2011/02/14

Shameful


先日タコマ美術館でタコマの中国人排斥メモリアルの写真を見たばかりだったが、今日の新聞に、シアトルでの中国人排斥から125周年の記念イベントがあったと大きな記事になっていた。

125年前、中国人たちが銃をつきつけられて追放されていったのと逆の道をたどって、埠頭から坂を上ってチャイナタウンの中華門まで、小さなパレードがあったそうです。

この中で、 キング郡のExecutive (郡の一番偉い人。「郡長」じゃないよね。この役職の日本語訳はなんていうんだろう。「主席行政執行官」じゃソ連みたいだし?)が、

"We gather to remember a shameful moment in our history,"
今日私たちは、私たちの歴史の中の、恥ずべき時を思い起こすために集まったのです。

と言っていた。

Shameful というのはとても強い言葉だ。役人や政治家が使うのはよほどの時。

中国人排斥のことはつい最近読んだ本『The Imperial Cruise』で知った。

19世紀半ば、清国とアメリカは自由移民協定を結び、大陸横断鉄道の建設や炭坑で働くために、たくさんの中国人が、おもに広州から、やってきた。安い賃金で良く働く中国人労働者が増えてくると社会全体に中国人への反感がつのって、中国からの移民を禁止する法案が通った。

すでにアメリカで生活していた中国人は法で守られていたはずなのに、各地で白人労働組合による排斥運動が暴走して、ワイオミングの炭坑町やロサンジェルスでは虐殺も起きた。
タコマやシアトルでも、銃で武装した暴徒が何百人も集まってチャイナタウンに押し掛け、中国人を追い出した。

当時の新聞が、中国人がすべての元凶みたいな、暴徒を煽る記事を書き立てていたことも大きく貢献した。

国の代表などが自国の過去の過ちを「恥」と認めると、必ず怒る人がいる。
過去の罪を認めることが「自虐」的だと思っている人が、少なからずいるらしい。どうしたらそういう考え方になるのかわからない。罪が重すぎて引き受けられないという深層の恐怖があるのかも?

次の世代が同じような馬鹿げた恐怖や妄想を抱かないように、過去にあった事実をきちんと認めて、共有していこうとするのはとても大事なこと。

けれど本当に大切なのは歴史的事実そのものだけではない。むしろその受け止め方とそこに生じる感情を(相手のも、自分のも)理解してみようとすることなのじゃないかしらね。

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2 件のコメント:

  1. Tomozoさん、どうしてもコメントが入らないの(涙)
    ちょっと試してみますね。TESTです。

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  2. gigiさん、何度もすみません。改善されるとよいのですが……。

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