2017/07/31

お尻コレクション、マンティコア、飴屋


メトロポリタン美術館、閉館後は観光客が難民のように群がり、大道芸人がエンターテイメントにやってくる。


 メトロポリタンの美しいお尻たち。悲劇の家族のお尻。


くまの家族のお尻。アメリカ館のカフェテリアのところ。
2日連続で、このお尻を眺めながら休憩した。


でもやっぱりナンバーワン美しいお尻はペルセウス。


カレーの市民たち。


大きな手が迫力です。

18世紀のオーストリア製「マンティコアの像」。

ビートたけしに似ておる!

マンティコアってなんだ?とGoogle先生に聞いてみると、

(以下ウィキペディア)

その姿は、体の色は赤く、尾はサソリのそれに似た形状で、そこに毒針があり(毒が無い代わりに矢のように飛び散る24本の棘と数がはっきりしているものや、太い1本というものもある)、それで相手を刺したり相手に槍のように投げつける。3列に並ぶ鋭い牙を持つが、顔と耳は人間に似ている。大きさはライオンぐらいである。走るのが非常に速く、人間を好んで食べる。

…だそうです。ふーん。しかしこのロココのマンティコアは、あまり凶暴そうではないね。



干支の人たち。

そうそう、秦の始皇帝陵で出土した武士たちも来ていました。
展示を見ていると、中国人のおば様から中国語で何か尋ねられ…わかりませんでした。

中国古代の鏡。

美術館は連続2時間が限度かもしれない。それを超過すると、なにかもうどこかがパンパンになって非常に疲れる。


1日半で、いちおう隅から隅まで歩いたものの、エジプトの部屋とかギリシャの部屋とかは文字通り通過しただけ。
モダンアートもアメリカ棟も、さーっと見るくらいの時間しかなかった。


これも有名な、1851年に描かれたロマンチックな絵『デラウェア川を渡るワシントン』。独立戦争の時のジョージ・ワシントンを描いてるやつです。

すんごい巨大な絵だった。今回のニューヨーク旅行では、19世紀のニューヨークの帝国趣味をじっくりとっくり拝見した感じでした。



そしてこちらは1893年にロバート・ブラムさんという画家が描いた『飴屋』。
1890年(明治23年)から1年半日本に滞在したという。



この時代のリアルタイムの記録をカラーで見ることってないので、これはちょっと新鮮で衝撃的でした。
飴細工やさん、わたしは実際見た記憶はないんだけど、うちの母が子どもの頃にはよくお祭りなんかに来てたそうです。

こういうおっさんが、吹きガラスのようにぷぅぷぅ吹いて飴を精巧な形に作るのだとか。
衛生的にはちょっとどうなのよと思うけど。

くらいついて見ている子守の子どもたち、爆睡する赤ん坊、牛丼屋、車屋さん。
うちのお祖母ちゃんもこんな感じで飴屋さんをかぶりつきで見てたのかもー。

こちらはゴヤの絵の一部。
鳥をかぶりつきでみる猫たち。


エル・グレコの部屋。

そういえば、12歳のクローディアは家出中にも「今日はこの部屋のお勉強をしましょう」て、弟と一緒にカテゴリー別に美術の勉強をしてました。

お尻とか猫とか変なケモノを見てよろこんでるおばちゃんとは違いますね。

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2017/07/30

家出少女の隠れ家



メトロポリタン美術館は広いよ、1週間くらいないと全部は観られないよ、ときいていたのだけど、いや本当に広かった。

ヨーロッパ彫刻、ヨーロッパ絵画、中世、モダンアート、アジア・アフリカ、ギリシャ・ローマ、エジプト、アメリカ美術。
どの部屋もちょっとした小美術館以上の規模でした。


そして天井が高い。3階分吹き抜けのスペースもたくさんあって、とにかくスケールが大きい。それこそ、モルガンさんの頃の、さーこれからブイブイ行きますよーというアメリカの勢いが感じられますね。


このスペースの使い方も贅沢だよねえ。


スターバックスのサイレンさんがいた!
16世紀のイタリアのもの。


 もう教会ごと持ってきちゃいました的な。


この柵は18世紀スペインのものだそうです。教会で、合唱隊のいる場所をわける仕切り。
『市民ケーン』のモデルになった新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストさんの財団が寄付したもの。


「American Wing(アメリカ棟)」の吹き抜け。
子どもの頃、カニグズバーグの『クローディアの秘密』という本が好きだった。

12歳のクローディアが弟を連れて、メトロポリタン美術館に家出する話。

バイオリンのケースに着替えを詰めて、閉館時に人がいなくなる時にこっそりと物陰に隠れ、昼間は何食わぬ顔をして美術館を見て歩き、展示してある彫刻について一大発見をする…という冒険の物語。

たしかにこれだけだだっ広いなら子ども2人くらい迷いこんでもわからないかも、なんて思えてくる。1968年の話だから、今よりももっとのんびりしてただろうし。

この話にも、美術品コレクターで、彫像を美術館に寄付したお金持ちの老婦人が出て来るのだった。


手元にいま本がなくて、細かいところはうろ覚えなのだけど、 展示されているマリー・アントワネットみたいなベッドに寝てみたらあんまり寝心地が良くなかった、みたいな場面があったような。
 


そして、たしかクローディアがお風呂の代わりに噴水で水浴びをする場面があったと思うのだけど、その噴水ってこれかしら?


あまりキレイな水ではないよ。

また読み直してみよう。


マダムMも「ここに住みたい♡」とおっしゃってましたが、でも夜中に一人でここに隠れているのは嫌だ。

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2017/07/29

アーヴィング・ペンの吸い殻


メトロポリタン美術館で見たもう一つの企画展は、アーヴィング・ペンの写真展。
これは点数はそんなにたくさんなかったのだけど、充実でした。

私がむかしから大好きな写真家ーの一人。広告写真の神様的な存在です。
亡くなったのは2009年。わりと最近だったのね。

アーヴィング・ペンといえば、Cliniqueの広告写真が有名。


1968年からクリニークの仕事をしていたそうですが、わたしが最初に見たのは80年代後半かな。一時期、日本のファッション雑誌のほとんどが、表紙裏の見開きにクリニークの広告を掲載していた気がする。それが本当に衝撃的だった。

たしか最初に見たのは黄色いローションの写真で、とろりとした液体が生きもののようにリアルで、なんだかわからないけどものすごい迫力だった。

こんなにシンプルなモノをこんなに印象的な写真にすることができるんだ!と、毎回食い入るように眺めていました。

そしてたしか、その頃、東京のどこかでやったアーヴィング・ペンの写真展に行って、そこでまた衝撃を受けたのだった。
 


トルーマン・カポーティのポートレート、1948年。

この後ろが鋭角に閉じた荒々しいほどシンプルな背景が、当時ものすごく斬新だったのらしい。被写体を追い込むようなセット。

でも多分、心理的な意図よりも、静物写真と同じに絵のすべてをコントロールしたいというあくなき執念から生まれたのではないかと思う。


1940年代はじめにヴォーグ誌のアートディレクターだったアレクサンダー・リーバーマンに呼ばれてヴォーグの誌面のレイアウトの仕事を始め、本格的に写真を撮るようになったのはその後なのだそうで、2年後には表紙を撮っている。

ファッション写真も広告業界も黎明期。今から考えたらのどかな世界だったのかも。


ペルーのクスコに旅行して、地元のスタジオを借りて「ちょっと撮らせて」と地元の人を撮ったポートレート。


太めの人のヌード。1949〜50年。
人も静物も、対象そのものの形やありようと、それをどうしたら完成した絵にできるかということにひたすら関心があった人なのだと思う。



 ピカソ氏。


昔、東京で見た展覧会で一番衝撃的だったのが、この煙草の吸い殻シリーズ。

ニューヨークの路上で拾ってきた吸い殻を撮影した連作。
これが広告写真と同じように緻密な構成で撮影され、引き伸ばされて、壁を飾っている。

えーこんなのアリなんだ! と驚き、靴で踏み潰されてマンホールの横に落ちていたような吸い殻が、隅々までコントロールされた画面に置かれると、珍妙で美しい物体に見えてくるのに、ほんとにびっくりした。 精密に現像されて焼かれた「もの」としての銀板写真の美しさを初めてつくづく感じたのも、この連作でした。


このシリーズは1972年の作品。ペンは煙草が嫌いで、メンターとして敬愛していたアートディレクターのアレクセイ・ブロドヴィッチが(ヘビースモーカーだった)が癌で亡くなった後にこのシリーズを作ったそうです。



まだ煙草会社は煙草が健康に悪いと認めず、アメリカがん協会との間で激しいバトルを繰り広げていた時代です。

『マッドメン』にもラッキーストライクの最悪ないじめっ子クライアントがでてきました。

またこの写真が見られて嬉しかったー。やっぱりすごいです。

クリニークの写真を見て以来、世の中にはすごい写真家がいるんだー!と、私の中では崇拝の対象だったのだけど、そのわりに、すげー!だけで満足して、特にこの人の仕事についてもっとしっかり知ってみよう!とかにはならなかったところが残念な、80年代のわたしでした。今あの時のわたしに会ったら、8時間くらいかけて説教したい。でも聞かないんだな、これがきっと。


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2017/07/28

街の性格 シアトルとニューヨーク


先月デジタルクリエイターズに掲載していただいた原稿をアップしてなかったのに気づきましたので、いまさらですがアップします。

ニューヨークとシアトルを比べてみたの記です。




今月、10日間ほどニューヨークに行ってきた。ひょんなことで急に決めた、人生初のニューヨークシティ。
同じ大陸の東と西だけど、8年住んでみたシアトルとはいろんな面で正反対で面白かった。

非科学的で主観的な観光客の感想として、シアトリートとニューヨーカーの特徴をちょっと比べてみた。



だいたいみんな急いでいる。

ニューヨークの人はとにかく歩くのが早い。
みんなどこかすごく急いで行くべき場所があるらしい。

しかし東京と違うのは、誰も信号を守ろうとしないこと。

車が来てないのに赤信号を守っている歩行者は子連れの観光客くらい。左右をさっと見て早足で赤信号を渡っている人々に囲まれていると、ぼーっと信号待ちをしているのは人生に対して受動的すぎる態度であるような気がしてきて、マネして急ぎ足で赤信号を渡らずにいられない衝動にかられる。
別にそんなに急いで行くところはないんだけど。

シアトルの人は、わりと律儀に歩行者信号が変わるのを待っている人が多いのだ。あまりガツガツと前に出るのをよしとしない美学が無言のうちに共有されてる気がする。

車の運転も同様。

シアトルのドライバーは、本当によく道を譲る。

横断歩道でないところに立っている歩行者のためにわざわざ停まってくれることも珍しくない。もちろん横から出てきた車にも、9割以上の確率で道を譲ってくれる。

信号が青に変わったのに前の車のドライバーが気づかずに動き出さない時も、シアトルのドライバーたちはすぐにクラクションを鳴らさず、礼儀正しく1、2秒待ってから、あまり攻撃的に聞こえないように遠慮がちに短くプッと鳴らす。
 
ニューヨークの交差点で信号が変わったのに気づかず動かなかったら、0.01秒の猶予もなくブーブーやられるのは間違いない。
横断歩道を渡る歩行者を待っている車にもすぐ後ろからブーブーブーブー鳴らしてたくらいだから、ニューヨークのドライバーにとってクラクションは単に一種の自己表現なのかもしれない。どの交差点でも必ずブーブー鳴っていないことはなかった。

ニューヨークでは空港からの往復も含め、何度かUberを使った。

空港からマンハッタンへの道で渋滞にはまったので「いつも何時頃が渋滞なの?」と聞くと、運転手さんは疲れた顔で皮肉に笑って「ALL DAY」と答えた。とにかくマンハッタンはいつでも混んでいる。

そしてニューヨークのUber運転手は、みんな運転がものすごくアグレッシブだった。1秒でも早く目的地に着いて次のお客を拾うため、アクロバティックにあっちこっちに車線を変え、ちょっとでも渋滞しているとすばやく別の道に切り替える。

見事な職人業だが、乗ってるほうは生きた心地がしない。
でもたしかに早い。Googleマップでは空港まで58分になってたのに、Uberのアクロバット運転手のおかげで40分もかからなかった。

メキシコシティのタクシーもまじで超人技だったけど、ニューヨークの運ちゃんも動物的カンと、車と一体になっているかのようなはりつめた運動神経が発達しているようであった。


ファッショナブルな人がいっぱい。

シアトルの人の格好はなんとなくみんな良く似てる。

清潔でナチュラルで控えめで、気負わないのが身上みたいなところがある。
シアトルで見かける白人の20代〜40代男子の典型は、チェックのコットンのシャツ、よく手入れされたほお髭、パタゴニアかノースフェイスの薄手のダウン、地元ブランドの革のカバン、といったところ。

女の子も垢抜けた自然志向といった感じで、タトゥーは入れててもメイクアップをしてない子もけっこういる。

IT企業にお勤めの皆さんとカフェのバリスタさんの違いは顔についてるピアスの数とタトゥーの数くらいで、傾向はあんまり変わらない。
そのまま釣りやキャンプに行っても違和感ないようなアウトドア志向のリラックスしたお洒落。

ニューヨークでは、頭のてっぺんから爪先まで気合がはいったお洒落をしている人が、次から次へ町角にあらわれる。

黒人のおばちゃん、イタリアンのおっちゃん、つば広帽子のマダム、『ゴシップガール』に出てきそうなお金持ち系女の子たち、派手なプリントと金のシューズを組み合わせたゲイの男の子。

それぞれ揺るぎない自分の世界にありあまる自信をもっていて、人がどう思うかはまったく気にかけていないらしいのが、壮観だった。


機嫌が悪い人も多い。

ニューヨークでも、アップスケールなカフェとかショップとかお洒落界隈のレストランでは、もちろん店員さんたちはプロフェッショナルなフレンドリーさで接してくれる。

でもニューヨークには不機嫌さを隠そうとしない人も多かった。

観光地のカフェの店員、美術館のチケットカウンターの係員、Uberの運転手、といった人々の中に、ものすごく感じのいい人とものすごく無愛想な人がいる。

シアトルのサービス業でそれほどむき出しに無愛想な人はめったに見ないので、ちょっと新鮮だった。

こういう人々はとくに根性がねじ曲がっているのではなくて、単に客のために自分の不機嫌を取りつくろう必要を感じていないだけなのだ。そう思うとむしろ清々しくさえ見えてくる。

愛想がない人が多いから、すなわち余裕がなくて冷たい人ばかりかというと全然そうでもない。

自転車シェアリングのステーションに自転車を戻して去ろうとしていたら、通りすがりの車の運転手が運転席の窓から「ちゃんとロックされてないよ」と教えてくれた。

道を聞けばみな面倒がらずに教えてくれる。ベビーカーに子どもをのせたまま地下鉄に乗っても、もちろん誰も非難しない。

マンハッタン名物、ごみの山。とにかく道路が汚くてびっくり。
というか、シアトルが例外的に綺麗な街なのかも。

内向的な街と外向的な街。

シアトルはかなり均質な街だ。
街の中心部は圧倒的に、礼儀正しくてリベラルでインテリで所得が高い白人の中流層が多い。マイノリティの多いエリアの文化とメインストリームの文化はおおむねおとなしく共存しているだけであまり混ざることはない。

ニューヨークシティももちろん、層やエリアがいくつもあって住み分けがくっきりしているはずで、たとえば5番街のマダムたちとクイーンズから通ってくる移民の店員の世界は全然違う。

でも、マンハッタンという狭い場所にありとあらゆる多様な世界がひしめきあって隣りあってることで化学反応みたいなものが毎日あちこちで起きて、静かに爆発したり融合したりしてるらしいのが面白い。
 
どちらの街もいま景気は良くて、あちこちで工事中だし、ジェントリフィケーションが進んでキレイになっている。どちらの街もエネルギーが強いけど現れ方が違う。

ステレオタイプを承知でいえば、シアトルは小奇麗で内向的、ニューヨークはガチャガチャしてて外向的。まあそんなラベリングにはあんまり意味はない。

シアトルもニューヨークも、アメリカの中ではものすごく珍しい場所なのは間違いない。

シアトルにおっとりした人が多いのは、IT系のギーク君たちが人口のかなりの部分を代表しているから、だけではなく、冬は温暖で夏は涼しい気候、平均して高い所得、成長産業があること、衝突が少ない社会構成と、自然に囲まれた環境、…といった要素があるんだろうな、と、蒸し暑いニューヨークから帰ってきてぼんやりと思うのだった。

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バイリンガルのコスト




(これはシアトルの南のほうで見かけた街角アート。作者さんは存じませんが、一筆書きっぽい力の抜けた顔がなんだか好き)

デジタルクリエイターズで先日掲載していただいた記事です。

編集長がまぐまぐに推薦してくださって、そっちに載ったら『日本の親が気づけない「子供をバイリンガルに育てたい」の危険性』というなんだか刺激的な記事になっていてあせる。危険って〜!その言葉は使わなかったんですけど〜!(;・∀・)

デジクリの編集長は「炎上するといいですね♡」って、おーい。

私にはとてもできないような努力を傾けて、慎重にバイリンガル環境でお子さんを育てている人もたくさん知ってるし、バイリンガル教育を全面的に否定してるわけじゃないんですよ。とわかっていただけるといいのですが。

ということで再録します。


(いま休館中のシアトル・アジア美術館で見たツボ)

(ここから)


日本では子どもの英語教育に熱心な親御さんが多い。

日本では義務教育で6年間英語を学ぶのにほかの国に比べて英語力が低い、なんとかしなければ、という議論をよく耳にする。小学校でももうすぐ英語とプログラミングが必修になるとか。

私は英語教育についてはまったくの門外漢でしかないが、大人になってから英語をなんとかかんとか身につけ、英語圏で生活して、英語と日本語の環境で子育てをした立場で、つまり日本の英語教育については完全に外から眺める立場で、思うことをちょっと書いてみる。

英語教育の現場に立っていらっしゃる方から見るとピントが外れていたり、何をいまさらと思われるかもしれないが、部外者の勝手な感想だと思ってスルーしていただければ幸甚である。

日本の、特に子どもの英語教育で違和感を感じるのは、それが「芸」としてのみ捉えられているようにみえるところだ。

日本の人は芸事が好きで、特に試験とレベル分けが好きだ。

お茶でもお花でもスポーツでも書道でも将棋でも、級や段が細かく分かれていて、少しずつレベルアップしていくシステムが浸透している。これが英語にも適用されていて、TOEICや英検などが英語力の目安になっている。

もちろん、レベル分けそのものが馬鹿げているなんていうつもりはない。
自分のスキルを一般的な基準に照らしてチェックするのは必要なことだと思うし、やる気にもつながる。

でも、子どもの言語力にこういう考え方を当てはめるのは意味がないと思う。

もちろん言語はスキルには違いないのだけど、同時に言語は文化であり、思考プロセスそのものの一部であり、その人の内面の大きな部分を構成する要素でもある。
そのことが、英語教育の議論ではほとんど無視されているように見えてならない。

バイリンガルとはなんなのか

ネットを見ていると、「子どもをバイリンガルに育てたい」と希望している人が多いことに驚く。海外で苦労しながらバイリンガル環境で子育てをしている人から、日本にいながらにして子どもに英語を身につけてもらいたいと熱望して英会話スクールやインターに通わせている人まで、本当にたくさんいるらしい。

でも彼らが子どもたちに望んでいる「バイリンガル」像ってなんだろう?というのが、よくわからない。

「バイリンガル」といっても、ものすごーく色々である。
私はハワイでもシアトルでも、実にありとあらゆるバイリンガルの人に出会った。

2カ国語で会議ができる人、読み書きはどちらか一方でしかできない人、聞くだけならわかる人、長年ハワイにいすぎて母語の日本語の方が怪しくなってきている人。

ハワイは特に観光業が主要産業で、日英両方が流暢に喋れる人はホテルのフロントからツアードライバーまでもう本当にたくさんいた。

有象無象のバイリンガルの中で最高峰の言語能力を持つのは通訳者の皆さんであるのは異論がないと思う。私は同時通訳ができるレベルでは全然ないが、通訳の勉強も少しだけしたことがあり、同時・逐次通訳者さんたちの超人的な技能を間近で何度も拝見した。

会議通訳の業界では、通訳者が仕事で使える言語(working language)をA言語、B言語、C言語と分けている。
参考:ワーキングランゲージ

A言語は「母語」。生まれ育った国(または地域、民族)の言語。

B言語は「完全に流暢に喋れる」が、母語ではない言語。
通訳者はこの言語への通訳もするが、多くの場合は逐次通訳のみ、同時通訳のみなど形式を絞ることが多い。

C言語は、聞けば「完璧にわかる」が流暢には話せない言語。通訳者は自分のC言語からB言語やA言語への通訳はするが、C言語への通訳はしない。

A、B、C言語を持つ通訳者はどの組み合わせでもレベルの高い「バイリンガル」だが、通訳者の間でもA言語、つまり母語を2つ持つバイリンガルというのは非常にまれだという。

中にはA言語を持たず、B言語のみ2つ持つという人もいると聞く。たとえば両親の仕事の都合などで、外国を転々として育った人の場合など、完璧な読み書きや会話の能力を2つ以上の言語で持っていても、そのどちらにも母語といえる背景を持たないこともあるとか。

ではA言語とB言語の決定的な違いはなにか、というと、私が通訳の授業を受けたハワイ大学のスー先生は
「子ども時代の歌や童話などに通じているかどうか」
「ジョークがわかるかどうか」
を例として挙げていた。

つまり、言語の背景にある文化の厚みが身についているかどうか、ということ。

文化はとてつもなく入り組んだ、とてつもなく膨大な情報だ。
言語の機微はその文化の一部。ある文化の中に生きる人が共有する価値観、なにがタブーなのか、なにがイケてるのか、といった皮膚感覚のような非言語情報まで把握していないと、冗談はわからないことが多い。

バイリンガル環境で子どもに2つの言語を完全に習得させようとするのは、2つの文化をまるごと理解させようとすることだ。それがどれほど莫大な情報量なのかがあまりわかっていない親御さんも、特に日本でバイリンガル子育てをしようと試みている方の中にはもしかしたらけっこういるのではないかと思う。

バイリンガル教育の投資効果

私は言語というのはコンピュータのオペレーションシステムのようなものだと思っている。

コンピュータのハードウェアにもスペックや個性があるが、OSをのせて初めてその他のアプリが動かせる。

日本語と英語のように構造の違う言語を同時に動かすということは、MacOSとWindowsを同時に走らせるようなもので、かなり脳のリソースを食うもの。しかもそのOSがふたつとも構築の途中であれば、構造全体がグラグラすることだってある。

子どもをバイリンガルに育てたいと思う親御さんは、それだけのことを子どもの脳に要求しているのだときちんと認識しておくべきだと思う。

これはうちの息子の教育方針について元夫と意見が割れてケンカになった時からずっと考えていることで、当時は理路整然と説明できず単なるケンカに終わってしまった。

元夫はアメリカ人で完全なモノリンガルだったが、子どもはバイリンガルにしたい、どうしてもっと日本語を教えないのか、といい、私は別にそんなしゃかりきに2言語で育てなくてもいい、頭の基礎が固まるまでは英語を重視したいという意見だったので、子どもが幼稚園に入る前に大変なケンカになったのだった。

思うにモノリンガルの人ほど、子どもをバイリンガルにしたいという過剰な期待を持ちがちなのではないかという気がする。

あんまり誰も言わないようだけど、一時的にせよ恒久的にせよバイリンガルになるかどうか、どれだけ早く第二言語を獲得して使いこなせるかは、教え方や環境よりも、むしろその子どもの生来の能力によるところが大きいのではと思う。特に小さいうちは。コンピュータの比喩でいうと、ハードウェアのほう。

音感やリズム感、運動能力と同じで、言語の獲得や記憶にも得意・不得意があるのは当然なのだ。

ごく一般的には女の子のほうが言語能力は高いようだし、同じような環境で育った兄弟にも言葉が早い子と遅い子がいる。

私は自分の息子が1歳くらいの時に、こいつは特別に言葉のカンがいい感じじゃないから、とくに2言語を強要するという無理はさせないでおこうと直感で決めた。

それも親の勝手であって、見ようによってはただ単に親の怠惰を正当化しているだけかもしれないし、貧乏で日本語補習校などには通わせられなかったという事情もある(その後結局離婚してしまったのでバイリンガル環境どころではなかった)。

でもその後も、この子は大学までアメリカで教育を受けるのだから、とにかく英語できちんと読み書きと算数ができるようになるのが優先、その次がスポーツと音楽、日本語は興味が持てそうなものを目の前に出しておくくらいにして手を抜こうと意識した。

結果、それで良かったのかどうかはわからないが、まあ全面的に間違いではなかったと思う。小学校からサッカーをやっていたのが自分の居場所になったようだし、特別優秀な子どもにはならなかったけどそこそこ普通の学力をつけて自分のしたいことを見つけられた。日本にも深い興味を持っている。日本語は小学生レベルで、もちろん仕事が出来るような日本語能力ではないが、本当に日本語を使う必要がでてくれば自力でなんとかするだろう。

お金と時間と労力は限られているから、何をやるかは何をやらないかの選択でもある。

バイリンガル教育に乗り気でなかった理由には、コストパフォーマンスの問題もある。
早期の言語教育というのは、投資効果があまり高いとはいえないと思うのだ。

高い言語能力を2カ国語で維持するのは子どもにとっても大変だし、親にとっても高いコミットメントが必要。時間もかかるし、お財布にも脳にも相当な負担がかかる。
仮にそうして完璧なバイリンガルに育ったとしても、それで生涯の収入が約束されているわけではないし、逆にそのことでキャリアパスへの意識が言語のほうに偏ってしまう可能性もあるのではないかと思う。

2つの言語ができるというのは確かに素晴らしいスキルではあるけれど、職業的な成功の上で最も大切なスキルではない。

それに、早い段階での言語能力は大人になってからのスキルや能力と直結しているわけではないと思う。

(ちなみに第二言語の獲得に臨界期があるというのは不思議な都市伝説だと思う。通訳者も含め、第二言語をアカデミックなレベルで使いこなしている人には中学や高校以降にその言語を学んだ人が多い。直接の知り合いで日本語の複雑な資料を読みこなせる英語のネイティブが5人いるが、その全員が高校以降に日本語を学んだ人だった。そのうち1人は中国語もほぼ完璧で、現在は米国資本の銀行の上海支店長かなにかをしているらしい。日本人で米国の会計士や弁護士の職についている知人も中学以降に英語を始めた人ばかり。逆に、小さい時からバイリンガルの人には意外と向学心がなかったりする場合もある。)

子どもは覚えるのも抜群に速いけれど、忘れるのも速い。就学前に異国で学んだ第二言語を故国に帰ったらすっかり忘れてしまったという例もたくさんある。

中学生くらいまでは、子どもの脳はフル回転で情報を整理して世界を構築している時期だと思うのだ。不要な情報はさっさと忘れてしまう。
だから、その時期に子どもの獲得した言語能力について一喜一憂するのはあんまり意味がないことだと思う。

子どもにとってもっと大切なことは、他にある。

身体にそなわった感覚をフルに使って経験値を高めること、思考力を鍛えること、安定した自信を築くこと、他の人への共感を深めること、コミュニケーション力をつけること、知りたいと思う意欲を伸ばすことなどだ。もしも、第二言語を身につける努力のためにそういった能力を伸ばす機会が大きく損なわれるなら、それはとんでもないコストになる。というのが、私がうちの息子に第二言語である日本語をプッシュしなかった言い訳だ。

とはいえ、バイリンガル教育がいけないとかムダとかいうつもりはまったくない。
優れた教育の場で複数の言語に触れながら育つのは素晴らしいことだと思うし、2言語をバランス良く獲得することが心や身体の真の基礎力をさらに伸ばすことにつながる幸せなケースもたくさんあるはずだ。

ただ、本格的なバイリンガル教育には教育者や保護者の慎重なサポートと相当のコミットメントが必要なのは間違いないし、子どもに合う合わないもあると思う。同じように教育しても同じレベルのバイリンガルが出来上がるわけでは決してないのだと思う。

英語ができると何がトクか

早期の英語教育はムダだといいたいわけでもない。

英語(だけでなく他言語)に触れる機会は早くからあった方がいいと思う。

他言語で考える練習や異質な文化体系に触れる体験は多いに越したことはないし早いに越したことはない。その体験は、音楽や体育と同じように、経験値を上げて脳の基礎力を上げることに役立つと思う。

でも、子どもに英語を学ばせる目的を、大人のほうがもう一度整理した方がいいんじゃないかと思うのだ。

目的は「英語ができるとカッコいい」ではないはずだし、漠然とバイリンガルにしたいというのなら子どもにとっては迷惑な話だ。

小学校に英語が導入されても、「芸」の進み具合を測るテストが増えるだけでは本末転倒だと思う。

「将来、世界に向かってきちんと意見が表明でき、情報が読みこなせるレベルの英語力をつける」というのが目的なら、まず、英語を話す世界に入っていくことのメリットを子どもたちに説得できなければだめだと思う。

「芸」としての英語ではなくて、生きている文化として、リアルな社会のツールとして、考えるツールとしての英語とその先にある情報の世界が、自分にぜひとも必要で入手可能なものとしてリアルに感じられないとモチベーションにはならないし、本当の知的刺激にもなり得ないと思う。

小学校で英語を導入するとしたら、その英語を使って手に入れられる多様で魅力的な世界をリアルに体験させてあげること以上に、大切なことはないんじゃないかと思うのだ。

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