Soy Source (10/25号)でもご紹介しましたが、窪田ガーデンに行ってきました。
前から気になっていた、サウスシアトルにあるジャパニーズガーデン。
新しい立派な門が。
ここは、日系の造園家だった窪田ファミリーが20世紀前半からこつこつと築いてきた庭園で、1987年になってシアトル市が買い取り、公園にしたもの。
年中無休、無料公開です。(日没閉園)
窪田ファミリーの一代目はフジタロウさんという高知出身の親父さんで、1907年に20代でアメリカに単身わたってきて、独学で造園を学んだという人。
当時のアメリカでは、日本人だったらほとんど無条件で誰でも庭師になれたなんて話を聞いたことがある。
かつての日本で英米人なら誰でも英会話教師になれたのと同じような大雑把さな話だけど、細やかな草木の手入れというのは日本の農家の息子であってみれば当然の基礎教養だったのでしょう。
シアトル市内外の造園業で成功した窪田フジタロウさんは、ここに広大な苗木園と自宅を構え、家族とお客さんのために少しずつ庭園を増築していったところに、第二次大戦が起こり、家族そろってアイダホの収容所に送られた。
戦争中の4年間、この庭園は放置されていたそうです。
終戦後、息子さんと一緒にまた造園業を再開、庭園にも築山を作ったり滝を作ったり、充実させていった。フジタロウ氏(と息子さんも)ライフワークだったんですね。
この庭園は、「作品」としての精緻な日本庭園じゃなくて、大木が囲み、ピクニックに最適な芝生広場もあり、あちこちにベンチが配されている、おおらかなガーデン。
ここも70年代後半、フジタロウ氏が亡くなった後でデベロッパーがコンドミニアムにする話もあったのを、有志が働きかけて市の歴史的ランドマークに指定、のちにシアトル市が公園として買い取るまでいろいろコミュニティが働いた。
開発を阻止するために歴史的建造物とかランドマークに指定してしまうというのは、60年代後半からパイクプレイスマーケットなどいろいろなところで使われてきた手段。
こうやって長く近所の人に愛される庭を遺すというのは、なかなか素敵な人生だ。
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