ニューヨークのクイーンズにあるイサム・ノグチ財団 庭園美術館。
ニューヨーク滞在最終日、3月4日にいきました。マンハッタンから地下鉄乗り継いで40分くらい、さらに駅から徒歩20分くらい。けっこうな遠足です。川をはさんですぐ目の前にマンハッタンが見えているのに。
少しお腹がすいたので、駅の近くのベーグル屋さんで、サンドライトマト入りクリームチーズをはさんだベーグルを買って、食べながら歩きました。いままで食べたなかで一番おいしいベーグルだった。
建材屋さんやガレージなどが多い、インダストリアルで殺風景な地区のはずれにぽつんと美術館があります。
ハワイでいったらひと昔前のカカアコ地区そっくり。 東京だったら(昔の)江戸川区とか。江戸川区の葛西のあたりにむかしうちの父が仕事をしていた自動車ディーラーがあった。その当時の葛西と似た雰囲気で、ちょっとなつかしかった。
印刷工場とガソリンスタンドだった建物を改造したミュージアムです。
「美しい場を創るとそこに住む人の心が変わり、地域全体が良くなるというイサム・ノグチ(1904-1988)の考えによって見事な芸術空間へと変貌致しました」と、イサム・ノグチ財団のサイトに書かれています。
入館料は10ドルなんだけど、65歳以上はシニア割引で5ドル。シニアは5ドルなのねー、と何気なくいったら、受付の若い男の子が「シニアですか?」とその割引を適用してくれようとしてかなりむっとした。喧嘩売ってんのか。
そのまま割引してもらえばよかったな、ふん。
一見こぢんまりしているのだけど、かなり見ごたえがありました。
工場だった無機質なスペースに配されてる作品たち。
イサム・ノグチさんの作品は、あちこちでモニュメント的にかざられてるのを見てきたけれど(シアトルではアジア美術館の前の「黒い太陽」が有名です)、回顧展に行ったことはなく、まとめて作品をみたのは初めて。
年代のちがう作品をいくつも見ると、はじめて、ああこの人はこういうことがしたかったんだなー、というのがやっとわかってくるものですね。
正直、いままで抽象彫刻ってあんまり何がしたいのかわからなかったんだけど、この美術館に行ってはじめて、石のテクスチャや、その表面をみがいたり削ったりしてできるかたちやボリュームへの偏愛が、感覚として理解できた気がします。
この庭がほんとうに素敵な場所でした。
殺風景な軽工業エリアに囲まれていながら、このうえなく清々しい場所です。
快晴で風がそよそよ吹いてて、ロビンや鳩がずっと樹の上で啼いていて、竹の植え込みの横のところのベンチで座っていると竹の葉がさらさら鳴って、本当に気持ちよくて、不思議なほどすこーんと清浄なかんじのする場所でした。
日が暮れるまで座っていたかった。
イザベラさんの庭とおなじく、ここもあの世に近い場所な気がしました。
イザベラさんちとはまた趣きが違い、ずっと静かで密度が濃くて、ダイレクトになにかにつながっているみたいな。
うちの青年もここで軽く瞑想したらちょっとおもしろいビジョンが来たといっていた。
あとでドーセントの人に聞いたら、この庭の隅にイサム・ノグチさんの遺灰が!ひっそり埋められているのだそうです! 半分はここに、あと半分は四国の仕事場だった場所に。あああ、なるほどー、と思いました。
ベンチに座って目を閉じていたら、すっと、なにか、誰か、がすぐ後ろに立ったような気がしたんですよー、ほんとに。それが全然イヤな感じはしなくて。
無料ツアーに参加したら、なんとほかに参加者はなく、親子二人のみの貸し切りツアー。
とても親切なドーセントさんでした。
初期のころのイサム・ノグチさんは、ダダの彫刻家ハンス・アルプの影響をつよく受けていたそうです。アルプは日本の伝統にとても関心を持っていた人。
これは参加型の「組み立て式彫刻」。ベニヤでつくった模型を組み立ててみましょうというもの。
こんなかわいらしいのもあった。
和紙の灯りと一緒に展示されていました。この部屋には畳もあって、おひるねしたくなる(ちょっと横になってみた)。とにかくくつろげる美術館です。
カフェも良い。ノグチさんの灰が埋まっているというコーナーの、すぐ目の前の窓辺でお茶をいただきました。コブシの木に花が咲き始めていた。
日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、日本とアメリカで教育を受けたノグチさんは、日本の伝統デザインの美意識を、日本人の多くが意識していなかった時代に鋭く取り出して、美術やデザインのコンテクストの中に織り込んだ開拓者。
彫刻だけでなく、有名なあかりのデザインや、灰皿のような小さなものから児童遊園まで、環境にかかわるいろいろなデザインを手がけたノグチさんですが、第二次大戦中は米国本土の日本人と一緒に、自主的に収容所に入ったのだとか。
収容所内で文化的なリーダーになる心づもりだったようだけれど、収容者たちとも、管理側ともうまく意思の疎通ができず、結局また出てきたのだそうです。
日本では当たり前すぎてクールではなかったものを取り出してみられたのは、アウトサイダーの視点があったから。でも収容所のエピソードが物語るように、日米どちらの文化にも完全に属していないということは、20世紀なかばには現代とは比較にならないほど孤独なことだったのだろうな、想像もおよばないけれど。
館内でこれだけは触ってもよいことになっている作品。これは既製のパイプ部品をくみあわせてつくったものだそうです。
このような用途にも使える。
左側のでこぼこした壁や、奇妙なかたちの木の椅子は60年代にダンサーとのコラボで手がけた舞台美術の一部。
月に何度か、このスペースでノグチさんの作品を使ったダンスパフォーマンスが開催されているそうです。
しかしもちろん、現在は閉館中。
あのドーセントさん、いまどうしているだろうか。
本当に平和で幸せで贅沢な一日であった。
はやくそんな日常が、全世界に帰ってきますように。
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