2017/03/03
15分以上かかる仕事はない
いったい私の時間はどこの4次元ポケットに入ってしまったのだろうと毎日思うわけなのですが、やはり気がつかないうちにぼーっとしていて、自分が4次元の世界に行ってしまっているらしい。
きょうの日経DUALの記事で、心理学ジャーナリストの佐々木正悟さんという方の時間活用メソッドが紹介されてた。
「重要」と「緊急」のタテヨコ軸で仕事の優先順位のマトリックスをつくる。
面倒な大仕事でも、15分のタスクに分ける。
1分単位の細切れ時間を活用して読書する。
そして、「今日やるべきことは終わった」感を1日の終わりに持つ。
…というのが簡単なメソッドの要約。
これはすごく納得できる。
「15分以上かかる仕事はない」と佐々木さんは言っている。分かる気がする。
15分というのは、分かりやすい、アタマで管理しやすい単位なんだと思う。
わたしも普段、自分の仕事を15分刻みで把握するようにエクセル表をつくってる。
もちろん、翻訳仕事やレポート書いたりする作業はがっつり1時間以上集中して取りくむことが多いけど、それも細かく区切ればたしかに15分単位に分けられる。
小さく分けることで、取り組みやすくなるし、「やり残してしまった感」の解消には確かにとても良いかも。
わたしの場合は、優先順位の振り分けがうまくいってないのと、スピードが上がらないのは自分にちゃんと締め切りをかしてないから四次元にいってる時間が増えちゃうんだな。
しばらく前から、ブログには1日15分を割り当てている。しかし15分で書けることはほとんどない。
時間切れになったら翌日にまわすようにしてるのだけど、面白くなってくるとつい1時間も2時間も費やしてしまう。
だらだらと読んだり書いたりぼーっとする時間も大切で、ほんとうは1日30時間くらいそういう時間があると理想的なのだけど。
本を読む時間を「緊急でないけど重要」な時間に割り当てて1日数分の積み重ねでもチマチマ読むというのは、実はもうここしばらく自分なりにやってみている。
積読本を毎日見ながら、生きてるあいだにこれを全部読むにはなにかを始めなければと1年くらい前から思い始め、朝晩と休憩時間に「すきま時間読書」をするようになった。
だけど、1分程度の合間に細切れに読める本というのは限られている。本をひらいた瞬間にその世界に入り込めるかどうかは、その時次第。
短歌集やエッセイ、ノンフィクションだと、数分でも一区切り読める。
フィクションは非常に微妙。
年末には、iPhoneの青空文庫で江戸川乱歩の『人間椅子』を、Fedexの行列に並びながら読んだ。椅子の中の空間と、クリスマス前のFedexの店頭の混雑が微妙に入り混じって記憶されています。
さて、では次の15分仕事にとりかからねばー!
2017/02/28
大混乱を仕切る人
ゆうべはアイロンをかけながら、アカデミー賞の最後の大きな賞だけちょこっと見てました。見た?
泣けた。
なにこのスーパーボウルの最後の1分でカムバック逆転大勝利みたいな展開は。
わたし『Moonlight』 はまだ見てないんだけど、最後の作品賞アナウンスを見て、これだけ黒人監督やキャストの映画がノミネートされててもやっぱり最後は『La La Land』かー、まあほんとうに素敵な映画ではあったけどね、と思って洗面所に行って帰ってきたら、画面がたいへんなことになっていた。
「Moonlight が受賞したんだ。ちょっと待ってくれ、すまなかった。手違いがあったんだ。Moonlight!勝ったのは君たちだよ!本当に冗談じゃないんだ、こっちに(舞台に)あがって来てくれ。ほら、『Moonlight』、作品賞!」
とウォーレンの手から本物のチケットをひったくって会場に向けてみせ、あの大混乱の舞台を仕切って、
「これ(トロフィー)を『Moonlight』の友人たちに手渡せるのをほんとに嬉しく思うよ」
と言ってのけた『La La Land』のプロデューサー、ジョーダン・ホロヴィッツに惚れた。
かっこええ。
本当に仕事ができる人っていうのはこういう人のことをいうんだよね。
主演女優賞を受賞したエマ・ストーンのインタビューもカッコ良かった。
エマちゃんは本当にアメリカンガールの一番素敵なところのエッセンスみたいな女優さんだとおもう。
ものすごく大げさな最上級の言葉を連発しても、カスワードを使っても、下品にならなくて、才気煥発でアタマの回転が尋常でないほど速く、まったく陰がないのに単純ではなく、スーパーに洗練されていて、感情の振り幅がとっても大きく、しかも理知的にコントロールされている。
ヨーロッパの女優さんも素敵だけど、こういうカラッとした爆発的なエネルギーはアメリカンガールならでは、だとおもう。
恵まれた場所で、心ゆたかな両親にしっかりしつけられて育った感じ。
ディズニー映画の主人公(『ズートピア』のうさぎちゃんとか)をそのまま人間にしたみたいなキャラクター。
来月、いろいろ一段落したらまっさきに『Moonlight』見なくてはーー。
ところで、ずっと楽しみにしていた遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督渾身の『Silence』、なんとシアトルでは2週間くらいで上映が終わってしまったらしく、先々週くらいに探したらもうどこでもやってなかった。オスカーも小さな賞にノミネートされたほかはスルーだったし…。
公開時期が悪かったんでしょうか。 そういうめぐり合わせってあるよね。
しかたがないからDVDになるのを待とう。
2017/02/25
見ると変わるのプロセス
バタバタすぎる2月がすぎてゆくー。もう本当に自分のすべての回転数を上げたい。
今週はちょっと腰をすえて学校の課題をなんて考えてたら、いろいろと細かな仕事や用事が降ってきて、わたわたわたわた。何もすすまーん! 流れにさからって泳いでるみたいな気分です。ていうか陸がますます遠くなっているのでは…みたいな。たぶん実力以上のことをやろうとしすぎているのね。
先週、お天気の良い日に散歩に出たらカッコいい雲が。
写真じゃよくわからないのだけど、下のほうにほのかにプリズムが映っていてキレイな彩雲でした。
雲とかトリとか、こんなちょっとしたものが、泳げなくて流される一方のわたしを癒してくれて嬉しい。しかもタダ。
ちょっと外に出るとびっくりするような豪華な世界が広がっている。
なんて世界はゴージャスなのかと思う。
だいたい自分の足で歩けるってすごい。
もともと大変に欲が深いので、足りないよ今すぐ欲しい、と思うものは数かぎりなくあるけれど。
今の5倍くらいなスピードで何もかもこなせるようになりたいとか。
年収があと3億円くらい必要とか、九州とハワイとアリゾナに家がほしいとか、年間200日くらい旅行したいとか。
さらに、自分のバカさや人としてのダメさに、心底イラっとしたりアタマをかきむしったりそのへんを走り回りたくなることも、けっこう毎日何度もあるけれど。
まあそれはそれとして、とりあえず今目の前に広がってるこれ、の充足感で即、わりと幸せな機嫌に切替えるのが簡単になったのが、私にとっては「ワーク」の効用のひとつです。
欲は減らないけど、考えてみたら、悩みというのは実際あんまりなくなった。
ダメなことに開き直るのではなくて、とりあえず、今ここ、だけに集中すると悩んでいる時間がなくなるのです。
ところでこの間、
<<「ワーク」は、あまりにも慣れすぎて自分自身に牡蠣殻のようにくっついてしまっている、だから自分自身と切り離せない一部と思ってしまっている、その思考パターンをこそぎ落とすための、とても役に立つツールです。>>
と書いたのは間違ってました。
正確にいうと「こそぎ落とすためのツール」ではなく、じっと見つめるだけで、気づくと勝手に離れていくのです。
あっこれはもう要らないものだ。と思った瞬間に、その考えがパラリと取れてしまう。
これは不思議で実に気持ち良い。
自分の考えに、「meet with understanding (理解を持って向き合う)」という言い方を、ワークショップでケイティはしてました。
そして放っておけばまたくっついてくるけれど、何度も繰り返しているうちにだんだんくっつく期間が短くなって、そのうちくっつく前に目ざとく見つけて、ハイハイまた来たね、いらっしゃい、と迎えることができるようになってきます。
自分が万全に機能しているなら何をくっつけていたっていいわけだけど、もし、その考えによって辛くなったり機嫌が悪くなったり、人にあたりちらしたくなったりするのであれば、
「それは本当に本当?」
「それが本当に真実だと言い切れる?」
「それがあると自分には何がおこる?」
「それがなければ自分はどんな人になるだろう?」
という質問を試してみると、きっとびっくりしますよ。保証します。
ケイティはこの「ワーク」のプロセスを、瞑想だと言ってました。
今まで慣れていた思考のパターンにじっくり向き合ってみるのは、たしかに瞑想といえるのかも。普通の瞑想とはちょっと違いますが、世の中が本当に後戻りできないほどに変わってしまうのは事実。
2017/02/16
金太郎あめな日々
数日前お天気が良かったので、久しぶりにバラードのダウンタウンまで歩いてみたら、やっぱり人が多かった。
前はほんとにちっちゃなフロントだけだったカフェに奥の部屋ができていたので少しここで宿題を。
再生材のテーブルに煉瓦壁。イームズデザインの椅子。はんこでおしたみたいなカフェインテリアだなや。
ここは以前アーティスト風な人が多かったのだけど、キレイに薄味になったというか、両脇のテーブルからマイクロソフトとかアマゾンの話が聞こえてきたりするふつうの町カフェになった。
ケイティのつづきに書きたいことがあったのだけど、なかなか落ち着いた時間がとれず。
かかか確定申告がー!
去年は経費のまとめを月ごとにやるのを盛大にさぼってしまったため、ここでツケがまわってきているのである。
あっという間に時間がすぎていくーーーるるるー。
仕事をした時間を計ってみると、すんごく仕事してたつもりなのに週30時間しか働いてなかったり (自分では50時間くらい働いた感)。
メールしたりインボイス作ったりというオーバーヘッドの時間を入れても、忙し感のわりに実働が少ない。
通勤がないぶん、時間があまっているはずなのになぜこんなに時間がないのだ。
自分の行動を追跡しているのに、腑に落ちない。
きっとどこかで4次元ポケットに入ってしまっているのだね。
ラベル:
日常
2017/02/13
人が変わる瞬間
先週、雨の土曜日にシアトルで開催されたThe Work of Byron Katieのワークショップにいってきました。
行ってよかった。
ザ・ワークについては以前にも書きましたが、ワークショップの印象など、長くなると思うので何回かにわけて書きますよ。
えーと、まず開催場所!
The Center of Spiritual Livingって初めて知った、なんだかプログレッシブでニューエイジな場所だった。
ワシントン大学の近く。ユニバーシティ・ヴィレッジの先、チルドレンズホスピタルの少し先、マグナソン公園よりはちょっと手前です。
なんだかさすがにシアトルだなあ、としみじみ思った。
名前から、いったいどんなニューエイジなところかとちょっとドキドキしていたのだけど、垢抜けた小さな大学のような建物で、明るくて、とても感じがよかったです。
ここって教会もあって、宗教じゃないんだけど宗教を超えた礼拝を毎週日曜にやってるのだとランチのときに隣りになった人が教えてくれた。よくわからないけど、面白そうだから今度見に行ってみようー。
立派なオーディトリアムはとても広く、2階もあって1000人くらい収容できそう。
この日は1階はほぼ満席。全部で600名か700名はいたんじゃないかと思う。
そしてやはりオーディエンスは、40代〜60代くらいの中年白人女性が多かった。駐車場から乗った無料シャトルは、私と中年男性一人をのぞいて全員がそのカテゴリーだった。
でも会場に着くと、意外に若い人も一定数いて、あら、と思いました。
若い男の子もちらほらといたし、男性は全体の3割弱くらいの印象。
私が座った席の近くには20代後半くらいのカップルが何組もいて、ぺたーんとくっついていた。
もしかして、結婚する前に行ってきなさいと何かのカウンセラーに奨められたのかも。
ケイティは、ゆったりした心地よさそうなセーターを着て舞台に登場。
スタンディングオベーションで迎えられていました。
真っ白な髪に瞳がキラキラしていて、おっとりした口調で、もう常に楽しそうな笑顔で、ユーモアたっぷりに、きっぱりと話す。
去年だか、かなり大きな病気をしたと聞いたけど、動きはゆっくりだったけれど、本当に楽しそうだった。見ているとこちらも楽しくなってくる。
最初の小一時間は、「このワークショップに来た目的は?」とケイティが語りかけ、それに観客が手を挙げて答え、ケイティがコメントしたり、質問に答える対話で進行。
そのあと、会場入口で配られた「Judge your neighbor worksheet(ひとを批判するワークシート)」に、実際にいま自分が持っている問題をそれぞれが書いてみる。
そして、「何を書いた?」とまたひとしきり、観客との間のやりとりがあり、そのやりとりの中から希望した人がステージの上で実際にケイティと一緒に「ワーク」をする。
(ステージの真ん中にオプラ・ウィンフリーのトークショウに出てくるみたいな長椅子が置いてあって、参加者とケイティはそこに座って「ワーク」を行いました)
という構成で、ランチをはさんで「ワーク」をステージでやったのは全部で5名。
「このワークショップに来た目的は?」という質問には、いろんな答えがあった。
PSTDの治療中で、カウンセラーに奨められたという男性。
夫が数ヶ月前に出ていったという女性。
娘にすすめられて、はるばる中西部から来たというお母さん。
近親者をなくした人。
そして、今はとにかくトランプのことで不安だったり怒りで頭がいっぱい、という人多数。
わたしも「人を批判するワークシート」には、現職大統領についての怒りをぶちまけました。
「わたしはトランプに対してハラをたてている。なぜなら彼がうすらトンカチで人を平気で傷つけ、国のリソースを使って無駄なことばかりしているから」
「わたしはトランプに自分の馬鹿さ加減に気づき恥じ入ってほしい」
など。
会場でもトランプに怒りや不安を持っている人はとても多くて、ステージにあがって「ワーク」をした5人のうちの2人はトランプ問題を抱えている人でした。
ステージに上がって「ワーク」をした1人目は、「兄が妄想に取り憑かれていて、誰かに盗聴されているとかその手のことばかり話すので、つらい」という女性。
2人目は、とても品の良い60代くらいの婦人で、「トランプの大統領令で家族が引き離されたり、空港に留置されたり、苦しんでいる人がいることに我慢がならない、私はトランプに、人の思いが分かる人になってもらいたい」という思いをワーク。
3人目は、数ヶ月前に恋人が自殺してしまったという、20代後半くらいのきれいな女の子。
4人目は、大統領選挙の際に中西部の州に選挙運動を手伝いに行っていたという筋金入りのヒラリー支持者で、 「わたしはトランプ支持者の馬鹿さ加減に我慢がならない。なぜ自分たちの首をしめるような人や政策を支持して国をダメにするのだ」と怒っている50代くらいの女性。
そして最後も50代女性で、「自殺願望が止められない自分が許せない」という人の、これはもう本当にパワフルなワークでした。
性格は変わらないとか人は変わらないという人もいるけど、人は事実、変わります。
「自分」だと思っているものの大部分は、実は考えかたや感じ方の習慣であって、意外とそのことに自分では気づいていないことの方が多い。
世界や自分についてどんなふうに自分に説明しているか、ということが、その人の世界を作っている。誰でもそうですよね?
「ワーク」では、怒りや不安や悲しみを抑圧するのではなくて、ワークシートに短く書き出すという作業を通して、客観的に見られる対象にする。
書き出す作業を通して、悲しみや怒りや不安をしっかり感じる。
そして、4つの質問をそのワークシートに書いた自分の気持ちにぶつけてみる。
「これは本当か?」
「絶対に真実だといいきれるか?」
「この考えを信じることによって、自分に何が起きているか?」
「この考えがなかったら、自分はどんな人になるか?」
という4つの質問で、事実だと思っていた考えを、いままで見ることができなかった場所から眺めてみる。
そして、自分の頭をさっきまで占領していたその考えを、「ひっくり返して」眺めてみる。
その過程で、その人にとって世界がひゅっと変わるのです。
そして、世界が変わると、人は変わります。ていうか変わるほかないのです。
「ワーク」は、あまりにも慣れすぎて自分自身に牡蠣殻のようにくっついてしまっている、だから自分自身と切り離せない一部と思ってしまっている、その思考パターンをこそぎ落とすための、とても役に立つツールです。
自分がとらわれていた思考パターンに気づくとき、人の意識は変わる。
もちろん、生活の中でまたすぐに元に戻す力がはたらくので、何もしなければすぐに葛藤に戻ってしまいます。
だからこれは腹筋運動やラジオ体操のように、毎日やったほうがいいのです。
そうするとだんだん、脳が慣れてきて、「考えを調べてみる」ことが習慣になります。
わたしはかれこれ10年以上、ずっと毎日やってるわけじゃないけどこの方式に慣れてきて、だんだんダウンしている時間が減って、ほんとにラクになってきました。
ずっと毎日取り組んでいればよかったと、この日ワークショップに行って、つくづく思った。
昔、いちばん暗かったときは1日の95%くらい怒っていたり恨んでいたり後悔していたり落ち込んだり自分を責めたり人を責めたりいろいろ大変でした。
本当に自分は時間を無駄に消耗していると思い、どうしてこの無駄な時間をもっと有効に使えないのか、なんて自分はダメなのかと、さらに悩んだ。
いまは、機嫌が悪い時間は1日の5%以下に減ってると思う。切り替えるのが、われながらだいぶうまくなってきた。もちろん調子の悪い日もありますけどね。
自分が苦しんでいるシステムは別に必要のないものだったと気づくことで、急に体が軽くなる。
この日の「ワーク」では、そうやって人が変わる瞬間をたくさん見ることができました。
それは本当にパワフルでした。
2017/02/12
愛と友情の紅いツボ
大型スーパーマーケットのFredMeyerに買い物にいったら、等身大くまたちが並んでいました。
バレンタインデーですねー。
もし。つきあってるボーイフレンドがこのクマを抱えてドアの前に立っていたら……わたしだったらきっと数週間くらい居留守をつかうかもしれん。
こういうクマたちは季節が終わったらいったいどこに行くのだろうと思うと少しさみしくなる。
そして今日。バラードのConsignment Store(委託販売の中古家具やさん)の前を通ったら、表のウインドウにこんな壺が飾ってあった!
通りの向かいの映画館の看板が写り込んじゃっててごめんなさい。動揺のあまり写真をとる手がふるえた。
愛と友情の赤い壺!
真紅に金文字!
おもいっきり手描きっぽく、友も愛も払いがぶっとくなっている。
ちなみに大きさは高さ80センチくらいです。
いったいどんなおうちのどんなリビングに飾ってあったのか。買い手はつくのか。
妄想がとまらない。
やっぱりこれを置くなら、カーペットは白でシャギーでしょう。
ほかのインテリアは全部黒。黒の大理石のテーブルトップとかに、これをデーンと。
こわくて値段を見られませんでした。
バレンタインデーのギフトに、もしかしたら誰かがお買上げになるのか!
2017/02/08
IKEAのヘタレなイタリアンイケメン
いわゆるタッパー(一般名称)という、残りものをいれたりする食品用容器って、なかなか良いデザインのがないと思いません?
気に入ったのがないなーとずっと思っていて、ある日、IKEAでこの赤い容器たちをみつけ、即買い。
すっきり重ねられるし、無駄のないスリムなラインと、そしてなによりこの赤がキレイでしょ。
ひと目でフォーリンラブだったのです。
ひっくり返して底面を見ると、メイド・イン・イタリーとかいてある。うんうん、イタリアの赤ねー。
しかし、その下に
電子レンジはダメ
のマークが。
えっ………。と思ったけど、この赤のあまりの美しさに負けて、やはりまとめ買いをした。
見栄という問題ではなくて(冷蔵庫で使うもんだしね)、こういうような場合の自分の判断基準が賢明とはいいがたいことは、認める。堅実な性格の人ならこの時点で即座に却下でしょうね。
冷蔵庫の中で使うぶんには、重なり具合がすっきりで、とても気持ちよく、とても満足。
冷たい残りものを温めるときにはほかの容器に移し替える必要があるのが面倒だけれど、まあそのくらいは我慢してもいいか…。
と大目にみていたんだけど、やっぱりこの子たちは食べもの容器としてはかなりのヘタレであることが、徐々に分かってきた。
まずフタがね、密閉じゃないので、汁物をいれて移動は大変に危険なのだった。
お正月に黒豆の煮汁をすべてクルマの床にこぼす惨事を引き起こしたのも、この容器。
そして先日は息子が何を思ったか、この容器にカレーをたっぷりいれてランチ用にバックパックにいれ、大学へ。ランチの前にさあ大変。バックパックの中がカレーの海になっていたそうです。
親子で同じ過ちを。
さらに使い始めて半年後、電子レンジにいれてもいないのに、大きな容器のひとつが、ひび割れた。
なので、もう汁物はいれられない。しかたがないのでその割れた子には猫のマスキングテープを貼って、ごはんなど汁気のないもの専用にしている。
さらにさらに、このように重箱型に重ねられるのはいいんだけど、重ねてしまうと取るのが難しいw。
ぴったりはまっちゃうから垂直に両手で持ち上げなければ取れないんですよ。コツがいる。
ヘタレというよりも、最初からやる気のないイケメンて感じですね。
仕事を頼んだら、「オレってそういうことには向いてないんだけどなー」みたいなことをつぶやき、「やっぱりダメだったー!☆チャオ」と書き置きを残して仕事途中で帰っちゃうみたいな、そんな奴。
でも見た目だけはいい。わかってたはずなのに、あんたがそういう奴だってことは…。
だいたい食べ物をいれる容器で電子レンジ不対応って、考えるとすごい了見だ。
オチを言わないで帰っちゃう落語家とか、印籠のない水戸黄門みたいなもんだよね。
いやそれを承知で買ったんですけどね。
イタリアンのヘタレといえば、前に村上春樹氏のエッセイで、ヨーロッパで乗ったイタリア車のひどさをつらつらと書かれていたのを読んだ。どの車だか忘れたけど。
この美しく、しかし突っ込みどころ満載の容器を使っていて、その話を思い出してました。
この間IKEAに行ったらもうなかったから、やはり廃番になってしまったのでしょう。
そしてやっぱり、この見てくれは全然イケてないけど逆さにしてブンブン振ってもちびりもせず、黙々と淡々と仕事をこなすRubbermaidくんが頼りになるのね。
二つを兼ね備えた容器はないものですか。庶民価格でね。
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