。パイクプレイスマーケットにはカフェが意外に少なかったので嬉しい登場なんですが、個人的にはここのコーヒーはあんまりおいしいと思わないんだよねー。

わたしはコーヒー的には近くのSeattle Coffee Worksのほうが好き。
ヨーロピアンな深煎り豆が好きな方は、ここのが好きなのかもしれません。


デザインはかわいいし、飛行機クッキーもある。

席は少ないけどWifi環境も良かったです。こんなマーケットの真ん中ながら、がっつり仕事や勉強に打ち込んでいる人がけっこういた。


窓の外にはマーケット、という最高のロケーションです。

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/09/02

幸福をよぶロースター


去年の夏、日本に帰ったときにヨドバシカメラで買ってきたフィッシュロースター、パナソニックの「お魚煙らん亭」。
これで、うちのクオリティーオブライフが数ポイント上昇しました。

うちはバーベキューグリルとかないので、煙が出るものをトースターとかオーブンで焼くとかなり大変なことになるし、だいいちオーブンで魚をこんがり上手に焼くのは無理。

でもこれなら!サンマでも鯖の塩焼きでも干物でも味噌漬けでも大丈夫!

もう10年前くらいから欲しかったんだけど、アメリカに売ってるものは性能的にいまいち。しかし日本で売ってるのは電圧が違うので、使うのは博打みたいなもの。

ヨドバシカメラのお兄さんに相談したところ、うーん、と考え込んで、店としておすすめはできないんだけど、と前置きをしつつ、本当だったら業務用の重量10キロくらいの変圧器を使ったほうがいいんだけど、小型であっても変圧器があったほうがないよりはいいっすよ、ということで、こいつを購入しました。


これだけで広辞苑1.5冊くらいの重さ。
幸い、去年は息子が一緒だったので、ひとあし先にシアトルに戻る息子にこれと煙らん亭をもたせた。

その前の年に日本に行った時には紙版の広辞苑を持って帰ってきてもらった。息子というのは運び屋としては重宝です。 


ウワジマヤでみつけた、ハマチかま!これだって楽勝さ!


…勢いあまって焦がしました。しかしうまい。

切り身なら4つが限度で、もうちょっと大きいといいんだけど、まあ2人前の食事なら十分。

この子で魚を焼くたびに、親子でスティービー・ワンダーのようにゆらゆら揺れてしまう、ちょっとやばいくらいに幸せを呼ぶロースターです。 末永く働いてほしい…。

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/09/01

またやってしまった


このあいだ、パイオニア・スクエアのフェリー乗り場に近いあたりでみつけた、マンホールのふた。かわいい。

ちょっと大きな締切りがいくつか重なって、ああでも本当に面白い仕事をさせていただいた、とほっとした瞬間、なんとメルマガのデジタルクリエイターズの連載を勝手におやすみしていたことが発覚。前月におくっていただいた香盤表にたしか自分の名前がなかったので、ああちょうどこのへんは忙しくなるから夏休みでよかったー、と思っていたら、どうやらわたしの勘違いだったようで、きのうの午後、仕事が佳境のときに「そろそろ原稿を送っていただけませんか」と編集長から催促メールが来て、毛が逆立った。どひゃー!

申し訳ございませんでした。

1ミリでも調子に乗ると、この始末さ。


足元を見て、空を見る。

ほんとに迷惑かけまくりのでたらめな人生を送ってきた(進行中)のに、とりあえず今面白い仕事ができていて、面白い人たちに会え、住む場所にも食べるものにも今のところ困らず、今のところお天気もよくて、今のところ自分の足で行きたいところに歩いていけるとは、なんとまあ恵まれていることか。深くありがたい。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/08/27

干潟の鳥の楽園


かなり前だけど、タコマのちょっと南にあるNisqually National Wildlife Refugeという場所に行ってきました。「二スカリー国立野生生物保護地区」、でいいのかな。


 ここです。
ピュージェット・サウンドの一番奥まった場所。


高速道路のすぐそばにあって、オリンピア方面に行くたびに道路から見えるので気になってたのです。けっこう広い。

ここはU.S. Fish and Wildlife Service(合衆国魚類野生生物局)が管理していて、けっこう立派なビジターセンターがあり、すごく立派なボードウォークがある。


連邦政府の予算で作られた施設というのは、国立公園もそうだけど、とにかく立派で、サイズがでかい。ここのボードウォークも、野鳥観察のためだけならここまでしっかり作らなくてもよかったんじゃ?と思うほど、幅も広いし頑丈に作られてます。小さな車なら通行できそう。


ビジターセンターからしばらく砂利道を行くと、ボードウォークが始まります。
トレイルは往復4マイル( 約6キロ)くらいです。けっこう長いです。


干潟の上をえんえんとボードウォークが続くだけなんだけど、鳥はたくさん見られます。

途中にあずま屋があって、そこの軒にツバメが巣をかけてました。まだ初夏だったのでひながピーピーいってました。
干潟の先のほうにはcaspian tern(オニアジサシ)の群れが水の上で餌をあさっていて、アザラシも何頭か泳いでました。

以前にイエローストーンに行ったときに買ってあんまり出番がなかった双眼鏡を持参。
オニアジサシはすごく鮮やかな色のくちばしを持つ、オシャレな配色の鳥です。グレーが綺麗。


上の写真はこちらのサイトからお借りしました。



タコマ山またの名をレーニア山も、ちょっとめずらしいアングルから登場。

ハクトウワシが何羽か、頭上を飛んでいきました。


白人がやってくる前のこの一帯はえんえんとこういう風景だったんだろうなあ、て感じです。


トレイルの脇に古い納屋がふたつ並んでいて、フォトジェニックでした。

えんえんと平らな道を歩くだけのトレイルではあるけど、とにかく広々していて静かで、鳥たちを見ながらのんびりできます。

暑い日にはお水と帽子を忘れずに!

シアトル近郊、今年の夏は本当にお天気が良かったですよね。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

デスノートinシアトル


「Translation」というキーワードでGoogle のアラートを作ってるんだけど、アラートで上がって来る記事の中に「lost in translation」というセンテンスでひっかかった記事が毎週必ず何本か入ってます。

アラートの意図とは若干外れるものの、この中に意外と面白いニュースがあったりする。

今日のはこれ。

Netflix's 'Death Note' gets lost in translation

この記事ではじめて、Netflixオリジナル映画で『デスノート』がリメイクされてて、しかもその舞台がシアトルだっていうことを知りました。

ここ数週間、Netflixにログインさえしていなかった。

さっそくログインしてみたら、一番最初の画面にでてきたよ、『Death Note』が。
わたしの観る映画の傾向にはまっていたのであろうか。

そこで、ちょっとだけ見てみました。


んー。


最初の15分だけ見て、やめた。

アメリカ版の「L」はぜひ見てみたいんだけど。

またいつか、時間ができたらのこりも見てみます。

オリジナルの(日本映画の)『デスノート』も、10年くらい前に見たんだけど、松山ケンイチ君がでていたということのほか、きれいさっぱり忘れてしまった。
でもNetflix版よりは、もっと断然、質感の高い映画だったような気がする。

原作も読んでないけどあのインパクト強い死神は知ってるよ。


ところで、「おどろおどろしい日本のヒットホラーのリメイク」となるとなぜシアトルが舞台になるんでしょうか。

アメリカ版『リング』(2002年)は、じっとりと怖くて静かで、日本の松嶋菜々子主演のよりもさらによかったと思うけど。

フェリーから馬が海に飛び込む場面とか、寂しくて怖い島(あれってどこあたりの設定なんだろう?)とか、ほんっとにじめっとした暗い感じがよかった。
あの映画を見た頃は、その先にシアトルに住むようになるとは思わず、「暗い街だなあ」と思って見ていました。

なかなかアメリカで日本のホラーの湿度が再現できる街って他にないのかも。シアトルはそんな実際には湿った土地じゃないんですけどね、雨が多いだけで。

でもあの映画も、撮影はバンクーバーだったと聞いた。「シアトルが舞台」という映画のほとんどはバンクーバーで撮影されてるんだとか。この『デスノート』もそうかもしれませんね。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/08/26

エッグホワイトのオムレツ


カルボナーラを作るといつも卵白があまってしまって困っていました。

クッキーでも作ろうと思って冷蔵庫にしまってそれきり忘れてしまったことが何度もあり、発見するたびに悔恨の情に悩まされていたのでしたが、超簡単な解決方法にやっと重い至った!

エッグホワイトオムレツというものがあったのだった。
なんと簡単な。
単に泡立てて焼けばいいのね!


手間は泡立てる2分間だけ。長年の悩みが氷解!

ふわっとした食感が面白いオムレツになって、軽めのチーズをはさんでもおいしい。

この日のは泡立てが少し足りなくて、半分くらい目玉焼きの白身ふうになってしまった。

泡立てた卵白って不思議な食べものですね。「そうだ卵白を泡立ててみよう」と最初に思いついた人はどこの人だったんだろうか。

文明の利器、電動ハンドミキサーがなかったら、とてもじゃないけど朝からこんなものを作っていられませんけど。

そしてミキサーがあっても、わたくしはシフォンケーキに成功したためしがありません。
うちのシフォンケーキ(未遂)はいつも、完成予定の半分くらいの高さにしかならない。 なぜなんだ。気合いの問題のような気もするが、違うような気もする。
シフォンケーキが作れる人にはなにか特別なオーラがあるんですよ。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/08/24

たこ船長と村上春樹の90年代


街角アートボックスの中で、わたくしが一番好きなのがこれです。
フリーモントのあたりのいつも通るとおりの脇にあり、信号待ちでいつも癒される。


首すじに緑のタコがからまっているというのに、船長さんは「まあ世の中、こんなこともあるよね」と、落ち着いたものである。こういう人になりたいものです。

ああこういう船長さんちょっとムラカミハルキ的だなあ。

今、村上春樹さんの『やがて哀しき外国語』というエッセイ集を読み返していて、これがすごく面白い。

これは90年代に村上さんがプリンストンに住んでいたときのエッセイなんだけど、今読むとその時代と今とのなんともいえない距離感がたいへん味わい深い。


「この国を内側からつぶさに見ていると、勝って勝って勝ちまくるというのもけっこう大変なことなのだなあとつくづく痛感する。ベトナムでは挫折があったものの、確かにこの国は冷戦にも勝ったし、湾岸戦争にも勝った。でもそれで人々が幸せになれたかというと、決してそうではなかったようだ。

人々は十年前に比べてより多くの重い問題を抱えて、そのことでいくぶん戸惑っているように見える。国でも人間でも、挫折や敗北というものが何かの節目においてやはり必要とされるのかもしれないという気がする。

でもだからといってアメリカにとって代わるだけの明確かつ強力な価値観を提供できる国家が現在他にあるかというと、これはない。

そういう意味では、現在の一般的アメリカ人が感じている深い疲弊の感覚は、現在の日本人が感じているむずむずした居心地の悪さと裏表をなすものではないかという気がする。単純に言ってしまえば、明確な理念のある疲れと、明確な理念のない居心地の悪さ、ということになるかもしれない。このしんどい選択は我々日本人にとっても、あるいはこれから先大きな意味をもってくるのではあるまいか」(はじめにp21 )


90年代はじめ、日本はまだバブルの最後の時期で、アメリカの都市はスラム化と犯罪でたいへんなことになっていて、日本バッシングが厳しかったとき。
大学村のようなプリンストンで過ごしていた村上さんは、アメリカが「明確な理念のある疲れ」を感じている、と感じていたという。

いまのアメリカと日本を知ってこの文章を読むと、感慨深い。

21世紀になって、「明確な理念」が破産してしまったうえにとんでもない大統領を生んでしまったアメリカ。
20年たってもやっぱり明確な理念はぜんぜんない日本。

都市は見違えるように「再生」したけれど貧富の差はますます拡大して、お金持ちのプレイグラウンドが目につくところに増え、「明確かつ強力な価値観」はまっぷたつに分裂して暴力を生んでいるアメリカ。

それでもそういう価値観が求心力を持ち続けるところが、アメリカという国の面白いキャラクターで。ほんとうに、この国って特殊な国なんだとつくづく思う。

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/08/22

Blue and Green, In and Out



ウェストシアトル上空。

タコマ山またの名をレーニア山が霞の上に見えて、この写真の1億倍くらい綺麗でした。

飛行機からピュージェット・サウンドを見るたびに、なんとまあ美しい場所なんだろうと思います。

シアトルはほんとうに緑が多い街です。ニューヨークもサンフランシスコもメキシコシティも、公園はあるのだけどそれ以外の地域は赤茶けた中に建物がびっしりと何かの菌のようにはびこっていて、上空から見てもせせこましい。

シアトルは上からみてもたっぷりの緑と青にかこまれています。


カリフォルニア某所のIn-N-Outというファストフードのレストラン。
レトロなデザインが可愛いです。

そしてこのパームツリーはいったいどうしたのでしょうか。わざとこういうデザインに生やしているのか。スケールの大きな盆栽みたいな。

みんなここのバーガーはおいしいというけど、デザインはともかく、別に感動するようなところはなかったなあ。マクドナルドやバーガーキングに比べてちょっと手作りっぽいという意味なのかな。
シアトルのLil Woodysなんかのほうが全然うまいよ。まあファストフードと地元の独立チェーンを比べちゃいけませんね。

わたしはDick's Drive-Inのぺらっとしたチーズバーガーも好き。

にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

日蝕ツアーその後


オレゴンに行ってた息子が電話のメッセージで送ってきた写真です。

「写真は撮らねえ」はずだったんですけど、やはり抗し切れなかったらしい。
三日月型の影。太陽がかげってくると、木漏れ日がこんな三日月型になる。

大昔に東京で部分日食があったときにもこんな三日月型の木漏れ日を見たことがありました。 長く生きてると日食も何度か見るようになるもんだ。
皆既はまだ見たことがないけど。

快晴の空の下で皆既日食を見た息子は、「シュールで、現実じゃないみたいだった」といってました。

コロナもはっきり見えたそうで、20秒ほど青い光がLEDのスポットライトのようにみえたそうです。いいなあ。

今日はしかし、オレゴンからシアトルに戻るのに大渋滞で12時間以上かかったそうです。
ははは。そのくらいは仕方ないでしょうね。

わたしも、今日は午前中みっしりと大事な会議という謎のスケジュールだったんですが、ちょうど10時半ころの休憩で、ちょこっとだけ、三日月型になっている不思議な太陽がみられました。

次回の日食、飛行機の上で観てみたいなあ。


でもほんと、特別に日蝕のときでなくても「畏怖」を感じることはできるよなあと思います。

わたしはその昔、10代のとき(ほんとに大昔だわ)、今はなき渋谷の五島プラネタリウムというところで切符切りの仕事をしていたことがあります。プラネタリウムが見放題の素敵な仕事だったんですが、あの古めかしいロビーに、リアルタイムの太陽を映し出すモニターがありました。

たしか、さしわたし60センチか70センチのくらいの大きさに太陽が映し出されていて、時々黒点やフレアがあらわれるのでした。

ある暇なとき(ていうか勤務時間の80%くらいは暇でした)にその太陽をぼーっとみていると、女性の学芸員さんが通りかかって、「地球はこのくらいの大きさなのよ」と、そのモニターの上に親指と人差し指で、5ミリにも足りないすき間をつくってみせてくれました。

その時の衝撃は今でも引き続き感じつづけています。
地球、ちっちゃすぎ!と思ったものでした。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ

2017/08/21

日食が脳を変える


ダウンタウンの南、シアトル港をすぎたあたりに貨物用の線路が道路と並行して走っていて、コンクリート会社が専用に使っているらしい。そこにおきっぱなしになってるこの貨車が気になってました。
いい感じにサビがでた上に、ミロのヴィーナス??のような顔がずらっと貼られている。
アメリカの貨車はラクガキにおおわれていることが多いけど、このグラフィティは気が利いてるな、と思ってたら、数日前に見ると、顔がいくつかはがされたり黒く塗られてて、F--k White Spremacy(白人至上主義はクソ)という殴り書きがふたつ追加されてました。

うーん、どうせなら殴り書きじゃなくてもっとこうパンチのあるのにしようよ。


ツイッターで見たこれはオシャレ(「移民は犯罪ではありません」)。

ところで今日のシアトル・タイムズに、たとえば日食などのすごい体験で畏怖を感じると脳がどうなるかについての面白い記事がありました。

アリゾナ州立大学のシオタ教授の研究によると、Awe(畏怖)を感じたあとの被験者は、新しいアイデアにオープンになりやすく、記憶を捏造しにくくなり、より批判的思考がしやすくなるのだそうです。つまり、偏見なしに世界を見るのがより簡単になるんですね。

さらに、祈りを捧げている修道女と瞑想中の仏教の僧の脳の活動をMRIで観察したところ、きわめて似た状態の畏怖を感じていることがわかり、感情と記憶をつかさどる辺縁系が活発になるのと同時に、空間の感覚や自己認識をつかさどる頭頂葉が静かになっているのが分かったそうです。

実は幻覚きのこやLSDでもこの頭頂葉の活動が抑制されることによる自己感覚の喪失、空間認識の喪失というのは起こるのが知られているそうです。

修業を積んだ僧が瞑想で会得する感覚ときのこのトリップによる感覚が全く同じといっていいのかどうかは議論になるところだろうけれど、要はそこから日常世界に何を持ち帰れるかが違うということではないでしょうか。

人の世界観を変えるような畏怖は、なにも日食とかグランドキャニオンとか幻覚きのことかそういう日常の常軌を逸したスケールの体験にかぎらず、どこにでも転がっているんですよ、という研究者の言葉を記事は引用しています。

「畏怖は人を連帯させる」とも。
ネオナチの人びともISISの人びとも、宗教的な畏怖を知っているのに違いないのだけど。宗教の中心にあるのは畏怖と、自己の消失ですよね。それをもっとうまく使う方法はないのかなあ。

思うのだけど、モノのインターネットや人工知能がもっと発達してきたら、人類は良かれ悪しかれ「自我」の境界がだんだんあいまいにならざるを得ないところにいってしまうのではないかと思います。

それが恒久的な平和につながるかというと、そうでもないという気がするけど。


にほんブログ村 海外生活ブログ シアトル・ポートランド情報へ