2019/04/04

ビューティフル・ハーモニーかよ。



近所のスーパー、バラードマーケットで水仙買ってきました。
鳥たちがいたスカジットヴァレー産かな。
ひと束2ドル。テーブルがぱっと明るくなる黄色。

そんなことより、ビューティフル・ハーモニー。

日経新聞サイトによると

(ここから引用)
外務省は新元号「令和」の意味を英語で表す際に「beautiful harmony(美しい調和)」に統一する方針を決めた。河野太郎外相が3日までに各国在外公館にこの方針に沿って対外的に説明するよう指示した。
同省によると「令」を「命令(order)」と報道する海外メディアもあり、正しい解釈を促す狙いがある。
(引用ここまで)

…だそうです。(太字はわたくしがつけました)

このニュースはきのう、Facebookの翻訳者グループのポストで知ったのだけど、当然ながら外務省のこの翻訳「beautiful harmony」に、コメントしていたプロ翻訳者の(日本在住のネイティブ英語スピーカーの日英翻訳者の方々ばかり)ほとんどの人は冷笑していました。

「……まじで?」
「 翻訳ちゅうのが、結局は好きな解釈を選べるという典型やな」
「MOFAの官僚が知ってる素敵単語がそれだけだったんちゃう?」

というような反応。(うろ覚えです。FBでこの元ポストを15分くらいかけて探したのですが、見つからず。FBの検索エンジンがまったく役に立たないことを知っただけに終わる)

あああ、そしてこの「ビューティフル・ハーモニー」という公式訳語は「日本のポルノアニメゲームの主題歌と一緒だな!」という記事もでてしまったよ。ありがちすぎるよね。

『エコノミスト』で令和が「Order and Harmony」と訳されるなど、海外メディアで「令」が「オーダー(命令)」という意味にのみ取られ、「お上が命令し、民がそれに従順に従い、平和がうまれる」といった官製ストーリーがうっすら透けてみえるような解釈が広がり、日本のイメージにそれが固定されてしまうのは非常にまずい、と外務省の中の人は焦ったのでしょう。

しかし、正しい解釈って何だよ!

翻訳という仕事をしていると、日々、言葉というのはほんとうに重層的で何通りにもカイシャクできるものだと骨身にしみるわけです。

とくに漢字にはいくつも、互いにまったく関係ないような意味があるって、小学校で習いますよね?

漢字を組み合わせた元号は、いってみれば「詩」のようなもんです。
だって元ネタがそもそも中国の詩を下敷きにした、和歌集の序文であるわけでしょ。
数日前の令和ちゃん記事に書いてます。)

ポエムに「正しいカイシャク」はないです。
「メインストリームのカイシャク」はあり、「本人が意図したこと」はあるとはいえ、それは「正しい」とか正しくないとかではない。

ある意味、立場と世界観の問題でしかない。

それに詩歌の場合、本人の意図した以上にその言葉の意味が広がっていくことで、その詩が力を持つようなことが起きる。

詩の言葉は、個人の意図や正邪の判断を軽々と超える力を持っているのです。

元号は「識者」(なんで林真理子が入ってるのか、まったく納得できませんけど)による集合的な美意識が決めたポエムです。

そこには当然、政治的なメッセージもこめられている、のかもしれない。それは識者の選出作業の中にすでにこめられてるんでしょう。(たとえ優れた文学者であっても、ヤバそうなことを言い出したり、体制に真っ向から楯突くことがわかってるような人は選ばれない。林真理子は自民党にとって無難な人選なんでしょうね)

元号は、ポエムでありおそらくは黙示的な(本人たちもあえて言語化しようとしていないかもしれない)政権からのメッセージであると同時に、おそらくもっとも本来的には「次の時代がこうなりますように」という、祈りであるはずです。

で、漢字は、そしてありとあらゆる単語もそうですが、必然的に重層的な意味を持っています。

たとえば法律文のように解釈のゆらぎの少なさを目標に書かれる文章とは違って、意味が厳密に固定されていないポエムの場合には、その重層的な意味が本領を発揮するんです。

万葉はまだそんなでもないと思ったけど、新古今集のあたりの和歌の世界は「シャレ」ばっかりです。これは日本語に多い同音異義語を駆使して、歌の世界にひろがりを呼び込む技術であったようです。 これも言葉の重層性を意識しているからこその技術であり、あそびです。

 「令」には「めでたい」「美しい」という意味もありますが、現代ではそれはほとんどの人が知らず、「命令」の意味を思い浮かべる人が多いはず。

「令」の字がそういう宿命を負った字であることを、選ばれた「識者」も政治家も当然知っています。

ひとつの言語の単語に訳語を当てるというのは、解釈作業です。

単語に重層的な意味があるから、詩の翻訳はむずかしいんです。

「令和」はそこそこよくできたポエムかもしれないけれど、「ビューティフル・ハーモニー」はそのポエムの訳語としては、その広がりを全く表現せず、含意をチラ見せすらしてないってことで、合格点とはとてもいえません。

ふだん法律文書にばかり触れてる官僚さんが、「誤解なく簡単に世界の人民にあまねく分かるように!」て作ったのかもしれませんが。言葉の感性が美少女アニメポルノと一緒じゃん、というのをはからずも露呈してしまいました。

もし官僚の人たちが、これが今の日本を代表する感性です!て主張するならそれはそれでちょっとまた別に考える必要のある問題がでてくるけど。

漢詩が一般教養だった明治の官僚だったらもっとマシな、格調を感じさせる訳語を作ったであろうものを。

言葉は文化そのものです。一国の文化というのはすぱっとキレイに単色で表現できるものではないですよね。もっとグチャグチャしたものです。

いろんな人がいていろんなことを考え、主に言葉でそれを伝達しようとしている、それが文化ですよね。

「そして、この令和には人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められております」

という安倍首相談話(そもそも万葉集の漢文部分から引いてきたということにも一切触れてないし)をきいて、ケッ、と思う人もいるわけですが、それも文化というものです。

そもそも文化というのは、排除装置でもあるんですよね。

文化は知識と美意識の集成であり、「正しい解釈」をよしとしなかったり知らなかったりする人を社会が排除するときの、素敵な言い訳にもなってきた。

ひとつの文化についてこられない人を排除したり、自分たちの文化を知らないよその土地の人を虐殺したり強姦したり略奪することに黄門さまの印籠のような正当化の力を発揮してきた。

文化が単一の価値観に翻訳されて、そこに権力がのっかると、たいていそういうことになるようですね。

文化のそういうダークサイド面の運用についても真摯に心を寄せないかぎり、本当に美しい和の社会なんて、絶対に到来しないでしょう。

話がそれたけど、美しく心を寄せ合うには、どこかの誰かがきめた「和」に無理に迎合したりさせたりするのではなく、文字や言葉には(つまり人の意図や意識には)常にものすごく幅広い世界が隠れているのだということを、自分らにはまだ知らない、まだ理解できない世界があるということを、恐れずに認めることがとても重要なのだと思いますのよ。

そうして得られる「理解はたいへんだ」ということの理解のあとに、一人ひとりの中に、そしてお互いの間にあらわれてくるのが、ほんとうの<和>ではないでしょうかね。


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