2016/09/28

山上の異域に裏口から侵入(高野山 その6)


7月1日の高野山日記の最後です。ひっぱっているうちにもう9月も末だわー。諸行無常。


奥の院を探訪し、おひるを食べたらもう時間があんまりなくて、メインの伽藍が並んでいる「壇上伽藍」や、総本山の金剛峯寺のあたりはさらっと見る時間しかなかった。

なにしろ、夕方までに軽自動車で大阪まで帰るという事業が残っていたので。


こちらは総本山金剛峯寺のお玄関。
不思議なゾウと獅子がいる柱と綺麗な透かし模様。

お寺の建築は幕末の1863年。
長州や薩摩が勝手に外国相手に戦争をしたり、将軍が上洛したり、アメリカでは南北戦争が起こってた激動の年。


ひわだ葺きの屋根のてっぺんにあるのは、火事のときに使う用の天水桶。
時間がなかったので総本山の中は観なかった。


修行のシンボルだという「根本大塔」。昭和12年に再建されたもの。ここは拝観。
なかは立体曼荼羅になっていて、絢爛豪華な色彩のおおきな菩薩図と、ラージサイズの大日如来像を囲む金剛四仏が。

この中でしばらく大日如来を眺めていたが、うううむ。
シアトル高野山でレプリカの曼荼羅図を観たときのような感銘は受けることができなかった。 やっぱり京都に行かなくちゃ。


高野山の建物は、とくに古いものはあまりない。
けっこう火事で焼けてしまっているようす。


一番古いものは1198年建造の不動堂だそうです。

このお堂が並んでいるあたりには、お坊さんを中心とした団体がいくつも記念写真を撮ったりしてた。どこかのお寺の檀家さんのグループなのか、お坊さん楽しそうだった。



わたしが一番気に入ったのは、この上の右の「御影堂」。弘法大師の肖像(御影)がしまってあるので御影堂。軒に並んでいる燈籠と欄干、屋根の形が素敵。



奥の院の参道わきに司馬遼太郎の文学碑があった。
立ち止まって読んでみて、感動。文章うめえぇぇ!当たり前か。

司馬先生が書いている空海先生の話『空海の風景』もぜひ読んでみたくなった。

「高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。
山上はふしぎなほどに平坦である。そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀(ねりべい)をつらねている。枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃(ゆうすい)な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。さらには林間に苔(こけ)むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥ノ院に、僧空海がいまも生けるひととして四時(しいじ)、勤仕(ごんじ)されている。
その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。大門のむこうは天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空(そら)がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空(くう)に架けた幻影ではないかとさ思えてくる。まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。」

実はこの大門、今回は、これから高野山を去ろうというときに初めて観た。
今回は山道を抜けて奥の院の前のほうから入って来たので、裏口から入って表から帰るコースになってしまった。
前日に行った玉置神社もそうだったし、この旅はそういう旅だったのね。


高野山の中にも、神社がある。
空海先生が寺を作る場所を探していたところ、山の中で不思議な猟師と女性に遭った。その女性は自分はこの山の主だと名乗り、ここに寺を開いてもよいといった、という伝説がある。その伝説は鳥居の横にも書かれている。丹生明神、狩場明神という地元の神様、地主神が祀られています。


ここの狛犬さんには、ツノがあった。

行く前に思っていたよりもずっと敷居がひくく、俗っぽくて、テーマパーク的な感じさえ受けた高野山でした。でも司馬先生がいうように「異域」であることはたしか。

別の季節にもう一度ゆっくり訪ねてみたい。

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