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2022/02/04

ないなら、ないように


キリコちゃんがニューハンプシャーからのおみやげに買ってきてくれた、フェルト製のブルーバード。

「ブルーバード」って、青い鳥。
西海岸にはいないけど、こういう子らしいです。せなかが青で、おなかがオレンジ。

 



 この正面顔は…。



 綾波レイの朝ごはんかよ!と自分でつっこんだ、今週の「おめざ」セット。

ほとんどがサプリ、マグネシウム、ビタミンですが、青くてちっちゃい子が、じつはいちばん強力なステロイド剤です。こんなちっちゃいなかに、すごい成分がギューッと入ってて、体が睡眠に向かなくなるの、すごい。

ミクロな世界で体は変わり、それがすぐに思考や意思や行動にピキーンと反映される。できることとできないこと、感じ方がすぐに変わる。

 

て、このあいだも『バカの壁』を読んであらためて思ったけれど、 「自分」というのは、そう思いたいほどしっかりしたシステムではなくて、わりとすぐ書き換わっちゃうものなんですよね。

ステロイド剤の服用は、とりあえず、昨日、10回をもって終了しました。



こんなに小さいのにすんごくはたらいてくれているおかげで、1日24時間のうち、2〜3時間くらいずつ合計5時間くらいしか眠れない。

ステロイドがいったい体の何をどうしているのかわたしには理解できていませんが(『はたらく細胞』のステロイドを思い出すのみ↑↑↑)、こんな強力なものはさすがにあまり長期にわたって入れてよいものではないということだけは、わかる。

 


 こちらは、まっとうなアボカドトースト。

 

退院してきた日にたまたまご依頼頂いたちいさな仕事を、先週末かけて1件だけお引き受けしました。

健康時ならば1日半くらいでやるものを、ぼーっとする時間を考慮して、3日分相当の時間を割り当てておいて、ちょうどよかったです。

内容が新しいテクノロジーとビジネスに関するもので、ちょうど興味のある分野の記事だったし、原文がすっきりわかりやすく書かれていたので、かなり楽しかった。

やっぱりわたしは翻訳が好きだなあ、と思いました。

原文に出てくる、知らないコンセプトや、きちんと理解していないコンセプトをまずリサーチして理解する。それを、日本の読者層にあたる方がどのような言葉で表現しているか、日本の媒体でリサーチする。まだ日本語のサイトがヒットしない場合には検索語を変えて周辺からいろいろ読んでみる。

詳しくない分野の(それがほとんどですが)翻訳は、そんなことをしているので、けっこう時間がかかります。

(わたしが翻訳の仕事を始めたのはインターネット時代になってからなので、前世紀のプロの方たちはいったいどんな知識を蓄えていたのだろうか、と思います)。

ひとつの単語について1時間くらいあれこれリサーチして、考え込んでしまうこともあります。

でも、自分が理解した内容を、すっきり読みやすい日本語に置き換えられた、と思えたときは、達成感があってうれしいです。

その出来上がりに、クライアントさんや読者さんがどのくらい同意していただけるかは、わかりませんが。

いまのところ、体力的にフルタイム相当での稼働はちょっと無理で、ピーク時の半分以下の仕事量になっていますが、それでも、こうやってぽつぽつご依頼いただくものに対応できるのはほんとうに嬉しいことです。

朝日新聞デジタル版に安藤忠雄さんのインタビュー記事がでてました。いま80歳で、なんと、8年前に、胆囊、胆管、十二指腸、膵臓、脾臓をがんで全摘したんだそうです。
まさに「五臓のないからだ」。

それなのに「五臓がないなら、ないように生きる――。こう決めて、退院後は1日1万歩歩き、昼食は1時間かけて食べ、その直後は休憩するように生活リズムを整え」て、いまのところ、特に目立った不調がない、という。

それで、五臓がないのに元気なのは奇跡だといって、むしろ縁起が良いからと、中国から仕事の依頼が増えたんだとかwwww 神様化している! 

「ないなら、ないように」生きる、という姿勢。希望を自分で作り出すこと。

希望とは「生きる誇り」であり、それは安藤さんの場合、建築の仕事を通して社会とつながること、スタッフの生計を支えること、大阪人としての誇り、だといいます。

幸せとか希望とか、生きがいとか、いろいろ言い方はあるけど、自分が充実することって、やっぱり、自分の思いと行いを通して社会/ほかの人、世界、とつながること、でしかないのだな、と思います。

ほんのすこしでも人の役に立てたっていう実感は、うれしいものですねー。



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2022/02/02

「年取っていいことは……」


2月ですね!
きのう、月曜日は、退院後、はじめて外に散歩に出ました。

綺麗に晴れて、明るくて、なんだかもう春の気配。小鳥たちも忙しそうに鳴いて巣作りをはじめているようです。

東海岸は嵐と大雪で大変そうですが、シアトルは2月になるともう春めいてきます。

近所でマンサクが咲いていました。






青年がこのあいだどこかで買ってきた、ブラジルのアーティスト。
まったりしてて、春にぴったり。ジャケは秋っぽいけど。

退院してきてからなんだかとってもスッキリしてきて、頭は元気です。
たぶんステロイド剤のせいで、いろいろ体がフル回転しているのだと思う。

ちょっと活動するとすぐに酸素不足になってしまうので、家のなかでもおばあさんのようにゆっくりゆっくり歩いています。
『ハウルの動く城』で呪いをかけられて急におばあさんになってしまったソフィーちゃんのように…。
(退院してきてから、HBOで『ハウルの動く城』を初めて見直しました。おもしろかった。)


ソフィーは20代の娘さんから急におばあちゃんになったのに、落ち着きはらって

「年とって良いことは、驚かなくなることね」

なんていうの不思議、と思ったけど、体が変わると見方も変わる。




「変わってみないと、わからない」のですね。体験しないことは、わからない。

ソフィーちゃんは荒れ地の魔女に急に年寄りにされたことで、冒険に出ることになり、新しい人たちと出会い、自分の力を発見し、世界と自分の美しさに目覚め、愛をみつけていく。

わたしも、静かな1週間を病院で過ごせたおかげで、そして、とてもゆっくりゆっくり生活することになったことで、深いところで、自分にとって本当になにが大切なのかを確認できたような気がします。


病を得るっていうのは悪いことではないのだな、と本当に思えるようになりました。

年寄りにならなければ自分の気持ちがわからなかったソフィーちゃんのように、わたしにも、病を得なければ理解できなかったことがある。

そう思うと、ウイルスもがん細胞も、お急ぎ便メッセージを持ってきてくれた自分の一部なのだなと思えてきます。

まあ、健康でいられるに越したことはないですけれど、順調なときには気づかないことってあるものです。人生にとって健康で長生きすることだけがいつも最重要課題とはかぎらないのだし。

自分にとって大切なものを常に更新していくことが、つまり幸せっていうものなのだな、と思います。

ハウルの城を徹底的に掃除しちゃうソフィーちゃんほどではないけど、わたしも病院から帰ってきてから、断捨離がさっくさくに進んで、部屋の空気ががらっと変わるほどすっきりしました。


フィニーリッジのジャパニーズカフェ『MODERN』のカレー、からあげつき。

コロナ罹患でゴロゴロしているあいだ、入院前に『3月のライオン』をKindleで全巻読んでしまい、川本家の唐揚げカレーが心に残っていたので…。



 抹茶ロールケーキもふんぱつ!これは日本の味〜。

 

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2022/01/28

オミクロン渦中に入院の巻


日曜日の夜から木曜日の夜まで、入院してました。

10日のPCRで、コロナ陽性です!といわれたのが翌日11日朝。

以降、喉の痛み、微熱、咳という症状が数日続き、それはおさまったものの倦怠感が抜けず…という状況でしたが、陽性発覚後10日ころから、息切れがひどくなりはじめ、パルスオキシメーターで測ると、ちょっとした日常動作のあとで80台になってしまうという状況が続きました。

オミクロン禍のさなかにできるだけ病院には行きたくない!と思ってたんですが、21日の金曜あたりから息切れがますますひどくなってきたので、日曜の夜、ついに、うちの青年に有無をいわさずERへ強制連行されました。
ふだんのかかりつけの腫瘍クリニックは、コロナ陽性発覚後20日は受診できず、受け入れ先はERだけだったのです。

コロナ陽性が発覚したのはもうその時点で約2週間前なのだけど、ERではまだコロナ患者扱いで、待合室もコロナ患者専用。

ERに到着したのは日曜の午後8時すぎでしたが、コロナ待合室はわたしのほか誰もいず、普通の待合室にも3人か4人が待っているだけで、わりとすぐに診てもらえました。

何人かの医師や看護師さんになんどか聞いてみたところ、1月のはじめ頃は患者が急増して、かなり緊張状態だったこともあったそうですが、もうかなり全体数が減っているとのこと。

やっぱりシアトルではもうとりあえずオミクロン株の感染もピークアウトしているというのは本当みたいです。

すぐにER内の簡易病室に入れてもらい、レントゲンとCTを撮ってもらいました。

血液検査のほかに、夜中と明け方に2度の追加PCR検査をして、1回目は陰性だったものの、2回めは陽性になって、ここでコロナ患者に再決定!

感染後もう2週間で、一度症状はおさまってるのに????まだウイルスが活動してるの???と驚きました。

その間、医師が3人入れ替わりにやってきて、レントゲンでは判断できないけれど、コロナによる肺炎の疑いがあるといって、とりあえずコロナ陽性の肺炎患者として、2種類の薬で治療を受けることに。
もともと腫瘍と胸水の組み合わせで肺機能が低下しているのはわかってるんですが、そこに肺炎を併発しているのではないかという所見でした。
肺炎にしては、熱もなかったんですけどね。

コロナ患者扱いなので、もちろん付添いの息子も同室できず、入室してくる看護師さんや医師は全員、マスク、不織布ガウン、フェイスシールドの完全装備です。

しかも、隔離患者なので、廊下のトイレを使うことができず、「これ使ってね」と「おまる」を持ってきてくれました…。


これがいちばん悲しかった……。急に部屋に看護師さんその他が入ってくることもあるので、気が気じゃないし!

持ってきてくれた女性看護師さんが「わたしこっち向いてるから、ドウゾ」と背中を向けてくれたんですが、さすがにかたまりました。

好きなときにトイレが使えるって、なんて幸せなことなんだろうか、と実感しました。
水洗トイレが当たり前だと思っている毎日よ。

去年の夏読んだ『アンジェラの灰』で、毎日家のおまるのナカミを捨てに行く話を思い出して、我が身の幸運をつくづく感じました。


結局、ワシントン大学の向かいのメインキャンパスの病院のほうに移送されることになり、翌日の午後5時になってようやくERを脱出。

日曜の夜中、息子にチーズバーガーを買ってきてもらい、翌朝、看護師さんが朝食を持ってきてくれたあとは、まったくなにも食べていなかったので(通常の病室ではないので食事のことなど忘れられていて、自分でも何か外から注文するという発想はなかった)、夕方に救急車で搬送される頃にはかなりおなかがぺこぺこでした。


生涯2度めの救急車。搬送チームは若い男女のペアで、とてもテキパキしてて親切でした。
「大変な患者さんも多いでしょう」ときくと、「うん、すごく怒ってる人が多いんだよねー」と言ってました。

機嫌のわるい病人に当たられると、辛いだろうなあ。なんて大変なお仕事だ!

 「そんなのどうやって対処できるのか見当もつかない。あなたたちほんとにすごいね」
というと、寂しく笑っていました。

 



ここからは、ワシントン大学の向かいにある大きな病院の、呼吸器病棟の広々した個室に入れてもらって、ものすごく快適でした。

専用の広いトイレとシャワーつきで、西向きの窓からは針葉樹と湖の一部、そしてきれいな夕焼けが見えて、なにかのリトリートのようにほっとして過ごすことができました。


バスルームはやたらに広く、なぜかオレンジ色の照明。

オミクロン感染拡大中につき、病院全体で面会は一切禁止になっていて(本当に命が危ない、臨終のときだけ、例外が認められるそうです)、ビジターは病棟のフロアまで上がってこれません。

息子に家から身の回りのものを持ってきてもらい、下の受付にあずけてもらって、看護師さんが取りに行ってくれました。





コロナ感染後、ぜんぜん食欲がなかったのですが、ステロイド剤を投与されたせいか食欲がでてきて、移送後さっそくがっつり夕飯を完食。

チキンのグリル、マッシュルームソースとマッシュポテト、トマトスープ、いんげんも歯ごたえがありゆで加減上々で、おいしゅうございました。

食事は、ベッドサイドの電話かアプリで注文すると、部屋に持ってきてくれます。





こちらは別の日のポットロースト。メイン、サイドディッシュ、スープやサラダ、飲みもの、デザートなどをカテゴリべつに一つ一つ選べます。


ここでもコロナ患者として完全隔離で、部屋のドアは内側から開きません。

看護師さんや医師も、フェイスシールドとガウンの完全装備で入ってきて、診察や用事が終わったら、着ていた不織布ガウンを部屋の中のゴミ箱に捨て、外の人にドアを開けてもらって出ていく、というのが、プロトコルになっているそうです。


使い捨てのガウンですぐにいっぱいになってしまうゴミ箱をみつつ、わたし一人のためにこんなにたくさんのゴミが出るなんて、と本当に申し訳ない気持ちになりました。


ここの病院の腫瘍医チームと呼吸器内科の医師たちが診てくれて、ひきつづき3日間、コロナの治療薬とされている「レムデシベル」とステロイド剤、それと血栓予防の薬剤を投与してもらっていたのですが、水曜の午後になって、とつぜん、その医師のひとりがやってきて、「疫病医と一緒に履歴を再検討した結果、あなたはもはやコロナ陽性ではないと判断しました」と宣言されました。

そして急に魔法のように隔離が解かれて、コロナ患者から非コロナ患者になりました。

「PCR検査って、感染後30日くらいまで陽性になることがあるから、再検査は推奨されないのよねー」
と、その医師が言うのですが、でも検査、したやん、2回も……。

やはり、渦中だけに、すこしでも可能性があればコロナと思えという姿勢になるのでしょう。



で、じゃあもう退院かとおもいきや、病室でやった心臓の超音波検査(これは呼吸器の患者に対するデフォルトの検査だそうです)で、心房のひとつに異常かもしれないものが見つかり、CTで脾臓にも梗塞かもしれないものが見つかったので、血栓のおそれがあるとのことで、再検査のためもう一日入院することに。


ベッドサイドの超音波検査。この時点ではまだコロナ患者扱いで隔離中だったので、検査技師もフル装備でした。

木曜日に再度CTを撮り、心電図を取り、血液検査をしてもらいました。そしてこんどは、心臓血管科の医師たちがぞろぞろとやってきて、「新しいデータをかんがみるに、異常はないとほぼ断言できるので、これ以上の検査はとくに必要ないです」といわれ、退院になりました。

レントゲン、CT2回、超音波検査、心電図、救急車搬送、1日3回以上の血液検査、いろいろな薬剤、ゆうに10人以上のいろんな科の医師の診断、看護師さん、そのうえ栄養士とフィジカルセラピストのカウンセリング。

これ全部自費だったら、たぶん小型のクルマがさくっと買えちゃうくらいの費用だと思います。

オバマケアがなかったら、フリーランスという身分のわたしには保険のチョイスがほとんどなかったので、ほんとうにありがたいことです。

わたし一人のためにこんなにリソースが使われて…とも思うけれど、わたしを媒体として、医療の現場に経済がまわっているのだと思うことにしています。(捨てられる不織布とプラスティックの多さには心が痛むけど)

どれだけの医療がほんとうに「適切」なのかどうかは、難しい問題ですよね。

本当に血栓の原因になる脾梗塞が発見されて、命拾いをすることになったかもしれないのだし、そういう可能性が目の前にあったら、医師は見過ごすわけにいかないですよね。

なんて手厚いシステムのなかにいるんだろう、と感謝する一方で、こんなに手厚いシステムに守られていることを、すこし居心地悪くも感じてしまう。






いちばんおいしかった、鮭のグリルつきシーザーサラダ、チョコトルテ。


病室で活躍した、うちの青年のクロックス(サイズ10)。看護師さんたちにやたら褒められた。

結局、これだけ大騒ぎした後、コロナ肺炎じゃなかったということがわかった以外は、あんまり状況は変わってないのですが、息がくるしくなったとき用に酸素吸入器をかりてきました。


 


高度医療のおかげで、いろいろ不具合はありつつも、まだ生きてます。しかもとても快適に。

既往症のあるうえに最新流行のウイルスに感染までしてみると、いろいろと新しい立場でものごとを見ることになります。

いろいろ社会のリソースを使いつつ、そのぶんきっと、誰かのなにかの役に立っているはずだ、と思って暮らしています。医療費や研究費などのリソースを回す媒体としても、ほかのもっと別のよいものを回す媒体としても、きっと役に立っているし、役に立てることはうれしい。

とりあえず、毎日楽しく快適に過ごせること、まわりの心優しいひとたちに、ほんとうに感謝です。



帰ったら、ハワイのえりぴょんから、マンガとバター飴とはちみつなどが届いてました。

バター飴うまい!



 

 

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2022/01/20

コロナに感染してました

 


お正月2日目、夜中に停電。もうごはんも片付けも終わって寝るばかりの時間だったので特に不便はなく、明け方5時ころには回復していました。

カミナリが落ちたような音がして、二度ほど一瞬回復してからまた落ちて、外に出てみたら近隣5ブロックくらいだけが真っ暗になっていたので、近所の変圧器がどうかしたようです。たぶん。

ティーキャンドルをミルクグラスの器にいれるととてもいい感じのあかりになり、ティーキャンドル4個もあればじゅうぶん本が読めることも確認しました。

それはさておき、正月そうそう、コロナに感染しておりました。  



症状が出始めたのは、8日の土曜日。咳が出て喉が痛くなってきたのですが、そのだいぶ前から息切れがかなり進行していたこともあり、これはきっと既存の肺腫瘍の状態がちょっと悪くなってきたか、また胸に水がたまりはじめたのだなと思っていました。
昨年9月に水を抜いてもらったときの症状にとてもよく似ていたので。

この時点では、青年にはまったく症状がなかったのでした。

11日火曜日には化学療法のアポが入っていたので、前日の月曜日には通常どおり採血と医師の面談に行ってしまいました。クリニックでPCR検査をしてもらい、翌朝電話があって陽性だったと連絡がー! うわーーーーーーーー。

以降、家に引きこもりの生活が続いています。

わたしはその火曜日からぐんぐん具合が悪くなり、3日間ほどは喉がおろし金でできているかのようで、ツバを飲み込むだけでも痛く、咳もひどくなってきました。

そして翌日、水曜日の朝から、青年にも症状が出始めました。

青年のほうは、悪寒>熱(最大39℃)が1日半ほど続き、その後、喉の痛みが1日ほど(咳は出ず)、そしてその後は鼻つまりが続いているそうです。

「症状がひどくなったらERに行ってね」と言われたきりの放置プレイですが、二人とも、幸いなことに入院が必要になるほどの重症にはいたらず、自宅でダラダラと過ごしています。

わたしのほうは熱も微熱程度(最大37.5℃)でしたが、発症後10日以上たっても全身のだるさと咳がなかなか抜けず、ダラダラと今に至る。若者のほうは1週間後、もうほとんど回復しています。


二人揃って「まったく外に出られない」というのは初めての経験でしたが、アマゾン/Whole FoodsやTargetで必要なものはほとんど宅配してもらえるし、友人たちが食料品や必需品をドア前まで届けてくれました。ありがたいありがたい。

ジェニファーちゃんが持ってきてくれた、生アップルサイダーたち。うまかった。

ジェニファーちゃんはこのほかにも食料品がつまった袋を4袋も配達してくれました。ナカミは手作りキッシュまるごと1個、鶏もも肉4パック、ニンニク7個、ズッキーニ7本、にんじん2袋、卵、ジュース、大量の缶詰、冷凍食品、「モーリームーン」のアイスクリーム2パック、パスタなど……。

おかげで、ウイルスだけでなく吸血鬼が来ても撃退可能な感じの冷蔵庫になりました。



そして、カリフォーニアのベイエリアに行っていたPちゃんが、ベイエリアのご友人宅で採れた柚子とレモンも持ってきてくれましたー。

これで白菜ミルフィーユなべにしたら、超絶おいしかった。感謝〜〜〜。


それにしてもどこから感染したのか。
年末年始は、雪のせいもあってほんとにどこにも行かなかったし、青年のほうがミーティングやジムなど外出率は高いのですが、発症がわたしよりも4日以上遅かったということは、わたしから感染したとみられます。

オミクロン株の潜伏期間、中央値は2.9日、95%が発症するまでの期間は7.1日だそうです。

発症前1週間で出かけたのは、近所の散歩を除けば、ただ1度だけ、友人と近所の寿司屋にランチに行った木曜日(発症3日前)。



こっ、この寿司のせいか……。

ここも、若干、となりのテーブルが近いなあ、とも思ったけれど、2メートルは離れていたし、店内の人数はフロアの店員ふくめ10人以下。入店時にはワクチン証明を提示、飲食時以外はマスク着用、という通常どおりのプロトコルに従ってました。

一緒にランチに行った友人は、同じクルマに同乗して往復し、2時間弱一緒にいたのですが、翌週検査してみたところ陰性だったとのこと。ほっとしつつも、なんか納得いかない。

その前に出かけたのは大晦日のスーパーマーケット。みんなマスクをしていたとはいえ、そっちのほうがよっぽど密な環境だったんだけど、潜伏期間からすると、おそらくそちらじゃないようです。

オミクロン恐るべしです。こーんなに出かけてないのに、ピンポイントでやられた感すごい!

口のわるい友人は「アンタ、このさなかにノコノコ外食なんかに行くからよ、もう脳もウイルスにやられてるわねきっと、残念ねぇ」と追い打ちをかけてきますし。
まあ世の中ってそんなものよ。

東京も急激に感染が拡がってるようだけど、そろそろピークアウトするとよいですね。



オミクロンなのか既存症なのかもうわからない咳がしつこいなか、心やさしいえりぴょんが買ってくれた謎のビワシロップ(香港製)と、心やさしい鉄腕みぽりんが去年日本から買ってきてくれた龍角散がパワーを発揮しています。

龍角散、効くわー。



このビワシロップも、謎の効能が高そうで素敵でしょ。

あとはまるで食欲がないので、自家製なんちゃって参鶏湯のエンドレスリピートです。

鳥スープにも柚子をプラスして、癒やされています。

嗅覚&味覚に影響がなくて幸いでした。

柚子の香りもコーヒーの香りもない世界って、悲しい。




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2021/12/29

厳寒のおでかけと、初タトゥーと治療

曲がってゆく、猫のあしあと。

日曜は一日じゅう雪が降って、月曜日の朝は朝焼けがきれいでした。

青空の下、朝の気温はマイナス8℃でした。
予報されていたマイナス11℃にはならなかった(ちょっとだけ残念)。


ベランダのラベンダーがこんなありさま。


 ハチドリのためのフィーダーは、完全に凍って、割れてしまいました。


道路もかちかち。

こんな日にかぎって病院をハシゴする予約を入れていて、もちろん、うちのプリウスちゃんをこんな道で運転したくはないので、バスと電車で行くことにしました。

翌日の治療のための採血とドクターのフォローアップはいつものクリニックで午前8時からの予定だったのが、雪のために午後に変更になり、ドクターアポは「テレヘルス」(ビデオチャット)に変更に。看護師さんは出なきゃいけないけどドクターは家から診察できるのね。

まずバスで病院1の放射線治療に行き、そこから病院2での採血のために電車とバスをのりついで行くという遠足でした。


 

うちからバス停までは、ふつうに歩いて10分弱。
ワシントン大学に通っていたときにいつも乗っていた44番のバスで、終点が病院の目の前なので、らくらくです。

青年が雪渓ハイキング用に買って持っていた、靴にひっかけて装着する式のスパイクをわたしのブーツにとりつけてくれたので、滑る心配もなく気持ちよく歩けました。

宮沢賢治の『雪わたり』みたい。

キックキック、トントン、凍み雪しんこ、堅雪かんこ。

 


お昼ころの気温はマイナス5℃。とはいえ、風はなかったので、それほど寒さは感じませんでした。




ソリにこどもと食料品をのせて、買い物から帰るお母さん。たのもしい。かっこいい。

このところ年に一度は「大雪」が降るので、シアトルの人もけっこう雪の生活に慣れてきたのかもしれません。

それとも、この数年、トランプとかCOVIDとかで「アブノーマル」な状態というものに慣れてきたのかも…。

数年前のようなパニックはあまり感じない気がします。

大半の人が家で仕事をしている、または在宅勤務に切り替えられるのも大きいだろうし。すれ違う近所の人たちもにこにこしていて、落ち着いて雪の生活に取り組んでる感じがします。



雪中行軍中。




なんだかかわいいものが俯いていました。



さくっと予定通り到着した、放射線治療室。

Stereotactic Body Radiation Therapy(SBRTまたはSRT、定位放射線治療)という単語を覚えました(正確には覚えていない)。

従来の放射線治療は健康な臓器にもダメージが大きいため、腫瘍の箇所を特定して高精度でその部位だけに集中して照射する技術がいろいろ開発されてきて、SBRTもそのひとつなのだそうです。

わたしの場合は転移した肝臓の腫瘍が大きくなってきているので、その腫瘍箇所だけに集中して放射線を当てます。一回20分くらいのセッションを5日間。

治療に先立ち、照射部位を正確に特定するために、小さいほくろ大のタトゥをウエストまわりに3か所入れました。銭湯にはいれなくなるようなタトゥーじゃないけど、初タトゥー。

そしてこの、スノーマンのディスプレイがされているマシンがぐいーんと下がってきて、プラスチックのテーブルのようなもの、ミラーがついた装置、プラネタリウムの投影装置的なものという3つの装置がぐるぐるとベッドの周りを回転して20分くらいなにかが行われ、うとうとしているといつの間にか終わっています。

その3つの装置のいずれから放射線が出てくるのかは聞きそびれました。

例のアメリカの病院のデフォルトである背中あきの半袖ガウン(ひととしての尊厳を奪い去るガウンだと思います)を着ているので、ちょっと寒い以外にはなにも感じないし、痛くも熱くもないので、なにが起きているのか患者にはさっぱりわかりません。

コントロール室ではCT画像をリアルタイムで見ながら照射位置を細かく特定する作業をしているそうですが。

尊厳のないガウンを着せられるけれど、技師さん/看護師さんたちはみんなスーパーフレンドリーで、明るく、我慢強く、親切でした。なんて素晴らしい人たちなんだろう。




病院1からは道をわたったところにライトレールの駅があり、10月に完成したばかりの(いまのところの)ライトレールの終点、North Gate駅を降りると目の前にバス停があって、そこに病院2の玄関まで行くバスが来るので、とってもらくちんでした。

バス内ではとっておきのN95マスクを着用しました。
さすがにこの日はバスも電車も普段より利用者が多かったもようです。

バスに乗るのは何年ぶりだろう。学校に通っていたとき以来かもしれません。





なかなか楽しい雪中行軍でした。

もっと生産的なことに時間を使いたかっただろうにつきあってくれた青年も、ずいぶんいい奴です。

病院2からの帰りは、ジェニファーちゃんが4WDのアキュラで送ってくれました。


そして翌日火曜日のクリニックでの化学療法の予約にも送迎してくれた。
とにかく与えることが大好きなジェニファーちゃんなのです。



 

パウダースノーの記録。



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2021/11/24

火焔とCT室の巨匠


はにわーずの秋シリーズ、第二弾。

バカですみません。

しかしもうサンクスギビングですね。





こちらは枕もとを守ってくれている、かえるくんにメープルの葉。火焔のようでかっこいい。

似合う。

お不動様のお寺から来てくれているカエルくんなので、このように火焔のようなバックグラウンドが似合うのでしょうか。

 

うしろにいるのは、安定のサイトウさんです。

 


またCTを撮りにいってきました。
かかりつけの腫瘍内科医エド先生はCTを撮りにいってきなさいというのを「take pictureして(写真とって)きましょう」といいます。

造影剤を点滴で入れる準備をアジア人の若い女の子がやってくれたのだけれど、左腕に管を入れたらかなり痛かったので右腕でやりなおしてもらったら、もっと痛かった。

肘の内側のいつも採血されている静脈なのだけど、カテーテルがどういうわけか神経にさわってしまったようです。
あとで両腕とも内出血になって、その後3日くらい紫色だった。

ちょっとくらい痛くても数分のことだし大丈夫だから、といおうとしたら、彼女が同僚のおじさんに頼んで、そのおじさんがやりなおしてくれました。

オレも忙しいのにまったくもぅ、とちょっとむっとしていたのか、注射器や針のはいったパッケージを片手で通常の3倍速くらいでバリバリと開けて準備しているので、うわ大丈夫かな、と一瞬不安だったのですが、なにが起こったのかわからないうちに、腕の下のほうの、ふつうここに針はささないよね、というところの静脈に、見事に点滴用カテーテルがはいってました。

痛みほぼなにもなし。針をさしてから2秒で完了でした。

ここにも魔術師がいた。
「すごっ!はやいですね」というと、「20年やってるからね」と、匠の風格でこたえるのでした。マエストロ。

検査の結果は、おかげさまで肺のほうはステイブル(よくはなってないけど特段進行もしてない)でした。これは朗報。

しかし肝臓のほうの腫瘍がひとつ、大きくなってきているので、医師のすすめで、来月は初の放射線治療をする予定です。


 

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