2021/04/16

生計費500円

 

桜の花だけでなく、若葉もキラキラで美しい4月です。もみじの若葉。



イーストレイク(ダウンタウンのすこし北あたり)の、青年がボストンに行く前にしばらく住んでたアパートの近くのカフェに行ってみました。

屋外席が気持ち良い季節になってきて嬉しい。




 このカフェがある通りの名前がBOSTON STREETだって今気づいたw

そして、舗道に妙なタイルを発見……。海の生物たちだ。なぜ。

 


 

ところでさっき、YouTubeで『生計費500円』というとてもストレートなタイトルのドキュメンタリー短編を見ていろいろ衝撃を受けました。昭和21年の日本です。

終戦直後、日本は米軍の占領下にあって、食糧が配給制だったんですよね。

知識として知ってはいても、じっさいの映像でその生活ぶりを見ると愕然とする。

政府は、月額500円で生活できるはずだと言っているけれど、じっさいにはこんなにお金がかかる、500円じゃ薬缶も買えないしお風呂は4人家族が1週間に1回しか行けないし(銭湯に)、なにより食費が600円以上かかる!政府は労働者のためにもっとよい政策を!という映画でした。いまの物価だとどのくらいなんだろう。一軒家の家賃が35円だったそうです。

冒頭に「われわれ日本人は、いままであまりに数字でものを考えることをしなかった」と出てきます。「進め1億火の玉だ」で玉砕、敗戦から1年後の日本。

映像として衝撃的だったのが、東京の風景。


焼け跡に電車が走ってる。これはどこだかわからないけど、山の手線?

(前篇の5分あたりの映像です)

東京の中心には住めるような家がないのでみんな郊外に住み、電車で通っている、というナレーションもはいる。

わたくし昭和40年生まれなんですが、自分の生まれる20年前がこうだったんだということが、かなりがつんと来ました。

この窮乏の中で誰もがヤミ米を調達しつつ満員電車に乗って通勤して働いて、新時代の産業も科学技術も文学も築いていったのだなあと思うと、震える。 当時の日本人、いまの日本人より数倍元気な気がする。

この時代から昭和50年代くらいまでの文学も、今読むとほんとになんというか生命力にあふれているように感じます。猥雑さとうらおもてのパワーがあるというか。いまの日本はキレイで整っていて静かで生命力はあまりないような。

わたしが10代だった昭和50年代があんなに豊かな時代だったのは、敗戦後、この時代の日本の人たちの夢と希望とおそろしい馬力と歴史の奇跡のたまものだったんですね。

 



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