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2021/03/06

ちょうど1年前に本物のプーに会ったこと



だんだんとあたたかくなってきたシアトルです。今日はほぼ雨がちだったけど、気温は12度。

iPhoneが最近、アルバムに何千枚も撮りっぱなしでほとんど忘れている写真を使って勝手にムービーを作ったり、「この日」とポイントを絞って思い出を押しつけてきます。

それがなぜか気味の悪いほどピンポイントに良いツボを突いて来て、思わず号泣してしまったりするのがくやしいのですが、今朝は朝からいきなり「この日」と、1年前の3月4日の写真を勝手に選んで出してきました。

そうだった、1年前の3月4日は、ニューヨークにいたのでした。コロナですべてがシャットダウンする、ぎりぎり直前。

まだニューヨークの街でマスクをしていたのは東洋人の女性が2人くらいだけだった。
なんとなく重苦しい予感が街にあふれていて、消毒液や除菌ワイプはもう売り切れになっていたけれど、ふつうの生活が続いていた。


たった1年前なのに、隔世の感。

最後にきれいな青空の下のニューヨークを見られたのは幸いでした。


このあとに行ったイサム・ノグチ美術館のことは書いたのだけど、図書館を見に行った話は書いてませんでした。

 


 観光名所でもあるニューヨーク公共図書館の「本館」。

ものすごく立派で巨大な建物です。完成は1910年だけれど、設計は19世紀末。

いかにも19世紀の「GRAND(壮大)」さが鳴り響いているような建物です。


 

この過剰なまでの重厚な装飾、壁画。図書館というのは、都市のなかの聖域のひとつだし、都市の誇り、集合的自意識の反映。

建設や運営の資金は、19世紀から20世紀のはじめにかけて、カーネギーさんはじめ多くの富豪がお金を出したそうです。



 

建材も大理石がふんだんに使われていて豪華だしとにかく広いし天井高いし。まるでお城。なんでこんなに巨大でなければならないんだろうか、と困惑するほど。

当時のアメリカの、ヨーロッパに追いつけ追い越せという気概が感じられる気がします。
イギリスやフランスからは、まだ文化度が低く洗練を知らない田舎者扱いされていたアメリカ人たちの、鼻息荒く「今に見ていろ」っていう感じ。

「アメリカの青春」というのは1950年代ではなくて1900年代だったのじゃないかな。



 

でも、中の壁画や天井画は、圧倒的にボストンの中央図書館のほうが素晴らしかった。
ボストンのは、なにしろサージェントさんたちの筆だしね。
ボストンの図書館のことも書こうと思って後回しになっていました。

しかしこの図書館の宝は、壁画ではなく、目立たない1階のすみの児童書コーナーにあるのです!

 


例によって何も調べずに出かけたので、行くまで知らなかったのだけど、ここには「本物の」くまのプーと仲間たちが保管されているのです!!



ほんもののクリストファー・ロビンが持っていた、プーと、イーヨーと、ティガー(トラー)と、カンガと、もちろんピグレット(コブタ)も。




よこから見たところ。


コブタちゃんはかなり使い込まれた感があり、小さいけど存在感が強い。




なんで英国じゃなくてニューヨークに?と思ったけど、図書館のサイトの説明によれば、プーと仲間たちは1947年に米国にわたってきたらしい。どうやら出版社がブックツアーのために米国に持ち込み、そのまま出版社に飾っていたようで、1987年からこの図書館に展示されるようになったそうです。

1998年には英国議会が返還を求めたものの、その後「プーと仲間たちはアメリカの地で幸せですこやかに暮らしていることがわかり、英国の人もアメリカの人も、プーと仲間たちがニューヨーク公共図書館にとどまることに意見が一致しました」とありました。



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2020/11/15

マーベラスなガールズトーク



ある日のひじきごはん。ひじきも素晴らしい。

ワシントン州はどうやらまたロックダウンに戻りそうです。寒くなってきて感染者が増えているし、ホリデーでたくさんの人が集まったり移動して感染が広がらないように、大きなクギをさしておかなければってことなのでしょう。

旅行から戻って以来、散歩以外ほとんど外に出てないし、うちにはほとんど影響がないけれど。
接客業にあまり大きな打撃にならないとよいのですが。




ここのところ、Amazonオリジナルのコメディ番組『Marvelous Mrs.Maisel(マーベラス・ミセス・メイゼル)』 に、はまってました。

選挙の日もその後の数日間も、うちはニュースを見ないでこのコメディを見てたのでした。

この番組がなかったら、選挙後の数日はきっと、もっとずっと辛かった…。これがあったから乗り切れた。


なんだか久しぶりにほっこり笑えるドラマを見た気がする。最近自分に足りなかったジャンル。


 



この3週間あまり、毎日晩ごはんを食べながら大切に1話ずつ観ていたのが、シーズン3を見終わってしまって、今、かなりのロスに見舞われています。


主人公たちは次々に色々な災難に次々見舞われるのだけど、全体にトーンがとっても明るくてドライで、可愛い。

舞台は1950年代後半のニューヨーク。主人公はアッパーウェストの高級アパートに住む裕福なユダヤ人家族の娘、ミッジ(ミリアム)。専業主婦で2児の母であり、何不自由ない幸せな生活を送っていたのに、突然夫が浮気をしたうえ家出したことがきっかけで、なぜかスタンダップコメディの道を歩みだす、というお話。

このミリアムという主人公のキャラクターがとても面白くて。

何不自由ない環境に生まれて、容姿端麗で才気煥発、常に完璧なプロポーションに気を配り、家事も社交も完璧で、弁が立ち、機転が利き、まわりの人の心を瞬時につかんで物事をスムーズに進められる、つまりなんでもできちゃう人。

これが少しの嫌味もない、素直で正直な主人公として描かれている、無理なく。

ミリアムちゃんがあまりにも何でもできすぎるので、夫のジョエルは自分の男としての沽券がぐらついてしまい、発作的に彼女のもとを去り、それがミリアムのコメディエンヌとしての道をひらくことになる。

ミリアムは、自分がいかに恵まれた境遇に生きているかに、ほとんど注意を払わない。そういう意味では傲慢ともいえる。でもこのキャラクターが嫌味でないのは、常に前向きで明るく、へこたれず愚痴もいわず、面倒なベタベタした感情にとらわれず、目の前のことに全力で集中して自分の意思で生きているから。



あと、50年代〜60年代の洋服やキッチン用品やインテリアがめっちゃカワイイです。

ミリアムちゃんは高級アパートメントの一室に6畳間くらいの衣装部屋をママと共有しているので、毎回違う素敵お衣装で登場。特に、鮮やかな色のAラインのコートは超かわいい。




1950年代、女性にも男性にもまだ確固とした役割が振られていた時代に、美しくパリッとして折り目正しい女子としての審美的価値をキープしたままで、コメディという無法地帯に切り込み、カチカチの常識にゆるやかに挑んでいくファンタジーです。実際にはありえなかっただろうけれど、こういうあり方はかっこいいなあ、と思わせる。

妊娠や出産について喋りはじめたとたんに、ミリアムちゃんが舞台から引きずり降ろされる場面がある。男性の局部について笑い話にするのは許されても、女性の生理や妊娠については公の場で語るのはNGというのが常識だったから。…というような、当時のアメリカ社会がいかにヘテロ白人男性の「良識」でコチコチだったかの描写や、マッカーシズムの影響なども、ちょろちょろと軽いジャブを出すように描かれています。

伝説のコメディアン、レニー・ブルースも、ミリアムちゃんのメンター的存在として登場します。
 

どうにもカチカチの固定観念でかたまった50年代〜60年代に、政治的にはまったくナイーブな女子が、ガールズトークと正直な観察とウィットでもって観客を笑わせて自分のものにしていくという、楽しいカタルシスが毎回適度に用意されていて。

ニューヨークの女子コメディというと『セックス・アンド・ザ・シティ』がどうしても浮かびます。わたしはあのシリーズ、リアルタイムでは見てなくて、去年コンプリートしたのだけど、最後のほうになってかなり食傷してきて、特にパリが舞台の最終回は、はぁぁああ?と、かなり頭に来ました。

少し前になにかでSATCの話になって、白金マダムMちゃんに「どのキャラが好き?」と聞かれて答えに詰まってしまったんだけど、考えたら仲良し4人組の誰もあんまり好きじゃない。

マンハッタンに住んで好きな暮らしができるほどキャリアに恵まれていながら、どうしてこの4人のWASP女性は毎回恋愛や結婚やゴシップにばかりエネルギーを注がなければならないんだろう?なんでお互いによりかかり合うんだろう?どうして「本当の愛」とやらを探してウロウロしているんだろう?と、だんだんイライラしてきたのです。そして、最終回で、キャリアを捨ててまで「本当の愛」をはぐくもうと思ってパリについてきたのに、あなたはわたしのことをまともに愛してくれないじゃないの、とくってかかる主人公キャリーにはまじで腹が立ちました。自分だって自分のことしか考えてないじゃないよ!自分の仕事を大切にしなかったのは自分じゃないんですかー?

ミリアムちゃんは、SATCの主人公とは真逆で、自分が恋人よりもコメディエンヌのキャリアを瞬殺で選んでしまったことに自分でびっくりしつつ、イケメンで長身で自分にぞっこんの外科医という理想の相手をさくっと置いて、ツアーに出てしまう。前のめりだけれど、視線が自分軸なところがとても好き。だから人を傷つけてしまい、その結果をいつも頭から浴びて、ひるんでも悪びれないし、負けないし文句もいわない。

頭のてっぺんから爪先までガーリーでありつつ、腹がすわってるキャラって、肩の力が抜けてていいなと思います。

そして、富裕なニューヨークのユダヤ人家庭のデフォルメされたユダヤ人ギャグも、よくわからないなりに面白いです。



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2020/07/22

RBGと、ママの壁


朝の散歩で出会ったお猫様。たいへん驚いた顔をされていました。

ここのところ毎日、爽やかな夏の陽気です。今日は最高気温が華氏80度超え。摂氏27度くらいか。シアトルの夏はほんとに爽快です。





先日、2018年のドキュメンタリー映画『RBG』(邦題は『RBG 最強の85歳』)を観ました。
Netflixになかったので、RedBox オンデマンドを初めて使ってみた。各社いろいろストリーミングができるようになってるのねー。

ルース・ベイダー・ギンズバーグ判事の伝記映画です。
1993年、クリントン大統領の指名を受けて最高裁判事となり、いまも現役の87歳。


1950年代のアメリカで、ハーバードロースクールを卒業。2歳の子どもを育て、やはりロースクールの学生だった夫の援助もしながら!

ニューヨークの法律事務所には女性弁護士を雇おうとするところは一つもなかったんですね!たった60年ほど前のこと。

70年代に女性の権利を獲得(女性軍人が男性と同等の住宅手当を獲得する権利、妻と死別した男性が、夫を亡くした妻と同等の育児保障を得られる権利など)する裁判を弁護して次々に連勝。

公民権運動の(すくなくとも法律上の)めざましい進展がつい数年前のこととしてまだ記憶に新しい時代に、公民権運動のロジックにならって女性に対する差別を指摘していった手腕が描かれています。ほとんど白人男性ばかりの判事たちには差別があることさえまったく見えてもいなかったところへ、噛んで含めるように鮮やかに説き、目をひらかせる。

決して声高に相手を攻撃するのではなく、淡々と鋭い論理で要点を緻密に積み上げて、相手を「幼稚園の先生のように」納得させていく。

近年では、保守派の判事の多数決による最高裁判決に対する反対意見でカルチャーヒーローに。SNS上でラッパーのノトーリアスB.I.G.にならって「ノトーリアスR.B.G.」というニックネームでアイコンになりました。



3月はじめにニューヨークに行ったとき、初めてニューヨーク公共図書館に行ってきました。

さすがに商売上手のニューヨークだけあってオリジナルグッズや書籍を売ってるショップが複数箇所あり、グッズもかなり素晴らしい出来でした。正面玄関にすわっているライオン君をモチーフにしたグッズがたくさんあった中から、自分用にキーホルダー、そしてジェニファーちゃんのお土産にエコバッグ。

このバッグには数種類あったのですが、選んだのはRBGの言葉が書いてあるやつ。



「女性はどのような決定がされる場にも属している(直訳)」。どんな決定にも、女性はふつうに参画するべきである(つまり排除されるべきではない)、ということです。

公共図書館にはRBG関連グッズがたくさんあって、ブルックリン出身のローカルガール、ギンズバーグ判事への愛があふれてました。

エゴを脇において、淡々と信念を緻密に真摯に伝え、結果を出していける、つまり人を変え、世界を変えていける人。
スーパーヒーローのような人ですが、せめてその姿勢と気概は見習いたいです。たとえできることは1万分の1でも。

何度か癌を克服した判事でしたが、またつい最近再発があって治療を開始したと先日公表したばかりです。体力的にもスーパーウーマン。まだまだこの国に必要な人。回復を全力で祈ります。

ギンズバーグ判事がこのドキュメンタリー映画中で引用している言葉は、19世紀の奴隷解放活動家であり女性運動家(女性参政権運動のリーダーだった)のサラ・ムーア・グリムケのもの。

"I ask no favor for my sex. All I ask of our brethren is that they take their feet off our necks."
(私の属する性を贔屓してほしいと要求しているのではないのです。兄弟たちにしてもらいたいのは、私たちの首を踏みつけているその足をどかしてほしいということだけです)

というこの言葉は、はからずも、警官の膝で首を圧迫されて殺されたジョージ・フロイドの事件に響き合っています。




ところで、ポートランドでは、トランプが送り込んだ連邦政府機関の(まともな鎮圧トレーニングも受けていない、警察としてはアマチュアの)寄せあつめのミリタリーポリスが、市長と知事にはっきりと手を引いて欲しいと要望されているにもかかわらず、市民と衝突を繰り返していてます。そこへ、お母さんやお父さんたちが「ママの壁」として、ミリタリーポリスに対抗する盾として集まっているそうです。

ワシントン・ポストの記事によると、その多くは初めてデモに参加するお父さんお母さんそうで、成人した子どもを持つ50代や60代の人たちのストーリーが紹介されていました。

もしシアトルにこのミリタリーポリスが展開するようなことがあれば、わたしも今度ばかりは必ずストリートに出ていくつもりです。これ、アメリカの天安門事件だと思いますよ。



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2020/06/24

テディさん退場



近所の、これはカシワバアジサイ(oakleaf hydrangea)かな。

緑に埋もれた緑の消火栓が気持ちよさそうです。
ここ数日、シアトルはほんとうに爽やかな初夏の日々。空は青く湿度は風は涼しく、緑がわさわさで、緑陰に薔薇が咲き匂う、まさに天国です。



3日ほど前、ニューヨークの自然史博物館の前にあるテディことセオドア・ルーズベルト大統領の騎馬像が撤去されることが決定した、というニュースを読みました。写真はニューヨーク・タイムズ紙

先月からの#blacklivesmatterの抗議活動の流れで、全米各地で、奴隷制時代や植民地時代の人の銅像が抗議の人々によって壊されたり、自治体によって撤去されたりしています。
アメリカだけでなく、ヨーロッパにも飛び火していますね。

ジョージ・フロイド殺害事件以来、世界で沸騰しつづけている抗議活動について、今日配信のデジタルクリエイターズ(メルマガ)に書かせていただきました。
NOTEのほうにも転載したので、よろしければご笑覧くださいませ。
こちらです。

ここ数週間はこの件で、コロナ以上に精神的にゆさぶりをかけられていました。社会全体が揺さぶられていたので当然なのですが。きっと日本に住んでいる人にはそのライブ感は伝わりにくいだろうと思います。

構造的差別って、この国にとってそれこそ「実存的」な問題だし、もちろんすぐに解決するような問題ではなく、まだこの先、社会が何世代もかけて向き合っていかなければならないことだろうけれど、いま、少なくともかなりの人々の意識が切り替わったのは瞠目すべきことだと思ってます。これから揺り戻しもあるだろうけれど。




自然史博物館前のこのルーズベルト騎馬像は1940年に設置されたもので、意外とあたらしい。

3年前にはじめてニューヨークに行ったとき、滞在最終日にお目にかかりました。(そのときの日記

わたしはメトロポリタン美術館をじっくり見たかったので、自然史博物館を見に行ったマダムMと別行動をとって、夏の夕方、セントラルパークをのんびり横切ってこの博物館前で待ち合わせしたのでした。

西部劇のヒーローのように馬にまたがって西方をめざす大統領。その両脇にネイティブアメリカンと黒人男性がつき従う構図。まんま、19世紀の世界観をそのままあらわしてます。これが1940年のものだっていうのはちょっと意外だった。まあでも、時代精神は大きく変わってなかったってことですね。

ルーズベルト大統領の時代というのはまさにアメリカが帝国主義デビューをした時代といえます。

このあいだハーバードの自然史博物館を見に行ったときに実感したのだけど、自然史博物館とか博物学っていうカテゴリーそのものが、文明国の視点で世界のあれこれを収集するっていう時代の産物なんですよね。シカゴ博覧会をはじめとする万国博覧会の流れ。その視点は、当時は誰一人疑わなかったであろう、圧倒的に優位な立場にいる支配階級(白人社会)のものです。

だからルーズベルトが馬に乗ってて「さあ、未開の兄弟たちよ、わたしについてきなさい」とでもいうように、明らかに下の位置に「インディアン」と黒人を従えている構図が、20世紀をとおしてスタンダードに受け入れられていたのですね。

この像の撤去は博物館が決定して、ニューヨーク市が了承したそうです。

上記の記事で、博物館の館長さんはインタビューにこう答えています。

“Over the last few weeks, our museum community has been profoundly moved by the ever-widening movement for racial justice that has emerged after the killing of George Floyd. We have watched as the attention of the world and the country has increasingly turned to statues as powerful and hurtful symbols of systemic racism.”

「この数週間にわたり、当博物館のコミュニティは、ジョージ・フロイド殺害に端を発し、人種間の正義を求めてますます高まっている運動に深く心を動かされてきました。我が国の人々と世界中の人々の間で、構造的なレイシズムのパワフルで心に傷を残すシンボルである様々な像への関心がますます高まっていくのを、私たちは目の当たりにしてきました」

この像を撤去する理由は、差別的構造をあらわにしているこの構図が問題なのであって、ルーズベルト大統領その人を問題視するものではない、と館長さんは言ってます。





『ナイトミュージアム』のテディさんも、「引退の潮時だわな」と言っていることでしょう。



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2020/04/12

書店の奇跡


ボストンの公共図書館には、すごい壁画がたくさんあります。

なかでも圧巻なのが、このジョン・シンガー・サージェントが30年をかけて制作したという(未完の部分もある)「Triumph of Religion」(宗教の勝利)。

19世紀末に建設された美しい旧館の最上階を飾る、壮大なシリーズです。

去年10月と今年2月に行ったとき、何度となく図書館に通って、 何度もこの壁画を見にこの3階に登りました。6回くらいは通ったと思います。


そのたびに、天井の絵を首が痛くなるまで見ながら(本当に痛かった)、いったいこれは何なのだろう、サージェントさんは何のつもりでこれを描いたのか、当時の人はこれについてどう思ったんだろうか、ということがますます気になってました。

エジプトやペルシャの宗教、ユダヤ教、キリスト教のモチーフがそれぞれ描かれて、キリスト教が中心ではあるけれど、「キリスト教の勝利」ではなくて「宗教の勝利」というタイトルがつけられている不思議。

そもそも「宗教」って何だと思っていたんだろう、どんな思いを抱いてこんな大作を手がけたんだろうか、サージェントさんは。

これについて書かれた論文でも載っている解説本がないかなと思って、ボストンの書店やミュージアムショップでずっと探していたのですが、見つかりませんでした。



そしたら、3月のはじめにニューヨークに行ったとき、STRAND Book Store になんと、そのものずばり、この壁画についての分厚い研究本があったのです。

メリーランド大学の美術史学の助教授が書いた本で、ずっしり2キロくらいの重さがあるもの。しかもしかも、これが、セール本で、たったの10ドルでした!

「公共」の場に宗教の絵を描くことの意味、公共性と信仰、19世紀末から20世紀初頭のアメリカの宗教観など、 すごく興味があるトピックが網羅されている。

本屋さんの天使が引き合わせてくれたとしか思えない。
帰りのスーツケースは幸いとっても余裕があったことだし、1秒も迷わず購入しました。

問題は、生きてる間にこれをちゃんと読む時間を取れるかどうかということだ。
引き合わせてもらったのだからちゃんと読まないとー(プレッシャー)。



この書店には、ケンブリッジの書店にもボストンの書店にもなかったカミュの『ペスト』も平積みされてました(「ノーベル賞受賞作!」というポップがついてた)。
うちの青年に読ませるために探してたので、こちらも速攻購入。

なんと心ある本屋さんなのだろうか。

東京にはこの規模の書店がいくつもあったけれど、だんだん少なくなってますね。
吉祥寺パルコのブックセンターもなくなっちゃったし(中学校時代からの行きつけ本屋だったのでかなりショックでした)。
でもでも、まだ日本には書店がとても多いのに帰るたびにほっとする。
心ある大小の本屋さんたちに、ぜひぜひぜひCOVID禍を生き延びてほしいです。




これは3年前に行ったときのだけど、「禁書になった本フェア」とか、面白いコーナーがいろいろ作ってあって、本好き書店員さんの熱を感じます。


あとここの本屋さんは、グッズの商品展開が上手!

トートバッグも片っ端から買いたくなるし、マグネット、しおり、ポーチ、ステッカーなど、 オリジナルグッズがどれもかわいい。もしかして日本の人がコンサルに入ってる?
観光客からもしっかりお金を巻き上げるべきですよ!!(巻き上げられた人が言う)。


前に買ったマグネットと今回買ったポーチ。

ねこ柄が多いのは、書店好きとねこ好きの相関関係をあらわしていますね。

応援でグッズでも買いたいところなのですが、4月12日現在、実店舗はもちろん、オンラインストアも休業中。

「Eギフトカード」 だけは購入することができます。

世界中の本屋さん、頑張ってください〜!ドカンと寄付できなくてごめんなさい。
心の底から応援してます。



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2020/04/01

ノグチさんの庭


ニューヨークのクイーンズにあるイサム・ノグチ財団 庭園美術館

ニューヨーク滞在最終日、3月4日にいきました。マンハッタンから地下鉄乗り継いで40分くらい、さらに駅から徒歩20分くらい。けっこうな遠足です。川をはさんですぐ目の前にマンハッタンが見えているのに。

少しお腹がすいたので、駅の近くのベーグル屋さんで、サンドライトマト入りクリームチーズをはさんだベーグルを買って、食べながら歩きました。いままで食べたなかで一番おいしいベーグルだった。





建材屋さんやガレージなどが多い、インダストリアルで殺風景な地区のはずれにぽつんと美術館があります。

ハワイでいったらひと昔前のカカアコ地区そっくり。 東京だったら(昔の)江戸川区とか。江戸川区の葛西のあたりにむかしうちの父が仕事をしていた自動車ディーラーがあった。その当時の葛西と似た雰囲気で、ちょっとなつかしかった。



印刷工場とガソリンスタンドだった建物を改造したミュージアムです。

「美しい場を創るとそこに住む人の心が変わり、地域全体が良くなるというイサム・ノグチ(1904-1988)の考えによって見事な芸術空間へと変貌致しました」と、イサム・ノグチ財団のサイトに書かれています。

入館料は10ドルなんだけど、65歳以上はシニア割引で5ドル。シニアは5ドルなのねー、と何気なくいったら、受付の若い男の子が「シニアですか?」とその割引を適用してくれようとしてかなりむっとした。喧嘩売ってんのか。

そのまま割引してもらえばよかったな、ふん。 




一見こぢんまりしているのだけど、かなり見ごたえがありました。
工場だった無機質なスペースに配されてる作品たち。

イサム・ノグチさんの作品は、あちこちでモニュメント的にかざられてるのを見てきたけれど(シアトルではアジア美術館の前の「黒い太陽」が有名です)、回顧展に行ったことはなく、まとめて作品をみたのは初めて。

年代のちがう作品をいくつも見ると、はじめて、ああこの人はこういうことがしたかったんだなー、というのがやっとわかってくるものですね。

正直、いままで抽象彫刻ってあんまり何がしたいのかわからなかったんだけど、この美術館に行ってはじめて、石のテクスチャや、その表面をみがいたり削ったりしてできるかたちやボリュームへの偏愛が、感覚として理解できた気がします。



この庭がほんとうに素敵な場所でした。

殺風景な軽工業エリアに囲まれていながら、このうえなく清々しい場所です。

快晴で風がそよそよ吹いてて、ロビンや鳩がずっと樹の上で啼いていて、竹の植え込みの横のところのベンチで座っていると竹の葉がさらさら鳴って、本当に気持ちよくて、不思議なほどすこーんと清浄なかんじのする場所でした。

日が暮れるまで座っていたかった。

イザベラさんの庭とおなじく、ここもあの世に近い場所な気がしました。


イザベラさんちとはまた趣きが違い、ずっと静かで密度が濃くて、ダイレクトになにかにつながっているみたいな。
うちの青年もここで軽く瞑想したらちょっとおもしろいビジョンが来たといっていた。

あとでドーセントの人に聞いたら、この庭の隅にイサム・ノグチさんの遺灰が!ひっそり埋められているのだそうです! 半分はここに、あと半分は四国の仕事場だった場所に。あああ、なるほどー、と思いました。

ベンチに座って目を閉じていたら、すっと、なにか、誰か、がすぐ後ろに立ったような気がしたんですよー、ほんとに。それが全然イヤな感じはしなくて。



無料ツアーに参加したら、なんとほかに参加者はなく、親子二人のみの貸し切りツアー。
とても親切なドーセントさんでした。

初期のころのイサム・ノグチさんは、ダダの彫刻家ハンス・アルプの影響をつよく受けていたそうです。アルプは日本の伝統にとても関心を持っていた人。

これは参加型の「組み立て式彫刻」。ベニヤでつくった模型を組み立ててみましょうというもの。


こんなかわいらしいのもあった。


 

和紙の灯りと一緒に展示されていました。この部屋には畳もあって、おひるねしたくなる(ちょっと横になってみた)。とにかくくつろげる美術館です。

カフェも良い。ノグチさんの灰が埋まっているというコーナーの、すぐ目の前の窓辺でお茶をいただきました。コブシの木に花が咲き始めていた。

日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、日本とアメリカで教育を受けたノグチさんは、日本の伝統デザインの美意識を、日本人の多くが意識していなかった時代に鋭く取り出して、美術やデザインのコンテクストの中に織り込んだ開拓者。

彫刻だけでなく、有名なあかりのデザインや、灰皿のような小さなものから児童遊園まで、環境にかかわるいろいろなデザインを手がけたノグチさんですが、第二次大戦中は米国本土の日本人と一緒に、自主的に収容所に入ったのだとか。

収容所内で文化的なリーダーになる心づもりだったようだけれど、収容者たちとも、管理側ともうまく意思の疎通ができず、結局また出てきたのだそうです。


日本では当たり前すぎてクールではなかったものを取り出してみられたのは、アウトサイダーの視点があったから。でも収容所のエピソードが物語るように、日米どちらの文化にも完全に属していないということは、20世紀なかばには現代とは比較にならないほど孤独なことだったのだろうな、想像もおよばないけれど。



館内でこれだけは触ってもよいことになっている作品。これは既製のパイプ部品をくみあわせてつくったものだそうです。



このような用途にも使える。

左側のでこぼこした壁や、奇妙なかたちの木の椅子は60年代にダンサーとのコラボで手がけた舞台美術の一部。

月に何度か、このスペースでノグチさんの作品を使ったダンスパフォーマンスが開催されているそうです。

しかしもちろん、現在は閉館中。
あのドーセントさん、いまどうしているだろうか。

本当に平和で幸せで贅沢な一日であった。

はやくそんな日常が、全世界に帰ってきますように。




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2020/03/30

グッゲンハイム美術館


ニューヨークのグッゲンハイム美術館。3月2日にうちの青年と行きました。

その時は、3週間後にニューヨークが無人の街になるとは誰も思ってもみませんでした。

いったいいつ再オープンするのかまったくわからない状況ですが、美術館のサイトでバーチャルツアーやコレクションを見ることができます。

こちらはウェブサイトより。「家にいながらグッゲンハイムを訪ねよう」のページ。

ZOOMを使った子ども向けの美術クラスやツアーも毎日のように提供しています。(有料、一家族25ドル〜)。
子どもと一緒に家にいて困り果てている全米のお父さんお母さんには利用しがいのあるリソースかもしれません。



わたしもこのとき初めて行った。フランク・ロイド・ライト設計の有名なうず巻きビル、世界遺産にも登録されているのだそうですね。知りませんでした。






シアトルの中央図書館を設計したレム・コールハースさんが企画デザインした展覧会「Countryside, The Future」が展示中でした。

アートの展覧会ではなくて、  「いなか」と未来がテーマの企画展。
米国だけでなく、世界各地の「いなか」で何が起きているか、森林破壊、気候変動、農業のハイテク化など、現在の文明がもつ問題の多くをデータやピクトグラムや写真やインタラクティブな展示をとおして見せるもの。

あまりに膨大な情報なので、正直、半分くらい流してみただけでもおなかいっぱいになってしまいました。



うちの青年は主に建物に感動してて、展示はあんまり見てませんでした。



横っちょにある別の展示室の展覧会もとても面白かったです。
図書室、ほかの展示室や、廊下のまんなかにあるトイレなど、探さないと見つからないようなフィーチャーがたくさんある。オーガニックな建物。


小展示室のひとつでやっていた「Marking Time: Process in Minimal Abstraction」 。
ミニマリズムの抽象絵画を集めた展示。

これは 韓国のアーティスト、朴栖甫(パク・ソポ)さんの1973年の作品。

油彩絵具の上に、鉛筆で隙間なくびっしりと、強い均質なストロークで線が描かれている。
「自分を完全にカラにして、自分の思考や感情を示すような表現をかけらもしないようにしなければならなかった」というアーティストの言葉が解説に書いてありました。

どういう修行やねん。と思わずにいられないのですが、しかし、そうやって気の遠くなるような作業のはてに生まれた「思考も感情も語らない作品」は、とっても存在感があって、すがすがしい。


それに有機的なかんじを受けました。ニットのセーターみたい。
思考や感情を排除しようとしているからこそ、アーティストの身体性や体温のようなものがなまなましく伝わってくるかんじです。

ミニマリズムの作品はいままで、頭でっかちで取り付きにくい気難しい人のように思っておおむね避けていたのですが、このときにみた作品はどれもかなり好きだった。


別の階でやっていた「The Fullness of Color: 1960s Painting」。

バーチャルツアーはもちろん素晴らしいフィーチャーなのですが、実際にその場で向かい合って作品をみるのと映像で見るのには、ケーキの絵を見るのと実際に食べるのくらいの違いがあります。

はやく全世界の美術館がまた再オープンできますように。

ニューヨークがはやく生き返りますように。




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