先週末に行ったバラードダウンタウンの「Stoneburner」。
卵とポテトとソーセージがのっている「ブレックファストピザ」と、チコリとアボカドと卵のサラダ。このサラダめっちゃおいしかった!
ところでレイワですね。グーグル日本語変換にはまだ出てこないよ。大丈夫か。
例話でも礼和でも例羽でもないよグーグルちゃん!
万葉集の「天平2(730)年に開かれた梅花の宴」の序文からとった、 「初春令月、気淑風和」。「初春のこの良い月に、気は良く風はやわらか」という意味、だそうですよ。ふーん。
「れいわ」ちゃんて、女の子の名前みたいで(レイア姫からの連想か?)優しい感じだと思ったけど、ほんとに柔らかい意味なんだ!
ていうか、万葉集。
「万葉集から取りました」てきくと、ふーん、和歌から取ったの、と思っちゃうけどそうではなくて、大伴旅人さんが、「梅花の宴」で詠まれた歌を紹介するための序文を漢文で書いている、その序文の中から取られた「令月」の「風和」なんですね。
しかしこの序文がそもそも中国の古典を元ネタにしてると、岩波書店の方がツイートしています。
(ここから引用)
新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』https://www.iwanami.co.jp/book/b325128.html … の補注に指摘されています。 「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」とある。」
(引用ここまで)
大伴旅人さんが書いた序文は、漢詩を引いていたんですね。
当然この当時のエリートは、中国の詩を小さい頃からいくつも暗誦し、精通していたはずですから、そういう引用がさらっと出てくるのが教養というものだったので、当時の読み手だった教養人もそれを承知していたはずです。
しかしいままでの元号ってすべて中国の漢籍を典拠としていたというのは知りませんでした。
ていうか考えたこともなかったけど、そうか、元号って適当に漢字組み合わせるんじゃなくて一応の(<失礼)典拠があるもんなんですねぇ。
そして漢字であるからには、やっぱり本家、中国の古い文書に求めるものなんですね。
明治以前までの日本のアカデミックな文化の核は、漢籍。
平安時代から明治にいたるまで、偉い人(つまり男の学者)が修めるべきであったのは漢文で書かれた文書や漢詩だったんですもんね。
万葉集の本文である歌を元号の典拠にできないのは、それが漢字じゃなくて仮名でかかれたものだから、なのだそうです。
わたくし本当に教養がないので、ふつうに日本の高校で古文を習得してたら誰でも知ってることなのでしょうが、万葉集で使われている「万葉仮名」というのが漢字の当て字であることをわりと最近知って、(万葉集の文庫本で漢字だけの「原文」が併記されているのを見るまで知らなかった!)けっこう衝撃を受けました。
そうだった、まだその頃はひらがなができてなかったんだった!と。
こんな万葉仮名一覧もあった。素敵。
みんなかなり適当に好きな字を使って歌を詠んで(書いて)いたんじゃないか?
ということは、昭和の暴走族文化の「夜露死苦」的な表記はかなり正統な日本語の感性を受け継いでいるということかも。
万葉つながりで、大和…じゃなくて紀伊半島のもっと奥の「隠国」(こもりく)の山の写真を出してみました。こもりくって響きが素敵です。
去年の夏に行った、愛する奥熊野。またいつか行けるかしら。
この写真見てると涙でるほど好きすぎる。すごく優しい場所です。行きたいー。
それこそ「風やわらか」な土地。
そういえば、このへんの旅日記を途中でほったらかしにしてたのでした。
…イタリア日記も途中だった。
いろいろ途中なものが多い、平成最後の4月。あわあわ。
ともかく、新しい<令和>が名前のとおり、風やわらかでほのぼのした時代だといいですね…。
そういえば平成の3分の2以上は日本の外で生活してたんだなあ、としみじみ思っちゃいました。
来月からの令和時代もどうぞ夜露死苦。
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