2019/04/16

ドゥオモくんと機嫌のよい街 <フィレンツェ思い出し日記 その2>


街中、ほんとうにどこを見ても絵になるフィレンツェでした。


この赤い車輪の自転車は、シアトルにあるLIMEバイクとかJUMPみたいな、時間貸しで道端に乗り捨てできるシステムのレンタルバイク。

うちの息子もアプリをダウンロードして乗ってました。
しかしこれもデザインがオシャレ!


なにげなく覗いたウインドウ。

弦楽器の修理やさんのようでした。

螺鈿?象牙?の飾りがびっしりのヴァイオリンや、解体されて修理中のギターなどが無造作に置いてある小さな店。その日は休業らしく、閉まってました。

童話の本に出てくるお店みたいだ。


石畳の道に無造作にいるイタリアのおじさんがまたオシャレ。
スカーフ/マフラーがデフォルトです。


フィレンツェの街は夏場は観光客で溢れかえるそうですが、ヴェネツィアとは違って、生きている活気ある街という感じがしました。大学もあるし、きびきびした生活感がある。


ローマ時代からの広場だそうです。

イタリア事情に詳しく、ヴェネツィア在住の友人もいらっしゃる版画家の尚美先生は、住むとなったらいろいろ大変そうだよ、と言っていた。

うん、きっと役所とか電話会社とか電気会社とか、そういう方面で苦労しそうな気がする。ハワイも相当疲れたけど、きっとそれに輪をかけて。

そのような方面をすこしのぞき見た感じがしたのが郵便事情でした。

アメリカの元義理ママ(息子のグランマ)に絵葉書をだそうと思ったら、郵便ポストというものがなく、かなり遠い郵便局まで行く必要があるといわれて困惑。ポストってないんだ…?

チェックアウトのときに宿の人に聞いたら、親切にも出しておいてあげるよ、と言ってくれたのだけど、絵葉書が着いたのは帰国後3週間後くらいでした。


でもイタリア各地で出会った人はみんなだいたい親切で機嫌が良かった。観光地だからというのもあると思うけど、明るい。それもハワイに似てる。

機嫌の悪い人が多いけど物事が粛々と脇目も振らず迅速に進む街と、いろいろトラブルはあるけど機嫌の良い人が多い街と、どっちがいいかといわれたら、住むならば後のほうがいいかな。文句いいながらも。


細い道を適当に当てずっぽうに歩いていたら、建てものの間からドゥオーモの姿があらわれて、思わずおおおおー!と声を上げてしまう。



正式名称はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。

13世紀から140年かけて建設されたという聖堂です。
こんなに建て込んだ街の真ん中にあるんだー!と新鮮に感じました。

ヨーロッパ中世の街というのは城壁に囲まれた限られた面積の中に建てるからめちゃめちゃ建て込んでるんですね。
行ってみるまで、そんな事情を考えてみたこともなかった。

機内で読んだリック・スティーブズさんのガイドブックで

「ドゥオモは屋根に大きな穴が空いたかたちで建設された。壮大なドームをその上に建てられるような技術が、建設着手当時にはまだ存在していなかったのだ。でもそんなのは大した問題じゃない。フィレンツェの人びとは、そのうちにきっと誰かがこの難問を解決するに違いないと知っていた。15世紀になって、フィリッポ・ブルネレスキがその役を果たした」

とあって、まじでか!と感動しました。

どうやって建てるかわかんないけど、 とりあえず建て始めちゃいましょう

って、日本では多分、ありえない発想ではなかろうか。

大仏殿の屋根の作り方わかんないけど、とりあえず下だけ作っとこう、ってないよね。
何言ってんだおめえ、て即座に却下されそう。

行ったことないけど、イギリスやドイツでも、きっとダメだっていわれそうな気がする。そんなことないですか?



ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂でもつくづく思ったけど、石の文化ってほんとに、重ねていく文化なんですね。

この正面のファサードは19世紀に完成したもの。
着工が1296年だというから、実に600年ちかくかけて完成したともいえる。


帰ってきたからNetflixでドラマ『メディチ』を観たら、第1部の舞台は15世紀前半、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・メディチさんとその息子コジモの時代で、まだてっぺんがまるあきのドゥオモが出てきた。

そして第一話でジョヴァンニさん(演じているのはダスティン・ホフマン!おじいちゃんになった!)が息子コジモとの会話でそのことに触れて、このドゥオモは未来を信じるフィレンツェ人のホコリであり自信なんだ、みたいなことを言ってて(うろ覚え)、えへへっ、と思いました。




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