2019/05/11

パジャマを着た教会、奇跡の屋根、暗殺現場 <フィレンツェ思い出し日記 その11>


フィレンツェの顔、ドゥオーモ。正式名称はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、
「花の聖マリア大聖堂」です。


当時のキリスト教世界では最大の聖堂として1296年に着工したものの、建築家カンビオの死によりいったん中断。40年近く後に画家としても有名なジョット(ハレー彗星を描いた画家として有名で、ジオット探査機に名前が使われた人として覚えてた)が任命されて、鐘楼を建設したもののその中途にやはり死去。

その後、数々の建築家の手を経て、14世紀末にはドーム以外の聖堂部分は完成。前にも書いたけど、完成方法がわからないままこれだけのビッグプロジェクトを推進したフィレンツェ人の自信、すごいと思う。

1418年にクーポラ建設模型の公募があり、ここで選ばれたのがブルネルスキさん。
彫刻家ドナテッロさんもこの建設模型に応募したという。ほんとにルネサンス期までは彫刻家=建築家だったんですね。ともかくめっちゃ優れた頭脳の方だったようです。

このクーポラ、二重構造にすることと煉瓦の石積みを斜めに組み合わせた「ヘリンボーン」式にすることで難題を解決したそうですが、本当に優雅で綺麗な形ですね。



ピンクと緑が印象的なファサードですが、これは19世紀になってから完成したもの。

フィレンツェがイタリア王国の首都になった1865年を前に、首都になるんだから大聖堂もちゃんとしなきゃ、ということであわててファサードを公募したそうですが、建設が始まった1876年には、すでにローマに遷都されてしまっていたのでした。残念。



リック・スティーブズさんは「パジャマを着た大聖堂」と呼ぶ人もある、なんて言ってます。ピンクと緑と白のストライプって、たしかにまさにパジャマにありがち。

拝観は無料ですが、生きている大聖堂なのでミサの時間は信者さん以外はオフリミット。それ以外の時間は、いつも聖堂の外に長い行列ができています。
でも私たちが行った日(3月初め)はわりとさくさくと列が進んで、15分くらいで入場できました。


華麗な外観からすると内部は拍子抜けするほど質素。ぎっしりと黄金のモザイクで飾られたベネツィアの聖マルコ聖堂とはぜんぜん違います。

ゴシック特有の尖ったアーチが、ザ・中世というおもむきです。これはこれで素敵。



ここは、なんと復活祭のミサ中にメディチ家の兄弟暗殺が企てられるという、血なまぐさい事件のあった場所。
1478年の出来事で、メディチ家当主のロレンツォはかろうじて難を逃れたものの、弟ジュリアーノはこの場所で刺殺されたそうです。

ここを訪ねたときにはもちろん知りませんでしたし、実をいうとNetflixの『メディチ』シーズン2を観て、は?聖堂内で暗殺?ちょっとドラマタイズしすぎじゃないの、と思ったら、本当にあった事件だったと知ってびっくりでした。

このときの首謀者、パッツィ家の当主など8人が処刑された様子をボッティチェリがフレスコ画にしたのだけど、後にメディチ家が追放されたときに消されてしまったそうです。

フレスコ画が描かれていたのは警察署、今のバルジェロ美術館。
中世の歴史はもれなく、血なまぐさいですね。日本はそのころ、室町時代。


クーポラ内部のフレスコ画は「天地創造」。ミケランジェロの弟子だったジョルジョ・ヴァザーリとフェデリコ・ツッカリの制作。

クーポラの上まで上るには日にちと時間指定の予約が必要。階段は463段。
今回は時間がなくて無理でした。 いつか行けたらいいなー。


カトリック教徒じゃないんだけど、ここでのミサに参加してみたい。


こちらはジョットさんが設計した鐘楼。



こちらも、てっぺんまで上ることができます。こっちの階段は414段。これも時間がなくて断念。

この鐘楼の目の前に「もつ煮込みサンド」という日本語の手書き看板が下がっている店があって気になっていたのですが、あとから、その看板がツイッターで話題になってるのをアリゾナの翻訳者Nさんが教えてくれたw

「もつ煮込みサンド」はランプレドットという料理だそうです。この日別行動してたうちの息子は、まさにその店でそのサンドイッチを食べて、うまかったといってました。

今すぐもう一度行ってやりたいことだらけのフィレンツェ日記です。


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