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2022/02/04

ないなら、ないように


キリコちゃんがニューハンプシャーからのおみやげに買ってきてくれた、フェルト製のブルーバード。

「ブルーバード」って、青い鳥。
西海岸にはいないけど、こういう子らしいです。せなかが青で、おなかがオレンジ。

 



 この正面顔は…。



 綾波レイの朝ごはんかよ!と自分でつっこんだ、今週の「おめざ」セット。

ほとんどがサプリ、マグネシウム、ビタミンですが、青くてちっちゃい子が、じつはいちばん強力なステロイド剤です。こんなちっちゃいなかに、すごい成分がギューッと入ってて、体が睡眠に向かなくなるの、すごい。

ミクロな世界で体は変わり、それがすぐに思考や意思や行動にピキーンと反映される。できることとできないこと、感じ方がすぐに変わる。

 

て、このあいだも『バカの壁』を読んであらためて思ったけれど、 「自分」というのは、そう思いたいほどしっかりしたシステムではなくて、わりとすぐ書き換わっちゃうものなんですよね。

ステロイド剤の服用は、とりあえず、昨日、10回をもって終了しました。



こんなに小さいのにすんごくはたらいてくれているおかげで、1日24時間のうち、2〜3時間くらいずつ合計5時間くらいしか眠れない。

ステロイドがいったい体の何をどうしているのかわたしには理解できていませんが(『はたらく細胞』のステロイドを思い出すのみ↑↑↑)、こんな強力なものはさすがにあまり長期にわたって入れてよいものではないということだけは、わかる。

 


 こちらは、まっとうなアボカドトースト。

 

退院してきた日にたまたまご依頼頂いたちいさな仕事を、先週末かけて1件だけお引き受けしました。

健康時ならば1日半くらいでやるものを、ぼーっとする時間を考慮して、3日分相当の時間を割り当てておいて、ちょうどよかったです。

内容が新しいテクノロジーとビジネスに関するもので、ちょうど興味のある分野の記事だったし、原文がすっきりわかりやすく書かれていたので、かなり楽しかった。

やっぱりわたしは翻訳が好きだなあ、と思いました。

原文に出てくる、知らないコンセプトや、きちんと理解していないコンセプトをまずリサーチして理解する。それを、日本の読者層にあたる方がどのような言葉で表現しているか、日本の媒体でリサーチする。まだ日本語のサイトがヒットしない場合には検索語を変えて周辺からいろいろ読んでみる。

詳しくない分野の(それがほとんどですが)翻訳は、そんなことをしているので、けっこう時間がかかります。

(わたしが翻訳の仕事を始めたのはインターネット時代になってからなので、前世紀のプロの方たちはいったいどんな知識を蓄えていたのだろうか、と思います)。

ひとつの単語について1時間くらいあれこれリサーチして、考え込んでしまうこともあります。

でも、自分が理解した内容を、すっきり読みやすい日本語に置き換えられた、と思えたときは、達成感があってうれしいです。

その出来上がりに、クライアントさんや読者さんがどのくらい同意していただけるかは、わかりませんが。

いまのところ、体力的にフルタイム相当での稼働はちょっと無理で、ピーク時の半分以下の仕事量になっていますが、それでも、こうやってぽつぽつご依頼いただくものに対応できるのはほんとうに嬉しいことです。

朝日新聞デジタル版に安藤忠雄さんのインタビュー記事がでてました。いま80歳で、なんと、8年前に、胆囊、胆管、十二指腸、膵臓、脾臓をがんで全摘したんだそうです。
まさに「五臓のないからだ」。

それなのに「五臓がないなら、ないように生きる――。こう決めて、退院後は1日1万歩歩き、昼食は1時間かけて食べ、その直後は休憩するように生活リズムを整え」て、いまのところ、特に目立った不調がない、という。

それで、五臓がないのに元気なのは奇跡だといって、むしろ縁起が良いからと、中国から仕事の依頼が増えたんだとかwwww 神様化している! 

「ないなら、ないように」生きる、という姿勢。希望を自分で作り出すこと。

希望とは「生きる誇り」であり、それは安藤さんの場合、建築の仕事を通して社会とつながること、スタッフの生計を支えること、大阪人としての誇り、だといいます。

幸せとか希望とか、生きがいとか、いろいろ言い方はあるけど、自分が充実することって、やっぱり、自分の思いと行いを通して社会/ほかの人、世界、とつながること、でしかないのだな、と思います。

ほんのすこしでも人の役に立てたっていう実感は、うれしいものですねー。



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2021/02/15

耳から入るもの


今日はパンを切らしたのでパンケーキの朝食。焼く係は青年に決まっています。

ソーセージをのせて焼いてたら、無心で作っても狙ったように埴輪的な顔になる。


一種の才能か。そしてこれ↑も。大丈夫か、デザイナー。


きょうはAppleMusicでほかの曲を検索してたら、荒井由実の「ひこうき雲」がでてきて(飛行機雲は「Vapor Trail」っていうの、知らなかった)、朝からJ-POPまつりでした。

 

今日納品の仕事がちょっとだけあったんですが、J-POP聴きながらだと、まー、驚くほどはかどらなかった。

うちの青年は靴のスケッチとかしながらポッドキャストやClubhouseの会話を一日中聞いてるし、インテリアデザイナーのCTちゃんもCAD使いながらYouTubeその他でいつもお笑い番組を聞いている。

インボイス作ったり家計簿つけたりといった作業をしながらだったら聞けるものの、人の話を聞きながら翻訳はできません。


歌詞のある歌もほとんどダメで、翻訳作業中に聴きながら集中できる楽曲はかなり狭い範囲に限定されてます。

CTちゃんが仕事しながらお笑いを聞いてるのを見て、すげー、聖徳太子かよと思っていたのだけど、デザインの仕事って、脳の使用部位がぜんぜん違うんだよね。

耳からまったく関係ない情報を入れながら仕事できるっていいなー。

 


 

台所仕事のときは主にYouTube番組を聞いてますが、でもそのぶん手が遅くなってるかも。

Clubhouseは、いまのところ落合陽一さんのルームをちょこっと聞いてみただけ。
もともとコミュ障でSNS自体が苦手なので、たぶん、そんなにはまらないと思う。

 

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2020/09/26

失くしたり、つながらなかったり



今週はほぼずっと、しっとり雨でした。

シアトルには季節はふたつしかない、とよくいいます。
爽やかな夏と雨の季節と。

今年の夏は、煙の到来とともに終わってしまったのでした。

気づくともう9月も末に近づいているー。

ほんとうに、時間とかのマネージメントをねぇ。もうちょっとサクサクとできるといいのだけどねぇ。

まったくもってまとまりのない毎日ですが、先週末からここ数日、不思議なことが立て続けに起こり、カオスが増しています。 

 

 


 

その1。
週末に重い腰を上げて、うちのMacちゃんにParallelsというアプリを使って入れているWindowsをアップデートしました。


Windows 7のサポート期間がとっくに終わってしまい、マイクロソフトのOfficeをサブスクしてるのに(ていうか、購入というオプションが見つからなかった。世界中すべてがサブスクで、あっちこっちのIT大企業にちょろちょろ小金をしぼりとられている。世知辛い世の中になったものよ)Accessが使えなくなってしまったので、一大決心をしてWindows 10にアップグレードすることにしたのです、が。

バックアップもとり、えんえん2時間くらいかかってめでたくアップグレードした、と思ったら、なぜかWindows 7がインストールされていたのでした………????


Windowsのアプリを立ち上げると、Windows7↑↑が出てくるんです。



でも、デスクトップはこの ↑↑↑↑ Windows 10のデザインに変わってるし、インターフェイスもアプリのアイコンも変わってる。Access含めOfficeもほかのソフトも全部ちゃんと動く。なぜなんだかわからない。

とりあえず働いてほしい子たちがちゃんと動いてるからいいのですけど。
ちなみにこのアップデートのプロセスでは、お金は請求されませんでした。

8月までは7から10へのアップデートが無料だときいて悔しがってたのですが、そのオファーがまだ生きてるのか。それで7と10の合体OSがインストールされているのか。なぞ。



その2。

家から出ていないのに、ねこバッグがなくなった。


これです。

愛するニューヨークの書店STRANDのお気に入りキャンバスバッグで、一回洗ったらすっかり縮んでサイズがひとまわり小さくなっちゃったけど、でもそれもまた良しで、最近はどこに行くにも(といっても、ほとんど買いものと病院と散歩しか出かけないのでね)これ一択でしたのに。

そんなに小さいものではないのに、家中探しても見つからない。狭いアパートだからそんなに探すところもないし。冷蔵庫の中も見たしキャビネットの中も、洗濯カゴの中も見たのに、無いのです。

息子からも問い詰められたのですが、ほんとうにどこにも持ってってない。ていうか、出かけていない。

日曜日にはたしかにあったのを覚えているので、家の外でなくしたとすれば、月曜日に近所を10分くらい散歩したときになぜか持っていって落としたとしか思えない。これについては、実際に散歩にバッグを持っていったかどうかさえ定かに覚えていない。

肩に下げたかばんを道に落として気づかないって、普通の人なら考えられないと思うけど、なにしろ失くしものと忘れものにはちょっと常軌を逸した才能があるワタクシのことなので、そんなことは絶対にあり得ないと言い切れないのがつらいところです。

…もし近所で見つけた方は、ご一報ください。




その3。

サーバ接続の不調とアプリの不調。
ネコバッグがなくなった翌日、仕事の関係で客先の指定するアプリを使って会議に入ろうとしたのだけれど、以前はサクサクつながったものがつながらず、入室できたら今度は音声がつながらない。

さらに、メールサーバにつながらなくなったりと接続の不具合連発で、さすがにこれにはぐったりしました。

なんか大殺界的なことが起きているのか。火星の影響か。水星か。イーロン・マスクの衛星か。座敷わらしか。

窓際に盛り塩をしてからサポートに電話しました。

サポートのおかげで解決したものの、これももしかして(Macのほうの)OSが古いせいかも、と言われた。うーん、このあいだMojaveにアップデートしたばっかりなのになー。

 

 

時間で色が変わっていく砂丘のデスクトップが好きなんです。

 



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2020/04/01

きょうの行列と国勢調査の翻訳


きのうの月と桜。
きょうは雹が降りました。東京でも数日前、雪が降ったとか。桜の季節の雪は珍しい。
今年はほんとうにいろいろ、特殊な年。



朝のうちのほうが空いてると思って殊勝にも9時台に買い物に行ったら、トレーダージョーズの前の行列が長かった。10分くらいで入れましたが、寒かった。

朝のうちって意外に混んでいます。

地元チェーンのバラードマーケットでも入店制限を始め、スマートフォンで入店申し込みをして順番待ちをするシステムを導入したそうです。
店内に一度に入る人数は35人くらいで、待ち時間は10分か15分程度だとサイトにありました。スマートフォンを持っていない人は入り口の係の人がアシストしてくれるとか。

先週行ったときには、感染防止対策としてレジの前にアクリル板が立てられていました。



ビタミン摂取。ひとりだとご飯が適当になりすぎる。


晴れたり曇ったり降ったり晴れたり。またサンセットヒルのミニ公園へ。
ちょうど大きな雲がかかってきて、雨脚がやってくるのが見えました。


そして雹が降り始めました。

ところでCensus(国勢調査)の紙が来てたのをほっぽらかしていたのを思い出して、ようやくさっきオンラインで回答しました。

なんとー!日本語のバージョンがあってびっくり。

英語のほか12カ国語版があって、スペイン語、中国語(簡体)、ベトナム語、韓国語、ロシア語、アラビア語、タガログ語、ポーランド語、フランス語、ハイチアンクレオール、ポルトガル語、そして日本語です。

これって人口比率にあわせてるのかな。どういう基準で言語を選んでいるのか興味しんしん。


そしてどこの業者が請け負ってるのかな(L社かなー、B社かなー)。
訳文のクオリティはー、と、職業柄ちょっとチェックしたくなってしまいます。
さすがに誤訳やタイポは見なかったけど、説明の訳にはちょっとだけ残念な表現も。

揚げ足とるほどじゃないんですけど、ちょっとほっこりしたのが、「どんな人を居住者として数えるか」についての説明のなかにあった表現。

「2箇所以上の場所で生活している人は、たいてい寝る場所で人数を数えます。」
お住まいを転々としている人は、2020年4月1日に住んでいる場所で数えます。 」

という表現。お住まいをテンテンとしている人……。
 
日本語のスーパー上手なガイジンさんが敬語を使っている感じの表現が散見されました。
「只今ご回答を送信してもよろしいですか?」ていうのもね。

次回の国勢調査のときには、きっと36ヶ国語対応くらいになって全部機械翻訳になってるんでしょうね。ていうかそのときにも国勢調査があればの話だけど。ていうか米国が分裂してたりね。


これも昨日の花吹雪。雹でずいぶん散ってしまったのではないかな。明日の散歩がたのしみです。

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2019/04/04

ビューティフル・ハーモニーかよ。



近所のスーパー、バラードマーケットで水仙買ってきました。
鳥たちがいたスカジットヴァレー産かな。
ひと束2ドル。テーブルがぱっと明るくなる黄色。

そんなことより、ビューティフル・ハーモニー。

日経新聞サイトによると

(ここから引用)
外務省は新元号「令和」の意味を英語で表す際に「beautiful harmony(美しい調和)」に統一する方針を決めた。河野太郎外相が3日までに各国在外公館にこの方針に沿って対外的に説明するよう指示した。
同省によると「令」を「命令(order)」と報道する海外メディアもあり、正しい解釈を促す狙いがある。
(引用ここまで)

…だそうです。(太字はわたくしがつけました)

このニュースはきのう、Facebookの翻訳者グループのポストで知ったのだけど、当然ながら外務省のこの翻訳「beautiful harmony」に、コメントしていたプロ翻訳者の(日本在住のネイティブ英語スピーカーの日英翻訳者の方々ばかり)ほとんどの人は冷笑していました。

「……まじで?」
「 翻訳ちゅうのが、結局は好きな解釈を選べるという典型やな」
「MOFAの官僚が知ってる素敵単語がそれだけだったんちゃう?」

というような反応。(うろ覚えです。FBでこの元ポストを15分くらいかけて探したのですが、見つからず。FBの検索エンジンがまったく役に立たないことを知っただけに終わる)

あああ、そしてこの「ビューティフル・ハーモニー」という公式訳語は「日本のポルノアニメゲームの主題歌と一緒だな!」という記事もでてしまったよ。ありがちすぎるよね。

『エコノミスト』で令和が「Order and Harmony」と訳されるなど、海外メディアで「令」が「オーダー(命令)」という意味にのみ取られ、「お上が命令し、民がそれに従順に従い、平和がうまれる」といった官製ストーリーがうっすら透けてみえるような解釈が広がり、日本のイメージにそれが固定されてしまうのは非常にまずい、と外務省の中の人は焦ったのでしょう。

しかし、正しい解釈って何だよ!

翻訳という仕事をしていると、日々、言葉というのはほんとうに重層的で何通りにもカイシャクできるものだと骨身にしみるわけです。

とくに漢字にはいくつも、互いにまったく関係ないような意味があるって、小学校で習いますよね?

漢字を組み合わせた元号は、いってみれば「詩」のようなもんです。
だって元ネタがそもそも中国の詩を下敷きにした、和歌集の序文であるわけでしょ。
数日前の令和ちゃん記事に書いてます。)

ポエムに「正しいカイシャク」はないです。
「メインストリームのカイシャク」はあり、「本人が意図したこと」はあるとはいえ、それは「正しい」とか正しくないとかではない。

ある意味、立場と世界観の問題でしかない。

それに詩歌の場合、本人の意図した以上にその言葉の意味が広がっていくことで、その詩が力を持つようなことが起きる。

詩の言葉は、個人の意図や正邪の判断を軽々と超える力を持っているのです。

元号は「識者」(なんで林真理子が入ってるのか、まったく納得できませんけど)による集合的な美意識が決めたポエムです。

そこには当然、政治的なメッセージもこめられている、のかもしれない。それは識者の選出作業の中にすでにこめられてるんでしょう。(たとえ優れた文学者であっても、ヤバそうなことを言い出したり、体制に真っ向から楯突くことがわかってるような人は選ばれない。林真理子は自民党にとって無難な人選なんでしょうね)

元号は、ポエムでありおそらくは黙示的な(本人たちもあえて言語化しようとしていないかもしれない)政権からのメッセージであると同時に、おそらくもっとも本来的には「次の時代がこうなりますように」という、祈りであるはずです。

で、漢字は、そしてありとあらゆる単語もそうですが、必然的に重層的な意味を持っています。

たとえば法律文のように解釈のゆらぎの少なさを目標に書かれる文章とは違って、意味が厳密に固定されていないポエムの場合には、その重層的な意味が本領を発揮するんです。

万葉はまだそんなでもないと思ったけど、新古今集のあたりの和歌の世界は「シャレ」ばっかりです。これは日本語に多い同音異義語を駆使して、歌の世界にひろがりを呼び込む技術であったようです。 これも言葉の重層性を意識しているからこその技術であり、あそびです。

 「令」には「めでたい」「美しい」という意味もありますが、現代ではそれはほとんどの人が知らず、「命令」の意味を思い浮かべる人が多いはず。

「令」の字がそういう宿命を負った字であることを、選ばれた「識者」も政治家も当然知っています。

ひとつの言語の単語に訳語を当てるというのは、解釈作業です。

単語に重層的な意味があるから、詩の翻訳はむずかしいんです。

「令和」はそこそこよくできたポエムかもしれないけれど、「ビューティフル・ハーモニー」はそのポエムの訳語としては、その広がりを全く表現せず、含意をチラ見せすらしてないってことで、合格点とはとてもいえません。

ふだん法律文書にばかり触れてる官僚さんが、「誤解なく簡単に世界の人民にあまねく分かるように!」て作ったのかもしれませんが。言葉の感性が美少女アニメポルノと一緒じゃん、というのをはからずも露呈してしまいました。

もし官僚の人たちが、これが今の日本を代表する感性です!て主張するならそれはそれでちょっとまた別に考える必要のある問題がでてくるけど。

漢詩が一般教養だった明治の官僚だったらもっとマシな、格調を感じさせる訳語を作ったであろうものを。

言葉は文化そのものです。一国の文化というのはすぱっとキレイに単色で表現できるものではないですよね。もっとグチャグチャしたものです。

いろんな人がいていろんなことを考え、主に言葉でそれを伝達しようとしている、それが文化ですよね。

「そして、この令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております」

という安倍首相談話(そもそも万葉集の漢文部分から引いてきたということにも一切触れてないし)をきいて、ケッ、と思う人もいるわけですが、それも文化というものです。

そもそも文化というのは、排除装置でもあるんですよね。

文化は知識と美意識の集成であり、「正しい解釈」をよしとしなかったり知らなかったりする人を社会が排除するときの、素敵な言い訳にもなってきた。

ひとつの文化についてこられない人を排除したり、自分たちの文化を知らないよその土地の人を虐殺したり強姦したり略奪することに黄門さまの印籠のような正当化の力を発揮してきた。

文化が単一の価値観に翻訳されて、そこに権力がのっかると、たいていそういうことになるようですね。

文化のそういうダークサイド面の運用についても真摯に心を寄せないかぎり、本当に美しい和の社会なんて、絶対に到来しないでしょう。

話がそれたけど、美しく心を寄せ合うには、どこかの誰かがきめた「和」に無理に迎合したりさせたりするのではなく、文字や言葉には(つまり人の意図や意識には)常にものすごく幅広い世界が隠れているのだということを、自分らにはまだ知らない、まだ理解できない世界があるということを、恐れずに認めることがとても重要なのだと思いますのよ。

そうして得られる「理解はたいへんだ」ということの理解のあとに、一人ひとりの中に、そしてお互いの間にあらわれてくるのが、ほんとうの<和>ではないでしょうかね。


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2019/04/02

なんちゃってパッタイと15年の友




きょうも満開のご近所ソメイヨシノ。
東京の人が書いてるブログで見た目黒川のライトアップがきれいだったー。
そして日本のお花見って、屋台があっていいよね。


明日は雨だそうです。
散っちゃわないといいけど、ソメイヨシノの盛りは今日くらいまでかな。



こちらも近所でよく見かけるこの白い花はなんだったけか。

ただいま、まったく知らない金融分野の契約書とハイソな旅の記事の翻訳が同時進行で、絶賛遅延中。契約書は参考資料なのだけど、コレスポンデンス文書ばかりだと思って受けた大きなパッケージのなかに大きな契約書がまるっと2つも入っててびっくり仰天。

ふだん法律翻訳なんてぜったい受けないので、主語が50個くらいあるような(<やや大げさ)長大な文章に目が白黒です。
久々に法律翻訳の教科書出してきたり(一応ある)、ほぼ毎単語ごとにぐぐっているのでもうまったく進みません。「およびに」と「並びに」てどっちが大きいんだっけとか永遠に覚えないで毎回ルックアップしてるし。
旅行記事のほうも楽しいんだけど固有名詞のリサーチがむちゃくちゃ多くて、ぐぐった先の記事までつい読んでしまうのでこちらもなめくじ以下の速度。どちらもプロとしてあるまじき1時間あたり出来高(ワード数)。少なすぎて笑えるレベル。そして世界にはなんとラグジュアリーな世界が多いことよ。ぢっと手をみる。


パッタイの生麺がご近所スーパーで売ってたので 、なんちゃってパッタイを作ってみました。レシピはこちらのサイトを参考に。

フィッシュソースは冷蔵庫にあったけどタマリンドペーストはさすがにない。でも梅干しで代用可能だって書いてあったので梅干しとフィッシュソースを煮詰めてみた。急に家中がエスニックな香りに!
もやしはあまり好きでないのでパス、ニラもないので青ネギで代用。
たくあんも残念ながらなかったのでパス。(こずもキッチンさん!いぶりがっこがおすすめですってよ!)
でもなんとなくそれっぽい感じになりました。うまうまで満足でした。

ラウラウちゃんに送ってもらったマジカルな<申年の梅干し>がついに底をついてしまったので、生活クラブの梅干しを信濃の敏腕翻訳者Yちゃんから送ってもらった。ありがとうございます。
梅干しはたいへん重要!



今朝起きたら、Gメールちゃんが自分の誕生日をひっそりとお祝いしていた。
おめでとうGメール。
15年か〜。長いつきあいだねえ。あなたがいなかったら私の生活は成り立ちません。
私の個人情報その他をいろいろご存知だと思いますが、どうか秘密にしておいてね。

無料のサービスにここまで人生頼っていいのかと思いつつ、便利すぎて手放せない。


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2018/12/29

言葉が思考に影響するプロセス


NOTEに、先月デジタルクリエイターズに寄稿した内容にすこし加筆して分割したのを載せました。ウェブだと長いので、6回にわけました。1回めはこちら。

年末年始にお暇がありましたら、ご笑覧いただければうれしいです。

こちらのビジュアルはカリフォルニア在住の東村禄子氏の作品です。



かっこいいですね。ほんとこの人才能あるのよ。




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2018/09/23

空の司令と類語辞典


ある日、ある空にこんなものが。

これはあれだろうか、バットマンを呼ぶマークみたいな何かだろうか。

『ガッチャマン』を思い起こしたのだが、科学忍者隊に招集がかかったのか。

(科学忍法 火の鳥) 

今日もどこかで誰かが戦っているのだな。

それはともかく、類語辞典を発見しました。

翻訳の訳語に行き詰まったとき(5分に1回くらい行き詰まることもある)、いつもこちらの「翻訳類語辞典」 を愛用させていただいていました。



そしてつい最近、こんな類語辞典が登場してるのを発見。
わたしが知らなかっただけで前からあったのかもしれない。たまたま検索でひっかかってみつけた。でも多分新しいのでは。


 「日本語シソーラス 連想類語辞典」。

「連想類語辞典」は「翻訳類語辞典」に輪をかけて語数が多く、うーんなんだっけなこんなときにアレを言ういいかたは、と煮詰まったときにカチカチと語をたどっていくのにとても便利。

なかには「ん?」「んん?」「おお?」と思うようなセレクションもあって興味深い。

これでドンピシャの言葉が見つかるというよりも、広いセレクションをざっとみてカチカチ言葉をクリックして、また広がるセレクションをざっと見るという作業を通してなにか思い出したりすることもある。

「翻訳類語辞典」は手作業で集めた感があるセレクションだけど、これは人が探してきたんじゃなくて、 エンジンが探してきたのかなって気がします。


しくみはわからないし、どなたがご提供くださっているのかもわかりませんが、日々活用させていただいております。ありがとうございます。


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2018/07/02

IJET-29




大阪へは、日本翻訳者協会のカンファレンスIJET-29に参加するために行ったんでした。

場所はキラキラしたグランフロント大阪。

参加したのは東京、仙台とこれで3回目。今回は350名くらいの参加者だったらしいです。

毎回企画を練って場所を確保しその他もろもろ運営される実行委員会の皆様には頭が下がる。



1日目のバンケットは新阪急ホテル。 雅楽の演奏つき。


かわいい「福娘」ちゃんたちも登場してました。日本だね。


ごはんは盛りだくさんでおいしかったんだけど。

なにか私が食べてはいけないものを食べてしまったらしく、しばらくして急にひどい腹痛に見舞われ、早々に帰りました。鴨肉かな。



デザートもおいしかったんだけど。欲張りすぎました。

この日は京都に泊まり。淀屋橋から京阪電車に乗るために駅まで歩くのが、つらかった。
駅までたどり着けないかもしれないと思うほど。

もうこれでわたしはだめかもしれないと思ったほどだったけど翌朝にはなんとか回復。
もう当分肉は控えようと思う。もともと腸がひよわなのだけど最近ますます年とともにひよわになっている。



京都までは特急で50分。今日はグランフロント大阪で「治一郎」という真面目そうな名前のついた高級バウムクーヘンを見つけて車内のおやつに。
なにこのバウムクーヘン。しっとりさ加減が半端ない。おともは午後ティー。

食べるだけじゃなくてちゃんとセミナーも出ましたよー!

辞書についての情報などがすごく役立った。やっぱりたまにはでかけていって同業の人の話を聴くものだとつくづく思いました。



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2017/06/06

愚妻とファンタスティック社員のあいだ



近所はあちこちバラが満開。そのへん一周してくるだけで植物園のよう。近所の園芸家さんたち、ありがとうございます。家が立て込んでくるとだんだん緑も少なくなっちゃうんだろうなー。

忘れてました。先月末にデジタルクリエイターズに掲載していただいたぶん。

*********

日本語でよくある言い方をそのまま英語にすると、時にとんでもないことになる(逆もまた真なり)。デビッド・セインさん&岡悦子さん著『その英語、ネイティブはハラハラします』(青春新書インテリジェンス刊)という本には、日本人がうっかりニュアンスを知らずに使ってしまう可能性がありそうな残念な英語表現と、その代わりに使うと良いアメリカ英語のよくある表現がたくさん紹介されていて、とても面白い。

その中で、
「会社のパーティーに夫婦で出席して、同僚に妻を紹介」というシチュエーションで、

「これ、うちの愚妻でして、もう、なんにもできないんですよ」

と、日本の人がいかにも言いそうな言葉をそのまま英語に直訳して言ってしまうと……というのがあって、爆笑してしまった。

「This is my foolish wife. She can’t do anything」

うわははは。たしかにアメリカでこんなことを言ったら、普通に頭がおかしいと思われるだろうし、最悪、奥さんが虐待を受けているのではないかと心配されて通報されちゃうかもしれない。まさか本当にこんなこと言う人はいないと思うけどね。

しかし、60代くらいの昭和サラリーマン世代ならともかく、今でも「愚妻」なんて言う人がいるんだろうか。と思ってググってみたら、「発言小町」の2016年6月の「夫が私を愚妻って呼ぶのがむかつく!」というトピを発見。トピ主を「日本の謙譲語を知らないのか」と叩く人あり、「そんなのいまどき聞いたことないよ」という人もいて、興味深い。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2016/0605/764852.htm

ちなみに「愚妻」とか「愚息」という言葉は、「私の」という意味を謙遜した言葉であって、単に「自分の妻」という意味であり「愚かな妻」という意味ではない、と主張している人がいるけど、要するに「バカな自分の身内です」ということで、どっちにしても褒めてはいない。むしろ「バカな自分」の属性としてしか身内の個人を認識していない、または「バカな自分」に取り込んでしまっていて、自立した人格とはみなしていないという意味で、欧米的な視点からみるとさらにヤバヤバである。

身内を自分の延長とみなして、その属性とか実績はけっしてソトに対して褒めたり自慢しない、という常識が21世紀になってもまだまだ日本の「美徳」とされているのは面白いなあと思う。

何が美徳であるのかについての社会的な合意は、「発言小町」の反応が真っ二つに分かれてるように、どんどん変わっている。とはいえ、やはりざっと見た感じでは、「それが日本の常識でしょ、何いってんの」という意見のほうが多かった。日本の美徳はしぶとい。または、美徳にまだ何のヒビが入っていなかった時代の社会への郷愁が、しぶといのかもしれない。

社会の構造が今よりもカッチリしていた頃、「愚妻が…」という言葉を使う人はたぶんある一定の身分を持った男であり、おそらくその一家の唯一の稼ぎ主であったはずだ。教養もあり卑しからぬその人が「愚妻が」というその妻は家を守るだけの賢さはきちんと持ち合わせた育ちの良い妻でありそのことを夫も誇りに思っているがそんなことは教養ある者が人に言うべきことではないので謙遜しているのだよ、と、聞く側も説明がなくてもひと息にちゃんと了解できていた。こういうのがつまり文化的なコンテクストというものであるのは間違いない。

日本人が身内や自分を褒めないのはその文化的なコンテクストゆえだが、そのコンテクストがやっぱり少しずつ、コンクリで固めても固めても岸辺が波に侵食されるように崩壊しつつあるのだと思う。

社会の構造は大きく変わっているのに、文化的な了解事項はたぶんいつも少し遅れてついていく。そこに葛藤が生まれないわけがない。

日本の文化はペリーの黒船来航以来、160年以上にわたって、ゆっくりと崩壊していく、または変わっていくコンテクストへの対応に苦しんできたんじゃないかと思う。節目節目で社会は大きく変わりながら、その苦しみはまだまだ続いている。これは特に日本だけの現象じゃなくて、どこの国でもそういう新旧の軋轢は当然あるはずだ。(アメリカでも、たとえば世間一般の了解事項が大きく変わるのにつれて、マイノリティやジェンダーや宗教にまつわる言葉には大きな変化があったし、今でもそのへんには大きな軋轢がある。)

ところで、アメリカ人はとにかく身内を褒める。

息子が小学生の頃、サッカーのチームの親たちが、自分の息子もよその息子もわけへだてなく、褒めて褒めて褒めまくっているのがなんとも眩しかった。
こういう文化なんだと頭ではわかっていても、やっぱり日本で生まれ育った私は「Sくんは足が速いね」「…が上手だね」などと他の親に褒められると、「いやいやいやいや、でも小回りが利かないんですよ」「でも……はできなくて」など、何か別の案件を持ち出して速攻否定したくなる衝動を抑えられないのだった。

夫婦でも、自分の旦那様や奥様のことを「彼は料理が素晴らしく上手なのよ」とか「彼女はいろんな分野に精通してて、すごくクリエイティブなんだ」とか、何の留保もなく、率直に、100パーセント、よく褒める。

親子でも兄弟姉妹でも、とにかくソトに対してもお互いの間でもよく褒める。しかも、本心からそう思って言ってるのだ。少なくとも本人は本心だと思っているに違いない。

「健全な精神を持つ大人は、自分や身内を肯定的に捉え、それを世間に躊躇なく宣伝するべきである」というのが米国の社会常識、文化コンテクストだといっていいと思う。実際に行って見てきたわけではないけど、読んだり聞いたりした話ではほかの西欧諸国でもそうなのらしい。

会社文化にも、この違いははっきり表れている。

この間、携帯電話のキャリアを替える手続きにウェブのチャットを使った。こういうチャットや電話でのカスタマーサービスは、途中で別の部署の担当者が出てきてプロセスを引き継ぐことがある。この時も最初にでてきたチャットの担当者は、私が他社から乗り換えで新規にアカウントをあけたいと希望しているのを確認すると、新規顧客の担当に引き継いだ。

そして次に出てきた担当者のセリフ。
「It looks like you were last engaging with our fantastic chat advisor Joe and you were interested in the XXX plan …..」
(うちのファンタスティックなチャットアドバイサー、ジョー君とチャットしてたようですが、その話によるとあなたはXXXプランに興味があるようですね…)

ファンタスティックかよ!と思わず静かに心の内で突っ込みを入れずにいられなかった。

日本のカスタマーサービスで、
「弊社の素晴らしいアドバイザーがこのように言っておりましたが…」
なんて言ったら、若干頭のヘンな人と思われてしまうのではなかろうか。

わたしが東京にいた20世紀後半から比べると少し変わったのかもしれないけど、日本の会社文化からこの「ウチ・ソト」意識が消えることも、まだ当分はないのに違いない。その反対に、アメリカで内外に向かって社員を褒めたたえる文化はますます加速しているようにみえる。

「愚妻」と同じで、日本の美意識では、家族なり会社なり、属するグループの身内をひとまとめにして捉えて、ソトの人たちをそれより高いところにあるものと(仮に)想定してへりくだるのが折り目正しい社会人の態度とされる。

アメリカの企業は、内外に向かって、「ウチの会社では社内の個人もこんなに尊重してるんですよ!」ということを宣伝する。

アメリカ人が書いた英語の会社情報などを日本語に訳していると、こういった、ウチ・ソト意識の日本の常識との間のギャップに悩むこともある。

日本の会社ならば社内の人間に敬称をつけず、身内のこととして謙譲語を使うのは常識だけど、アメリカにはその分け隔てはない。たとえば社員を褒めたたえている広報資料があったとして、それにどこまで日本式の「へりくだり」ニュアンスを入れて訳すべきなのか?

すべてを日本式にして謙譲語を使うのも正しいとはいえない。会社の持つ文化や主張がアメリカ式のスタンダードなら、それはそのまま伝えるべきだ。でも読者に傲慢な印象を与えては広報の意味がない。

そのへんはもちろん最終的にクライアントさんの判断になるものの、翻訳者としてどのような提案をすべきなのかは悩みどころである。

特にクライアントさんに日本語ネイティブスピーカーがいない場合などは「こういう場合、これが日本の標準ですよ」といちおう胸をはって提案してみるものの、媒体により、読者により、場合により、正解は一つではないので、常に悩ましいのだ。



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