2021/08/27

攻撃性を手ばなす。ラクダ、不思議なゾウ、元オウム真理教のあの人

 

これも先月、シアトルに遊びに来てくれた友人たちと、アジア美術館に行ったときのです。
入り口のラクダ君。

新装オープンしてから行ったのは2回め。


このたび目を惹かれたのは、この白ゾウたちでした。
牙が3連です!!
口のなかがいったいどういうことになっているのか…。しかし目がとても優しく表情豊かに描かれていますね。耳もとても不思議な形状で、柔らかそうです。



たしか日本の江戸時代の掛け軸で、文殊菩薩?をのせている象たち。

ゾウたちは花の上に立っている。一種の曼荼羅だったとおもいます。
(うろ覚えごめんなさい!メモってこなかった)

そして象たちの下には!


さらにミニチュアな象たちがぎっしりと、世界を支えているのです。

密!!


こんなにぎっしりいるとゾウでなくても怖いけど、みんなニコニコしていて楽しそう。

 


このお仏像の右手、奥のほうに飾られているのが全体図です。

美術館はやっぱりほんとに楽しいです。


 数日前に、波乗り翻訳者えりぴょんが面白い動画を紹介してくれました。

 もとオウム真理教のスポークスマンだった上祐史浩さんの、最近のインタビュー動画。

(リンクがここのブロガーの中からはうまく見つからないので、検索してみてね)

 インタビュアーはサリン事件のとき小学生だった世代の人で、あまり事件についてもよく知らず、素人っぽいのだけれど、上祐さんが淡々と語る姿勢に、心動かされました。

わたしはこの人、死刑になったオウム幹部たちの中にいたのかとぼんやり思ってました。

1995年、地下鉄サリン事件の後しばらくは、テレビをつければパジャマみたいな奇妙な服を着てこの人が喋っていたのを覚えてます。うちの青年が生まれた年でした。

上祐氏は、地下鉄サリン事件のあったときにはずっとロシアにいて事件にはかかわっていなかったものの、事件後半年ほどは教団のスポークスマンとして、教団を代表し、擁護する立場だった人。その後サリンとは関係のない件で逮捕され、4年服役していたあいだに、麻原彰晃の教えから徐々に離れることができたそうです。

それまでは、本当に麻原のいう「ハルマゲドン」が来ると信じていたけれど、世紀が変わろうとしても予言はひとつも実現しないし、教祖も逮捕されてしまった。その中で、麻原の妄想は、「日本の過去の暗部である大日本帝国のリバイバル、拡大投影だったのではないか」と思い至るようになったと言ってました。

そして、今年アメリカで起きたトランプ支持者による議事堂の襲撃事件や、トランプが自分が選挙に負けたことを陰謀だと言い張っていることが、末期のオウム真理教に重なって見えることを危惧している、とも。

 

トランプ支持者やQアノンの言説の方向が、まったくもって麻原の妄想に重なって見える、という言葉は、まさに凶暴化してしまったカルトの渦中にいた人の言葉として、とても重い。

麻原彰晃も、当然勝つつもりで選挙に立候補したものの、ことごとく落選して、それを世の中の陰謀だと言い張り、そのへんから暴走が始まったようです。

わたしその頃、麻原が立候補した選挙区である杉並区に住んでいて、よく荻窪駅や阿佐ヶ谷駅の前で、ゾウのお面をかぶった信徒たちが「ショーコーショーコー♪アサハラショーコー」と踊りながら歌っている選挙活動を目撃したことがあります。

そのころは単に笑いものにしていたけれど。

 


 

上祐さんは、いまだに麻原の教えを信奉する教団「アレフ」とは決裂して、現在は宗教団体ではない仏教サークルのような団体の代表をつとめ、サリン事件の被害者団体とのあいだで取り決めた賠償金を支払い続け、「アレフ」を脱退したいと悩む信者の相談にも乗っているという。

20代前半のころ、JAXAの前身であった宇宙開発事業団に就職していたのに、出家したために1か月で辞め、結局は教祖の妄想に巻き込まれて犯罪の片棒をかつぐことになり、多数の死傷者を出した大事件の責任の一端を担って、つぐないつづける人生。 

そうでなければ、いまごろ「はやぶさ」の開発に携わったり、まっとうに家庭を持っていたりしたかもしれないのに。

テレビ番組に出たときにコメンテーターから「あなたは自殺してしかるべきだ」と言われたという。

他人に対してそういうことが言える神経はちょっとよくわからないけれど、上祐氏は、「その人は、もし自分が私の立場なら死んでいただろうと考えたのかもしれませんね」と淡々という。

ああこの人は、過去とも自分の現在とも、きちんと向き合い続けているのだな、と思わされました。今目の前のことに真摯に取り組んでいるのだろうし、だから表情が穏やかです。

遺族の方や被害者の方の中には、とても許せないという人も多いと思うけれど。
罪を犯した人には悔やみ続けてほしい、心の平和など持たないでほしい、と憎み続けている人がいたとしたら、その心こそ地獄ですよね。

自分で選んだというよりも、流されるようなかたちでいつの間に大きな間違いを起こしていたなかで、心静かに「胸を張るというのではないけれど、死なずに生きることを選ぶのだったらこれしかできない」という生き方を淡々としている。

瞑想と、自然の中に行くことで心が癒やされていると言っていました。

20代のころに教祖の妄想に巻き込まれたのは、やはり自分が特別でありたい、充足したい、秀でたい、超越したい、という欲望を持っていたからこそであり、そのことがつまづきになったことをよく見つめて、自分を麻原の被害者にしていないこと、責任を負っていることが心の平和をもたらしているのだろうなと、勝手に思いました。

身近な人を見ていても、トランプ周辺の支持者や陰謀論者を見ていても、自分が被害者だと思っている人は、絶対に幸せになれないし、攻撃の連鎖をやめられないんですよね。

わたし自身、いまも、攻撃性が心のなかにたくさん巣食っているのを発見して唖然とすることがあります。
けっこう毎日あります。
もう無いだろうと思った瞬間に見つかります。

怒りや攻撃性はヒューマンネイチャーだしそれは有効に使うべきエネルギーだっていう論もあるけれど、人類の歴史でそれを野放しにしていままでろくなことは起きてこなかったので、もうそろそろ人類的にもそれを別の方向から考えて手放すときに来てるのかも。

人類的にどうしたらいいのかはわたしの手には余るので、とりあえず個人的にさっさと手放す実験を死ぬまでつづけていきたいと思っています。

と、思っていたところにタイムリーに上祐さんの動画がやって来たので、うんうん、そうですよね、と思いました。


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