7月1日の、巫女との旅のつづきです。
天河大弁財天社とごろごろ水を後に、十津川渓谷をさらに奥へ。
…この子といっしょに。
軽ちゃん、くねくねの山道をほんとによく頑張ってくれた。
途中、十津川の道の駅でいろいろ買い込む。
メインは十津川名産「めはり寿司」(高菜で巻いたおにぎり)と柿の葉すし。柿の葉すしは奈良の名産だと思っていたら、このへんにも「ホンモノ」があるのだと、巫女のグレープちゃんが力説。
「ホンモノを食べていかなあきまへんで」
と、吊り橋のたもとのおみやげ屋さんのおばさまが道の駅に電話を入れて、わざわざ道の駅で確保してくれた。なんと親切。
十津川の水の色はスモーキーなターコイズブルー。
渓谷の眺めは素晴らしかった。
でもまだまだ先が長い一日だったので、有名な吊り橋も横目でみただけで通りすぎました。
道の脇にこんな見事な滝をみつけて、少しだけ寄り道。
どうしても足をひたしてみたくなる、水晶のような水でした。
渓谷をくねくねいく国道からさらに、このねじれた小腸のような山の街道(「野菊街道」という名前)をくねくねと登る。
…この子でね。山道がんばったね。軽自動車ってとっても久しぶりに運転した。
坂道ではおもいっきりアクセル踏んでも、ぐわーんぐわーんというだけでなかなか進まなかった…。
そしてついに、山また山のただなかへ。ここは紀伊半島の南端に近い中心部。
熊野の奥の院といわれる古社、玉置神社。
思い切りくねくねした「野菊街道」の上の、思いがけず広々した駐車場に車を停めると、入り口の茶屋のおじさんが声をかけてくれた。
「初めて来たのー? なら奥のほうから山道を行ったほうがいいよ。こっちが世界遺産だよ、世界遺産!!」とな。
駐車場から神社へ行く参道のほかに、玉置山の山頂を回って神社に降りていく道があって、そっちは熊野古道の一部なのだそうです。
グレープちゃんと二人、茶屋のおじさんのすすめに素直にしたがい、山道へ。
かねてから行きたいと思っていた熊野古道にまで、はからずも来ることができました!
それまで全然知らなかったんだけど、熊野古道ってめちゃめちゃ長くていろいろあって、紀伊の海辺から山の中を通って大阪のほうまでつながっているんだそうだ。
世界遺産登録されたのは、「紀伊山地の霊場と参詣道」で、かなり広い範囲におよぶ。
この玉置山の上をとおっているのは、熊野古道の中でも最も険しい修験道の「大峯奥駈道」の一部。
天狗になる一歩手前みたいな山伏のひとびとが辿った縦走道で、いまでも修験道の行者さんやダイハードなハイカーが使っている山の道。
駐車場から玉置山山頂まではゆるやかな上りで、明るい広葉樹の林の中の気持ちのよい道。
吉野から熊野への神社めぐりの旅というのは、来る前にうっすらと、あら折口信夫の世界かしら〜、と思ってたのだけど、歩いてみたら、折口信夫よりも『指輪物語』のホビットたちの通った道が、あたまに浮かんだ。
国文学の素養がなさすぎるすみません。
エルフの森ロスロリエンのような、空気がひときわ濃く、あかるい森。
エルロンドの館に行く道はこちらでしょうか。
ロスロリエンも、人間の世になる前の神代の(中つ国ではエルフたちの時代だけど)時間が生きている古い時代の魔法の残る森なので、連想としては当たらずといえども遠からず、かもしれません。
熊野の森も、古い神々の物語が今なお生きている森です。
これはブナの木かな。木漏れ日と苔が浮世離れした美しさ。
折口信夫は、友人の日英翻訳者で日本文学オタクのジョーが大学院の卒業研究として折口の『くちぶえ』を英訳した時に照合チェックの手伝いをさせてもらって、その時に初めて読んだ。
インディアナ州生まれで高校まで日本語を見たこともなかったというジョー君は、日本人の中でも名前の読み方さえ知れ渡っていない(はい、「おりくちしのぶ」ではなく「おりぐちのぶお」と読んでジョー君を困った顔にさせたのはわたくしです。恥)、いってみれば京都や奈良の知られたお寺ではなくて秘境の山あいの神社のような存在である折口信夫の、ひっそりとした美意識にどういうわけかぴったりと息が合ってしまったようなのだ。
それほど昔の作品ではないのに感覚としてわかりにくい、少し気味の悪いような、生々しい感性と古い記憶につながる言葉。
さ夜ふかく
大き鬼出でて、
斧ふりあそぶ。
心荒らかに
我は生きざりき
(『春のことぶれ』)
日本神道は明治以降、無理やりに「国家宗教」にされてしまったけれど、本来はそのようなものではなかった。
土地とその空気と、水や木々や滝や石などの、その土地にある形あるものから、切り離せるような性格のものではなかったのではないか。それは身体を通してしか得られない、その場に固有の体験だったのではないか。
そこで語られている神性を無理に煮詰めて一般化しようとするとフランケンシュタインのようなキメラのような醜く平板で制御できないものが生まれるのではないか。
と、古い神社さんたちをいくつかめぐり、古道を少しだけ歩いてみて、そんなのはごく当たり前のことなんだろうけれど、あらためて実感したのでした。
江戸時代までの、仏教と密接に結びついてもちつもたれつだった神社の存在に、とても興味を惹かれる。
やや胸を突かれる上りのあと、ものの10分か15分ほどで山頂へ。
玉置山山頂にいた蜻蛉。
小さな鐘があった。鳴らしてみた。ここちよい響き。
さて山頂についたものの、神社に降りる道がみつからない。
しばらくウロウロしたあと、一本だけあったのがこの降り口。
この険しさから、いくらなんでもこれではないだろうと最初はスルーしたのだけど、他に道はなかった。
45度くらいの斜面でした。いや本当に、世界遺産の修験道だったのね……。
上りでなくてよかった…。
巫女グレープちゃんはここをビーチサンダルでひょいひょいと下った。さすがである。
空気がますます濃い感じの谷あいに入る。古い杉の木がたくさんあらわれる。
杉の木はみんななにか物言いたげ。
もともと玉置神社は何日もかけてこの古道、大峯奥駈道を行く行者さんたちの宿として始まったのらしい。
はからずも、修験道の古道をとおって神社の奥の裏口から入ることになったので、まず奥社の「玉石社」に出逢う。
ここには「玉石」が三柱祀られていて、これは玉置神社そのものよりも古い聖域なのだそう。
神社のサイトでも、「修験道では玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝する」と書かれてました。裏口から神社に入ったのは初めてだけど、この場合、修験道的には正しい入り方だったのらしい。駐車場の茶屋のおじさんのススメに従っただけだけど。
綺麗な苔がむした杉の木に護られるように木製の柵があって、なんだか丸い古い石たちがそのなかにあった。
鳥居も柵も何も塗ってない、素朴な造り。倒れている鳥居もあった。
石たちの社から素朴な鳥居をいくつもくぐって下っていくと、社務所の裏手に出る。
社務所には長髪の若い宮司さんがいた。今時の若者という感じで、日本で有数の山深い古い神社とは面白いとりあわせ。
冬は、霧氷が見られるので、マニアックなフォトグラファーがやってくるのだそうだ。
そしてようやく玉置神社の本殿へ。建物はこぢんまりしていて、やはり鳥居は丹塗りではない。社殿は欅材。
ここにも茅の輪が。
斜面に建っている社殿のかたわらには神代杉。樹齢3000年ともいう。
なにしろ三千年。キャラが立っています。
このほかにも、しめ縄を巻かれた巨大杉がたくさん。
良いものにたくさん出遇った。山深い、空気の濃密な神社でした。
帰り、例のおじさんが一人でやっているお茶屋さんで飲んだ「じゃばらサイダー」。「じゃばら」はこのへんで取れる柑橘類なのだそうです。きりっと酸味が爽やかで、うまかった。
もうそろそろ午後も遅い山道を引き返し、十津川渓谷を戻って、この日の次の目的地、高野山へと旅は続くのでした。
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