2019/08/16

セイタカアワダチソウ



立秋をすぎて、まだ陽射しは夏ながら、なんだかそろそろ秋の気配もただよいはじめたシアトルです。

 近所の花壇。
黄色い花は、泡立草だと思う。オオアワダチソウかセイタカアワダチソウか、わかりませんが、たぶんセイタカアワダチソウ。
どちらもアキノキリンソウ属のファミリーです。

オレンジ色のマーガレットみたいな「ブラック・アイド・スーザン」とのとりあわせが豪華。

セイタカアワダチソウは、わたしが子どものころ、昭和40年代〜50年代に日本で大繁殖して、当時はよく3メートルくらいに伸びたのをよくみかけました。

ウィキによると

その存在が目立つようになったのは第二次世界大戦後で、アメリカ軍の輸入物資に付いていた種子によるもの等が拡大起因とされており、昭和40年代以降には全国、北海道では比較的少ないが関東以西から九州にて特に大繁殖するようになった。

…だそうです。
ブタクサとおなじく花粉症や喘息の原因とされていたけど、それはどうやら誤解だったらしい。

一時期日本では外来侵略種の迷惑な雑草の代名詞で、ススキなどの古来の植物を駆逐して河原や空き地や休耕田にバーっと広がってとにかく目立ったうえに、花粉症の原因とも思われていたので、わたしの世代には「とてもタチの悪い草」というイメージがあるのです。

敗戦のオマケで日本の田園風景まで米国産の雑草が侵略しやがって、という日本人の気持ちもあって、目の敵にされていたのかもしれません。

そういえば「セイタカアワダチソウ」の歌もありました。米兵に(たぶん)ふられて基地の場所もわかんないという女の人の歌。いま聴いてみると演歌だ。十朱幸代だったのね。



 1977年です。なんでこの歌こんなによく覚えてるんだろう。なんかテレビで繰り返し聴いた気がする。

「それ〜はないじゃない〜あはっはーのはのは」(<ちょっと違う?)「あたしにゃ沖縄、とおすぎる」っていうのが頭にこびりついてる。

ベトナム戦争が終わったすぐあと、だったんですよね。米軍基地も今よりたくさんあった。

この動画の背景に使われてる写真の、背の高いアワダチソウの大群落。
こういう風景を昔はよく見かけました。

セイタカアワダチソウが大繁殖したのは、アレロパシーと呼ばれる、ほかの植物の生育を抑制する物質を出す性質があるからでもあったそうですが、これもまたウィキによると

蓄積されていた肥料成分を大方使ってしまったこと、自らのアレロパシー効果により種子の発芽率が抑えられる等の理由により、派手な繁殖が少なくなりつつあり、それほど背の高くないものが多くなっている。

…とのこと。自分を攻撃しちゃったのね。そして土壌にたくわえられていた養分を使い尽くして、ちいさくなっていったと。

そんなセイタカアワダチソウですが、明治の頃には鑑賞植物として日本に輸入されたこともあったのだそうです。

原産地は北米。ここではネイティブ植物です。



泡立草は、茶花にもつかわれるんだそうです。

セイタカアワダチソウと茶花はまったく結びつかなかった!

こうして枯れ草のなかにあると、たしかに風情がありますね。

考えてみると、セイタカアワダチソウって日本では「戦後」の象徴みたいな植物でした。

平成になって繁殖力が減り、だんだん背丈も小さくなって目立たなくなっていったっていうのも、なんだか象徴的な感じがします。



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