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2021/12/29

厳寒のおでかけと、初タトゥーと治療

曲がってゆく、猫のあしあと。

日曜は一日じゅう雪が降って、月曜日の朝は朝焼けがきれいでした。

青空の下、朝の気温はマイナス8℃でした。
予報されていたマイナス11℃にはならなかった(ちょっとだけ残念)。


ベランダのラベンダーがこんなありさま。


 ハチドリのためのフィーダーは、完全に凍って、割れてしまいました。


道路もかちかち。

こんな日にかぎって病院をハシゴする予約を入れていて、もちろん、うちのプリウスちゃんをこんな道で運転したくはないので、バスと電車で行くことにしました。

翌日の治療のための採血とドクターのフォローアップはいつものクリニックで午前8時からの予定だったのが、雪のために午後に変更になり、ドクターアポは「テレヘルス」(ビデオチャット)に変更に。看護師さんは出なきゃいけないけどドクターは家から診察できるのね。

まずバスで病院1の放射線治療に行き、そこから病院2での採血のために電車とバスをのりついで行くという遠足でした。


 

うちからバス停までは、ふつうに歩いて10分弱。
ワシントン大学に通っていたときにいつも乗っていた44番のバスで、終点が病院の目の前なので、らくらくです。

青年が雪渓ハイキング用に買って持っていた、靴にひっかけて装着する式のスパイクをわたしのブーツにとりつけてくれたので、滑る心配もなく気持ちよく歩けました。

宮沢賢治の『雪わたり』みたい。

キックキック、トントン、凍み雪しんこ、堅雪かんこ。

 


お昼ころの気温はマイナス5℃。とはいえ、風はなかったので、それほど寒さは感じませんでした。




ソリにこどもと食料品をのせて、買い物から帰るお母さん。たのもしい。かっこいい。

このところ年に一度は「大雪」が降るので、シアトルの人もけっこう雪の生活に慣れてきたのかもしれません。

それとも、この数年、トランプとかCOVIDとかで「アブノーマル」な状態というものに慣れてきたのかも…。

数年前のようなパニックはあまり感じない気がします。

大半の人が家で仕事をしている、または在宅勤務に切り替えられるのも大きいだろうし。すれ違う近所の人たちもにこにこしていて、落ち着いて雪の生活に取り組んでる感じがします。



雪中行軍中。




なんだかかわいいものが俯いていました。



さくっと予定通り到着した、放射線治療室。

Stereotactic Body Radiation Therapy(SBRTまたはSRT、定位放射線治療)という単語を覚えました(正確には覚えていない)。

従来の放射線治療は健康な臓器にもダメージが大きいため、腫瘍の箇所を特定して高精度でその部位だけに集中して照射する技術がいろいろ開発されてきて、SBRTもそのひとつなのだそうです。

わたしの場合は転移した肝臓の腫瘍が大きくなってきているので、その腫瘍箇所だけに集中して放射線を当てます。一回20分くらいのセッションを5日間。

治療に先立ち、照射部位を正確に特定するために、小さいほくろ大のタトゥをウエストまわりに3か所入れました。銭湯にはいれなくなるようなタトゥーじゃないけど、初タトゥー。

そしてこの、スノーマンのディスプレイがされているマシンがぐいーんと下がってきて、プラスチックのテーブルのようなもの、ミラーがついた装置、プラネタリウムの投影装置的なものという3つの装置がぐるぐるとベッドの周りを回転して20分くらいなにかが行われ、うとうとしているといつの間にか終わっています。

その3つの装置のいずれから放射線が出てくるのかは聞きそびれました。

例のアメリカの病院のデフォルトである背中あきの半袖ガウン(ひととしての尊厳を奪い去るガウンだと思います)を着ているので、ちょっと寒い以外にはなにも感じないし、痛くも熱くもないので、なにが起きているのか患者にはさっぱりわかりません。

コントロール室ではCT画像をリアルタイムで見ながら照射位置を細かく特定する作業をしているそうですが。

尊厳のないガウンを着せられるけれど、技師さん/看護師さんたちはみんなスーパーフレンドリーで、明るく、我慢強く、親切でした。なんて素晴らしい人たちなんだろう。




病院1からは道をわたったところにライトレールの駅があり、10月に完成したばかりの(いまのところの)ライトレールの終点、North Gate駅を降りると目の前にバス停があって、そこに病院2の玄関まで行くバスが来るので、とってもらくちんでした。

バス内ではとっておきのN95マスクを着用しました。
さすがにこの日はバスも電車も普段より利用者が多かったもようです。

バスに乗るのは何年ぶりだろう。学校に通っていたとき以来かもしれません。





なかなか楽しい雪中行軍でした。

もっと生産的なことに時間を使いたかっただろうにつきあってくれた青年も、ずいぶんいい奴です。

病院2からの帰りは、ジェニファーちゃんが4WDのアキュラで送ってくれました。


そして翌日火曜日のクリニックでの化学療法の予約にも送迎してくれた。
とにかく与えることが大好きなジェニファーちゃんなのです。



 

パウダースノーの記録。



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2021/12/28

クリスマス晩餐と、ツリーはいつ片づけるのか問題

 

クリスマスの夜はCT夫妻邸でディナーにおよばれしました。


テーブルの上にかわいいオーナメントが。

ビーグルのチート君は、大騒ぎしてがーっと食べてくたっと寝てしまったので写真なし。



メインはローストビーフ。
たいへん美味しゅうございました。



うちからは、リクエストいただいたカラードグリーンと、薄切りポテトのグラタンを持参。


 CT家のうつくしいクリスマスツリー。

アメリカの家庭では、たいてい、お正月明けまでツリーを飾りっぱなしにしておく人が多い。
クリスマスからニューイヤーまで、ひとつながりの「ホリデーズ」と考えるからなんだろうと思います。

ホテルやショッピングモールなども、新年3日くらいまで飾ってあるところが多いようです。

しかし、20年前から断捨離マスターである生まれながらのミニマリストCTちゃんは、毎年、当然のごとく、26日の朝にきれいさっぱり取り片づけています。

日本人だから当然でしょ、という立場で、この信念は岩のごとくゆるぎません。

なにしろ、むかし一緒に仕事をしていた会社で、クリスマスの翌日に出社してクリスマスカードを……あっこれを言うと怒られるかもwww

日本では、日づけが変わるとさっと気分を入れ替え、しつらえをすっかり替えるのが当然、という「折り目正しさ」が尊ばれるし、そうでないと気持ちが悪いと感じたりもしますよね。

クリスマスよりお正月のほうがメインイベントだし、26日すぎてクリスマス飾りを見るとなにか見てはいけないものを見てしまったような気がしていました、たしかに、日本にいたときは。 

 


翌朝は、起きたら雪が積もっていました。

ホワイトクリスマスにはニアミスでした。

 

 

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2021/12/04

おミクロン


 先日ナパ・ヴァレーに行ってきたCTちゃんにいただいた、巨大マカロン。おいしゅうございました。

金木犀のお茶もいっしょにいただいた。あまり、おおお、キンモクセイだ!という香りではないけれど、ほのかに甘い香りがする、明るいお茶でこちらもおいしいです。ごちそうさまでした。

しかしオミクロン。

神に誓って、マカロンにかけた親父ギャグではありません。本当に、たったいま、書いていて気づいたのです。

しかし、このように、知らないうちにベタなダジャレを飛ばしていたことに気づき青くなることがこれまでの人生で多々ありました。
なんらかのダジャレの神様がついているとしか思えない。この才能をどうしたらいいのだろう。

ついでに「おミクロン」て名前はかわいいよね、っていってもだれも相手にしてくれないのですが、それはさておき。

日本行き新規航空券発行受付を停止、という政府の要請はさすがに数日で撤回されて、よかったです。

しかしいざとなったら日本政府は在外邦人をすっぱり切り捨てることもあるんだな、ということがわかってしまって、やはりかなり衝撃でした。もちろんお役所と政治家のあいだでコンセンサスが取れての手段じゃなかったから数日で撤回になったのでしょうけど、それにしても乱暴な。

 


 


そしてオミクロンの市中感染が出た州からの日本入国者は、入国後3日間、またホテルで隔離になってますね。いまのところカリフォルニア州やニューヨーク州はじめ数州だけど、ワシントン州が仲間になるのも時間の問題。

州単位で指定するのもほんとーーーーーーに意味ないと思うんだけど…。

オミクロン、結局ぜんぜん心配するほど凶悪ではありませんでした、過剰反応でした、ってなるといいんですけどね。

年末年始は無理かもだけど、年明けくらいに行きたいなあ日本、と思っておりますが、行きも帰りもPCR検査必要で、2週間の隔離が必要で、と、ほんとにハードル高くて、腰が引けています。


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2021/11/29

インスピレーションの人、ホリデーの大学いも



日曜の朝はデザイナーのヴァージル・アブローさん死去のニュースにびっくりでした。

41歳、若い。

あちこちの記事を読んで今日知ったけど、ヴァージルさん、建築科出身だったんですね。

ファッションのことなどわたしはほとんどなにも知らないけれど、半世紀前の60年代〜70年代に起きたさまざまな「革命」を思い、ヴァージルさんがルイ・ヴィトンのアーティステイックディレクターに就任してアイコンとなったことも含め2010年代以降に起きてきた実質的な変化を思うと、その「ほんとに変わってきた」ということの厚みに圧倒されます。

60年代の若者たちをいっとき熱狂させたアイデアが着地して実体を持つまでには紆余曲折と挫折と揺り戻しとが何度もあって、もちろん理想の社会正義が実現したわけではぜんぜんないし、貧富の差はますます拡がっているけれど、レプレゼンテーションという面では、ここ10年ほどの変化には、目をみはるものがありますよね。

時代が常識を変えていく速度、実際にプラットフォームも変わっていく速度が加速しているんですね、よくも悪くも。

そして、変化を恐れたり憎む人たちの抵抗もそれだけ激しくなってきている。

ヴァージルさんの才能はなんといっても、時代の事象をつかまえてプロジェクトに落とし込んでいく才能だったのだろうなあと思います。そのエネルギーの量たるや。

多くの若者たちに、とてつもない量のインスピレーションを与えながら、日々、なにか新しいことをしていた人。うちの青年ももちろんその一人。


「いつも17歳のバージョンの自分のために仕事をしていた」というヴァージルさんの言葉が紹介されていました。RIP。



きょうは久しぶりに晴れて(サンクスギビングの長い4連休はずっと雨降りだったのに)、きれいな夕焼け。

しかし日没が早くなりましたね〜。まだ冬至までに20日以上あるのに。

 


 なんだか19世紀ロマン主義の大作絵画みたいなかんじのドラマチックな空。
荒れ狂う海、龍、海の怪物、難破する帆船、火を吹く大砲、て感じがしませんか。

 



サンクスギビングは、アーティストのSさん宅におまねきいただきました。
ベジタリアンディナーだというので、肉食人のうちの青年は一瞬かたまった。



でも、豆のローフのほかにミートローフも用意してくださっていました。

美しいリビングルームにていろいろな世界のお話が聞けて、楽しかったです。


 わたくしは簡単大学いもで参加。コウケンテツさんの揚げないレシピ。ちょっと焦がした。

 


 Mさんのパイ2種もたいへんおいしくいただきました。




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2021/09/28

ウィドビー島の牡蠣とソーシャルプレッシャー


快晴の土曜日、ウィドビー島(Whidbey Island)に行ってきました。

華氏77度(摂氏25度)という、夏が戻ってきたかのような気候。
あったかくて爽やかな秋の一日でした。




ウィドビー島は、くにゃっと曲がったドアの取っ手みたいなかたちの細長い島で、北側には橋がかかっているので地続きで車で行けますが、島の南端にフェリー港があって、シアトルからはフェリーで行ったほうが早い。フェリーだと島の南端までは1時間とすこし。

シアトル側のフェリー乗り場は、ボーイングの工場に近いマカティオにあります。

真新しそうなゲートに、ネイティブ部族に敬意をあらわすアートが設置されてました。



 さすがに快晴の土曜日、フェリーは混んでいて、1隻待ちでした。


いつものことながら出足が遅いわたくしたち、午後2時すぎにようやく島に到着。


 
今回は島の南側だけを訪問しました。

フェリーターミナルから近い小さな町ラングレー(Langley)と島のまんなかへんのクープヴィル(Coupeville)へ。

ラングレーでは往年のギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトの名前を冠した小さい音楽フェスティバルが開催中で、あっちこっちでジャズのバンドが演奏してました。
 
 


 アーティストもたくさん住んでいる島で、ギャラリーも多い。

ラングレーのMUSEOはとっても洗練されたギャラリーで、 素敵な作品がいろいろありました。

すごく気に入ったのが、ROBIN & JOHN GUMAELIUSさんのセラミック作品でした。

左側の、顔のついている大きめの作品は、2,800ドル。お買い得じゃありませんか。
ウマの上に、おなかがたらり〜んとなったおじさんが座っていて、その上にトリが止まっています。なんだか心あたたまる、不思議な味わいの作品です。

日本の人の作品っていわれてもなるほどって思うような、日本っぽい感覚だと思います。

日本に持っていったら人気がでそう。雑貨カフェとか書店に置きたい感じです。
日本のギャラリーの方、いかがでしょう。

テクスチャがとても面白いです。




クープヴィルは、貝の産地で(このへんでは)有名な、ペン・コーヴという入り江に面した小さな町。



ここのお店で牡蠣を食べるのが遠足の目的だったのだけど、当然のように予約などしておらず(笑)。


開店1時間前にウェブサイトから予約をしてみたら、携帯に電話がかかってきて、本日は満席です、とのことで、ウェイティングリストにのせてもらいました。

午後5時の開店後、直接行って、青年が食い下がる。
実際行ってちょっとねばってみたら、1時間後に席を作ってもらえました。

クレイマーじゃなくて、にこやかな「ソーシャル・プレッシャー」を実践しているのだと青年。
担当者も人間なので、まずラポールを築き、申し訳ないような気分にさせて、そこをやんわりとつつく。するとうまくいくことが多いと。

これほんとに、アメリカでは窓口の担当者次第でかなり融通が効くことが多いので、重要です。銀行とかクレジット会社とか電話会社とか役所とかでも。

日本では、個人としての裁量よりも決まりが優先されていることが多くて、あまり考える余地がないようなのが残念です。


このお店ではQRコードじゃなく、クラシックな紙のメニューでした。



牡蠣。美味しかった。幸せだ。

「カバナ」「クマモト」「ロックポート」という品種。
で、やはり、クマモトがいちばんおいしいね、ってなる。

このほかに、ベーコン味でグリルした牡蠣、フライしたオクラとグリーントマト。

メインはハリバットのグリルをいただきました。


テーブルにかわいい花が飾られてました。

外から見ると漁師の倉庫みたいな建物なんだけど、かなりおしゃれ。

お値段もそれなりにおしゃれ!

ビーツのサラダのアミューズと、メインの前にかりんの小さなジェラートがでてきました。



写真撮り損なってすごいエフェクトになった、ハリバット(オヒョウ)です。

走り去るハリバットみたいな。

日本じゃあんまり見向きもされない白身魚だけれど、ハリバットはアメリカでは高級魚です。繊細なうまみがあって美味しいです。

パンフライで、カリカリの表面がおいしかった。

 

デザートにベニエ。 

ニューオーリンズに行った頃には高校生だった息子も、いっぱし、わたしよりもたくさん稼ぐようになって、ごはんをおごってくれるようになりました。めでたし。

食べるのは2人前以上で、3人分くらいの食費がかかるのに財布はひとり分という、釈然としない時代が長うございましたのよ。





最後に小さいチョコレートのサービス。ローズマリー味でした。


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2021/09/12

また入院の巻


Yさんちから頂いた、お庭の梨。去年はひとつも実らず、今年は豊作だそうです。

小粒だけれど香りが良く、ジューシーで酸味と甘味のバランスがよい「アジアン・ペア」。なんという品種なのかは謎だけど、懐かしい味がします。

幼稚園の遠足が一瞬、脳裏をよぎりました。香りが、すごい遠くから記憶を引っ張り出してきます。プルースト先生か!



水曜日〜木曜日、1日だけ入院してました。

前回の治療からひと月ほど間があいて(というか、結果がかなり順調だったのと、おなかと肌の副作用が少しきつくなってきたため、希望して半月おやすみにしてもらった)、ちょっと人並みに10日ほど続けて仕事の予定を入れてみたところ、なんと急に具合が悪くなってしまい、看護師に電話で相談したら、すぐにERへ行きなさいと言われ。

しかたなく、大詰めだった仕事を途中でキャンセルさせていただくことに…。一人きりでなく数名でかかっていた大きめのプロジェクトで、わたしの受け持ちはごく補欠的に必要な部分に入るかんじの小さなパートだったので大惨事にはならずでしたが、小さくとも穴をあけてしまって申し訳なや。クライアントさんも同僚さんたちもほんとにナイスで親切な人たちばっかりでした。申し訳なや〜。

ERではコロナのPCR検査ももちろんするのだけど、その結果が出るまえに(陰性でした!)レントゲンとCTを撮ったため、コロナ患者と同等の扱いでCTルームへ。別の階の放射線科までストレッチャーで運んでくれるのだけど、その係の人は掃除機みたいなホースのついた空気清浄機と顔を覆うヘルメットつきのスーツを着込んでいらっしゃいました。

処置が必要なので1日だけ入院となり、ICUと同じフロアのSCU(スペシャルケア・ユニット)の病室に泊めていただきました。
なかなか快適な個室でございました。


広い病室で、うちの青年もおりたたみベッドを貸してもらって泊まっていきました。

少し前まで付き添いもNGだったのが、かなり緩和されてきたようです。



翌朝、ジェニファーちゃんが近所のカフェのコーヒーとクレープを差し入れしてくれた。

例の、滑り止めつきの踵のない病院くつした。こうしてみるとけっこうかわいい。置いてこなければよかった!

看護師さんに聞くと、なんと、ここの病院では、現時点でコロナの入院患者はゼロ!なんだそう。一時は大変だったでしょうけれども。これがもし、現在も病室が逼迫しているフロリダ州だったら、そもそもERで診てもらうまでにどのくらいの時間がかかったことか。




ルームサービスのランチを食べて(トマトスープが異常に美味しかった)、すごく小柄で、このうえもなく優しい話し方をするアジア系の女医さんに肺にたまっていた水をとってもらって(おっとりと優しくて優雅な、ハワイで何度か出会ったことのあるタイプの「アンティ」でした)、木曜の午後遅く帰宅。

おかげさまで楽になりました!

ERもSCUも、ドクターやナースがかなりキャラの立った人物揃いでした。

ERの男性看護師さんは両腕にカラフルなタトゥーを入れてた。SCUの見習い看護師ちゃん(20代女性)も、きれいな二の腕に、「橋」のタトゥーを入れてました。ポートランドの橋なんだって。



 家にかえったら、CTちゃんがごはんを届けてくれた。(`;ω;´) なんて綺麗な野菜たち。オクラもししとうもなすも、その他すべて激ウマでした。



そして玄関には、東京のにゃを美画伯から、こんなステキパッケージもとどいていた! 

Twitter絵師パンゲラゴ山画伯がにゃを美先生んちの猫様ウリエルちゃんを描いた超かっこいいTシャツや、素敵なおやつ。

 


 沼。

「バンザイ山椒」おかき、パッケージも味もいろいろ衝撃でした。美味しいっす。 



ごはんを食べ終わって散歩に出たら、ポケモンのフェニックスのような夕焼け雲と二日目の新月。

体が弱っていただけにいつも以上に涙もろくなっていて、なんと幸せなのだろう、て泣きそうになった。(ほんとはちょっと泣いた)

この人生で何か学んだことがあるとしたら、その一番大切なことは、まわりにいてくれる人にほんとにシンプルに感謝できるようになったこと、受け取っているものを心から嬉しいと思えるようになったことだな、と思う。そう気づくと、日々受け取っているもの、与えられているものがびっくりするほどたくさんあることに、ますます目が開かれていきます。

とんでもなくひどいこともわりとよく起こる世の中で、わたしのまわりには(すくなくとも今は)本当に心やさしく愉快な人たちがいてくれてて、おいしいごはんを作ってくれたりする。わたしはいったいこれに値するほどのことをほかの人たちにしてきたのかと考えると、まったく心もとない。めちゃくちゃ幸せです。



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