ハワイ在住の日本人アーティスト、グラバー由美子さんの個展がシアトルの
Bryan Ohno Gallery で行われてます。(パナマ・ホテル・ティールームと同じ通り、藤寿司の向かい側です)
由美子さんはハワイ大学「地獄の夏期コース」(笑)、夏期集中通訳講座を一緒に取った同級生。
当時彼女は美術専攻でハワイ大の学部に在学中だったのですが、その後、ハワイで大きな賞を取り、ホノルルのチャイナタウンのおしゃれレストランで作品が展示されたこと、ホノルル美術館にもこんど作品が展示されることを知って、観に行きたい~~~!と思っていたら、作品と本人が向こうからやって来てくれました!すごい!
個展タイトルは「浮世の『萌え』要素 」。
先週土曜日のアーティストトークに行ってきました。
彼女の作品は、メイド服やセーラー服を着た女の子たちが主役。
なぜその主題を選んだか。メイドや女子高生のイメージが消費され、そして女の子たち自身もその役回りを演じて注目を浴びることを楽しんでいる日本のオタク文化に惹きつけられた、のだそうです。
プレゼンテーションでは、少女たちが消費される好例として、AKB48をスライドで紹介。
交際禁止令に背いた峯岸みなみの丸刈り事件に象徴されるように、ある一定のキマリと枠の中で商品としてプロモートされる少女たち。
これを吉原の遊郭に重ねて見ると、あらそっくり。
遊郭にあった花魁をトップにいだくヒエラルキーと厳しい拘束 、AKBの「総選挙」で決まるランクづけ(CDの消費という形で金銭化されている)と厳しい管理方法が見事に重なります。
AKBの女の子たちは格子の中の遊女たちと違って直接的な性の対象ではなく、妄想の中で消費されるという違いはあるにしても、「イノセント」で「従属的」な女性像であることは同じ。その背景となっている父権的な価値観は明治の娘身売りの時代から、実はそう変わってはいない。
アイドルの女の子たちも、メイド服やセーラー服に身を包む少女たちも、欲望の対象となることでパワーや地位を得ているようだけれども、それはやはり、自覚的であってもなくても、格子の中にいるということ…。
というような、「日本文化」を紹介するプレゼンテーションでしたが、あらためてこうした形で見せてもらうと、ほんとに面白い。
観客の中にベトナム人の若い女性がいて、やはりアジアでは一般に同じようなイメージの女の子たちが人気を博している、とうなずいていました。
由美子画伯としては、オタク文化やメイドカフェを否定するつもりはない、と強調。
しかし絵を見てくれるオタクの男の子たちも、アイドルの立場の若い女の子たちも、見ているうちに段々と落ち着かない気分になって、その中に何かを見つけてくれたら良いと希望する、とも語っていました。
鏡を覗いて化粧する歌麿作の美人画をモチーフにした作品。
頭のあたりにデジタル風のノイズが入っているのがおもしろい。彼女自身がデジタルの存在みたいな。
描かれた少女たちのほとんどは、鏡の中の自分の姿に集中していたり、携帯電話の画面を通してデジタル空間に投影された自分の姿に見入って、自己完結しています。
こうした形で自ら商品となっている少女たちを描くことで、イノセントな少女像が性的な対象として消費されることを認めてしまうことになるのではないか、という、フェミニズムの立場からの批判もありそうですが、由美子さんの絵はきわめてフェミニズム的なんです。
たとえば、ハワイ大学在学中に描いた「赤ずきんちゃん」シリーズの作品。
赤ずきんちゃんが悪い狼にリベンジをするシリーズ。飛行機の中で悪い狼には毒入りワインを飲ませ(奥のほうにおばあちゃんが「アテンションプリーズ」と言ってます)、別の絵ではグルグル巻きにしたオオカミをメッセンジャーバイクに乗った赤ずきんちゃんが引き回して、東京の女の子たちにその存在を知らせてます(メッセンジャーバッグの中からはおばあちゃんの手が覗いています)。
おばあちゃんとタッグを組んでオオカミをぎゃふんといわせるスーパー赤ずきんちゃんです。
また、この作品では、フレンチメイドの格好をした女の子がこちらを見据えています。(インベーダーゲームのモチーフが見えますか?)
膝の上には、冠をかぶった王子様、のはずの蛙。でも彼女はもう王子様を待つ必要はないのです。たぶん、これから1人のディナーのテーブルで食べてしまうのでしょう。
たとえば会田誠の描く少女たちは(私は実際の作品を見たことがなく、ウェブでいくつかを見ただけで感じた印象に過ぎませんけど)完全に客体であって、自我がない。海苔巻きの具にされたり瓶詰めにされたり首輪をされた少女たちは自我がまったく空白の、イノセントな客体として描かれてる。彼女たちは見る人を見据えることはなく、視線を常にどこかにさまよわせている。
(それは、日本のエロマンガやエロ動画やエロゲームの女の子たちやアイドルの定形そのものであって、きっと「お客さん」たちの集合的な願望、そのもの。それがきわめて洗練された、きわめて極端な形で絵画になっているものだから、会田誠の絵は見る人を落ち着かなくさせ、ある人びとを激怒させるだけではなくて、ある人びと、つまり潜在的な日本のエロ業界の消費者たち、を安心させてしまうのだと思います。作品の善し悪しやアーティスト本人の思惑とはまた別に。)
でも由美子さんの描く女の子たちには自分を意識した存在で、こちらを見つめる視線がある。
本人たちもまだ自分の立場を決めかねているようにも見えます。
今はまだ、彼女たちは携帯電話の画面や鏡に写し出された自分の姿に見入っている。
スカートの中を覗きに来た小さなオタクたち(下の絵ではウサギたち。でかいウサギは秋元康か!?)に気づいてか気づかずか、それより大事なデジタル世界の自分像に夢中になっている。
でもいつか、彼女たちは、赤ずきんちゃんよりもさらにすごい破壊活動に乗り出すのではないかという予感も、持たせてくれるのです。
由美子さん自身がとても可憐な人なのですが、これからもっともっと毒の強い破壊力のある絵をたくさん描いてくれることをとっても期待しています。
右はギャラリーオーナーのブライアンさん。おちゃめなダンディさんです。
左は由美子さんのご友人。
会期は11月29日まで。シアトル近辺の方、ぜひお運びください~。