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2020/04/14

驚異の年


ハーバード大のすぐ前にあったファンキーなたてもの。これ絶対狙ってるよね。
ピノキオ顔だし。

ハーバード大キャンパスの中の建物はあんまり面白いのを見かけなかったけど、これはほっこりしました。

なんの建物だかわからなかったけど、フラタニティ関連か、出版局みたいな感じでした。



アイザック・ニュートンは1666年にロンドンでペストが流行して大学が2年間休講になったときに万有引力の法則発見につながる思索を深めた、という内容の記事を、先週から5回くらいあちこちで読みました。

これとか。 若干25歳だったニュートンの「驚異の年」と呼ばれているそうです。はー25歳。

うちの25歳も暇を持てあましているようですが…。

宇宙の大法則を発見しなくてもいいけど、充実した時間になるといいよね。
3Dプリンターでなんかいろいろ作って、新しいテーマを掘ってるそうです。おおむね楽しそう。

みんな暇だ暇だというのだけど、わたしはたぶん動きがスローで気が散りやすいせいで、ちっとも時間が足りません。本の山もちっとも減らないし(逆に読めば読むほど増えていく不思議……)、観たいものも増える一方だし。

今週は大変ありがたいことに大きなプロジェクトが入ってきたので、回転数を上げなくては……。ここのところ、ますますのんびりモードになっていて、朝のルーティン始動にめちゃくちゃ時間がかかっている。まあ贅沢なことですね。いい加減おしり叩かないと。
 
このところ天気もよくて、世の中が静かなので鳥の声がよく響いてきて、朝から幸せです。
そしてつい二度寝する。いかーん。

いろいろな意味で驚異の年になりそうな2020年です。


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2020/04/12

書店の奇跡


ボストンの公共図書館には、すごい壁画がたくさんあります。

なかでも圧巻なのが、このジョン・シンガー・サージェントが30年をかけて制作したという(未完の部分もある)「Triumph of Religion」(宗教の勝利)。

19世紀末に建設された美しい旧館の最上階を飾る、壮大なシリーズです。

去年10月と今年2月に行ったとき、何度となく図書館に通って、 何度もこの壁画を見にこの3階に登りました。6回くらいは通ったと思います。


そのたびに、天井の絵を首が痛くなるまで見ながら(本当に痛かった)、いったいこれは何なのだろう、サージェントさんは何のつもりでこれを描いたのか、当時の人はこれについてどう思ったんだろうか、ということがますます気になってました。

エジプトやペルシャの宗教、ユダヤ教、キリスト教のモチーフがそれぞれ描かれて、キリスト教が中心ではあるけれど、「キリスト教の勝利」ではなくて「宗教の勝利」というタイトルがつけられている不思議。

そもそも「宗教」って何だと思っていたんだろう、どんな思いを抱いてこんな大作を手がけたんだろうか、サージェントさんは。

これについて書かれた論文でも載っている解説本がないかなと思って、ボストンの書店やミュージアムショップでずっと探していたのですが、見つかりませんでした。



そしたら、3月のはじめにニューヨークに行ったとき、STRAND Book Store になんと、そのものずばり、この壁画についての分厚い研究本があったのです。

メリーランド大学の美術史学の助教授が書いた本で、ずっしり2キロくらいの重さがあるもの。しかもしかも、これが、セール本で、たったの10ドルでした!

「公共」の場に宗教の絵を描くことの意味、公共性と信仰、19世紀末から20世紀初頭のアメリカの宗教観など、 すごく興味があるトピックが網羅されている。

本屋さんの天使が引き合わせてくれたとしか思えない。
帰りのスーツケースは幸いとっても余裕があったことだし、1秒も迷わず購入しました。

問題は、生きてる間にこれをちゃんと読む時間を取れるかどうかということだ。
引き合わせてもらったのだからちゃんと読まないとー(プレッシャー)。



この書店には、ケンブリッジの書店にもボストンの書店にもなかったカミュの『ペスト』も平積みされてました(「ノーベル賞受賞作!」というポップがついてた)。
うちの青年に読ませるために探してたので、こちらも速攻購入。

なんと心ある本屋さんなのだろうか。

東京にはこの規模の書店がいくつもあったけれど、だんだん少なくなってますね。
吉祥寺パルコのブックセンターもなくなっちゃったし(中学校時代からの行きつけ本屋だったのでかなりショックでした)。
でもでも、まだ日本には書店がとても多いのに帰るたびにほっとする。
心ある大小の本屋さんたちに、ぜひぜひぜひCOVID禍を生き延びてほしいです。




これは3年前に行ったときのだけど、「禁書になった本フェア」とか、面白いコーナーがいろいろ作ってあって、本好き書店員さんの熱を感じます。


あとここの本屋さんは、グッズの商品展開が上手!

トートバッグも片っ端から買いたくなるし、マグネット、しおり、ポーチ、ステッカーなど、 オリジナルグッズがどれもかわいい。もしかして日本の人がコンサルに入ってる?
観光客からもしっかりお金を巻き上げるべきですよ!!(巻き上げられた人が言う)。


前に買ったマグネットと今回買ったポーチ。

ねこ柄が多いのは、書店好きとねこ好きの相関関係をあらわしていますね。

応援でグッズでも買いたいところなのですが、4月12日現在、実店舗はもちろん、オンラインストアも休業中。

「Eギフトカード」 だけは購入することができます。

世界中の本屋さん、頑張ってください〜!ドカンと寄付できなくてごめんなさい。
心の底から応援してます。



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2020/04/01

ノグチさんの庭


ニューヨークのクイーンズにあるイサム・ノグチ財団 庭園美術館

ニューヨーク滞在最終日、3月4日にいきました。マンハッタンから地下鉄乗り継いで40分くらい、さらに駅から徒歩20分くらい。けっこうな遠足です。川をはさんですぐ目の前にマンハッタンが見えているのに。

少しお腹がすいたので、駅の近くのベーグル屋さんで、サンドライトマト入りクリームチーズをはさんだベーグルを買って、食べながら歩きました。いままで食べたなかで一番おいしいベーグルだった。





建材屋さんやガレージなどが多い、インダストリアルで殺風景な地区のはずれにぽつんと美術館があります。

ハワイでいったらひと昔前のカカアコ地区そっくり。 東京だったら(昔の)江戸川区とか。江戸川区の葛西のあたりにむかしうちの父が仕事をしていた自動車ディーラーがあった。その当時の葛西と似た雰囲気で、ちょっとなつかしかった。



印刷工場とガソリンスタンドだった建物を改造したミュージアムです。

「美しい場を創るとそこに住む人の心が変わり、地域全体が良くなるというイサム・ノグチ(1904-1988)の考えによって見事な芸術空間へと変貌致しました」と、イサム・ノグチ財団のサイトに書かれています。

入館料は10ドルなんだけど、65歳以上はシニア割引で5ドル。シニアは5ドルなのねー、と何気なくいったら、受付の若い男の子が「シニアですか?」とその割引を適用してくれようとしてかなりむっとした。喧嘩売ってんのか。

そのまま割引してもらえばよかったな、ふん。 




一見こぢんまりしているのだけど、かなり見ごたえがありました。
工場だった無機質なスペースに配されてる作品たち。

イサム・ノグチさんの作品は、あちこちでモニュメント的にかざられてるのを見てきたけれど(シアトルではアジア美術館の前の「黒い太陽」が有名です)、回顧展に行ったことはなく、まとめて作品をみたのは初めて。

年代のちがう作品をいくつも見ると、はじめて、ああこの人はこういうことがしたかったんだなー、というのがやっとわかってくるものですね。

正直、いままで抽象彫刻ってあんまり何がしたいのかわからなかったんだけど、この美術館に行ってはじめて、石のテクスチャや、その表面をみがいたり削ったりしてできるかたちやボリュームへの偏愛が、感覚として理解できた気がします。



この庭がほんとうに素敵な場所でした。

殺風景な軽工業エリアに囲まれていながら、このうえなく清々しい場所です。

快晴で風がそよそよ吹いてて、ロビンや鳩がずっと樹の上で啼いていて、竹の植え込みの横のところのベンチで座っていると竹の葉がさらさら鳴って、本当に気持ちよくて、不思議なほどすこーんと清浄なかんじのする場所でした。

日が暮れるまで座っていたかった。

イザベラさんの庭とおなじく、ここもあの世に近い場所な気がしました。


イザベラさんちとはまた趣きが違い、ずっと静かで密度が濃くて、ダイレクトになにかにつながっているみたいな。
うちの青年もここで軽く瞑想したらちょっとおもしろいビジョンが来たといっていた。

あとでドーセントの人に聞いたら、この庭の隅にイサム・ノグチさんの遺灰が!ひっそり埋められているのだそうです! 半分はここに、あと半分は四国の仕事場だった場所に。あああ、なるほどー、と思いました。

ベンチに座って目を閉じていたら、すっと、なにか、誰か、がすぐ後ろに立ったような気がしたんですよー、ほんとに。それが全然イヤな感じはしなくて。



無料ツアーに参加したら、なんとほかに参加者はなく、親子二人のみの貸し切りツアー。
とても親切なドーセントさんでした。

初期のころのイサム・ノグチさんは、ダダの彫刻家ハンス・アルプの影響をつよく受けていたそうです。アルプは日本の伝統にとても関心を持っていた人。

これは参加型の「組み立て式彫刻」。ベニヤでつくった模型を組み立ててみましょうというもの。


こんなかわいらしいのもあった。


 

和紙の灯りと一緒に展示されていました。この部屋には畳もあって、おひるねしたくなる(ちょっと横になってみた)。とにかくくつろげる美術館です。

カフェも良い。ノグチさんの灰が埋まっているというコーナーの、すぐ目の前の窓辺でお茶をいただきました。コブシの木に花が咲き始めていた。

日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、日本とアメリカで教育を受けたノグチさんは、日本の伝統デザインの美意識を、日本人の多くが意識していなかった時代に鋭く取り出して、美術やデザインのコンテクストの中に織り込んだ開拓者。

彫刻だけでなく、有名なあかりのデザインや、灰皿のような小さなものから児童遊園まで、環境にかかわるいろいろなデザインを手がけたノグチさんですが、第二次大戦中は米国本土の日本人と一緒に、自主的に収容所に入ったのだとか。

収容所内で文化的なリーダーになる心づもりだったようだけれど、収容者たちとも、管理側ともうまく意思の疎通ができず、結局また出てきたのだそうです。


日本では当たり前すぎてクールではなかったものを取り出してみられたのは、アウトサイダーの視点があったから。でも収容所のエピソードが物語るように、日米どちらの文化にも完全に属していないということは、20世紀なかばには現代とは比較にならないほど孤独なことだったのだろうな、想像もおよばないけれど。



館内でこれだけは触ってもよいことになっている作品。これは既製のパイプ部品をくみあわせてつくったものだそうです。



このような用途にも使える。

左側のでこぼこした壁や、奇妙なかたちの木の椅子は60年代にダンサーとのコラボで手がけた舞台美術の一部。

月に何度か、このスペースでノグチさんの作品を使ったダンスパフォーマンスが開催されているそうです。

しかしもちろん、現在は閉館中。
あのドーセントさん、いまどうしているだろうか。

本当に平和で幸せで贅沢な一日であった。

はやくそんな日常が、全世界に帰ってきますように。




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2020/03/30

グッゲンハイム美術館


ニューヨークのグッゲンハイム美術館。3月2日にうちの青年と行きました。

その時は、3週間後にニューヨークが無人の街になるとは誰も思ってもみませんでした。

いったいいつ再オープンするのかまったくわからない状況ですが、美術館のサイトでバーチャルツアーやコレクションを見ることができます。

こちらはウェブサイトより。「家にいながらグッゲンハイムを訪ねよう」のページ。

ZOOMを使った子ども向けの美術クラスやツアーも毎日のように提供しています。(有料、一家族25ドル〜)。
子どもと一緒に家にいて困り果てている全米のお父さんお母さんには利用しがいのあるリソースかもしれません。



わたしもこのとき初めて行った。フランク・ロイド・ライト設計の有名なうず巻きビル、世界遺産にも登録されているのだそうですね。知りませんでした。






シアトルの中央図書館を設計したレム・コールハースさんが企画デザインした展覧会「Countryside, The Future」が展示中でした。

アートの展覧会ではなくて、  「いなか」と未来がテーマの企画展。
米国だけでなく、世界各地の「いなか」で何が起きているか、森林破壊、気候変動、農業のハイテク化など、現在の文明がもつ問題の多くをデータやピクトグラムや写真やインタラクティブな展示をとおして見せるもの。

あまりに膨大な情報なので、正直、半分くらい流してみただけでもおなかいっぱいになってしまいました。



うちの青年は主に建物に感動してて、展示はあんまり見てませんでした。



横っちょにある別の展示室の展覧会もとても面白かったです。
図書室、ほかの展示室や、廊下のまんなかにあるトイレなど、探さないと見つからないようなフィーチャーがたくさんある。オーガニックな建物。


小展示室のひとつでやっていた「Marking Time: Process in Minimal Abstraction」 。
ミニマリズムの抽象絵画を集めた展示。

これは 韓国のアーティスト、朴栖甫(パク・ソポ)さんの1973年の作品。

油彩絵具の上に、鉛筆で隙間なくびっしりと、強い均質なストロークで線が描かれている。
「自分を完全にカラにして、自分の思考や感情を示すような表現をかけらもしないようにしなければならなかった」というアーティストの言葉が解説に書いてありました。

どういう修行やねん。と思わずにいられないのですが、しかし、そうやって気の遠くなるような作業のはてに生まれた「思考も感情も語らない作品」は、とっても存在感があって、すがすがしい。


それに有機的なかんじを受けました。ニットのセーターみたい。
思考や感情を排除しようとしているからこそ、アーティストの身体性や体温のようなものがなまなましく伝わってくるかんじです。

ミニマリズムの作品はいままで、頭でっかちで取り付きにくい気難しい人のように思っておおむね避けていたのですが、このときにみた作品はどれもかなり好きだった。


別の階でやっていた「The Fullness of Color: 1960s Painting」。

バーチャルツアーはもちろん素晴らしいフィーチャーなのですが、実際にその場で向かい合って作品をみるのと映像で見るのには、ケーキの絵を見るのと実際に食べるのくらいの違いがあります。

はやく全世界の美術館がまた再オープンできますように。

ニューヨークがはやく生き返りますように。




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2020/03/21

よく効きそうなオルガンと19世紀ロマネスク


ほんの2週間ばかり前にふつうの生活が営まれていたとは、もう信じられない。
2月の終わりのボストン日記です。

うちの青年の話だと、今はもちろんこの教会も、近くの高級ブティックやレストランのある通りも、みーんな閉鎖されているとのこと。

ボストンのバックベイ地区のまんなかにあるトリニティ教会

1733年創設の、アメリカ建国よりも古い教会です。 エピスコパル派。最初は英国国教会だったんですね。いかにもあんぐり感じゃないよアングリカンのエスタブリッシュメントの教会だねって感じがする。宅は由緒正しゅうございますのよ、て感じの教会。

いまの場所に移転したのは1872年で、ヘンリー・H.リチャードソンという建築家の設計

ヨーロッパの中世の教会をベースにしたロマネスク・リバイバル様式で、ビザンチンの要素もちょこっとはいっているそうです。
この様式は「リチャードソニアン・ロマネスク」と呼ばれるようになり、19世紀後半に流行って、全米あちこちの都市の教会や公共のたてものに応用されたそうです。

多色使い、たくさんのアーチ、ぼってりしたボリュームのあるプロポーション。装飾過多な感じ。どこか1980年代のポストモダンのビルに似てると思うのはわたしだけでしょうか。なんかこう、キャラクターがかぶる気がする、80年代と。

あっそうだ、もしかしてと思ったらやっぱり、ハワイのホノルルにあるビショップ博物館の建物もこの様式でした。もっと装飾は少なくて多色づかいはしていないけど。 これも同時代のたてもの(1898年完成)。

(ビショップ博物館、ウィキコモンズより)

なんかこう、ちょっとテーマパークっぽい感じがする様式だとわたしは感じます。

成り上がりと旧大陸の人たちに思われていた新興国家のアメリカ人が、中世ヨーロッパの重厚さに憧れて、その雰囲気を表現しました、という素直な、すこし恥ずかしいくらいの憧れがバーンと臆面なく表現されているように見えます。

建国から19世紀末までのアメリカの教会には、ゴシックやロマネスクのリバイバルが多いんですね。
裁判所や役所はギリシア・ローマ神殿みたいな新古典様式のやつが多いけれど。



すぐとなりにはガラス張りのジョン・ハンコック・タワー(62階建て、1976年完成)があって、晴れた日にはきれいな青空を背景に、19世紀の教会が20世紀のオフィスビルにくっきり映ります。


重厚な正面扉。これも中世のお城みたいなおもむきがありますね。

毎週金曜日のお昼に、パイプオルガンのコンサートが開かれていました。
サジェスチョンは寄付10ドルだけど強制ではありません。

10月と2月に1度ずつオルガンを聴きにいきました。

毎回違うオルガニストが来て演奏する、30分ほどのミニコンサート。
2月の演目はバッハ2曲のほかは、Richard Purvis 、Robert Hebble、William Mathias、Louis Vierneという、いずれも知らない作曲家の20世紀の曲でしたが、面白かった。

演奏家は、東京の芸大で教えていたことのあるボストンのオルガニストさんでした。



教会内部は外から見た印象よりさらに広く天井が高く、壮麗。ステンドグラスや壁画も豪華です。

そして前の壁にも横の壁にも後ろにもオルガンのパイプ。
7000本以上のパイプがあるという、どこがどういうふうにつながってどこで鳴っているのかシロウトにはさっぱりわからないオルガン。

いってみれば教会堂全体が楽器です。
こんな大きな楽器を演奏できるオルガニストは楽しいでしょうね。

カンカン、というかねの音が入っている曲もあり、いろんな音があってとても面白かった。シンセサイザーのようだ。

オーボエのようなはかなげな音や、身体にごうごう響く低音が、本当に気持ち良いのです。

「セロ弾きのゴーシュ」の、チェロの中につまんで入れてもらったネズミの子みたいな心持ち。

このオルガンをこの聖堂で一日聴いたら、ちょっとした風邪や肩こりくらいならたちまち治りそうな気がします。

また教会でオルガンが聴ける日が、すみやかに来ますように。


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2020/03/14

SUICIDE FOREST



ひな祭りの日、ニューヨークで、シアトル在住の歌人で文筆家でパフォーマーのあふひさんが出演する舞台をみてきました。

娘さんのHARUNA LEEさんが脚本・主演の母娘共演。

SUICIDE FOREST (自殺の森)というタイトルは、自殺の名所といわれる富士山の樹海のことです。

昨年ブルックリンの劇場での初演が好評で、ことしマンハッタンのオフブロードウェイの劇場での再演となりましたが、なんと昨年末にはニューヨーク・タイムズの劇評で「[The Best Theater of 2019(2019年のベスト舞台10)」に選ばれるという快挙もなしとげました。すごい。

舞台のあと初めてお会いしたHarunaちゃんは、お母様とおなじく華奢で繊細でイノセントな印象だけれど、意思がものすごく強くてまっすぐな感じの人(これもお母様と同じ)。



日本語の文化で生きる母と、アメリカ文化の中で育った娘のコミュニケーションギャップ。

従順な性的オブジェクトとしての役割をおしつけてくる社会。
その日本社会の何重にもかさなった、砂糖をまぶしたようなゆるやかでやんわりとした、でも強烈な圧力。
性的なはけぐちとして若い女の子を求めるサラリーマンも、会社のなかで強烈な抑圧の下にいるし、家族ともつながりをもてないでいる。

社会的なコンテクストと役割、アイデンティティ、セクシャリティ。
ぐちゃぐちゃしている社会の中で自分の居場所と生き方を模索する娘と、すぐそばにいるのに謎でありつづける母。

前半は日本的世界がコミカルでテンポのよい展開で描かれ、後半は急に暗い樹海の(ヤギたちがさまよう)世界から急に劇場の「いまここ」へ(観客席にも眩しいライトがあたり、観客はそわそわと自分の足元を見つめずにいられなくなる)、そして語り手Harunaちゃんの心の中へ、謎めいた母との対話へ、と、くるくると時空を超えながら、まじめな葛藤を明るくシャキシャキと描いた舞台でした。

要は女の子の成長の物語、なのだけれど、肉声で語られる100パーセント真摯な物語に引き込まれます。

そしてなんといっても実の母親が実の母親役で、しかもちょっとこの世のものならぬ空気をまとって登場する迫力。

実際はとてもキュートで蚊も殺さない感じのあふひさんなのだけど、舞台では優しい母から凄みのある怖い存在に急変してほんとうに怖い。暗闇で出会ったらトラウマになるレベル。
舞台のあとで本人は、あの怖さは監督(舞台監督も日系の若い女性)のキャラクターなのよ、と言ってましたが、母なるもののわけのわからない恐ろしさが、地の底から引き出されてる感じでした。

娘が母に感じるもの、求めるもの、共有するものは、息子と母との関係にあるのとはまたぜんぜん違うのだろうな。

うちも日本語文化のなかで生きる母がワンオペで運営してきた片親家庭で、子どもが二重のアイデンティティを持っていて、という面では立場が同じだけれど、娘と母って、息子よりもずっと難しそうです。

男の子はもっとずっと単純で、女の子の取り扱い説明書があるとしたらたぶん300ページくらいあるところ、男の子は3行くらいで済みそうな気がする。

ひな祭りの日は初日。観客は白人が圧倒的に多かった。オール日本人のキャストで、脚本も監督も日系の女性による舞台がニューヨークの観客に深く理解されてるのにもちょっと感動しました。

公演は3月21日までの予定だったのだけれど、COVIDの影響でブロードウェイの大きな劇場が閉鎖されたのを受けて、木曜日の夜で終演にしたそうです(´;ω;`)

10日前にはそんなことになるとは思わずのんきに観劇していたのですが。
最終日も満席で、とてもよい舞台になったとのことですが、本当に残念。

また再演のチャンスがありますように。Harunaちゃんはこれを機にテレビの仕事が入っているそうですが、今後の活躍も楽しみです。
 


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2020/03/11

サウンドボード


自分が漠然と考えていること、感じていることをきちんと言葉化してみると、考えていたことや自分自身についての理解が、ひとつ次元が変わるほど深く変わりますよね。

わたしはふだん一人暮らしだし家で仕事をしているので、下手をすると1週間くらい人と口をきかないこともあります。テキストやメールでクライアントさんや友人と連絡はとっているものの、リアルに人と話をしないと少し頭がぼんやりしてくる気がする。




ボストンにいるうちの青年を訪ねて2月末から2週間ほど滞在して、今回はずいぶん深い話ができ、うちの少年がこんなに率直に話ができる友人に変身していたんだ、と驚きました。ほんとに行ってよかったです。

仕事やキャリアについて、観た映画や絵や読んだ本について、価値観について、集中したいときのフローの入り方や意識のもち方についてなど、青臭い話題をながながとお互い気楽に真剣に話せたことが、びっくりするくらいのデトックスになりました。





わたしは過去に鬱をわずらったことがあり、近年はいろんな方法を使ってずいぶん気楽な人になってきたものの、ときどき謎の落ち込みにアタックされます。ニューヨーク旅行中にも突然どーんと恐怖の大王みたいなのが降りてきたのですが、息子を相手に言葉化することで、謎の下方スパイラルを軽度にくいとめられました。

このとき、息子が本当によい「サウンドボード」になってくれてるのに気づきました。




まじめに聞いてくれる人にむかって話すと、自分も真剣にならざるを得ず、言葉にしていくことで自分の考えがかたまって、一歩引いて見られるようになる。いまさらながら、ひとに話すことの効果を実感しました。

文章で言語化するのもよいけれど、人を相手に話すのはスピード感が桁違い。

人の話をまじめに聴くというのは意外に難しい。自分の考えを押しつけず、一歩下がって相手の思考に心をあわせていくのはけっこうなエネルギーを使います。


うちの息子はいつの間にか、ぬるい励ましなど言わず、ときどき的確な質問をしつつ集中して耳を傾けることができる、かなり優秀な聞き手になっていた。わたしのほうが、人の話をいままであまり真剣に聞いてなかったし、真剣に話してもいないことが多かった、と反省しました。もはや親子の立場は逆転していることが多いです。とほほ。

自分の息子に対して言うのもなんだけど、この人随分苦労したんだな、と思ってしまいました。

親が甲斐性なしだと逆に子どもはしっかりするものなのかもしれませんよ。

ときにはお互いに意見が違うことがあっても、基本的な価値観が合っていて、互いを尊敬でき、大切に思い、安心感を持てる友人がほんの数人でもいれば、それにまさる幸せはないです。

わたしはまったくもっておっちょこちょいなので、自分自身よりも信頼のおける友人がまわりで見守っていてくれることがほんとうにありがたいです。


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2020/03/10

ハーバードの自然史博物館


ハーバード大学の自然史博物館。


前回は近くのサイ像をみただけで帰ってきてしまいましたが、今回は中も見物してきました。

入館料は、大人15ドルなり。

 地味な建物にある地味なミュージアムですが、みごたえたっぷりでした。


お宝のひとつは、入ってすぐの部屋にある、ガラス製の植物標本のコレクション


ハーバード大学の依頼でチェコのガラス作家、ブラシュカ父子が1887年から1936年まで、半世紀をかけて制作した、780種!4,300点!の植物モデル。
 


解像度の高いカラー写真もない時代に科学教育用の教材としてつくられたもので、あくまでも正確でほんものそっくり。素晴らしい3D資料。

そしてほんものと同じに美しい。


果物に生えたカビ!!や、腐った果物!!のモデルもあり、実物大だけじゃなくて、部分の拡大モデルもあります。


バナナの花。


かびの拡大モデル。かわいい。

ひとつひとつ本当にきれいで、見飽きません。



もともとブラシュカさんは、19世紀なかばにイソギンチャクなどの海の生物のモデルを大学の研究室むけに作っていたところハーバードから声がかかって植物標本制作の大事業にとりかかることになったそうです。


海の生物モデルは数点しか飾られてなかったけど、これがまた植物モデル以上に繊細で素晴らしい。クラゲ、アメフラシ、イソギンチャク。触手の繊細なこと!神モデル。


こちらは岩石標本の部屋。

高校のとき地学の先生と地学室が大好きで、地学部にはいってたことがありました。

地学室のなにが好きって、引き出しに入ってる岩石標本が大好きで、暇さえあれば石をながめていた。


たんに結晶と岩石が好きだったのでした。だったらもうちょっと真面目にサイエンスを勉強すればよかったのにねえ。


超特大のデザートローズ。


さすがに高校の地学室とは比較にならないコレクションでした。ものすごい標本がたくさんあった。


超特大のアメジストもあるし。

石たちに真剣に見入っているひとびとがけっこう多かったのも印象的でした。


これは鳥がつくった家。こんなの鳥がつくれるなんて絶対おかしい。ニューギニアの踊る鳥の仲間も絶対にヘン。鳥ってあやしい。

このほかにも、剥製の部屋や化石標本の部屋もあり、さらに、ピーベリー民俗博物館という博物館も併設されていて、同じ入館料で見ることができます。

ピーベリーのほうは、4階に展示されている19世紀末のシカゴ万博の展示がおもしろかった。

しかし、3時間ばかりかけてガラス製植物や化石や剥製や岩石標本を見たあとで、もうすっかり疲労困憊してしまい、民俗博物館のほうはもうほとんどなにも頭にはいりませんでした。

美術館や博物館は見ているだけなのに、すごく消耗することがある。
とくに古いものをたくさん見ると、とてつもない情報がうわーっと押し寄せて来て知らない間に疲れていることが多いようです。


クジラちゃんもいました。なんと大きな生物なのだ。こんなに大きな身体を持って生きるというのはいったいどういう気持ちのするものなんでしょうか。

身体の端まで5メートル以上先ってちょっと想像できない。


  鯨の世紀恐竜の世紀いづれにも戻れぬ地球の水仙の白

  大きなるステゴサウルス小さなる頭脳もて草食の夢いかにみし

(『世紀』馬場あき子)

今朝たまたま開いた本のページに馬場あき子先生のこの歌が出てきました。なんてタイムリー。

「いづれにも戻れぬ地球」はどこにいくのか。


ぜんたいに19世紀の風情がただよう博物館でした。(古い建物なので古い匂いがする)

自然史博物館というもの自体、19世紀〜20世紀初頭の産物なのですね。

「博物学」の時代は、未知の世界をコレクションするというロマンが熱い時代だったのだな、としみじみ思いました。



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