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2021/11/03

パグの惑星


11月ですね。はやいはやい。楽しいハロウィンでしたでしょうか。

ハロウィン当日の近所のおうち。ホーンテッドマンションみたいな真っ赤な照明で子どもたちを待ってました。


ここも前庭が墓場になっていたけど、骸骨がカクカクダンスみたいなへんな格好にポージングされてて愉快でした。



ハロウィンの日曜日はちょっと仕事が残っていたのだけど、あまりにもよい天気だったので、フィニーリッジの丘の上のカフェの日あたりのよい席に行きました。

ちょっと細かいチェックが必要な作業も、さんさんと日を浴びながらだと背中がのびのびして、つらくない。

目の前をいろんな衣装の小さいこどもたちとパパ&ママたちが通っていって、楽しかったです。

ここのカフェでは初めて、店内に座る条件としてワクチン接種の証明書提示を求められました。

室内での飲食の条件としてワクチン接種証明が必要、と書いてあるところは多いけど、実際に見せてといわれたのは初めてです。て言っても、まあそんなに出かけてないけど。

先週末、コロナ禍はじまって以来2度目に映画館に行ったときも、ウェブサイトにはワクチン証明書が必要って書いてあったのに入り口でまったくノーチェックだったので、えー、と思いました。

満席ではないけどけっこう混んでいた。両隣と席をひとつ空けて座ってはいたけれど。

観に行ったのはこれです。

 


 
よかったです!!とにかく綺麗だったーーーー!!!!圧倒されました。

映画館でもう一度観たい、と思った映画はかなり久しぶりでした。もう一回見たいです!

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督、『メッセージ』のときの美術スタッフをかなりそのまま使っているそうで、宇宙船のたたずまいとか、やっぱり似たところがあった。

暗い海のある灰色の惑星(ノルウェーで撮影したらしい)の風景も砂漠の惑星の風景も、それぞれの侯爵邸のインテリアも空気感もほんとに素晴らしくて、それだけでも2時間観ていられる感じ。
そしてはばたく飛行機(オーソニソプター)と巨大宇宙船のデザインがすごい。

もちろん、砂蟲:サンドワームも迫力でした!

あまりにも盛り上がってしまったので、翌日、デヴィッド・リンチの1984年版『砂の惑星』をストリーミングで観て、青年と二人でどっしゃー!とひっくり返りました。

この映画、昔いちど観たはずだけど、ジャバ・ザ・ハットをさらにやばくしたみたいなギルドの航海士とカイル・マクラクランが砂丘を下りていくところと半裸のスティングのオレンジの髪型(強烈だった)しか覚えていなかった。



デヴィッド・リンチ版は、とくに後半はYouTubeの「だいたいこういう話」みたいな仕上がりになっていて、なんだかもうやけくそみたいな映画でした。
『サタデー・ナイト・ライブ』のコントみたいな。

80年代らしい、ヴェルサーチというかマハラジャ的なインテリアデザイン(宇宙船の入り口まで黄金色のベルサイユ宮殿みたいな装飾が)と、公爵家にパグが飼われているところとかが、いかにもデヴィッド・リンチぽくておもしろかったです。あと悪趣味なキャラクターね…。

 


デヴィッド・リンチ版では、パグが一番心に残りました。

 

それと、見事なまでにキャラクター全員が白人だったなぁ。原作では中国系らしき描写をされているユエ医師まで、白人になっていました。

ヴィルヌーヴ版では、ユエ医師はアジア人だし、 砂漠の民のキャラクターの何人かは黒人で、なかでも重要なキャラクター、リエト・カインズ博士が黒人女性になっている。 

 

 


 

みるからに強そうなカインズ博士。

今回の「パート1」ではどんな人なのか背景があまり説明されないまま、ナゾの人として終わったので、きっと次回作の回想シーンで登場してくるはず!

オスカー・アイザックのレト公爵もすごくよかったです。えぇぇ、お父様役にはちょっと若すぎでは?とも思ったけど、いやいや充分迫力あったし、スペイン貴族みたいな貫禄があってステキでした。

原作の新訳が出ていたので、映画を観たあと、Kindleで読んでしまいました。(以下ややネタバレ)

フランク・ハーバートの『デューン』シリーズ第一作は『砂の惑星』は1965年出版で、生態系と生物の意思、精神と肉体の訓練による超常能力、薬物による意識変容と時空を超えた予見など、ニューエイジを先取りしたような材料がいっぱい詰まってる。

そして、面白いのが、『デューン』の宇宙では、人工知能もコンピュータも駆逐されているということ。

かつて宇宙を支配する勢いだった技術が、宗教革命的な大戦争のあげくに完全に撲滅されて、人類はあちこちの恒星系にまたがって住みながらも、ローマ帝国時代さながらの帝政が敷かれ、封建的な寡頭政治が君臨しているという世界です。

『スター・ウォーズ』の帝国は、アシモフの『銀河帝国』よりもこっちのデューン的世界に近い感じがする。ロマンチックな華やかさがあって、周辺が曖昧で、魔法的な。
 

そしてこの世界で恒星間飛行を可能にするテクノロジーは、人工知能やコンピュータのかわりに、辺境の砂漠の惑星でしか産出されない「スパイス」が人間の意識を変え、能力を超常的に高めることによってなされるという、神秘と魔法の世界なのです。

そして、女性だけのベネ・ゲセリットという宗教集団が、修業によって心身の能力を高め、常人の及ばない力を得るとともに、人類の歴史に関与していこうとする。

修練によって能力を高めるところとか、人の心を読めるだけでなく操る「声」を身につけるとか、ちょっとジェダイ騎士団的ですね。ジェダイは薬物を使わないけれど。

 


コンピュータのかわりを務めるのが「メンタート」という、これも薬物で能力を高めた、とてつもない情報処理能力を持つ人間たち。貴族のお抱えブレインとしてスーパーコンピューターのような能力を発揮するのですが、人間らしい忠誠心や復讐心は持ち合わせているという設定。

本作は「パート1」と控えめに銘打たれているものの、次作の制作はまだ始まっていないどころか決まってもいなかったようで、公開後、無事ヒットしたのでやっとお金が下りたのか制作がアナウンスされて、ヴィルヌーヴ監督の「三部作にしたい」というインタビューが公開されてました。

そうでしょうそうでしょう。三部作で撮りたいでしょう。

しかし、原作世界は、型破りなところもあるものの、基本的にはローマ帝国以来のジェンダー観の枠組みのなかで話がすすみ、政略結婚と貴族的な深謀遠慮、そして高貴な血筋の指導者への忠誠と心酔、というロマンチックな力学をベースにしています。

暴君ネロのようないかがわしい男爵と、部下にも信望の厚い高潔なレト公爵が対照的に描かれ、その息子がいやおうなしに英雄になっていくお話なのですが……。

ヴィルヌーヴ監督はこれをどんなふうに21世紀むけに演出するんでしょうね。

次回作は2023年公開予定だそうです。

わたしは生きて見届けられるかどうかわかりませんが、リエト博士と娘の、砂漠の強い母娘の姿が『マッドマックス 怒りのデスロード』のフュリオサ以上に印象強く描かれるといいなー、と思います。ああ観たいなー。

原作の後半では「聖戦」を率いる救世主になることをなんとか避けようとする主人公ポールが、結局運命の流に巻き込まれて世界を変えていくのが面白いなあと思いました。

パグはでてこないかな。


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2021/09/15

暗黒時代を短くする科学


ドッグウッド(ハナミズキ)の実が、今年はコロナウイルスに見えてしまいますね。

このあいだ、アイザック・アシモフの『ファウンデーション』を読みました。英語原作じゃなくて、ハヤカワ文庫です。

ずっと昔に読んだのかもしれないけど、何ひとつ覚えていなかった。

このシリーズがAppleTVでシリーズ化されるそうです。

主演のひとり、「歴史心理学者」のハリ・セルダン役は、『チェルノブイリ』で科学者を演じたジャレド・ハリス!

『チェルノブイリ』については、去年の8月に感動のあまりうっとうしいほど長文のレビューを書きました。


 

予告編をみると、さすがにビジュアルも役者さんたちも素晴らしく、見応えありそうです。

原作に出てくるのは科学者も政治家も男ばっかりで、女性といえば政治家の(とっても不機嫌な)妻くらいなのだけど、21世紀のAppleTV製作のシリーズでは、物語のナビゲーター的な役割で最初にでてくる主人公のひとり、若い学者ガール・ドーニックを、黒人女性が演じています。

1951年に出版されたこのSF古典。『スターウォーズ』シリーズにインスピレーションを与えたといわれているそうです。

銀河のすみずみまでいきわたった帝国。その滅亡を(心理学と計算によって!)正確に予言するたった一人の科学者。

1万2,000年つづいた帝国が崩壊し、そのあと暗黒時代が3万年続くことを計算により知ったハリ・セルダンが、その暗黒時代を1,000年に短縮するために、銀河のすみっこに人類の叡智の成果を保存する「ファウンデーション」を創設する、という壮大なお話。

1951年、広島と長崎に原爆を落として第二次世界大戦が終わってからわずか5年後の世界で書かれたこの作品には、いまの感覚からすると眩しいほどの科学への手ばなしの信頼があふれていて、そこにまず、うわあ、と思ってしまいました。

銀河のすみっこで、人類の知(すなわち科学)の砦として存在する「ファウンデーション」。

それをとりまく、封建主義の君主が治める凶暴な星系に対して、ファウンデーションは原子力科学技術を中心とした科学技術を擬似宗教として確立させ、遅れた星系の人々を「神聖」な科学の力で子どものように騙しつつ、絶対的優位を保つ、という発想がおもしろい。

ポケットにはいるサイズの携帯用原子炉とか、何千億人もの人類全体のゆくすえが計算できる「心理歴史学」とか。ほとんど魔術のような科学技術と、科学が政治を実に簡単に凌駕していけるという信仰。

半世紀の冷戦のあと、ベトナム戦争のあと、同時多発テロのあと、カブール陥落のあと、チェルノブイリのあと、フクシマのあとの現在から見ると、なんともはやあまりにもストレートな科学信仰、と、その無邪気さが眩しいほどです。

偉大なるアシモフ先生にむかって「無邪気(イノセント)」というのは失礼ですが、その後70年の集合知を通してみると、そう言わないわけにいかないのも事実。

 日本では鉄腕アトムの時代だったんだよね、というのも思い出しました。

原子力と科学、人間の理性に対する、まさに信仰の時代だったんですね。

続きは本棚にないけど、機会があればぜひ読みたい(日本語で読みたい)。

AppleTVのシリーズは今月からだそうです。シリーズではそのへんをどのように料理しているのか。予告編を見ると人間ドラマに主眼が置かれているようですが。

1か月だけサブスク契約しようかな。



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2021/08/27

攻撃性を手ばなす。ラクダ、不思議なゾウ、元オウム真理教のあの人

 

これも先月、シアトルに遊びに来てくれた友人たちと、アジア美術館に行ったときのです。
入り口のラクダ君。

新装オープンしてから行ったのは2回め。


このたび目を惹かれたのは、この白ゾウたちでした。
牙が3連です!!
口のなかがいったいどういうことになっているのか…。しかし目がとても優しく表情豊かに描かれていますね。耳もとても不思議な形状で、柔らかそうです。



たしか日本の江戸時代の掛け軸で、文殊菩薩?をのせている象たち。

ゾウたちは花の上に立っている。一種の曼荼羅だったとおもいます。
(うろ覚えごめんなさい!メモってこなかった)

そして象たちの下には!


さらにミニチュアな象たちがぎっしりと、世界を支えているのです。

密!!


こんなにぎっしりいるとゾウでなくても怖いけど、みんなニコニコしていて楽しそう。

 


このお仏像の右手、奥のほうに飾られているのが全体図です。

美術館はやっぱりほんとに楽しいです。


 数日前に、波乗り翻訳者えりぴょんが面白い動画を紹介してくれました。

 もとオウム真理教のスポークスマンだった上祐史浩さんの、最近のインタビュー動画。

(リンクがここのブロガーの中からはうまく見つからないので、検索してみてね)

 インタビュアーはサリン事件のとき小学生だった世代の人で、あまり事件についてもよく知らず、素人っぽいのだけれど、上祐さんが淡々と語る姿勢に、心動かされました。

わたしはこの人、死刑になったオウム幹部たちの中にいたのかとぼんやり思ってました。

1995年、地下鉄サリン事件の後しばらくは、テレビをつければパジャマみたいな奇妙な服を着てこの人が喋っていたのを覚えてます。うちの青年が生まれた年でした。

上祐氏は、地下鉄サリン事件のあったときにはずっとロシアにいて事件にはかかわっていなかったものの、事件後半年ほどは教団のスポークスマンとして、教団を代表し、擁護する立場だった人。その後サリンとは関係のない件で逮捕され、4年服役していたあいだに、麻原彰晃の教えから徐々に離れることができたそうです。

それまでは、本当に麻原のいう「ハルマゲドン」が来ると信じていたけれど、世紀が変わろうとしても予言はひとつも実現しないし、教祖も逮捕されてしまった。その中で、麻原の妄想は、「日本の過去の暗部である大日本帝国のリバイバル、拡大投影だったのではないか」と思い至るようになったと言ってました。

そして、今年アメリカで起きたトランプ支持者による議事堂の襲撃事件や、トランプが自分が選挙に負けたことを陰謀だと言い張っていることが、末期のオウム真理教に重なって見えることを危惧している、とも。

 

トランプ支持者やQアノンの言説の方向が、まったくもって麻原の妄想に重なって見える、という言葉は、まさに凶暴化してしまったカルトの渦中にいた人の言葉として、とても重い。

麻原彰晃も、当然勝つつもりで選挙に立候補したものの、ことごとく落選して、それを世の中の陰謀だと言い張り、そのへんから暴走が始まったようです。

わたしその頃、麻原が立候補した選挙区である杉並区に住んでいて、よく荻窪駅や阿佐ヶ谷駅の前で、ゾウのお面をかぶった信徒たちが「ショーコーショーコー♪アサハラショーコー」と踊りながら歌っている選挙活動を目撃したことがあります。

そのころは単に笑いものにしていたけれど。

 


 

上祐さんは、いまだに麻原の教えを信奉する教団「アレフ」とは決裂して、現在は宗教団体ではない仏教サークルのような団体の代表をつとめ、サリン事件の被害者団体とのあいだで取り決めた賠償金を支払い続け、「アレフ」を脱退したいと悩む信者の相談にも乗っているという。

20代前半のころ、JAXAの前身であった宇宙開発事業団に就職していたのに、出家したために1か月で辞め、結局は教祖の妄想に巻き込まれて犯罪の片棒をかつぐことになり、多数の死傷者を出した大事件の責任の一端を担って、つぐないつづける人生。 

そうでなければ、いまごろ「はやぶさ」の開発に携わったり、まっとうに家庭を持っていたりしたかもしれないのに。

テレビ番組に出たときにコメンテーターから「あなたは自殺してしかるべきだ」と言われたという。

他人に対してそういうことが言える神経はちょっとよくわからないけれど、上祐氏は、「その人は、もし自分が私の立場なら死んでいただろうと考えたのかもしれませんね」と淡々という。

ああこの人は、過去とも自分の現在とも、きちんと向き合い続けているのだな、と思わされました。今目の前のことに真摯に取り組んでいるのだろうし、だから表情が穏やかです。

遺族の方や被害者の方の中には、とても許せないという人も多いと思うけれど。
罪を犯した人には悔やみ続けてほしい、心の平和など持たないでほしい、と憎み続けている人がいたとしたら、その心こそ地獄ですよね。

自分で選んだというよりも、流されるようなかたちでいつの間に大きな間違いを起こしていたなかで、心静かに「胸を張るというのではないけれど、死なずに生きることを選ぶのだったらこれしかできない」という生き方を淡々としている。

瞑想と、自然の中に行くことで心が癒やされていると言っていました。

20代のころに教祖の妄想に巻き込まれたのは、やはり自分が特別でありたい、充足したい、秀でたい、超越したい、という欲望を持っていたからこそであり、そのことがつまづきになったことをよく見つめて、自分を麻原の被害者にしていないこと、責任を負っていることが心の平和をもたらしているのだろうなと、勝手に思いました。

身近な人を見ていても、トランプ周辺の支持者や陰謀論者を見ていても、自分が被害者だと思っている人は、絶対に幸せになれないし、攻撃の連鎖をやめられないんですよね。

わたし自身、いまも、攻撃性が心のなかにたくさん巣食っているのを発見して唖然とすることがあります。
けっこう毎日あります。
もう無いだろうと思った瞬間に見つかります。

怒りや攻撃性はヒューマンネイチャーだしそれは有効に使うべきエネルギーだっていう論もあるけれど、人類の歴史でそれを野放しにしていままでろくなことは起きてこなかったので、もうそろそろ人類的にもそれを別の方向から考えて手放すときに来てるのかも。

人類的にどうしたらいいのかはわたしの手には余るので、とりあえず個人的にさっさと手放す実験を死ぬまでつづけていきたいと思っています。

と、思っていたところにタイムリーに上祐さんの動画がやって来たので、うんうん、そうですよね、と思いました。


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2021/01/13

炭治郎とオバマ


これは↑2018年の7月に行った、熊野本宮の大斎原です。

朝、だれも人がいなくて、川には低い霧がかかっていて、田んぼの上に蜻蛉がたくさん飛んでいました。すがすがしかった。

日本の原風景のひとつ、だと感じました。

日本にはなんだか切実な不安を抱いて陰謀論にはまっちゃっている人が続出しているようです。日本の神様たちがそっと、心を正して、安心させてあげてくださいますように。


ところで鬼滅の刃、ただいま20話目が終わったところです!佳境です。

日本の最近のアニメがつまらないっていってごめんなさい。

最近Netflixで期待して見たアニメが軒並みつまらなくてがっくりだったのですが、これは面白いっす!

『サムライチャンプルー』で育ったうちの青年も気に入ってます。


ウェブサイトはまだ「COMING SOON」になってますね。無限列車。
はやく公開されないかな。

CGを駆使した奥行きのある背景。特に、炭治郎たちが山へ歩いていく場面の、低い穏やかな山々の重なりが美しくて、ああ、日本の山だー!とぐっときました。

鼓の鬼がいる家のふすまや天井も美しくて、驚いた。
ふすま絵は誰かがかなり楽しんで描いてるのかなーって気がする。
浅草の夜の風景もよかったなー。

「水の呼吸」の技の描写も綺麗で大好きです。
浮世絵を劇画風にしたみたいな独特のタッチが面白い。

そしてキャラクターがみんな一生懸命でかわいいですねー。

最近のアニメには今の日本の自信のなさが反映されていて(何度も言うけど、攻殻機動隊よ………)見ていて息苦しく感じることがあるのだけど、このアニメにはまったくそれがなくて、みんなそれぞれ元気いっぱいで。

肋骨が折れても戦うって…昭和の星飛雄馬よりも根性あるのに!炭治郎くんはどよーんと暗くなることがなくてひたすらまっすぐにチャレンジしていくところがいいな。コロナで家籠もりのときに、このひたむきな明るさが刺さるの、わかります。


(なにげにネタバレてますが、もう日本語圏の人は全員見ている気がしている……)。

炭治郎はいい子だねー。釈迦なのか。菩薩か。ナウシカか。

こんなにほかの人のことばかり全力で気遣う少年はそうそうこの世に生まれていないよね。泣ける。みんな炭治郎みたいに人に優しく強く生きたいと思うからこそ、この作品は支持されてるのだと信じたい。

そして、いまのZ世代には日本にもアメリカにも、ああいう明るい目をした清々しい子たちがけっこういると思う。

世界のあちこちにミニ炭治郎がいるから、人類の未来は大丈夫だって思える。

ドロヘドロも鬼滅の刃も、原作者が女性だっていうのが面白いですね。
かなりグロい殺傷シーンがあるのも共通。『鬼滅』は息子が低学年だったら見せるのに躊躇すると思う。

とはいえ、現実にも鬼がいる。

人を中傷しつづけ、ウソをばらまき、嫌悪と恐怖を煽ることで支持者の熱情を掻き立てて、とうとう暴徒にしてしまった指導者とか。


暴力をふるったり人を揶揄したり、集団で狼藉をはたらいて鬱憤を晴らすことに下劣な喜びを見出す人たちや。

6日の議事堂襲撃の際の、なんともひどい映像や画像が次々に明るみに出てきて、見るたびに心が沈む毎日ですが、そんななかでクーリエ・ジャポンに掲載された『アトランティック』誌のオバマ前大統領へのインタビュー記事(原文は去年11月のもの)の翻訳を読んで、まじで泣けてきました。

静かに号泣。

あんな小学生みたいな駄々っ子がヒーローになるとは…」オバマが斬る右派ポピュリズム | クーリエ・ジャポン]

『アトランティック』誌の元記事はこちら

「何が真実で何が虚偽であるかの区別もつかないようなら、定義上、言論の自由市場は成り立ちません。定義上、この国の民主主義も機能しません。私たちはいま認識論的な危機を迎えています」


そうですね。そして11月以来、それが驚くほどの勢いで加速している。




「あなたや私が育った時代、アメリカ文化に登場する古典的なヒーローといえばジョン・ウェインやゲーリー・クーパー、クリント・イーストウッドみたいな人たちでした。男らしさを定める行動規範があったんです。男は有言実行で責任をとり、愚痴を言わず、弱いものいじめをしない。むしろ、いじめっ子から弱い人たちを守るのが男でした。

だから、ポリティカル・コレクトネスに辟易している人たちでも、まさか金持ちのボンボン的な──愚痴とウソばかりで、責任なんて絶対とらない人間──をヒーローとみなすようになるとは思いませんでした」

……うん(涙)。
群衆に向かって「議会へ向かおう!」と焚きつけながら自分はホワイトハウスに隠れてテレビを見ていて、議事堂から議員が「なんとかしてくれ」と電話をかけても一切出なかったという、「親分」。自分の言動に責任をとったことが4年間一度もなかった。テレビに出れば自己憐憫と愚痴ばかり。

ほんとうに、日本でトランプを礼賛している人たちが「親分」の品性を正確に評価できず、崇拝していることが一番の謎です。言葉の壁の問題だけなのかな。



さらにオバマの言葉。

「私には変わらない信念があります。それは人類がもっと優しくなれる。もっとフェアになれる。もっと合理的になれる。もっと寛容になれるという信念です。そうなるのは必然ではありません。歴史は直線で動きません。でも、善意の人がそれなりの数集まり、このような価値観のために行動する覚悟さえあれば、物事は良い方向に変わっていくのです」


うう…(号泣)。炭治郎……。

こういう言葉で語れる人が大統領であった時代もあったのに。つい数年前に。 もう遠い昔になってしまいました。



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2020/11/04

かわいい安宿と、聖地の名前  [DAY4]



ザイオン国立公園の南側正面入口のすぐ外が、スプリングデールという小さな町になっています。

ホテルやレストランが並び、ちょっと離れたところが住宅街。

新しいラグジュアリーリゾートもいくつもできていますが、わたしたちの今回の旅はもちろんエコノミーなので、宿は昔ながらのMOTEL。

これは↑↓、そのすぐとなりのコインランドリー。



イームズチェア風の椅子(「なんちゃって」かもしれないけど、最近カフェなどで見かけるペラペラのなんちゃって品よりも、材質も座り心地もよさそうだった。色も素敵)も合板の壁も70年代ぽくてカワイイ。

ザイオンには4泊したので、ランドリーも活用しました。

シアトルのと同じく、マスク着用必須、洗濯ができるまで室内で待機しないこと、などのルールが書かれてあり、70代くらいのおじさんが一人、わたしたちがいた間ずっと、消毒液であちこちの表面を拭いてまわってました。だから中はどこもかしこもピカピカでした。



よくアメリカのロードムービーにでてくるような(部屋で人が殺されていたりする)典型的なロードサイドのモーテルです。おそらく1960年代後半〜70年代の建築。

青年が旅行の1週間前にみつけた宿。ウェブのガイドで高評価だったそうです。





モーテルのオフィスにあった絵葉書(息子撮影)。全景はこんなです。かたちがスペースエイジ風の看板がかわいい。フォントも素敵。そしてこのキッチュで雑多なオフィスと、一見怖そうなフロントのおばさまもいい感じで、楽しかった。





クイーンサイズベッド2台の部屋。狭い。電子レンジと小さい冷蔵庫、テーブルと椅子。

ベッドは寝心地いいとはいえず、岩山の景観に興奮しすぎたせいだとおもうけど、寝苦しくてあまり寝られなかった。リネン類やバスルームは清潔でした。

部屋は暗かったけど、内装は、すごく頑張っているDIYな感じ満載。壁は山のかたちに板を切り抜いて貼ってあるし、天井には雲と青空がww あまり上手でないところがぐっとくる。






窓からのながめ。岩山と、RVの駐車場。





外はこんな眺め。岩山の圧がすごい。

夜は星空が見事でした。



全体はこんなかんじ。プールとバーベキューグリルもあり。

ひなびた宿だけど、公園入口まで車で3分という便利なロケーションだし、とても満足でした。

スプリングデールの町では、バイデン支持のプラカードをけっこういくつも見かけました。
国立公園の町だけに、自然を愛するヒッピー的な人が多いのかもしれません。

当然のことだけど、「赤い州」(共和党支持基盤が強い州)にも「青い」(民主党支持とかいわゆる左派・リベラルな)人たちがいるのだよなー、と、あらためて実感。

メディアやSNSの情報ばかり見てると、世界がフラットで単純なものだとついうすっぺらく錯覚してしまうけれど、とんでもないですよね。





ザイオン滞在3日め、「ザ・ナロウズ」からシャトルで戻り、ビジターセンターの近くの川沿いのトレイルを日暮れまですこし歩きました。





夕日を受けて、灌木のセージブッシュもやわらかくキラキラした色彩になります。



「ヴァージン川」と名づけられた川。

「ZION」(日本語訳の聖書では「シオン」と読むことが多い、旧約聖書の約束の地)といい、まったく勝手な名前をつけるものですね。

でも「ザイオン」という響きはわたしも好き。

この場所に合っている気がする。

いつもは、土地の名前にはもともとそこに住んでいた人たちの言語の名をつけるべきだと考えているのですが(たとえば「レーニア山」は「タホマ」という正式名で呼ぶべきだと思う)、ザイオンにはなぜかそれを感じない。

公園としてこの名を得て、人とのつながりが変わり、それまでとは違う「地霊」をもつ場所になっていったのだと思うのです。

この名前はとても強い磁力のようなものを持っている。





もともと、1909年にタフト大統領が「Mukuntuweap National Monument」という名でナショナル・モニュメントに制定したのですが、1918年に当時の国立公園のディレクターが名前を「ZION」に変更する提案をし、ウッドロー・ウィルソン大統領のときに議会で承認されたそうです(by  ウィキペディア先生




Mukuntuweapというのは この一帯に住んでいたPaiute族の言葉ですが、 Paiuteの人々がこの峡谷周辺をその名で呼んでいたわけではなく、あとから白人が勝手につけたもの。

最初にここを「ZION」と呼び始めたのは、モルモン教徒の入植者だと言われてるそうです。




岩山を双眼鏡でみていて、奇妙なアーチをみつけました。




iPhoneを双眼鏡にくっつけて撮影。

よほどタフなクライマーでなければ登れるような場所ではありません。

倒木のように見えたけれど、砂岩が侵食されてできたアーチ。

19世紀末から20世紀のはじめにここを最初に訪れた敬虔なモルモンの人々は、この壮大な景色に神を感じて、造形に感動したのだろうな、と想像します。

「征服者」(モルモンの人たちも抑圧を逃れてきた人たちだったけれど、もとからいた民族にしてみれば同じですよね)の勝手な感慨だといえばそれまでだけれど、そこにも真摯な祈りと崇敬がたしかにあったはずだし。

ザイオンという場所には、ここを訪れた人たちの一世紀ぶんの感動が深く刻まれていることよ、と、なんだかそんなことも感じました。

やはり、聖書を当然生活の一部として良く知っているアメリカの人々が(とくに、20世紀の初めには、今よりずっと教会に通う人口が多かったのだし)親しくこの場所を体験するために、このザイオンという名前は大きな役割を果たしたのだと思います。

 


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2020/09/22

カニとコーヒーと救世主

 

煙が去って、日曜日には久しぶりに青空も見えました。夜には星も見えたー。
なんて幸せなことでしょうか。

といっても、治療のあとでエネルギーレベルだだ落ちの週末(2週おきにそうなります)なので、半分は寝て暮らしておりました。

朝、いや実は起きたら昼すぎだったりするのだけど、ごはんのときに窓から色のフィルターのついていない太陽光を浴びるだけで、気分が上がります。





まいどおなじみフレンチトースト。朝ごはんが午後3時だったというのは秘密です。

出かけないので卓上写真ばっかり。



週末は、Pちゃんからいただいたカニで焼きガニパスタにしました。
カニの焼き方含めレシピもつけてくださった。

ご子息のシェフMくんのご指導をたまわったのですが、なにしろ記憶力がカニ以下なのでYouTubeにアップしてほしい。


最近気づいたのだけど、わたしは耳から入った情報は頭に入りにくいらしいです。
だから通訳向いてなかったのね!ほかにも理由はあるが。

50歳過ぎて気づくのもどうかと思う。

 




猫パパぴゃっとさんから自家焙煎コーヒー豆をいただきました。

めっちゃうまいです。日本の、本気出してる小さな珈琲店の味だ。
 






 

 

 




 

 




 

ストロベリー、キャラメル、チョコレート、土の味がする。

豆の個性ってほんとにいろいろで面白いですね。

わたしは珈琲マニアではなく、きわめて雑な性格なので、淹れるのは青年。




きょう観終わった、Netflixの『Messiah』(邦題『メシア』)がすっごーーーーく面白かったーーーーーー。

五重マルでした!


10話のシリーズです。1話約40分だから400分くらいで観られるよw(例の韓国ドラマは長すぎて、まだちょうど半分の地点で挫折中)

キャラクターも全部めっちゃくちゃ良いし、俳優陣も素晴らしいし、脚本もすごいし、映像もよかったです。

突然、中東に現れ、テキサス州にやってきた救世主。


この男は社会を撹乱する胡乱な人物であると考えて追跡するCIAエージェントの女性、冷酷だけど娘にはデレデレなイスラエルの秘密警察エージェント、テキサスの小さな教会の牧師、アル中すれすれのその妻、家も町も大嫌いなその娘、シリア難民の純粋な少年たち、彼らを利用しようとする宗教指導者たち、無数の満たされない民衆たち。

人の世の欲望と痛みが、めちゃめちゃ切ない話です。

しかしお金かかってるなー。Netflix、懐豊かですねー。

でも残念ながら、シーズン2の制作はキャンセルになったそうです。DigitalSpyの記事によるとイスラム教方面でリアルに腹をたてた人が5,000人くらいの署名活動をしたらしいけれど、それよりも視聴回数があまり振るわなかったのが理由らしいです。これだけお金かけてつくるのだからシビアでしょうね。

もったいなーーーーい。みなさん、お誘いあわせのうえ観て観て絶対観て!


今年のベスト3にはいるくらい面白いですよー。スリラーとしても秀逸。

重そうに見えるから、いまいち視聴回数伸びないのかな。いや重いっちゃ重いけど、ほんとに面白いですよー!



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2020/03/27

何もかもストリーミング&元気な70代


ボストンのバックベイにある、オールド・サウス・チャーチ。
ボストンはさすがアメリカ最古の街だけに、教会がコンビニエンスストアなみにいっぱいあります。バックベイ地区だけでも、徒歩5分圏内に大きな教会が6つもあるという密集ぶり。

この教会はUnited Church of Christ(キリスト連合教会)派に属しています。
アメリカのプロテスタントの中でも群を抜いてリベラルな教会のひとつで、性的指向でジャッジしません、誰でもウェルカムですよ、という姿勢を強く打ち出してます。
入り口に飾られているレインボーフラッグはその象徴。

アメリカの大都市のほとんどがロックダウンされているいま、教会堂には集まれないので、礼拝をライブストリーミングで流している教会がたくさんあります。
ここもそのひとつで、木曜夜のJazz Coffee House という、ジャズのスタンダード・ナンバーに聖句の朗読を交互にはさむプログラムもストリーミングされてます。
ライブだけでなくて、録画もVimeoで観られます。


ここの教会堂はわりといつもオープンになっているので、10月に一度、中を拝見させていただきました。山小屋なむき出しの梁があり、薔薇窓のステンドグラスがあり、ヴェネツィアンルネッサンス風のアーチがあり、という折衷様式。
なんだかとてもアットホームな、あたたかい印象の礼拝堂でした。


インターネットのおかげで、家にいながら遠くの教会の礼拝もバーチャル参加できるし、直接会えない家族や友人とも顔をみて話せるし、映画もドラマも本もコンサートもほとんど無尽蔵に見たり読んだりできるって、ちょっと当たり前になりすぎててなんとも思わないけどすごいよね。


シアトル高野山も、こんどの日曜の護摩法会をライブストリーミングするそうです。
ウェブサイトのトップページに案内があります。


カミュの『ペスト』は1940年代に書かれたものだけど、あの登場人物たちは、封鎖された都市の外にいる妻や恋人たちの消息を、何日も遅れて届く手紙か電報でしか知ることができなかったし。感染が広がる中で、同じ映画をずっとかけ続けてる映画館に集まるのです。

人類をとりまく環境も、人類が世の中に期待することもずいぶん変わりましたね。





いま、プチビンジウォッチング中の『Grace and Frankie』。

70代のパワフルなカリフォルニアおばちゃんと、元夫たち、娘と息子たちの話。それぞれキャラが立ちすぎのファミリー。みんな極端だけど、南カリフォルニアにいるかもしれない、きっといる、と思わせる。

これもずいぶん前に波乗り翻訳者えりぴょんにおすすめされたシリーズ。いまとにかく笑えるものが見たい。笑いたい。で、毎夜はまってます。

あのマーティン・シーンが演じる、70歳をすぎてからカミングアウトして長年の仕事のパートナーと結婚するゲイのおじいちゃんが可愛すぎる。

でも今日は、1エピソード中、5回もフリーズしてました。

ヨーロッパのロックダウン中の都市ではみんながストリーミングを使うので回線がパンク寸前だってニュースを読んだけど、ここでも?


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2020/02/05

1月の舞踏


いつのまにかもう2月になってますね!ほんとか!

あっという間に過ぎ去っていた1月。きっと半分くらい気を失っていたのかもしれないと思うくらい早い。いっそそうだったらいいかもしれない。
いやでも、たまには出かけてましたし、いちおう社会人として活動もしている、ときどきは。

舞踏パフォーマンスだって観に行きましたよ〜。2回も!


ひとつめは1月19日。

激変しつつあるダウンタウンとSODOのさかいめあたりにひっそりと生き残っている稀有なスペース、Teatro de la Psychomachia(テアトロ・デ・ラ・サイコマキア)にて、恒例となった土方巽メモリアル・パフォーマンスを観に行きました。

去年は行けなかったのだけど、2017年2018年にも行きました。



舞踏家、薫さんは、今回、花魁のようなかんざしで登場。
(追記:これはかんざしではなくて実は、枯れた花とその実だそうです)


重さのない身体というかんじ。手の美しさよ。


あふひさんは、今回初めてのソロ舞台だったそうです。
(また追記:「シアトルでは」初のソロ舞台。日本ではすでにソロパフォーマンスされていらっしゃったそうです。確認しなくてすみません!)

背景は、テアトロ・デ・ラ・サイコマキアならではの祭壇。
ロウソクがすごいでしょ。
生きている炎です。



あふひさん、わたしが見た前回、一昨年の舞台では胎児〜戦災孤児だったのだけど、今回は、赤い紐につながれたなにかを、産み落としていらっしゃいました。

やはりこの人は、なにをやっても透明なイノセントな存在になってしまう。なんでも同じという意味ではなくて、それぞれにちゃんと命の重量がある無垢な存在として、孤児だったり母だったり、バーの女だったり。

ほんとうに、舞踏というパフォーマンスには演者そのひとの底にあるものがダイレクトにちらちらと現れる(出っぱなしではなく、チラチラとロウソクの火のように垣間見える)。


箱のなかに白い液体。これを自分に塗りたくる。
(あとから聞いたら、これ「もち粉」だったそうですw)。


だんだんと静かな存在になっていく。「ホワイトブッダ」。そのまま空気に消えそうな。


そしてこちらは、うってかわって明るいスペース。

日曜日の午後、パイオニア・スクエアのギャラリー、ARTXchangeで開催されたパフォーマンス。サイコマキアのあるじ、ヴァネッサさんと薫さんのデュオでした。

もう何年も続けて薫さんたちの舞踏をみせていただいてるけど、このペアは初めてで、今までにないエネルギーの組み合わせがとても新鮮で、面白かった。


テーマは「癒やし」。
床のうえにはられた結界。そのなかに舞う、黒と赤のタマシイ。

薫さんのパフォーマンスはいつもは「静」で超越的なアティテュードを持つ何かになっているけれど、ただそこにいるだけで激しい生命力をガンガン放出しているヴァネッサさんと絡むと、今まで見たことのないかたちが現れる。

なんだかどこかの古い森の樹の洞にフクロウと一緒に住んでいる精霊のような、不思議に明るいはっちゃけた個性が降臨していました。


フィナーレは、二つの精霊が金色の紙を会場に撒きまくる。

薫さんは今回、アーティストのYUKOさんのアイデアで顔にペインティングをして登場。そのために、一種の匿名性をもつ「お面」をかぶった存在としてあって、それもまたいつもとパフォーマンスのニュアンスが違うのでした。

そうか、お面というのは、なにかを演じるのではなくて、なにかでなくなるための装置でもあるのだな。

あっそうそう、音楽は、この上の写真の左側の奥にいる悲壮な顔をしたイケメン青年による、電子チェロの即興演奏。これがまたとても気持ちよかった。



休憩をはさんで第2幕。今度はヴァネッサさんの太鼓にあわせて、会場をあちこちさまよう白いタマシイ。


幻視アーティストYUKO ISHIIさんの、不思議なアートと語り合う。

会場でお久しぶりの方とも会えて、嬉しかったです。

弾劾裁判も呆れたことに予想どおりに終わってしまったし、不気味なウイルスが広がっているし、世界には本当に癒やしが必要ですよね。なんなのこの時代は。



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