2011/02/27

がっかり岬の灯台


たった1泊の州内旅行でどこまで引っ張る。まだ続く太平洋探訪記。

ワシントン州の南西の端っこは、コロンビア川が太平洋に流れ込む河口で、川向こうはオレゴン州。

広い河口と太平洋の間に大きな前歯のように突き出している岬が、Cape Disappointment (ケープ・ディサポイントメント)。

直訳すれば、「がっかり岬」…。

ノースウェスト地方の地名の適当さについては以前にもひと言申し上げましたが、いくらなんでもこれはひどい。「がっかり岬」じゃ演歌にもならない。

命名したのは、やっぱり英国人の船長だよ。1788年、内陸に入るコロンビア川の河口を探していた毛皮商人の船長が、河口に行きあたったのに行き止まりの湾だと勘違いしてがっかりしたので、この命名。

もちろん無人地帯じゃなく、ネイティブ部族がいくつもあって、すでに西洋人とさかんに交易していた地域ですよ。勝手に船で来て勝手にがっかりされてもねえ。



そして、その20年ほど後、西部探検隊のLewis & Clark (ルイス&クラーク)が艱難辛苦の2年の旅の後、やっと太平洋にたどり着いた地点でもある。


岬の太平洋側と河口側にはそれぞれひとつずつ灯台があります。潮の流れが複雑で砂州が多いので、昔からよく船が難破する大難所だったそうです。↑ これは太平洋側のNorth Head 灯台。

河口側の灯台へは、パーキングから1キロちょっとのハイキング。


灯台への道には、シカも出没します。 


途中にある小さな入り江には「Dead man's Cove(死人の入り江)」という、『パイレーツ・オブ・カリビアン』的な名前がついている。ほんとに人の土地に来て好き放題な名前をつけますね。

実際、ここには汐の加減か、難破船から遺体が流れ着くことが多かったという話です。
と思うとちょっと陰気にみえてしまう。



南北戦争のときのものだという、要塞跡も。




がっかり岬灯台。

現役灯台としては西海岸で一番古い。今でも、コーストガードの管理下でしっかり働いてます。


湾の内側にはコーストガードの施設があります。

岬の丘の上に、州立の立派な『Lewis & Clark Interpretive Center』(ルイス&クラーク資料館)があるので、せっかくだから入館料5ドルを払って行ってみた。

ジェファーソン大統領に任命されて西部を探検したルイス&クラークのことは、アメリカ人は小学校で必ず習う。(うちの15歳は、なあああああんにも覚えていませんでしたが……悲)。

写真や図版を使って、一行が食べていたものや、途中で取引した部族とのやりとりや、あらゆる困難の数々が説明されている。

食料に、「犬」が入っていたのが、衝撃的でした……。


通訳として白人(毛皮商をやってたカナダ人)の夫とともに探検隊に同行し、途中で赤子を生んで育てながら最後まで旅についていったネイティブ女性 Sacagawea (サカガウィア)は、赤ちゃんを背負った肖像が1ドルコインにもなってて有名です。

ほんとにすごい、たくましい女の子。 探検隊参加当時はまだ10代の、とても好奇心の強い女子だったのだと思う。
この近くで越冬キャンプ中、何十キロか先の海岸にクジラが打ち上がったという話を聞いて、この内陸生まれの女子は「その巨大な魚をぜひ見たい!」と、わざわざ男たちと一緒に見物に行ったのだそうです。まだ赤ちゃんも乳飲み子だったろうに。


彼女の存在が、道中出会うネイティブの部族に対して、私たちは悪者じゃなく友好的な平和な目的のために来たんですよーという印籠のような役割をはたした。

そのあとから入植者や軍隊がイナゴのように群れをなして来ることになるとは酋長たちも露知らず、ほとんどの部族が友好的にもてなし、道案内や物資の調達に協力した。

探検隊が馬もなく先に進めず困窮していたときに馬を譲ってくれないかと交渉した先の部族の長が、たまたま、このサカガウィアちゃんの生き別れの兄で(彼女は小さな時に他の部族に誘拐されていた)、ドラマチックに話がまとまってしまったというのは、小説にしたら嘘っぽくなってしまうようなアメリカ史上のミラクルのひとつでした。

当時は今のワシントン州のあたりはまだアメリカにもほかの欧州の国にも属していない、インディアンの土地だった。
ほかに先んじて探検隊を送ってツバをつけておこうというのが大統領の思惑でもあったのですね。

アメリカはフランスから広大な「ルイジアナ」を買ったばかりで、いきなり国土が倍になったけど、その中身がどうなっているのかはまだよくわかっていなかった。太平洋に出る通商路を確保して、ゆくゆくは太平洋岸にも国土を広げたい、というのが当時の政治家の目標だったのは当然。

今考えれば、アメリカが東から西まで広がる大陸国家となったのは必然だったかのようについ考えてしまうけれど、そこに至るまでには命がけの開拓と血みどろの侵略と戦いが無数にあったのでした。

18世紀のニュース版画。「熊に襲われて木の上に逃げる人」。どう見ても犬。
この画家は熊みたことがなかったらしいです。

そんな時代の流れの中で、 探検家や毛皮商やインディアンの娘がそれぞれの思惑や希望や誇りをもって、それぞれに波瀾万丈の人生を生きていたのですね。




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6 件のコメント:

  1. がっかり岬、ある意味凄いネーミングセンスですよね!笑ってしまいました~。
    灯台は、味がありますね。灯台までは足を延ばさなかったので、今度行ってみたいです。探検隊に同行したネイティブ女性のことがとても興味深いです。きっと、あまり知られていないいくつものドラマがあるのでしょうね。

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  2. ZIZIさん、まったく失礼しちゃいますよねえ。ひとんちに来てガッカリって。
    灯台は二つとも、風情がありました。冬期は外からしか見られませんが、ノースヘッドのほうは、夏の間は有料で見学できるそうです。
    Sacagawea の話は子ども向けの本にもなっているけど、実際は謎が多いようですね。丈夫で溌剌としたかわいい子だったんだろうなと思います。

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  3. >「がっかり岬」じゃ演歌にもならない。
    大ウケ!
    「演歌にも」って、それじゃ演歌に失礼ですよ。爆

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  4. そうねえ。演歌にもって失礼でしたー。でもきよし君の歌になりそうな気もする。「がっかりルンバ」とか、どう?

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  5. はじめましてコメントさせていただきます。
    実は先日ESOLのクラスでLewis&ClarkとSacagaweaについて
    習ったばかりです。
    彼らはOregonのSeaside近郊で一冬を過ごしたと聞きましが
    「がっかり岬」については知りませんでした(笑)
    AstoriaにもNational Historical Parkやミュージアムなど
    あるようですので是非行ってみたいなぁと思いました。

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  6. Nahoさんこんにちは!ポートランドにお住まいなんですね。
    ブログ拝見させていただきました。トレジョーのピザ、私も好き!キッチンが大変なことになるのでたまにしか作りませんがw

    そうそうそう、一行はあの近辺で冬越ししたんですよね。あの辺りはポートランドからのほうが、シアトルからよりも近いんですね。私も今度はアストリアの資料館も見てみたいなと思いました。
    あの人たちの食べていたものってかなり悲惨!「メニュー」があったんだけど、小麦粉やらベーコンはすぐになくなっちゃって、半年後には「犬」とか(泣)移動用に買った馬を食べちゃったり。そんな食糧事情の中で乳児を背負って旅を続けたSacagawea、すごすぎる、とほんと感心しちゃいました。

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