2018/06/21

お墓のはしご マレーの虎の霊園


日曜日はお墓のはしご。
父方の家のお墓はさいたま市にあり、母方の祖父母のお墓は小平駅の前の小平霊園というところにあるので、半日以上かけての郊外ドライブでした。

【メモ】小平霊園に行くときはお花とお線香、ハサミと軍手をもっていくこと。

霊園前に石材店が並んでいてお花を売っているんですが、さいたま市の霊園前ではセットで1050円なのに、こちらは1700円。さすがに都内は高いですね。

【メモ】霊園に行く前に区画のメモを確認すべし。

前回行ったときも迷った、学ばないわたくしたちは、この日曜日も20分ほど右往左往してようやくじいちゃんばあちゃんのお墓を見つけた。じいちゃんたち、さすがに孫たちのこのていたらくにあきれていたことでしょう。


さいたま市の青葉園にはもう何度も行っているのだけど、ここにある三重塔には行ったことがなかった。

ときどき鐘の音がごーんと鳴り響いているので、お寺があるのだとばかり思っていたら、地図で見たら「青葉神社」とかいてある。神社に三重塔?と頭がはてなになって、興味を惹かれ、この日初めて行ってみました。

これが鳥居の内側の「神社」境内。
左側に記念館があって、ここは日曜と祝日だけあいている。



立派な灯籠。龍の口からびろーんとなにかワラビ的なものが出ている。炎かな?


とても綺麗なお社だけど、入り口には錠前がかけられていて、回りには柵がめぐらせてあって入れないようになっている。

神社にしても妙だなあ、と思って記念館を見に行った。

そこで初めて知ったのは、この青葉園という墓地は、「マレーの虎」と呼ばれた山下奉文大将の連隊に所属していた吉田亀治さんという人が、山下大将とその他の「悲運の死を遂げた多くの英霊を慰めるため」山下大将のお墓をつくったのが始まりだったのだそうです。それが1952年、昭和27年。

その後財団法人にして、一般の公園墓地として整備していったのだとか。

はー、どおりで、この墓地には彫像が多いのだけど、「敗戦後シベリアでソ連兵に陵辱されるのを拒み自決した看護婦たちの碑」とか、戦争がらみの碑とか彫像が多いなあと思っていたら、そういうわけだったのか。

そしてこの三重塔のなかには、その山下大将が命じて満州で彫らせた観音像が御本尊としておさめられているんだそうです。

この三重塔ができたのは昭和54年。神社のほうはたしか昭和50年とかで、けっこう新しい。鶴が丘八幡宮の宮司さんを呼んで式を行ったって記念館の中に書いてあったけど、どこかの神様を勧請したわけじゃないらしい。
「天照大神」と神社の社の前にはかいてありましたが。

山下大将は昭和21年にフィリピンで戦犯として処刑されてます。

記念館の中には、当時の軍服や、山下大将が吉田さんあてに書いた超達筆の文書(巻きもの!!大戦の将校っていうのはこういう明治の教養を備えた人だったんですね) もある。

吉田さんの息子に名付けを頼まれたらしく、自分と同じ奉文とするように、という手紙もある。 その奉文さんは青葉園の現在の理事長さんらしいです。

吉田さんは山下大将を崇拝していたのでしょうね。創業者の吉田亀治さんとしては山下大将を神として祀るくらいの気持ちでいたのかも。


記念館の横に立派な鐘楼があった。

この鐘は、自由に撞いていいシステム。そういうわけで時々ごーんと鳴っていたのね。

さっそく撞いてみました。すごい反響音。

鐘を撞いたら、その余韻がひびくあいだは鎮魂を祈るために黙祷してください、といったようなことが書いてある。目を閉じて、響く音を聞こうとすると、目の前にある大きな鐘が振動しているのが感じられる。とても良い音。


彫像にも、戦争で無残に死んでいった人びとの鎮魂と戦後復興への願いが込められているそうです。


こちらも、日本の敗戦後、大陸に残されてさまよい、子どもを置き去りにしたり死んだ子を葬らなければならなかった母子をしのぶ像だそうです。


日本の戦後は米国とウヨクとサヨクと自民党政治の間で、国民感情にすっきりしたコンセンサスは得られないまま、「英霊」と「民主主義」の間で妙に歪んだままで、戦争という経験がまったく消化できていないように思います。

歴史についてのすっきりした国民的コンセンサスなんてもちろん一本になるわけはないけれど、それにしても日本の場合はねじれがきついと思う。

つい最近、僕らの御霊が熱い血潮でなんとかという実に妙ちくりんなワールドカップ応援愛国ソングが炎上したそうですけど。なんだよ僕らの御霊ってwwww

うちの両親や祖父母のお墓のある墓地にこんな施設があったなんて知らなかった。



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