2019/08/15

喪失と悔恨 


近所のきれいなレンガ壁。たぶん、1940年頃の建築じゃないかとおもいます。


さ夜更けて眠るすなはち 目のさめて、おどろき思ふ。国は戦ふ 

(「苦しき海山」 昭和17年発行の『天地に宣る』所収、釈迢空歌集 岩波文庫 p208)

 数日前、釈迢空歌集を読んでいたら、戦中・終戦時の歌にたまたま出会った。

上の歌がおさめられている『天地に宣る』というのは昭和17年、開戦まもなくの歌集なのだけど、なんと寂しく、リアルに、戦争の日々を描いていることか、と驚きました。

若い人を戦地に見送ったあと、ふと夜中に目覚めて、ああいま国は戦争をしているのだ、と驚く歌。

貧しい家から出征して戦死した息子の親をたずねる歌。

もちろん、この時代の国学者の歌は、「反戦歌」ではありません。
でも決して安直な戦意高揚のプロパガンダにもくみしない。

短歌というかたちと美しい古語のなかに、世の中をありのままに見つめるまなざし、そしてそれを悲しむ個人の心もちをストレートに、ストレートすぎるほどに率直に表現しています。


戦いにやがて死にゆける 里人の乏しき家の子らを たづねむ

溜め肥えを野に搬つ生活 つくづくに嘆きし人は 勇みつつ死す

(「黙祷す」 同上。205 p )


折口信夫さん自身、最愛の養子が出征して硫黄島で戦死するという最大の悲劇を生きています。

戦後出版された最後の歌集『倭をぐな』所収の歌にいたっては、「たたかひに果てし我が子」を惜しむ歌がえんえんと続き、もう切ないという言葉ではいいあらわせないほど深い喪失感、絶望がうたわれていて、読んでいてもとてもつらい。

悲しみも厭世的なつらさも、躊躇なくくっきりうたわれています。
卒倒するほどきれいな言葉で。

「昭和廿年八月十五日、正座して」とある3首のひとつ。

大君の 民にむかひて あはれよと宣らす詔旨に 泪噛みたり

(昭和30年の『倭をぐな』所収、釈迢空歌集 岩波文庫 p221)

折口先生は、現人神であった「大君」天皇が敗戦を告げるラジオ放送を(正座して涙を流しながら)聞いてのち、40日間山荘にこもってしまったそうです。

終戦直後の歌には、国破れて、年老いた自分が生き延び、若い人たちを死なせてしまったというとほうもない喪失感が繰り返し歌われています。

老いの身の命のこりて この国のたたかひ敗くる日を 現目に見つ

今の世の幼きどちの生ひ出でて 問ふことあらば、すべなかるべし

年長けて 子らよ思はね。かくばかり悔しき時に 我が生きにけり
(同上 p223)

思ふ子はついに還らず。かへらじと言ひしことばの あまりまさしき
(同上 p225)

 戦後の歌は、当然のことながら苦々しい思いをうたったものがおおい。

たたかひは永久にやみぬと たたかひに失せし子に告げ すべあらめやも
 (同上 p227)

みんなみの遠き島べゆ 還り来し人も痩せたり。われも痩せたり

うらぶれて 剽盗に堕つる民多し。然告ぐれども、何とすべけむ
 (同上 p230)

あさましき都会となりぬ。其処に住み、なほ悔いがたきものの はかなさ
 (同上 p228)

呆れぼれと 林檎の歌をうたはせて、国おこるべき時をし 待たむ
 (同上 p235)

帰還兵をうたった歌は

なにのために たたかひ生きてかへりけむ―。よろこび難きいのちなりけり
 (同上 p243)

わたしはとても折口先生の著作のすべてを理解できるなんて思いませんが、それでもこんな浅学の徒にも、そのゆるぎない真摯さが胸に迫ってほんとうにやるせなく、同時に問いただされる思いがします。

安直な物語性や国家の感傷に巻き込まれない強靭な知性と博学の持ち主でも、国家の全面戦争にあっては、生存そのもの、生活そのもの、哲学も美意識もすべてが巻き込まれざるをえない。

その岩のような知性にもとづいて誰よりも深く日本を愛していた人の、深い深い喪失の悲しみと悔恨。

そしてそこにあっても美しい言葉。なんなのだろうかこれは。

もうちょっとだけでも深く読めるようになりたいと思いつつ、今書いておきたくて、覚書きとして。


こちらの2枚は2年前の夏に行った、奥熊野の素敵な神社です。
このときの記事はまだ書いてませんでした。

ここも、私などには本当には理解できない土地なのだろうけど、とても古くて美しい、優しい場所でした。


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