2019/04/08

大広間を見逃し牢獄へ <ヴェネツィア思い出し日記 その9>


ヴェネツィア日記のさいご。

何世紀もの間、歴代ドージェさんが住み、政治がおこなわれていたドゥカーレ宮殿です。

もう午後も遅くなっていたので中を急ぎ足で見ました。(そして急ぎ足すぎた。)

午後の光が本当にキレイ。本当にエレガントな建てものですよねえ。

「ヴェネツィアのゴシック建築の代表作」と、建築鑑賞のクラスでならった。
北の国のゴシック建築とはだいぶ違って、東洋的な雰囲気を持つ繊細な建てもの。

ヴェネツィアの建てものはとにかく、軽くて華やか。
海と運河の反射する光が、軽やかな感じをより強調しています。
この細ーい優雅なアーチは、運河があればこそのデザインなんですね。 


仮装する人と観光客でごったがえすサン・マルコ広場から中へ一歩入ると、静かな中庭。

歴代のドージェが自分の代に次々に建てましをしていき、どんどん大きくなったという宮殿です。
絶大な権力を持っていたとはいえ選挙で選ばれた頭目なので、家族も一緒にこの宮殿に住まなければならない、公式書簡を誰も見ていないところで開封してはいけない、などの制約があったそうです。



両脇に裸像をひかえた階段。


外国の使節も、どんなに偉い人も、ローマ教皇でさえも、ドージェはこの階段の上で迎えたそうです。決して下まで降りて迎えなかったのだと…。

ぐぬぬ、と思った教皇も多かったのではないだろうか。


美術館の中にはオリジナルの建築材もいろいろ。



なんかどっかで見たような感じの人。

こういう奇妙な人たちが柱頭のなかにたくさん隠れている。


 宮殿内の「黄金階段」。

わたくし、いままでヴェルサーチとかドルチェ&ガッバーナとかのセンスがどうしても理解できなかったのですが、ヴェネツィアに行ってみて初めて納得できました。

これがオリジナルなんだー!
とにかく過剰で華麗でハデ。スキマなし。

これがのちにバロックになりロココに発展していくのかな。その時代のことはほんとによく知らないけど、なんというかこの、富のもたらす迫力、まったく忖度のない、百パーセント強気な世界観、すごい。

他の場所を抑えつけて勝ってる都市とか権力者にしかない陶酔感。

ベルサイユ宮殿とかは実際に行ったことないので本当のところはわかりませんが、ロココの時代はもっと停滞・発酵してる感じがする。でもこのヴェネツィアには東西が混ざり合って商人がいりまじって富が集中して、というルネッサンスの時代のドライブ感みたいなものが化石になって残ってる気がしました。

ちゃんとガイドブック読んでなかったのが悪いんだけど、宮殿内は順路がよくわからなくて、迷いました。あまり親切な地図とかがないのです。完全に自分のせいなんだけど。

あれ?ここは来てなかったよね?と狭い階段を降りていくと、いつのまにか牢獄に出ていました。

ガイドブック半分しか読んでいなかったので、牢獄があることさえ知らなかった。
だからかなり衝撃でした。

牢獄はほかの場所とは温度がぜんぜん違います。

石の壁がムキダシで、ひゃーっ!となるほど寒い。
骨身に切り込んでくる冷たさで、ぞっとしました。

気味が悪くて、あえて写真も撮りませんでした。

夏は地獄のように暑く、冬は死ぬほど寒い構造なのだそうで。

あのハデで絢爛豪華な宮殿のすぐ下にこの牢屋があるというのがなんともいえない。
華麗な宮殿のはらわたを見てしまった気がしました。

というわけで、宮殿内で一番印象強かったのが思いがけず出くわしたこの牢獄でした。

そして帰ってきてからガイドブックを読んだら、ドゥカーレ宮殿にはティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼの絵画がいっぱい飾ってあるよと……え?

うっかり、肝心の大広間、謁見の間などをするっと華麗にスルーしてしまったらしい。
ああああああ。

わたくし、宮殿中で一番華麗な部分を見ずに帰ってきてしまったようです。

そのかわりにドージェの住居の中でカナレット展をやっていて、カナレットの描いたヴェネツィアの図はいっぱい見ました。


景観が18世紀に描かれたまんま全く変わってないって、ともかくすごいことだ。


対岸の聖堂も行ってみたかったけれど。今回は本島だけで、ほかの島に行く時間はありませんでした。
でも本当にこの景色を見られただけで幸せ。


いつかまた行く機会があれば、今度は宮殿の謁見の間をちゃんと見てきたいです(w。


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