陸奥の国一の宮。
鹽竈(しおがま)って、書くのはおろか読めませんでした。画数いくつあるんだ!
常用漢字だと「塩釜」。 鹽竈と塩釜では、たしかにまったく違いますね。漢字の世界は奥深い。
ここの表参道は直登202段だそうです。両側はこんもりとした檜の森。
時代劇にそのまま使えそうなたたずまいです。
でも、ピラミッドとは違ってウェルカムな階段、のような気がする。ここはそんなに怖くありませんでした。
とはいえ、自分が足を踏み外し下まで一気に後ろ向きに落ちていく金田一耕助の冒険に出てきそうな映像が一瞬、脳裏をよぎりはした。
遠足か修学旅行の生徒たちが来てました。こわごわ降りる女子中学生。うん、降りるほうが恐いよね。
途中3回休んで息を整えようやく頂上に。これは狛犬のようだが、うちの息子です。
てっぺんから見たところ。
松尾芭蕉先生は『奥の細道』の旅でここに立ち寄っています。
「国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩椽きらびやかに、石の階九仞にかさなり、朝日あけの玉がきをかがやかす。かかる道の果、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ、吾国の風俗なれと、いと貴けれ」
都から見れば「かかる道の果、塵土の境」であったにもかかわらず、神社のサイトによると、平安時代にすでに朝廷から手厚い祭祀料をもらっていたのだそうです。
いつ頃のものか説明はなかったですが、狛犬?獅子?像が素晴らしい。
なんだこの歯!!
眉毛がぐるぐるしてるし!
なんというか親しみやすい顔です。
ていうかうちの息子にやっぱ似てるかも!
肩幅ががっちりしていて肉付きがよろしい。
後ろ姿も素敵。ドーナツのような巻き毛がチャーミング。
チャイナな感じが漂っています。いったいどんな人が造ったんだろう。
ちょうど、神前結婚式が始まるところでした。
絵巻物のようです。なんと素敵なタイミング。
拝殿できりりとした巫女さんが新郎新婦を迎え、神主の横で鈴を振って儀式を執り行っておられました。
いかにも港町の神社なのだからか、「献魚台」というものが別宮の前に。
実は正面にある拝殿ではなくてこちらの別宮のほうが主祭神なのだそうです。
神社のウェブサイトが面白い。いろいろ謎の多い神社みたいです。
江戸時代まで祭神がはっきりしていなかったとか、破格の祭祀料を受けていたにもかかわらず、全国の格の高い神社リストである『延喜式』神名帳というものに記載されていなかったとか。
「国家的に篤い信仰を受けていたにも拘わらず『延喜式』神名帳にも記載されず、その後も神位勲等の奉授をうけられていないというこの相反する処遇はどう解すべきなのでしょうか」
と、神社のサイト自ら「謎」として問いかけています。
日本国の伊勢神宮とかそういう系統の神社とはまた全然関連のない神社であり、都からすれば僻地にありながら、異常なまでの存在感をはなっていた神社だったということなのでしょう。
大祓のための「形代」が置かれてありました。
本当はこちらがメインの拝殿であるという「別宮」。
主祭神は「鹽土老翁神」。寡聞にして聞いたことのないお名前でした。
「『古事記』『日本書紀』の海幸彦・山幸彦の説話に、釣り針を失くして困っていた山幸彦に目無籠(隙間のない籠)の船を与えワダツミの宮へ案内した事で有名ですが、一方博識の神としても登場しています」
だそうです。日本のポセイドンともいうべき、海の神なのらしい。
主拝殿のうしろに石庭があり、そのさらに後ろには本殿が。
こちらは朱塗りではなく「素木造檜皮葺」の落ち着いた造りです。
朱塗りの門とがっしりした狛犬さんの後ろ姿。素敵。なにもかも行き届いている感でいっぱい。清潔なお社。
この手拝殿の右側にあるのが、芭蕉の時にも既にあり、『奥の細道』に
「神前に古き宝燈あり」「五百年来の俤、今日の前にうかびて、そぞろに珍し」
と書かれている宝燈です。
門と拝殿の間に、すごい桜の老木がありました。
境内は塩竈桜という種類の桜の名所でもあるそうです。
古風でおおらかな感じがとても素敵な神社です。
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