2019/04/10

自己標的バイアス


10代のころ、わたしにはチエコちゃん(仮名)という親友がおりました。

わたしよりも3歳くらい年下の家出少女だったチエコちゃんは、いつのまにかうちに転がりこんできて、いつのまにか同居人になってました。

チエコちゃんは暴走機関車のように有無を言わせないドライブを持つ少女で、いつも想定外のスピードでデタラメで魅惑的な方向にすっ飛んでいき、小心者のわたしは「ちょ、ちょっと、それはないんじゃない」とかいちおう言いながら内心ドキドキワクワクしてあとを追うフォロワーでした。

そのあといろいろあって会わない期間があり、それぞれ結婚して、わたしはハワイに引っ越して離婚して、しばらくぶりに子連れで帰国したときに連絡したら、チエコちゃんは前よりもきつくねじれてしまっていて、
「いつ会う?この日とこの日とこの日だったら大丈夫だけど」
という会話のあと、いきなりキレてわたしに絶交を言い渡したのでした。

「そんなことを言われてどんな気持ちになると思う?」

と切羽詰まった声で言われて、いったい自分が何をしてしまったのか、何が起こったのか、その時は全然わかりませんでした。

何年かたってから考えてみて(遅い)、ああ、あの子はしばらくぶりに日本に帰ってきた親友のはずのわたしが、全面的に彼女だけのために時間をあけてべったべたにつきあわなかったことに、とても深く傷ついてしまったんだなあ、ということがやっとわかったのでした。

もちろん、数週間の限られた滞在期間で用事をこなしたり親戚に会ったり親と一緒に旅行に行ったりほかの旧友にも会ったりもしたいというわたしの都合など、チエコちゃんにとってはまったく眼中になく。

「ともぞは自分にもっともっと会いたいと思ってくれない > ともぞは自分なんかどうでもいいと思っている」
という方向に、きっと心のすべてがフォーカスされてしまっていたのだろうと思います。

その後もまた連絡を取り直したのだけど、よく似た状況でまた彼女を爆発させてしまい、わたしも自分の生活と子育てでいっぱいいっぱいだったので、そのあとはもうどちらからも連絡を取ることはありませんでした。

一時は姉妹みたいに四六時中一緒にいたのに、今は彼女がどこかで元気に生きているのかどうかも、まったくわかりません。幸せでいてくれるといいなと思う。本当に。



このあいだ、あるエッセイを読んでいて「自己愛性パーソナリティ障害」というのにいきあたり、はっこれだ、と30年以上前のチエコとわたしがよみがえってきたのでした。

ウィキペディアにあったこんな引用が目をひきました。

(ここから引用)
プライドの高い人”とは、一般に自己評価の低い人である。だから、他人からの評価によって傷つくのである。逆にいえば、他人からの評価によって揺らぐような低い自己評価所持者が「プライドの高い人」と周囲から認識されることになる。
(ここまで)

うんうんうん。そうね。そうだと思う。そうだったそうだった。

出典は中井久夫著『世に棲む患者』 筑摩書房、2011年。これ読んでみたい。

パーソナリティ障害までいかずとも、相手が本当にどう思っているかにかかわらず、(たいていの場合、相手は自分のことなどほとんど気にもとめていないのに) 「あの人はこう思ってるに違いない」と思い込む傾向を「自己標的バイアス」というそうですが、これってたぶん、程度の差はあっても誰でもやってることだと思う。

このあいだ、ほんのちょっとしたことから、ある人に「あなたは人をコントロールしようとしている」みたいなことを言われて超おどろいた事件がありました。

その人は知的でコミュニケーション能力もすごく高いし、社会的にもわたしよりずっと立派な地位を得ている立派な人なんだけど、ちょっとしたわたしの言動を自分への攻撃であるかのように感じてしまったらしく、えらく激昂してしまったのです。

自分のちょっとした動作に対して「えっまじでそんなこと1ミクロンも思ってないんですけど?」というような解釈をされて、本気でおどろきました。

なんだこれ、ものすごく久しぶりだという感じがして、思い出したのがチエコ(仮名)。

こんなにちゃんとした人でも、こんなにも情緒不安定なところがあるんだ!というのにもびっくりでしたが、そこそこ社会的地位が高いからこそプライドが高くて傷つきやすい人も多いのかもしれない。



たいていの人はそうだと思うけど、知らないあいだに、相手に、そして世界に、自分のことをこう見てこう反応してほしいということを、漠然と期待しているんですよね。

そしてその自分の期待に気づいてないことが多い。

わたしもよく、クライアントさんにメールを送ったのにすぐに連絡がないと、自分が何か仕出かして怒らせたのかな、と心配になったり、息子に頼んだことをすぐにしてくれないと、バカにしてんのかコラ!と腹をたてたりします。

でも単にクライアントさんは忙しくてテンパってるだけで、息子は単に誰かに似てズボラで忘れっぽいだけだったりするのです。

それを、どんなに忙しくても一行返信しないなんて馬鹿にしてる!とか、頼んだことを3秒で忘れるなんて私を尊重していないからだ!なんて考えはじめると、これが地獄への第一歩なんですよね。

その先にあるのはチエコ症候群。

人の反応に期待するのを止めるだけで、世界はけっこうシンプルで暮らしやすくなるんだけどな。

多分いまでも私に腹を立てているチエコにもそれを知らせてあげたいと思うんだけど、それはきっと私の仕事じゃないんでしょう。


腹立てるだけ損なんだよチエコ! 


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2 件のコメント:

  1. 誰かが難しい話で『人の反応に期待するのを止めるだけで、世界はけっこうシンプルで暮らしやすくなるんだけど』などと知らせてあげたところで、彼女は分かったとなるでしょうか。素直な人です、自分の都合を言うのではなく彼女に合わせ話を聞いてみてはいかがでしょう。それから、ごめんなさい貴方は私の親友と伝えてあげたた方がいいと思います。遠巻きに誰かに言われれば、どういつもこいつも、保護者面しやがってとヘソを曲げてしまいます。
     貴方は、今までも彼女に合わせてきたと思うかもしれませんが、彼女は多分、年上姉さんが監督(監視)しているだけと思っているのでは?。
     直接会い和解できることを祈っています。広い宇宙の中で奇跡的に人として地球に生まれ、巡り会えたのだから。

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    1. spiderさん、読んでくれてありがとう!

      うん、あのね、「こうすればいいんだよ」っていってすぐ「わかった」とはならないですよ!
      私の場合はね、以前にもこのブログで紹介した「ケイティ・バイロン」さんのメソッドがとても役にたったけど、私もその理解を内面化するのに、とても頑固だったので15年くらいかかりました。
      でも理解は一瞬なんですよ、「あっそうなのか、そんなに簡単なことなのか」。
      けっこうその瞬間に世界がガラッと変わっちゃう。

      それをまた日常のなかで持続させるためには、日々、そこに毎回戻っていかなくてはならない。
      いまでは瞑想やマインドフルネスが一般的になってきてるから、そういうものを最初から取り入れていけば、きっともっと速く内面化が進むと思います。

      またチエコに会えることがあったらわたしはこのメソッドを全力を尽くしてすすめてあげたいなと思うの。遠巻きじゃなくて、目の前で。あなたは大切なひとだからぜひ幸せになってほしいって言いたいです。

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