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2021/11/11

数に入っていなかった(悲)

 


予報通りの雨が降るシアトルです。

火曜日の晩ごはんはエゼルのチキン。青年はチキンを食べてから飛行機に乗っていきました。




雨のグリーンレイク。車で通りすがりに。

一日家にいる日の雨は、ほっとします。




雨で洗われて、空気がすがすがしい。




ところで、外務省の水際対策が緩和されて、ワクチン接種ずみの人は日本入国後の「行動制限」期間が14日から3日に短縮される!というニュースを聞いて喜び、よっしゃー!行くか日本!と思ったのもつかのま。

きのう届いた領事館からのメールでよく読むと、この措置は「受け入れ責任者」となる企業や団体が外務省あてに申し込む場合のみ、ということが判明して、がっくり肩をおとしています。

やっぱり日本は企業が大きな組織に属している人が優先というか、基本、その他は眼中にないのね。

わたくしのようにフラフラとどこにも属さず漂っている浮遊分子は、日本国民といえどまったく火急の存在ではないのね。数ならぬ身ってやつを痛感させられる。


ガラスの壁にぶちあたって脳震盪をおこした鳥の気分ですよ。

元気に歩けるうちに帰国して東京を闊歩したいんですけどー。んもー。




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2021/10/07

配慮に欠く表現


 シアトル・ダウンタウンにできた、新しいビル、レーニア・スクエア・タワー

ミノル・ヤマサキの設計した、棒つきアイスみたいな形をした「レーニア・タワー」(1974年完成)と呼応する、末広がりなデザイン。

全面ガラス張りの外壁にアクセントが配されていて、遠くから見ると編んだ籠のように見える表面のデザインも面白く、空を映して品よくキレイです。

「こんなビルができるんだって」というブログ記事を書いていたのが5年半前、2016年でした。

トランプ以前の時代です。

この5年のあいだに、世間にもわたしにもずいぶんいろいろあって、世界はいろいろ激変しました。世の中は、目に見えている以上に、ものすごく変わったと思います。たった5年で。

そして5年たてば、以前は影も形もなかった58階建てのビルが完成していたりもする。

 

2016年の段階では2019年完成予定といわれてましたが、結局オフィスと住居のテナントが入居開始したのはつい先月だそうです。

オフィスの一部にはAmazonが入居するはずだったのが、とりやめになったそうな。

オフィスビル需要、コロナのあと、どうなるんでしょうねー。

まだまだ、シアトルのダウンタウンの真ん中は人影がなく、オフィスビルは静まり返ってひと気がない感じです。新しく完成したのも古くからのも。

AmazonもAppleもまだほぼ全社リモート勤務が続いているそうです。

うちの青年の勤務先も、まだ役員以外は全社リモート勤務。9月にはボストンでのオンサイト勤務を再開するはずが、11月に延期され、さらに来年1月に延期されました。

日本の会社では、かなりオンサイト勤務が戻っているのでしょうか。

一昨日、Twitterで品川駅の構内に掲示された広告の写真が炎上していて、それにも驚いたのだけど、それに加えて、ふつうに出社の人がこれだけいるんだ?というのも意外に感じました。


もちろんコロナ以前のラッシュ時はこんなものではなかったとはいえ。

 

「今日の仕事は楽しみですか。」

この広告が大炎上して、「サラリーマンの心を折る」と批判にさらされ、たった1日で取り下げることになったそうです。


Yahoo!ニュースにも取り上げられて、話題作りとしては大成功でしょうけれども、この広告を作って出したプラットフォーム&メディア企業が「ブランドメッセージにおいて、当駅利用者の方々への配慮に欠く表現となっておりましたことを心よりお詫び申し上げます」
というお詫びをしているのに、またびっくり。
 

「配慮に欠く表現」というのも、この5年くらいというもの、いろいろな意味で注目された考えでした。

「配慮に欠いていたことをお詫びする」とは、つまり、自分の言動が誰か特定の人をいちじるしく傷つけていることに思い至らなかったこと、その人たちの体験に対して想像力が働いていなかったこと、自分が無自覚により精神的な暴力をふるっていたことに気づき、そのことを詫びる、という意味です。

以前は当然のこととして見過ごされていた他人種・他民族・マイノリティへのあからさまな差別表現がいろいろな場面で見直されるようになったのも、ここ最近のことです。そういった見直しを快く思わない人たちからの反発も、当然ながら目にすることが多かった数年間でした。

でもこの広告主がこういう形で「お詫び」するのはどうなん?というか、本当にそう思ってるのかな、と疑問に思います。しかもブランドメッセージという、基本姿勢を示すべき場で。

そもそも、この広告は、どんな狙いで誰になんのメッセージを届けたかったのか。

「仕事は楽しいですか」

という問いは、生き方を問うています。それは、
<毎日仕事が楽しいと感じるのが人間の生活であるべきだと私たちは考えていますけれども>
という前提があっての問いのはず。

そしてそれは、
<楽しくないなら、あなたの毎日は何かがちょっとおかしいんじゃないですか?>
という挑戦をはらんだ問いでもあるはず。

これが広告である以上、
<うちのサービスを使えば、そのおかしい現状を是正して、仕事が楽しい毎日にシフトできますよ>
というメッセージがその後ろにあるはずだと、ふつうは読める。

そしてこの挑戦は、
<この広告ターゲットである、品川駅を歩いている人たちは、このメッセージを受け止め、理解し、あるいはショックを受けて、自分の生き方を変える力のある人々である>
ということを前提としていないのであれば、単なる嫌がらせになってしまう。

「アートは人を傷つけるものだ」と、社会学者の宮台真司さんがどこかで(批判が殺到して話題になった愛知のトリエンナーレについて)言っていたけれど、広告コピーもしかりで、インパクトの強いメッセージは、人を傷つけるものです。

そして送り手の側がそのことに自覚的でなければ、アートであっても広告であってもまったく成り立たないはずですよね。

自分のメッセージがどのような人々にどのような効果を与えるかということに自覚的でないなら、アーティストもコピーライターも送り手として資格がないことになります。

わたしは、この上の写真を最初に見たとき、なかなか秀逸な広告コピーだな、と思いました。

だけど、このコピーを見て、楽しいわけがないだろう、上から目線でイラつく、何が言いたいんだか意味不明、と反応する人たちがかなりの数にのぼることを知って、そのことに衝撃を受けました。

日本がもっともっと元気だったバブルの時代、80年代〜90年代前半の東京で同じコピーが同じように掲示されていても、絶対に炎上などしなかったと思います。
当時はもっと過激な挑戦的なコピーがたくさんあったと思うし。

この広告への反応は、いまの日本がいかに弱っているかを、まざまざと示してしまったようです。

日本が一番浮かれていたころに、井上陽水が「みなさん、お元気ですかぁ〜〜〜」と呼びかけるCMがあったんですが、あれも今やったら「元気なわけねえだろう(怒)」「おめえ何様」って炎上するのかも。

このプラットフォーム&メディア企業は、日本のオーディエンスがいかに追いつめられてイライラしているのかを見切れていなかったのか、それとも、もしかして意図的にそういうストーリーを作りたかったのか、どっちなんだろう。

いずれにしても、
<うちのサービスを使えば、そのおかしい現状を是正して、仕事が楽しい毎日にシフトできますよ>
なんていう提案を届けるにはいたらず、ただ疲れている人たちを言葉で殴ったうえに、謝って逃げることになってしまった。

謝るくらいなら最初から殴るなよ!と思うのだけど。
殴るんだったら最後まで、矢面に立ってその理由をきちんと説明する姿勢が見たいです。

「配慮に欠く表現でした」という曖昧な言い方は、逆にオーディエンス、または批判している人たちを見くびっているように感じます。

「傷ついた」という批判に対しての答えを持つということは、ほかの人の経験への想像力を持ち、そのうえ自分の立場を明確に説明できること。

言葉は暴力になるということをよく自覚して、自分の言葉にどんな意図があるのか、個人のレベルでもちゃんと考えなくては、と思わされます。

 


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2021/09/24

断捨離の人と、カオナシだった人たち


 またダリア。微妙にベージュとオレンジの混じったピンク。この色好きです〜。


元祖・断捨離の提唱者で教祖的存在のやましたひでこさん。
ごくさいきん、ていうか先週、初めてYouTubeで見て知りました。

断捨離に財団があって検定まであるってところがさすがに日本!てびっくりだけど、それだけ、必要とされているんでしょうね。


BSの番組もあるんですね。



やましたひでこさんは言葉でのまとめ方がとてもうまくて、シンプルに本質を突いているのですごく納得させられます。

モノは思念の反映であること。
つまり、「捨てられない」のは不安の投影である行為、であること。

自分のいる場所や暮らし方には自分の意識、自分をどう考えているかが反映されること。

片付けは、意識を整理して選択することであること。

モノを主体に考えるのではなく、自分を主体に考える。

自分がどうしたいのかをまず知ることが必要。

で、す、よ、ねー。

うちの母は、典型的な捨てられない溜め込みびとで、わたしが育った家は常にカオスだった。荒んだ空間は、心身にかなり大きな影響を及ぼします。当然ながら、コミュニケーションも不全の家でした。

モノと対話ができてない空間では、人との対話もできないんですよねー。

思うんだけど、戦後、高度成長期を経た昭和後期の家庭は、程度の差はあれ、どこのお宅でも、小さな家にモノがあふれかえっていたのではないでしょうか。

戦後すぐのモノのない時代を経て、昭和40年代以降に生まれて育った人は、モノでぎっしり埋まった狭い家を当たり前だと思って育ってきたのだと思います。

日本の住空間には、もともと、なにもない、なにも置かない、布団もお膳も使ったらすぐ片付ける、緊張した空間の美意識があったのに。

明治から第二次大戦までは、すこしずつ文明開化の洋風を取り入れながらゆるやかに変化して大正モダンなども生んだものの、敗戦とそのあとの爆発的な高度成長で、住空間も、日本人の精神的なよりどころも、美意識も、すっかり混沌のなかにうもれてしまったんだと思うのです。

日本に帰って成田から電車に乗ると、田んぼがなくなってきたあたりから始まる町並みの醜さにつくづく見とれてしまうのだけど、あのカオス。

『千と千尋の神隠し』にでてくる「カオナシ」のごとく、なにもかも、西洋のものも世界じゅうのものも手当り次第に取り込み、自分のものにしようとして食いつくすエネルギーが、昭和の後半の日本にはみなぎっていました。

その結果が、モノであふれかえったリビングであったり、まったくまとまりのない何の折衷なんだかもわからない建物がひしめく町だったんだと思います。

20世紀も末になって、バブルもはじけたあたりから、だんだんとそれに気づいて、なんとかしようとと思う人たちが増えてきて、断捨離やコンマリさんの需要がうなぎのぼりっていうことなのでしょう。 

 


2017年に行ったときの東京。

先日『天気の子』を観たら、話に内容よりもなによりも、東京の街があまりに懐かしくて涙でた。
『君の名は』よりずっと面白かったです。画面がきれいだし、話も楽しめた。

「人柱」というものの解釈がめっちゃメルヘンなのにちょっと驚いたけれど。
遠野物語的、日本神話的、土着の神様的な要素を、殺菌洗浄して小綺麗にパッキングしましたって感じでした。それが悪いとは思いませんが、すこし物足りないのも事実。

でもあの新宿界隈の描写の正確さったら。
それだけで2時間眺めていられる。密度の高い画面のクオリティに感動しました。

やましたひでこさんの断捨離ビデオに感化されて、ちょこちょこと身の回りのモノをまた減らしはじめました。食器や洋服や書籍や。

モノがひとつなくなると、その分だけ、少しピントが合うようです。



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2021/04/16

生計費500円

 

桜の花だけでなく、若葉もキラキラで美しい4月です。もみじの若葉。



イーストレイク(ダウンタウンのすこし北あたり)の、青年がボストンに行く前にしばらく住んでたアパートの近くのカフェに行ってみました。

屋外席が気持ち良い季節になってきて嬉しい。




 このカフェがある通りの名前がBOSTON STREETだって今気づいたw

そして、舗道に妙なタイルを発見……。海の生物たちだ。なぜ。

 


 

ところでさっき、YouTubeで『生計費500円』というとてもストレートなタイトルのドキュメンタリー短編を見ていろいろ衝撃を受けました。昭和21年の日本です。

終戦直後、日本は米軍の占領下にあって、食糧が配給制だったんですよね。

知識として知ってはいても、じっさいの映像でその生活ぶりを見ると愕然とする。

政府は、月額500円で生活できるはずだと言っているけれど、じっさいにはこんなにお金がかかる、500円じゃ薬缶も買えないしお風呂は4人家族が1週間に1回しか行けないし(銭湯に)、なにより食費が600円以上かかる!政府は労働者のためにもっとよい政策を!という映画でした。いまの物価だとどのくらいなんだろう。一軒家の家賃が35円だったそうです。

冒頭に「われわれ日本人は、いままであまりに数字でものを考えることをしなかった」と出てきます。「進め1億火の玉だ」で玉砕、敗戦から1年後の日本。

映像として衝撃的だったのが、東京の風景。


焼け跡に電車が走ってる。これはどこだかわからないけど、山の手線?

(前篇の5分あたりの映像です)

東京の中心には住めるような家がないのでみんな郊外に住み、電車で通っている、というナレーションもはいる。

わたくし昭和40年生まれなんですが、自分の生まれる20年前がこうだったんだということが、かなりがつんと来ました。

この窮乏の中で誰もがヤミ米を調達しつつ満員電車に乗って通勤して働いて、新時代の産業も科学技術も文学も築いていったのだなあと思うと、震える。 当時の日本人、いまの日本人より数倍元気な気がする。

この時代から昭和50年代くらいまでの文学も、今読むとほんとになんというか生命力にあふれているように感じます。猥雑さとうらおもてのパワーがあるというか。いまの日本はキレイで整っていて静かで生命力はあまりないような。

わたしが10代だった昭和50年代があんなに豊かな時代だったのは、敗戦後、この時代の日本の人たちの夢と希望とおそろしい馬力と歴史の奇跡のたまものだったんですね。

 



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2020/04/27

すぐに滅亡したほうがよいものと桜吹雪


先週の土曜日。お昼ころから晴れて風が強くなって、街中が花吹雪でした。



八重桜の濃いピンクの花びらが見渡す限り舞い上がって超豪華。
どちらの結婚式場でしょうかみたいなラブリーな午後でした。



いつも散歩するときには、携帯と小型の手帳とハンカチくらいしか入ってないトートバッグを下げて歩いてますが、帰ってみたら中に桜の花びらがたくさん入ってた。なんてメルヘンな。

そろそろ4月も末で、いつ経済を再オープンするのだという話が熱く語られてますが。

きっともう戻ってこないものもあるし、永遠に変わってしまったものもあるだろうし、新しい流れになっていくのは間違いないですね。
こんなものはいらなかったね、あのときに無くなるきっかけになったね、というのはたぶん後になってからわかるのだろうけど。

日本でいま、一番わかりやすい、すぐに滅亡したほうがいいものはハンコとFAXではないかと。

朝日のデジタル版で、休業要請が出ているさなか、ハンコを押しに会社に行かなければ行けない人がかなりいるという記事にあらためてびっくりしました。明治時代か!

先日もちょっとクライアントさんと話題にしてたのだけど、日本の会社の場合、少額でも紙の請求書を郵送で送れと要求してくる企業がけっこう多いのだそうです。数百万数千万単位の取引ならハンコついて収入印紙貼って送ってっていうのもわかるけど 、数万円の取引でそんなことやってたらその分事務処理経費がかかって仕方ないという…。



これをきっかけに、紙至上主義が変わらざるを得なくなるといいですね。

秦の始皇帝以来のはんこ文化は麗しいけれど、なにもカイシャでその文化を保存しなくてもよいと思う。御朱印とか卒業証書とか、活躍の場はほかにある。

 あとなくしたほうがいいのは、大統領制ですね。キャラクターを押し出した政治はもうほんとにみんなの時間の無駄だと思う。平和な時代にはそれもエンタメだったけれど、もうこんな時間のないときにシャレになりません。国のトップは「ウルトラマン方式」から「戦隊方式」に変えるべきだというのがわたくしの持論です。

政治家のいじわる発言も憲法で禁止したらいいよ。なくしたほうがいいのは意地悪と嫉妬と我執。国のトップがそれにまみれていてはね……。



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2020/04/08

休業補償と忖度


きょうも(火曜日)午後から良い天気〜。サザエさんか。

夕方5時ころ散歩に出たら、ずいぶん出歩いてる人が多くて、ちょっとびっくり。
久しぶりに近所でこんなに人間をたくさん見たっていうくらい。「ただ散歩している人」が今日はとても多かった。

午後から晴れたからなおさらか、きのうの植物園よりよっぽど人が多くて、ちょっと新鮮でした。そしてすれ違う人がなんかみんなウキウキした感じです。天気がいいからなのか、みんな休業補償が下りてひとまず安心してるのかもう慣れたのかヤケになってるのか、もうそろそろ先が見えてきたと感じているのか。 

株価も急上昇してるし、なんだろう、山越えたって感じてる人が多い?
「たしかにソーシャルディスタンスの効果は出てる」 と報告されてますが、まだキング郡だけでも一日150人の感染者が出てる。先は読めません。

でももちろん、ニコニコしている人が多いほうが、落ち込んだりパニックになっている人が多いよりもずっと良いですね。どちらにしても先は読めないのだし。

ワシントン州では学校が夏休みまで休校になりました。

東京その他7都府県でもやっと非常事態宣言が出ましたが、まだ電車に乗ってふつうに通勤している人がいっぱいいるんだねー。

ツイッターのフィードに流れてきた写真みてびっくり。
でもこれでもだいぶ人の流れは少なくなっている、そうな。「山手線で初めて座れた」って驚きのツイートがあったり。そのレベルなのかー!

東京でも大手や外資はそうそうに先月始めから在宅勤務に切り替えて、デパートも休業してるところが多いみたいだけど、中小企業は「要請」されただけではそうそう自主的に休めないよね。

アメリカの休業補償は、従業員500名以下の中小企業に対してはEconomic Injury Disaster Loanという制度で最高1万ドルを申請後数日中に融資、そして従業員給与支払いの資金としてペイチェック・プロテクション・プログラム(PPP)という制度で最高10万ドルまで、1%の利子で2年間の融資を実施しています。給与支払いなどに充てる分は条件が合えば返済しなくても良い場合もあり。これは当面向こう8週間のための運転資金。

個人事業主や契約ワーカーも対象になるので、わたしもいちおう申請だけしてみました。クライアントからの入金のめどがつかない件がいくつかあるので(涙)、下りたらとりあえずすごく助かる。





今回本当に不思議に思ったのは、個人の権利意識がとても強いはずのアメリカ人が、一部の子どもたちなどを除きとっても素直に外出禁止令に自主的にかつ積極的に従っていること。南部の州ではリバタリアンの政治家が教会での集会を禁止する法的権限は知事にないと訴えようとして、大炎上しました。

都市圏で感染が拡大しているので都市圏での危機感が急上昇したということもあるのだけど、リベラルな地区の住民のほうが、感染防止のための権利の一時的停止を積極的に歓迎しているようです。

これって、国のシステムへの(政治家にではなく、システムに)あっけらかんとした信頼が根底にあるんじゃないかなと思います。国は最終的には個人の権利を必ず守るものだ、そうあるべきものだ、という信頼があるのだと思う。必ずしもいつも能書きどおりに実現しては来なかったけれど、マイノリティの公民権もきちんとシステムの中で認めさせてきた、という事実も、その信頼を強くしているのだと思います。

いっぽうで日本は良きにつけ悪しきにつけ、すべてがソンタクで決まるので、システムに対する信頼が成立してないんじゃないかと思う。

いったん75年前に天皇が神だった大日本帝国は潰れてますから、その全体主義の亡霊がよみがえるのではないかという恐れがいまでもサヨクの人には根強くあるし、ウヨクはそれに(国の精神的なよりどころのないことに)イライラしているし。

だからこういう事態で政権が新しい権限を拡大したりすることに強い抵抗があるのは当然なんですね。信頼が共有されてないもの。
 


本日はスーパームーンだそうです。iPhoneの写真じゃサーチライトみたいにしか見えないけど、シアトルの写真家さんのすごい写真がインスタグラムに上がってました。どんな望遠レンズ使ってるんだろうか。



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2020/04/04

東京出身者のゆううつと、モヤモヤする件


ジェーン・スーさんの『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』。

波乗り翻訳者えりぴょんがずいぶん前に送ってきてくれた。

すごく面白かったです。一応念のためにいっておくとこの人は純粋日本人で、「音楽プロデューサー・作詞家・コラムニスト・ラジオパーソナリティ」。

短いエッセイを集めた短い文庫本。全部面白いけど、なかでも特に個人的にツボだったのが2編。

ひとつめは「東京生まれ東京育ちが地方出身者から授かる恩恵と浴びる毒」。

文京区で生まれ育ったスーさんが、地方から上京してきた女子たちが東京に挑みかかり、またたく間にシュッと綺麗になって東京をスクラップ&ビルドしていくさまを若干の恨み節を小出しにしつつ、さらっと綴る一篇。

「身近に東京があったからこそ、既存の流行を奪取し、塗り替え、牽引するようなパワーは持ち合わせていない。これがもっさい東京人の哀しみです」

わーかーるー!!

富山県富山市出身のCTちゃんは短大卒業後2年間都内の会社でOLをやってからアメリカに来て住み着いてしまった人ですが、なにかというと「ともぞうは東京の人だからわかんないと思うけどー」と、地方風を吹かせる。

いや、東京でいちばんもっさりしているのは東京の、しかもはじっこのほうで育った人だよ!

わたしはいちおう23区内ではあるけれど、私鉄沿線ののどかな郊外でのんべんだらりと育ったので、山手線内に実家があるような人よりもさらにさらに、東京というメガロポリスへの帰属意識が微妙にひねくれてるのよ。渋谷へも新宿へも電車で30分くらいで行ける距離で、都内の「盛り場」への行き方を知ってはいても、そこに自分がフィットしてない感はひしひしと感じ、そして何が何でも東京を自分のものにしてやるし!というエネルギーをわたしもわたしの友人たちも著しく欠いていたのでした。だってずっと目の前にあったし。東京を作っていくのは東京の外から来た人なんだよねー。









(これは去年5月末の銀座〜。昔もいまも完全アウェイな街。いつかまた木村屋であんぱんを食べたい。)




あともうひとつ、すごく感動したのが「パパ、アイラブユー。」という一篇。

未婚で子なし30代のスーさんが、友人たちのフェイスブック投稿を見ていて楽しそうな子どもたちの写真にモヤモヤする感情をいかに乗り越えたかという話です。

「友人知人が慈しむ子供の写真にネガティブな感情を抱くなんて、どう考えても問題があるのは私の心です。私は未婚で子供がいないから、子供のいる家庭を羨んでいるのでしょうか? しかし、毎日を比較的楽しく満ち足りて過ごしている自覚はあったので、そんな大雑把な理由でもないような気がしました。ではなぜ?
どうにも不愉快だったので、私はこの心のざわつきをつぶさに観察することにしました」

そして、ざわつかせる写真に一定のパターンがあることを発見する。それは、子供に対する父親の愛情があふれている写真ばかりだったというのです。

「これはちょっとしたホラーだった」とスーさんは書いてます。
「私の持っていない婚姻関係や親子関係をもつ同年代の友人知人に、嫉妬していたのではなかった。むしろ立ち位置は逆でした。私は、父親に世話をされている女児に嫉妬していました。なぜなら、子供時代にそんな風に可愛がられた覚えが、私にはなかったから」。

このざわつきの原因がわかったあとは、同じような写真を見てももう心が揺れることはなくなったそうです。

他人に対するとらえどころのないイヤな感情を、ここまで自力で内省できるってすごい。

これは認知行動療法そのものではないか。わたしは以前に書いたケイティのメソッドなどを使って、10年くらいかかって内省にだいぶ慣れてきたけど、揺れているさなかのときに自力で自分の感情と問題を冷静に切り分けるなんて、とてもできませんでした。

自分につっかえている問題をひとつひとつ解剖して日の当たるところにひっぱり出してみると、それ以上何もしなくても、嫌な気持ちがシューッと小さくなって消えてしまうんですよね。これは本当に化学式みたいに、どんな状況にでも適用できる法則。
でもたしかに、ホラーではある!石をひっくり返してみるととんでもない虫がでてくる感じ。

これはわたしが知る限り、他人に対するモヤモヤする嫌な感情を徹底的に始末するための、唯一の効果的な方法だと思います。

相手に消えてもらうのがまあ一番てっとり早いのだけど、たとえ一人消えたとしても、絶対に!また他に同じような人が続々と現れるんですよね。一匹みたら三十匹はいると思え、というあのアレみたいに。

そういうふうに私の前に現れる人たちは、修行というかプレゼントだと思うようになりました。

自分が絶対に正しいと思ってまわりのバカなひとたちにイライラしながら生活するのもそれが好きならいいけれど、相手よりも自分の反応をじーっと見ていくほうが絶対におもしろいと最近は思っています。だって他人は変えられないし、自分の感じ方が変わって行くのを見るのはおもしろいです。



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2019/08/20

シアトルの町中華


フィニーリッジの中華料理屋さんChef Liao

よく行くFresh Floursの真ん前にあるんですけど、道教寺院の先生でアーティストのSHOKOさんにおしえてもらうまで、その存在を知らなかった。

とてもひかえめな建てもののなかにひっそりあるけど、意外に中は広くて、わりとはやってる。


ランチスペシャルが8ドルって、東京ではまあふつうの値段だけど、シアトルでは格安の部類。酸辣湯と春巻きがついてきます。土曜日もおなじ値段でランチをやってるそうですよ。

中華だけでなくて「アジアン・フュージョン・キュイジーヌ」とうたっている。

急にパッタイが食べたくなって、パッタイを頼んだら…



白ごはんがついてきたーー!炭水化物祭り!

パッタイはおかずですか! 

となりの人が食べていた鶏肉とカシューナッツ炒めがおいしそうだった。

シアトルの中華料理屋さんて、なぜか住宅街にぽつんとあって、別にすごくはやってもいないし何も特別ではないけど、そこそこお客さんが入ってて常連さんもついてて、長年営業してますっていうところが多い。

日本でいわゆる「町中華」ってやつのシアトル版ですね。




ところでこちらは、神保町の中華ランチ。店の名前は忘れましたが本格中華でかなりおいしかった。これで750円とかでしたよ!
回鍋肉多すぎて食べきれず。杏仁豆腐までついてきた。

サーブしてくれた中国人のおばちゃんが全員すごく機嫌悪そうで、ほぉーー日本でも機嫌悪い接客ってあるんだ、というのと、ランチ安っ!というのが2大びっくりでした。



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2019/08/16

セイタカアワダチソウ



立秋をすぎて、まだ陽射しは夏ながら、なんだかそろそろ秋の気配もただよいはじめたシアトルです。

 近所の花壇。
黄色い花は、泡立草だと思う。オオアワダチソウかセイタカアワダチソウか、わかりませんが、たぶんセイタカアワダチソウ。
どちらもアキノキリンソウ属のファミリーです。

オレンジ色のマーガレットみたいな「ブラック・アイド・スーザン」とのとりあわせが豪華。

セイタカアワダチソウは、わたしが子どものころ、昭和40年代〜50年代に日本で大繁殖して、当時はよく3メートルくらいに伸びたのをよくみかけました。

ウィキによると

その存在が目立つようになったのは第二次世界大戦後で、アメリカ軍の輸入物資に付いていた種子によるもの等が拡大起因とされており、昭和40年代以降には全国、北海道では比較的少ないが関東以西から九州にて特に大繁殖するようになった。

…だそうです。
ブタクサとおなじく花粉症や喘息の原因とされていたけど、それはどうやら誤解だったらしい。

一時期日本では外来侵略種の迷惑な雑草の代名詞で、ススキなどの古来の植物を駆逐して河原や空き地や休耕田にバーっと広がってとにかく目立ったうえに、花粉症の原因とも思われていたので、わたしの世代には「とてもタチの悪い草」というイメージがあるのです。

敗戦のオマケで日本の田園風景まで米国産の雑草が侵略しやがって、という日本人の気持ちもあって、目の敵にされていたのかもしれません。

そういえば「セイタカアワダチソウ」の歌もありました。米兵に(たぶん)ふられて基地の場所もわかんないという女の人の歌。いま聴いてみると演歌だ。十朱幸代だったのね。



 1977年です。なんでこの歌こんなによく覚えてるんだろう。なんかテレビで繰り返し聴いた気がする。

「それ〜はないじゃない〜あはっはーのはのは」(<ちょっと違う?)「あたしにゃ沖縄、とおすぎる」っていうのが頭にこびりついてる。

ベトナム戦争が終わったすぐあと、だったんですよね。米軍基地も今よりたくさんあった。

この動画の背景に使われてる写真の、背の高いアワダチソウの大群落。
こういう風景を昔はよく見かけました。

セイタカアワダチソウが大繁殖したのは、アレロパシーと呼ばれる、ほかの植物の生育を抑制する物質を出す性質があるからでもあったそうですが、これもまたウィキによると

蓄積されていた肥料成分を大方使ってしまったこと、自らのアレロパシー効果により種子の発芽率が抑えられる等の理由により、派手な繁殖が少なくなりつつあり、それほど背の高くないものが多くなっている。

…とのこと。自分を攻撃しちゃったのね。そして土壌にたくわえられていた養分を使い尽くして、ちいさくなっていったと。

そんなセイタカアワダチソウですが、明治の頃には鑑賞植物として日本に輸入されたこともあったのだそうです。

原産地は北米。ここではネイティブ植物です。



泡立草は、茶花にもつかわれるんだそうです。

セイタカアワダチソウと茶花はまったく結びつかなかった!

こうして枯れ草のなかにあると、たしかに風情がありますね。

考えてみると、セイタカアワダチソウって日本では「戦後」の象徴みたいな植物でした。

平成になって繁殖力が減り、だんだん背丈も小さくなって目立たなくなっていったっていうのも、なんだか象徴的な感じがします。



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2019/08/15

喪失と悔恨 


近所のきれいなレンガ壁。たぶん、1940年頃の建築じゃないかとおもいます。


さ夜更けて眠るすなはち 目のさめて、おどろき思ふ。国は戦ふ 

(「苦しき海山」 昭和17年発行の『天地に宣る』所収、釈迢空歌集 岩波文庫 p208)

 数日前、釈迢空歌集を読んでいたら、戦中・終戦時の歌にたまたま出会った。

上の歌がおさめられている『天地に宣る』というのは昭和17年、開戦まもなくの歌集なのだけど、なんと寂しく、リアルに、戦争の日々を描いていることか、と驚きました。

若い人を戦地に見送ったあと、ふと夜中に目覚めて、ああいま国は戦争をしているのだ、と驚く歌。

貧しい家から出征して戦死した息子の親をたずねる歌。

もちろん、この時代の国学者の歌は、「反戦歌」ではありません。
でも決して安直な戦意高揚のプロパガンダにもくみしない。

短歌というかたちと美しい古語のなかに、世の中をありのままに見つめるまなざし、そしてそれを悲しむ個人の心もちをストレートに、ストレートすぎるほどに率直に表現しています。


戦いにやがて死にゆける 里人の乏しき家の子らを たづねむ

溜め肥えを野に搬つ生活 つくづくに嘆きし人は 勇みつつ死す

(「黙祷す」 同上。205 p )


折口信夫さん自身、最愛の養子が出征して硫黄島で戦死するという最大の悲劇を生きています。

戦後出版された最後の歌集『倭をぐな』所収の歌にいたっては、「たたかひに果てし我が子」を惜しむ歌がえんえんと続き、もう切ないという言葉ではいいあらわせないほど深い喪失感、絶望がうたわれていて、読んでいてもとてもつらい。

悲しみも厭世的なつらさも、躊躇なくくっきりうたわれています。
卒倒するほどきれいな言葉で。

「昭和廿年八月十五日、正座して」とある3首のひとつ。

大君の 民にむかひて あはれよと宣らす詔旨に 泪噛みたり

(昭和30年の『倭をぐな』所収、釈迢空歌集 岩波文庫 p221)

折口先生は、現人神であった「大君」天皇が敗戦を告げるラジオ放送を(正座して涙を流しながら)聞いてのち、40日間山荘にこもってしまったそうです。

終戦直後の歌には、国破れて、年老いた自分が生き延び、若い人たちを死なせてしまったというとほうもない喪失感が繰り返し歌われています。

老いの身の命のこりて この国のたたかひ敗くる日を 現目に見つ

今の世の幼きどちの生ひ出でて 問ふことあらば、すべなかるべし

年長けて 子らよ思はね。かくばかり悔しき時に 我が生きにけり
(同上 p223)

思ふ子はついに還らず。かへらじと言ひしことばの あまりまさしき
(同上 p225)

 戦後の歌は、当然のことながら苦々しい思いをうたったものがおおい。

たたかひは永久にやみぬと たたかひに失せし子に告げ すべあらめやも
 (同上 p227)

みんなみの遠き島べゆ 還り来し人も痩せたり。われも痩せたり

うらぶれて 剽盗に堕つる民多し。然告ぐれども、何とすべけむ
 (同上 p230)

あさましき都会となりぬ。其処に住み、なほ悔いがたきものの はかなさ
 (同上 p228)

呆れぼれと 林檎の歌をうたはせて、国おこるべき時をし 待たむ
 (同上 p235)

帰還兵をうたった歌は

なにのために たたかひ生きてかへりけむ―。よろこび難きいのちなりけり
 (同上 p243)

わたしはとても折口先生の著作のすべてを理解できるなんて思いませんが、それでもこんな浅学の徒にも、そのゆるぎない真摯さが胸に迫ってほんとうにやるせなく、同時に問いただされる思いがします。

安直な物語性や国家の感傷に巻き込まれない強靭な知性と博学の持ち主でも、国家の全面戦争にあっては、生存そのもの、生活そのもの、哲学も美意識もすべてが巻き込まれざるをえない。

その岩のような知性にもとづいて誰よりも深く日本を愛していた人の、深い深い喪失の悲しみと悔恨。

そしてそこにあっても美しい言葉。なんなのだろうかこれは。

もうちょっとだけでも深く読めるようになりたいと思いつつ、今書いておきたくて、覚書きとして。


こちらの2枚は2年前の夏に行った、奥熊野の素敵な神社です。
このときの記事はまだ書いてませんでした。

ここも、私などには本当には理解できない土地なのだろうけど、とても古くて美しい、優しい場所でした。


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2019/08/11

すいかジュースと、今回も交流に失敗


初ものの西瓜。ひとりだと巨大な西瓜はもちろん食べ切れないけど、カットフルーツにお金をだすのも抵抗があるため、メロンよりちょっと大きいくらいの小玉を購入。しかし甘さはイマイチでした。

スーパーの店先で西瓜を見つめているだけで『きのう何食べた』の史朗さんと佳代子さんみたいな出会いがあったらいいんですがねー。

ああでも、料理上手な佳代子さんみたいな貢献はできないわ。

そして、栄養サイトによりますと、西瓜に含まれる「シトルリン」という栄養素(アミノ酸)は

「シトルリンは、血管を拡張させる作用がある一酸化窒素を増やす働きがあるので、末端の毛細血管までの血流を改善してくれます。」

だそうですが、赤い部分よりも白い部分に2倍含まれてるんだそうです。

でもズボラーとしては漬物にしようっていわれてもねえ、というわけで手っ取り早いジュースにして飲むことに。西瓜だけに、水分多い!



この初夏も、東京下町の版画家にゃを美先生のおたくに3日ほど泊めていただきました。
この美しい花は、ちょうど着いた頃に咲いていた鉢植え。

花はウエルカムしてくれたのに、猫たちは…(涙)つれなかった…(涙)

前回、ちっとも交流できなかった猫たちがすこしは打ち解けてくれるだろうか…と淡い期待を抱いていたのですが、あえなく玉砕(涙)。

でもおいしいごはんを食べて、視聴覚室みたいな壁一面をつかったプロジェクターの大画面で、ドラマの『きのう何食べた』や『ブラタモリ』を思うぞんぶん見ることが出来るという夢のような環境でございました。(ほんとに映画館みたいな大画面でみると、ドラマも細かい発見が多いww)

にゃを美先生が録りためている番組のラインナップがすごすぎて、3年くらいここでビデオだけみていられると思った。



↑は、おうちでいただいた『きのう何食べた』の史朗さんレシピのぶっかけそうめん。
おいしゅうございました。
シソとみょうがって、最強においしいよねー。

ところで、人のふんどしで相撲をとる第二弾。



にゃを美先生にご許可をいただき、インスタグラム(@fantafonte )より、遺憾ながら交流できなかったラファエルちゃんとウリエルちゃんのご尊顔をここで見せびらかします。

この先はすべて@fantafonteよりの転載です。


 ウリエルちゃんは最初の日、階段の上でばったり鉢合わせ、まるで茶色い稲妻のように、恐ろしい勢いで階段をかけおりていった姿を見たきり。

こんなにかわいいのになーー。



ラファエルちゃんもウリエルちゃんも、わたくしがいた間は物陰に隠れて物音ひとつたてませんでした。寝静まったあとにソロソロ出てきていたようだけど。
これよりも↑ずっと奥まったところに隠れておいでになり、のぞきこんでも暗がりにうっすら目が見えるだけ(涙)。


ラファエルちゃんー。この瞳は。


 にゃるほど、そのまんまでしたね。


お布団の上でツール・ド・フランスを一緒に鑑賞するなど、なんと羨ましい。

ふたりとも地域猫だったのを、引っ越しのときにゃを美先生が苦労の末に捕獲して連れてきたというバックグラウンド。

半野良のときからヒトに対しては非常に警戒心が高かったそうです。

特にわたしだけが異常に嫌われているのかというとそうではなくて(ほっ)、点検や工事の人が来たときには、ほんとにこの人、猫飼ってるの?妄想じゃないの?と思われそうなくらいに気配を殺して出てこないそうです。


どあーかわえええ。

わたくし、猫というものは何もせんでも「ん?なになに?」と寄ってくるいきものだとばかり思っておりましたが、生まれたときからヒトのそばにいなければ、警戒心が強くなるのは当たり前なんでしょうね。学習ってすごいな。

この子たちは、小さい時にお母さんに「かんたんに人間を信じちゃいけませんよ!」と教育されたようです。


人形用のベッドで眠るラファエルちゃん。かわえええー。

物陰にかくれた二人に話しかけていたら、にゃを美先生に、この子たちはよそのヒトの話し声に慣れてないからもっと優しい、カヒミ・カリィみたいな声で話さないと!とご指導をたまわった。そ、そうなのか〜!

普段会っているねこたちは、世の中はおおむね平和で、人間はなんでもいうことをきく下僕だと思っている子たちばっかりなのでー。

「もう(怒)このおばさん早く帰んないかなー(怒)」と思っていたことでしょう。
ごめんね二人とも、コワイ思いをさせてしまって。

でもまた懲りずに遊びにいきたいなー。


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