メトロポリタン美術館では、2つの大きな企画展をやってました。
アーヴィング・ペン写真展と、
コム・デ・ギャルソンの川久保玲さんの「Art of In-Between」。
どちらも直球どまんなかのツボだった。
建物のあまりの大きさに呆然としながら、ペルセウス(だっけ?)の綺麗なお尻をちらりと横目に見ながら(しかし写真は撮る)、川久保さん展会場へ。
広すぎてなかなかたどり着けなかった。
川久保玲さんの服は、もちろん、持ってません!Tシャツですらも!
1980年代から現在までの川久保さんの服を「in-between」というコンセプトで振り返る大回顧展。
不在/存在、デザイン/非デザイン、ファッション/アンチファッション、モデル/複製、ハイ/ロウ、昔/今、自身/他者、オブジェクト/サブジェクト。
といった対立する概念のペアが各セクションに振られていて、川久保さんの服は、その相対する概念の間で生まれてきた服たちとして紹介されている。
コブを持った服。「Body Meets Dress - Dress Meets Body」、1997年。
川久保さんの服はなんだかすごいなあと遠くから思っていたけど、 こんなにすごいのだとは知らなかった。
もうすべてに圧倒されました。この展覧会だけでもう本当にノックアウトされて、見終わったら、しばらく呆然、ぐったり。
川久保さんは正当なデザインの教育は受けていないというのも知らなかった。
40年間前衛であり続けられるってどういうことなんだ。
「The Infinity of Tailoring」、autumn/winter 2013–14。
男性/女性、自分/他者、東洋/西洋、子ども/大人、といったカテゴリーを問う服。
ただその問いをもてあそんだり、もったいぶるのではなく、それを綺麗な形につくりあげてしまう天才。
こどもと大人。カワイイの究極。
「この服はだれが着るのかしらね。不思議の国のアリスに出てくる服みたいね」
と、アメリカおばさんが不思議そうにいっていた。うん私もそう思う。
「Ceremony of Separation」、2015-16。
喪服のような、死と別れを感じさせる作品。
この人はお坊さんのような真面目さで服を作り続けているんだ、と思う。
その真摯さに泣けてくる。
これだけ突飛なデザインが、まったく衒いを感じさせないし、わざとらしくない。
「Broken Bride」、2005-06
“The right half of my brainlikes tradition and history,the left wants to break the rules.”
「わたしの右脳は伝統と歴史が好きで、左脳は決まりを壊したがっているのです」(2005)
「Not Making Clothing」、2014。
このコレクションはビデオで見た。演劇的なショウだった。
子ども/大人、過剰/欠落。
この展覧会の、ふたつの相対する概念の中に表されているものをいったん取り壊して再構築する、というテーマが、いつも川久保さんの制作の中にあるのかどうかは知らないけど、そのように説明されると本当にしっくり納得ができるのだった。
「Invisible Clothes」、Spring/summer 2017。
そしてその形が本当に息をのむほどカッコ良いのです。
「MONSTER」、Autumn/winter 2014–15。
「怪物」というのは「人間性の狂気」を表現しているそう。
「私たちが皆持っている恐怖、常識を超える感覚、日常性の不在。なにかとてつもなく大きなものによって、なにか美しくも醜くもあるものによって表されるもの」
上の段は、パリに衝撃をもたらしたという1982年秋冬のコレクション「Holes」の穴あきセーター。
「無」「間」「わびさび」の表現だという。この穴は「破れではなく、布地に新しい次元をもたらす『オープニング』。カットアウトはある種のレースになる」というのが川久保さんの説明。
Blood and Roses、Spring/summer 2015。
「コレクションのテーマは、社会状況に対する憤りから来ることが多い」
というものの、
「自分のデザインを、世界のなにかの問題へのメッセージにするつもりは全くない」とも。
血と薔薇。
バラの花はヨーロッパのバラ戦争にさかのぼり、「血と戦争、政争、宗教上の紛争、勢力争いに結びついている」。
Blue Witch、Spring/summer 2016。
中世から迫害されてきた「魔女」というのはフェミニスト的なテーマではあるけれど「私はフェミニストではない」「私は白昼夢も追わないし、幻想的なイマジネーションも持っていない。私はむしろリアリストなんです」と川久保さんの言葉。
18th-Century Punk、Autumn/winter 2016–17。
秩序とカオス。
川久保さんの服には、形式に一切よりかからないで、自己満足をしない、緊張感があると思う。
きっと、その緊張がちょっとでも緩んだら一切がだめになって単なる混沌になってしまう。カミソリの刃の上のような危うい場所で成立している「醜の美学」。その引力がものすごい。
楽茶碗のような服だと思う。
この緊張感は、利休さんの時代のお茶道具の緊張感のよう。
異次元のような空間にひっぱりこんで、有無をいわせず「これは美しい」と思わせるパワー。
“My clothes and the spaces they inhabit are inseparable—they are one and the same. They convey the same vision, the same message, and the same sense of values.”
「わたしの服と、その服がある空間とは切り離せない存在。互いに一つなんです。どちらも同じビジョンとメッセージを伝え、同じ価値感の上に立っている」(2017年)
Body Meets Dress-Dress Meets Body のコブ衣装を使った舞踏の舞台もあって、ビデオで上映されていた。
1997年に上演されたもの。
「The Future of Silhouette」、 Autumn/winter 2017-18。
こちらも最新の「The Future of Silhouette」。
袖すらない。
VOGUEの記事にコレクションの写真とビデオがありました。モデルが着て歩くとピーナッツの殻みたい。
いったいこの次に何を作るんだろうか。
この展覧会の写真がたくさん網羅されてる記事がありましたます。ニューヨークに行かない方はこちらで。
会期は9月4日までです。
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