なおみ先生のお宅に滞在中、1日だけすかっと爽やかに晴れた朝に、自転車を借りて柴又へ行ってみました。
柴又といえばこの人。寅さんとさくらちゃんの像が駅前に。
朝10時ころ到着だったかな。まだお店も開いたばかりで観光客もまばら。帰る頃には団体さんがわーっとやってきていました。
柴又に来たら団子はお約束、というわけでみたらし団子を1本購入。
しかし高い。団子1本170円かい!観光地じゃのう。
まだ人が少なく静かな門前、ねこが気持ちよさそうにお昼寝をしていました。
というわけで柴又帝釈天。観光地だろうとたかをくくっていたけど、これがなかなかどうして素敵なところでした。
でも門のところでひっきりなしに寅さんのテーマの最初のところがぴ〜ひゃらららら〜ひゃらら〜ら〜とかかっているのはいかがなものか。
拝観料400円を払うと、本堂の裏面をぐるりと回って裏手と下のほうにある彫刻見られる「彫刻ギャラリー」と、裏手のお庭をぐるっと回廊で回ってお庭を拝見できます。
「ギャラリー」の一部、縁の下の龍ちゃんたち。
この彫刻は昭和4年の完成だそうです。
このへんは戦災で焼けなかったんですね。
回廊から見た境内。山門がかっこいい。
こちらは獅子ちゃん。うしろの欄干の鳳凰?松・梅・竹などもなんとなく大正っぽい感じのデザイン。
日蓮宗のお寺です。
お寺のウェブサイトの縁起には
当山には昔より日蓮聖人御親刻と言われる帝釈天のご本尊が安置されていたが、江戸中期の一時所在不明となっていた。安永年間に至り当山の第九代亨貞院日敬(こうていいんにちきょう)上人は此の寺のお堂が荒廃したのを歎き、その復興を計ったところ、安永八年(1779)の春、本堂改修中の梁上にこのご本尊を見出し、ついにご本尊の再来の法悦にあったのである。その吉日が庚申(かのえさる)に当たったことが、当山と庚申の結縁の始まりになったのである。
とあります。
此の御本尊は庚申の日に出現したもので,以来庚申の日を縁日として東京方面から小梅曳舟庚申を経て、 暗い田圃路を三々五々連立って参り……見渡す限りの葛飾田圃には提灯が続き、 これが小梅、曳舟から四ツ木、立石を経て曲金(高砂)の渡しから柴又への道を又千往、 新宿を通って柴又へ至る二筋の道に灯が揺れて非常に賑やかだったと言う事である。 茶屋の草だんご等は今に至っている。と、江戸時代の縁日はとても賑やかだったらしい。田んぼにずっと提灯が並んでいる風景、いいですね。
これも彫刻ギャラリーにあった、ご神水縁起。
「祈願によって帝釈天が出現し、ご神水が湧き出る様子」とあります。
明治時代に奉納された絵。
この帝釈天の出で立ちが!パンクである。かっけえ。
この回廊は昭和35年に作られたもので、古くはないけど、とても風情があります。
裸足であるくと足の裏にとても気持ち良い。
ぐるっと池をまわる。亀ちゃんがポーズをとってくれた。
途中で「ご神水」とかいてある水にさわれるようになっていました。
庭園の横に客間があり、中には入れないけど絵が飾ってある。
こちらも帝釈天ですね。
横山大観筆という、猿の図の屏風。
これは木彫のための下絵だそうで、ではその木彫はどこに?と聞いたら、それは非公開なのだそうです。
なかなかこれは素敵な猿の図でした。
おかあさん猿もいる。
庚申に縁があるから猿なのかな。
客間のシャンデリアがとっても大正風。純和室にこのシャンデリア。壁についてるランプも大正モダン風。
無料のお茶マシンがあり、冷たい煎茶を頂きながらここのベンチで庭や猿の絵を眺めながらちょっと本を読んだりしてました。
休日は混み合うのかもしれませんが平日の午前中だったのでほぼ無人で、ぜいたくなお休み処でした。
そこから自転車で数分の「矢切の渡し」も見に行った。
なおみ先生のステキ自転車。
暑かったけど川辺は爽やかでした。
渡し場です。江戸な風情。
ちょうど、観光バスで来たらしいお客さんを満載した渡し船が向こう岸へ向かって行くところでした。
江戸時代もこんな具合に庚申の市に来るひとたちが満載だったんでしょうね。
そうだ、帝釈天の境内をはいったすぐ左手の手水のうしろに、金のとぐろを背中にのせた蛇さんたちが大量にいた。これはまた思い切ったデザインですね。
この苔むした岩のガーデンにこの蛇さんたちの組み合わせが素晴らしい。
現代アートみたいです。