2017/03/27

最近のトレーダージョーズさん


最近のTrader Joe's さんでのお気にいり。
オーガニックラズベリースプレッド、アメリカのジャム系製品にしては驚きの甘くなさ!
どちらかというと酸っぱめである。
クリームチーズと合わせるとうまいです。


最近ご当地バッグを展開しているらしく、「Evergreen State」ワシントン州限定の、ポエムな感じのバッグが出てましたよ。99セント。



年末になるとトレジョは季節限定のギフト商品が出て、危険。ついギフトでなく自宅用にヘンなものを買ってしまう。
これは去年のクリスマス前につい買ってしまった7色ソルトつめあわせ。このパッケージといい、内容といい。
これでたしか、8ドルとかそういう感じだった。


レジ脇で「クランチ」といわれた日には買ってみないわけにはいかなかった、モチライス・ナゲッツ。
ちょっとしょっぱいけどまずまずでした。


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2017/03/26

相撲取りの使いみちと、本当は怖くない真田広之


暮れに絵描きのNちゃんからいただいた相撲取りマスキングテープの使いみちを考えあぐねていたのだが、ここに活用できました!

まるでこのテープのために作られたかのような白いボトルをカスタマイズ。
自慢のスモウボトルです。うふ。

ひさびさにようやくまとまった時間ができたので、さー映画だ!と行ってきたのが『LIFE』。


んんんんー。わたしはこの映画、好きじゃない。
真田広之さん、頑張ってらっしゃいましたが。

良かったところ:

キャラクターは国際宇宙ステーションらしい現実味があって(地味で)良かった。
一番先に死ぬ人が意外だった。
特撮(というのか)も素晴らしく、私の愛する低予算映画『LOVE』(宇宙ステーションの話なのに重力があるw)とは違って、完全に無重力状態を再現しててすごかった。

好きじゃない理由は今すぐに5つくらい思いつくけど、単純に、SF映画だと思って行ったらホラー映画だったという。
とりあえず、私はやっぱりホラー映画は基本的に嫌いです。

ホラー映画が嫌いな理由は、ほんとうに退屈だから。
ホラー映画のほとんどは全然怖くなくて、知らない人のホームビデオを見るより疲れる。

それとも、みんな、笑いがほしくてホラー映画を見るのかな?

この映画の最後は意外な、というかやっぱり、な結末なのだけど、それを見た隣の席のカップルがヒステリックに笑っていて、それがなんだかイヤな後味だった。

多分、ホラー映画が嫌いなもう一つの理由は、その視点が徹底的に他人事だからだわ。
橋田壽賀子劇場も私にとってはホラー。

同じような筋書きのホラーSFでも、『エイリアン』のほうがわたしはずっと好きだなー。猫が生き残るから、というのも理由のひとつだけど。

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2017/03/25

シアトル夕景のカード


BallardのダウンタウンにあるVenueというギャラリー&雑貨屋さんで、こんなカードをみつけました。
ここは地元アーティストたちのアート作品、ジュエリー、雑貨を主に扱ってるオシャレショップ。

ピュージェット湾で遊ぶらっこたちの絵と、ノスタルジックな色合いのシアトルスカイラインの夕暮れの絵に、がっちりわしづかみにされた。

このカードは2枚とも、ウォルター・シェアさんという絵描きさんの絵です。 サイトはこちら

左手にキングストリート駅の時計台、スミスタワーの三角屋根とダウンタウンのビル群、右端にスペースニードル。ビル群の後ろにはフェリーが浮かぶ静かな湾。

インターナショナルディストリクトの上のほうから見た景色だけど、空港の方から帰ってくる時に見えるシアトルは、だいたいこんな感じ。
しばらく旅行してて数週間ぶりとかにシアトルに戻ると、このビル群を見て、あー帰ってきた、と思う。

8年住んで、すっかりこの景色が「おうち」の記号に刻み込まれた。

こぢんまりしたダウンタウンだけど、背景に海と山が揃ったドラマチックな景色に恵まれたきれいな街だと思う。
夕方はほんとに、この絵のとおりにキレイですよ!

ダウンタウンは今、いくつも高層ビルが建築中だから、もうすぐこのスカイラインもすっかり変わってしまうことでしょう。



このシアトル夕景のカードは、東京に引っ越してしまったCT夫妻に送りました。そろそろこの景色が懐かしくなってないかな。

東京のサラリーマンになったミスターCT、東京ではミルクも水も最大1リットルでしか売ってないのに、ウイスキーはガロン入りボトルで売ってる!と妙なことに感動しているらしいです。


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2017/03/24

カタカナ語の抗弁


おおっという間に3月が終わろうとしています。(´・ω・`)

先日デジタルクリエイターズに書いたのをこちらにもアップします。
先月書いたのはものすごく久しぶりにぽんず単語帳のほうにアップしました。

御用とお急ぎのない方は、こちらもどうぞよろしく。

PONDZU WORDS BOOK  (1 of 1)



先日、デジタルクリエイターズの藤原ヨウコウさんの記事「コミュ障はぐれはカタカナ英語に躓く」を読んで、軽く衝撃をうけた。

藤原さんはこの記事で
「邪推かもしれないが、カタカナ英語の背後にボクは悪意しか感じない。特にバブル以降はそうである。「新しさ」や「進歩性」を演出するのに、こうしたカタカナ英語は悪用されているのではないか、とつい思ってしまうのだ」
と書かれていた。

デジタルでクリエイターな人のなかにも、カタカナ語にこれほどの警戒心をもっている人がいるのか! というのが、ちょっとした衝撃だったのだ。

わたしはふだん、英語を日本語にする仕事をしている。
英語で書かれた内容とニュアンスをできるだけもらさず汲み取って、それを日本語を母国語とする読者にできるだけ自然に、まるまると伝わるように書くのが使命である。でも残念ながら、もらさず丸ごと伝わることはすくない。

なぜ丸ごと伝わらないか。
それは、英語が話されている世界と日本語が話されている世界の常識が、かなり違うからだ。

言葉の世界というのは、それを話す人の世界である。
同じ言語のなかにだって違いはある。

たとえば、東京の女子高生、名古屋の中年の管理職、鹿児島で畑を作っている老人、東北の温泉宿の女将さん、…の言語感覚は、それぞれにかなり違うはずだ。

米国でも、サンフランシスコの国際企業の役員、中西部のトラック運転手、ニューヨークのお金持ち、南部の黒人コミュニティのティーンエイジャーでは、やっぱりそれぞれ言語感覚はかなり違う。

その世界で主に話されている事柄、生活を構成するもの、目に映る景色や耳に聞く音、皮膚感覚、常識、笑いのセンス、大切にされているもの、避けられているもの、蔑まれているもの、などが、その人の言語世界を作っている。

もちろん言葉の世界は個人によっても違う。たとえば、渋谷の女子高生と鹿児島の老人が、あるいは遠くの国の一度も会ったことのない人同士が、または何世紀も前に生きていた人と現代の人が、言葉を介してなにものかを共有できるのが言葉の素晴らしいところだし、逆に一緒に住んでいて同じ言語を話していてもまったく言葉が通じないということだって、ありますよね?

英語の文を日本語に(その逆でも、ほかのどんな言語でもそうだと思うけど)翻訳するときに、翻訳者はかならず、読者の言語空間を想定する。

なんていうと偉そうだけど、しょせんはボンヤリと想定する読者の世界でどんな言葉がどんなふうに使われているかというのをうっすら想像してみるだけにすぎない。

読者が想定上の不特定多数である以上、正しいかどうかは調べようもない。

とはいえ、IT企業の技術者向けに書く場合、ファッション誌に書く場合、高校生向け向けの媒体に書く場合、富裕層の高齢者向けに書く場合、ではそれぞれに使える言葉もトーンも違う。想定する読者の言語像と現実がズレすぎると翻訳者として仕事にならない。この媒体の読者にとっての日本語の正解ゾーンはこうだ、という自分の感覚を信じるしかない。

で、それぞれの場合にカタカナ語をどのくらい使うか。というのに、翻訳者はいつも頭を悩ませている。

これはほんとに、その媒体にもよるし、翻訳者の考え方も人それぞれ。私はほとんどの日本の読者には、ある程度のカタカナ語は寛容に受け入れてもらえるもの、とボンヤリと思っているが、その「ある程度」はいつも変動する。

ファッション、IT、金融などの世界ではカタカナ語が百花繚乱で、業界の外の人にとっては何いってんだかさっぱりわからないこともある。

たとえばネットワークセキュリティの製品のページでみつけたカタカナ語の例。
「マルウェアを解析することで、攻撃の第1段階で使用されるエクスプロイトからマルウェアの実行パス、コールバック先、その後の追加ダウンロードに至るサイバー攻撃のライフサイクルが明らかになります」。
エクスプロイトってなんだ。攻撃のライフサイクルって?しかしこれを無理に日本語に置き換えようとしたら意味不明な誤訳になってしまう。

ヴォーグジャパンの記事でみつけたカタカナ語の例。
「セダクティブなレースや、大きく開けたスリット。ランジェリーを思わせるセンシュアルなドレスが今、トレンドだ。共通するのは、ただのセクシーに終わらない、凛とした強さ。モダンな感性で纏う、大人のラグジュアリーがここに」。

これはきっと日本語ネイティブのライターが書いたものだと思うが、セダクティブとかセンシュアルとか、英日翻訳で使ったらたいがいの場合編集で訂正されるのは間違いなしである。

翻訳する時には、安易に英単語をカタカナに置き換えるのではなくできるだけ日本語で言い換えるのが良識ある英日翻訳者の態度、というのが、翻訳者の一般的な考え方だ。

それでもカタカナ語をやむなく使う理由の第一は、既に日本語になっている言葉には置き換え不可能な場合があるからだ。

たとえば、「コミットメント」「エンゲージメント」「インスパイア」「ベストプラクティス」「ウェルネス」「アカウンタブル」「デューデリジェンス」などには、どう頭をひねってみても過不足なくはまる日本語がないことが多い。
すでにある日本語に置き換えようとすると、文章での説明が必要になるか、なにか重要な要素が抜け落ちてしまう。

これはどんな言語でも、新しい概念をほかの文化から輸入するときには起こることのはず。

もともと日本語には文字がなかった。

隣にたまたまあった超大国から漢字を輸入して文字を書くことを学んだ日本人は、そこから仮名文字を発明していくわけだけど、その頃は文明国中国から渡ってきた学問や知識が超イケていた。というか学問のすべては大陸から来ていた。

文字通り命がけで超文明国にわたってありがたいお経を学んで帰ってきたお坊さんたちは、今の感覚では思い及ばないほどの、図抜けたインテリだったのだと思う。

日本は、地理的に特異な場所にできた特異な国で、20世紀の数年間をのぞいてはほかの国に占領されたこともなく、海を隔てた超大国とおおむね絶妙な距離を保ちながら独自の言語空間を育んできた、珍しい国なのだとつくづく思う。

遣唐使の時代から明治維新後、そして現在にいたるまで、日本の人たちは、新しい知識や概念を漢字、カタカナ、ひらがなの組み合わせで貪欲に吸収してきた。
すでにいろんな学者さんが指摘してることだと思うけど、3通りの表記システムを持っているというのは、日本の文化が柔軟にいろんなものを吸収するのにあたって、とてつもない利点だったはず。

カタカナ語を使う理由の二つめは、藤原さんが指摘しているように、演出効果、つまり「なんとなく新しくてかっこいい」オシャレ感をかもしだすためでもある。

文章には、「意味」と「論理」を伝えることに加えて、読む人にどう受け取ってもらいたいか、どのような感情や感覚を呼び起こしたいか、という書き手の希望と、そのためのプレゼンテーションが常にある。それは文体にもあらわれるし、言葉の選び方もその一部だ。

言葉は論理を伝えるものだけでなく、情緒の容れものでもある。

そして面倒なことに、どこからどこまでが情緒の範疇でどこからが論理、ときれいに割り切れるものでもない。

さらに面倒なことに、多くの人は自分の書いたり話したりする言葉に自分がどのような意図を盛り込んでいるのかを、あまり意識していないことも多いのではないかと思う。

翻訳者の商売の一部は、他人の書いた言葉のウラにある意図を汲み取ることである。

書き手がある言葉を特別に選ぶときには、情緒的な理由や、人にどう受け取ってほしいか、どのような効果を出したいかという理由がその背後にあるはずだ。

翻訳者は時に、文章を書いた本人よりも深くそれらの理由について考え、分析することも多い。

とくに広告やマーケティングの場面では、プレゼンテーションが論理よりも大切なこともある。

「老化防止」を「アンチエイジング」と言い換えるのは、まさに、「老化」といういろいろ手垢のついた言葉のネガティブな感触にさわらずに「老化を防ぐ」と言いたいからだ。

でもプレゼンテーションの面からは、「アンチエイジング」と「老化防止」は同一にしてまったく違うともいえる。

それは、シヴァ神と大黒天の違いのようなもの、といっても良いのではないだろうか。違うか。

たとえば、上記のヴォーグジャパンの記事を漢字の言葉で言い換えたらどうなるか。
「セダクティブなレースや、大きく開けたスリット。ランジェリーを思わせるセンシュアルなドレスが今、トレンドだ」
「誘惑的なレースや、大きく開けたスリット。下着を思わせる官能的なドレスが今、流行中だ」

下の例でも意味的にはぜんぜん変わってないのに、カタカナ語で書くと何かが変わる。それをオシャレと思うか、鼻持ちならないと思うかは、その人の考えかたと感じかた次第だ。

その言葉づかいがプレゼンテーションとして成功しているかどうかは、受け取り手がなにを常識として暮らしているか、なにをカッコ良くなにをカッコ悪いと思っているかによって変わる。

そして、書き手がちゃんとその言葉を理解していないとヘンなことになるのはどんな言語でも同様。

往々にして、まだあまり耳慣れない新しい言葉を使うことで、「新しいモノを良く知ってる頭の良い人」または「教養の深い人」、と自分をプレゼンできるという希望のもとに、あんまりよくわかってない言葉を使っちゃったりする人もいるわけである。そして本人にもその自覚があまりなかったりもする。

藤原さんが苛立っているのは、そういった、胡乱なカタカナ語の使い方に対してであろうと思う。

でも、なんとなくカッコ良い、感触の良い言葉が、あんまり意味も考えずに使われるというのは、カタカナ語の専売特許ではなくて、中国から輸入された漢字の熟語でも、万葉の時代のやまとことばにだって、きっとあったのだと思う。

紫式部が清少納言のことを
「したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち眞字(まな)書きちらして侍るほどにも、よく見れば、まだいとたへぬこと多かり」
と、「(女のくせに)漢語など使ってえらそうに書いてるけどろくにわかっちゃいない」とこき下ろしているのをみても、まあそういう批判はどの時代にでもあるのだなと思わされる。

カタカナ語大氾濫の背後には、文化的なボタンのかけ違いと、ちょっと行き過ぎちゃったカッコつけが入り混じっている。

ん?
と思ったときには、その日本語を自分なりにもっとよく分かる日本語に「翻訳」してみると、面白いかもしれません。

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2017/03/19

惑星チョコレートと鬼のグローバル講座


誕生日にカリフォーニア在住マダムから頂いた、惑星ふうのチョコレート。
食べるのがもったいない。

ああいそがしかった。忙しい忙しいといってるのはダメな人だというのは本当ですねぇ。

今学期はオンラインで、これなら楽勝だろうという下心でとった今学期の「Globalization and you」というカジュアルな名前の講座が、けっこう大変だった。

最近取った講座は提出物がかなりライトなのが多かったので、ちょっとびっくりしてしまった。

かなり後半になってからペーパーを書くのに参照資料をけっこう読まねばならないことに気づき、仕事も重なってきたので泣きながら仕事のあいまに資料読み。
なので誕生日どころのさわぎではありませんでした。いい年して一体なにやってんだ。

ペーパーがダブルスペースでなんと32枚という、卒論か!というボリュームで(中身はぜんぜん密度の濃いもんじゃないですけどね)、しかもそのあとに100問の最終試験があるという(オンラインだけど)、 鬼講座だった…。毎週にはこれに加えてディスカッションと小試験があるので、それに気をとられて、期末にこんな爆弾が二つも残っているのをきちんと認識していなかった。
たぶんインストラクターがまだ若くて博士号とったばかりの人なので、張り切りすぎているのではないかと。もしかしてこれが最初に受け持ったオンラインクラスなのかもしれません。

アメリカの大学は、期末に「このクラスはどうでしたか?」という学生による評価がある。今回は辛めの評価をさせていただいた。
課題のボリュームは大学のクラスにしては特別大変すぎるというわけじゃないけど、インストラクションがあんまり組織だってなくて、あちこちに矛盾があってイライラさせられた。

しかし内容は、グローバリゼーションとネオリベラリズムという、一度腰をすえてちゃんと考えてみたかったお題だったので、とてもおもしろかったです。

世界はたいへんだ。

しかしクオーター制って10週間で講座が終わるので、ほんと忙しい。 おばちゃんには、ついていくのがやっと。

来学期はオンキャンパスで講座を取ります。お題は「Religious Rethoric」これもたのしみ!


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2017/03/07

ファイヤーキングのプリムローズ


 このあいだのGoodwill Huntingのエモノ。

最近は近所のGoodwillも値上がりしてきて、オールドパイレックスやファイヤーキングの状態のよいものだと10ドルちかくすることもある。
そして、古いよいものの掘出しものはだんだん少なくなってきた。

 やっぱり住人の入れ替わりが進んでるのね。

これはFirekingの「Primrose」パターン。1960〜1962年に製造されたものだそうです。
なぜかカップとソーサーの花柄の色が微妙に違うのだけど、3ドルだった。


この乳白色の半透明ガラスのぽってりした質感が好き。ええ、わざとらしく教科書をひろげてみました。

ふと、なにかのついでに日本のオンラインショップで売られてるオールドパイレックスを見てみたら、勢いで買ったもののしまい場所がなくてうちの冷凍庫で冷凍うどんや冷凍肉入れになっているボウルたちが5000円以上で売られてて目の玉とびだした。

思わず今すぐ売りにいこうかと思ったけど、買い付けにきて送る送料だの手間を考えたらまあそのくらいがビジネスとしてはリーズナブルな線なのでしょうね。

ファイヤーキングは、なんと最近日本でリメイクされているとか。手作りなのでリメイク品も1個5000円とかそういう値段。

ファイヤーキングのジェダイがいつか欲しいと思うけど、50ドルじゃねぇ。

この時代の食器や家具が好きな人は多いのね。

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2017/03/03

15分以上かかる仕事はない



いったい私の時間はどこの4次元ポケットに入ってしまったのだろうと毎日思うわけなのですが、やはり気がつかないうちにぼーっとしていて、自分が4次元の世界に行ってしまっているらしい。

きょうの日経DUALの記事で、心理学ジャーナリストの佐々木正悟さんという方の時間活用メソッドが紹介されてた。

「重要」と「緊急」のタテヨコ軸で仕事の優先順位のマトリックスをつくる。

面倒な大仕事でも、15分のタスクに分ける。

細切れの1分を活用して読書などにあてる。

そして、「今日やるべきことは終わった」感を1日の終わりに持つ。

…というのが簡単なメソッドの要約。
これはすごく納得できる。

「15分以上かかる仕事はない」と佐々木さんは言っている。分かる気がする。

15分というのは、分かりやすい、アタマで管理しやすい単位なんだと思う。
わたしも普段、自分の仕事を15分刻みで把握するようにエクセル表をつくってる。

もちろん、翻訳仕事やレポート書いたりする作業はがっつり1時間以上集中して取りくむことが多いけど、それも細かく区切ればたしかに15分単位に分けられる。
 
小さく分けることで、取り組みやすくなるし、「やり残してしまった感」の解消には確かにとても良いかも。

わたしの場合は、優先順位の振り分けがうまくいってないのと、スピードが上がらないのは自分にちゃんと締め切りをかしてないから四次元にいってる時間が増えちゃうんだな。

しばらく前から、ブログには1日15分を割り当てている。しかし15分で書けることはほとんどない。
時間切れになったら翌日にまわすようにしてるのだけど、面白くなってくるとつい1時間も2時間も費やしてしまう。

だらだらと読んだり書いたりぼーっとする時間も大切で、ほんとうは1日30時間くらいそういう時間があると理想的なのだけど。

本を読む時間を「緊急でないけど重要」な時間に割り当てて1日数分の積み重ねでもチマチマ読むというのは、実はもうここしばらく自分なりにやってみている。

積読本を毎日見ながら、生きてるあいだにこれを全部読むにはなにかを始めなければと1年くらい前から思い始め、朝晩と休憩時間に「すきま読書」をするようになった。

だけど、1分間で読める本というのはけっこう限られているというか、本をひらいた瞬間にその世界に突入できるかどうかは、その時次第。

短歌集やエッセイ、ノンフィクションだと、5分の休憩時間にも一区切り読める。

この間はiPhoneの青空文庫で江戸川乱歩の『人間椅子』を、郵便局の行列に並びながら読んでみた。なかなか微妙でした。

さて、では次の15分仕事にとりかからねばー! (ああまた15分を大幅に超過してしまったー)

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