2015/01/02
紅白、ニューイヤーのラビリンス、お雑煮
あけましておめでとうございます。どうぞ今年もよろしくお願い致します。
シアトルのかたすみで細ボソと続けている絵日記を読みに来てくださって、ありがとう。嬉しいです。
いえ、シアトル地方、雪は降ってません。快晴で寒い年末年始でした(やっと、冬らしい気温になりました)。
この写真は11月の末に降った、いまのところこの冬最初で最後の雪。
大晦日は、友人宅にお招きをいただき、ごちそうを食べながら紅白を鑑賞!という、ジャパンなニューイヤーでございました。
聖子ちゃんや明菜やサザン、タモリに黒柳徹子って、いったい今は何年だ?みたいな出演者と、おばちゃんには謎な新しいニッポンのワカモノたちが入り乱れたショウを、楽しく鑑賞させていただきました。
紅白のあとは、武闘家じゃない舞踏家の薫氏にご案内いただいた、聖公会(エピスコパル)のSt. Mark's Cathedral(聖マークス大聖堂)の、大晦日の「ラビリンスウォーク」へ。
巨大なキャラメルのような箱型の聖堂の中に、4本の巨大な柱が立っていて、正面には薔薇窓、入り口の上には大きなパイプオルガン。この聖堂はごくシンプルなデザインで、アールデコ的ともいっていいようなシンメトリカルな造形が強調されていて、ステンドグラスも絵はなく、四角いパターンだけで構成されてます。
大きな薔薇窓も、その手前にしつらえられている巨大中扉も、高い天井から下がっているシャンデリアさえも、すべてモダニズム的な、装飾を廃したクリーンな印象。
でも大聖堂だけにとにかく巨大でドラマチック。
その空間の中央に、キャンバスに描かれた「ラビリンス」が広げられています。
両側には木の椅子が並び、古風なロウソクがいくつも灯され、男性2人の歌う古い聖歌が美しく響くなか、人びとは靴を脱いで、キャンバスに描かれたラビリンスをそれぞれのペースでゆっくりと辿ります。
入り口で(礼拝の献金のかわりに、ご寄付1名5ドル)頂いた説明書によると。「ラビリンスは迷路(maze)ではありません」とあります。しかし日本語ではどちらも「迷路」なんですよね。「迷宮」も違うと思うし。(ラビリンス、迷宮。というとデビッド・ボウイの顔が出てくる)
"The labyrinth is an ancient tool for comtemplation and prayer.....The labyrinth is not a maze. There is one path into the center, and the same path out. Walking that physical path through the winding circuits makes tangible our spiritual and psychological pilgrimage in three stages: the journey in, the arrival, and the return. These stages are often compared to the traditional three stages described in mystical literature: Purgation, Illumination, and Union."
「ラビリンスは瞑想と祈りのための、古代から伝わる道具です。…1つの小径が中央に続き、同じ小径が外へと続いています。実体のある小径を円に沿ってたどっていくという行為は、わたしたちの精神的な、そして心理的な巡礼の道すじに、形を与えます。この巡礼の旅には、旅路に分け入り、到達し、帰還する、という3つの段階があります。この3つの段階は、神秘主義的文献に古くから記録されている浄化、明知、和合、という3つの段階としばしば比較されています」。
なんだかとても度量の広い教会だなあ。と、この説明を読んでも感じます。聖公会がキリスト教会の中ではいろいろな面で「ゆるすぎる」と他の教派から思われているらしい、というのも、なんとなく分かる気がしました。でもわたしは、すごく好き。
聖堂の中で、同じように巡礼する人びととすれ違いながら小径をたどる。それだけのシンプルさ。あとはすべて、それぞれの個人に委ねられています。
真夜中、ラビリンスの真ん中に台がおかれて、聖餐式が行われました。
外から花火の音が響いて来るなか、巨大聖堂に集まった人びとはとても静かな祈りのときを共有していました。
私は聖公会の信徒ではないのですが、さまざまな態度を許容してくれそうな懐の深さ、様式と形に対する感覚、祈りの形のシンプルさに、なんともいえない居心地の良さを感じました。
静かな良い新年を迎えることができました。
さて元日。今年はおせちもなにも作る予定はなかったんですが、大晦日に髪を切りに行って美容師さんとおせちの話をしていたら、せめてお雑煮は作ろうかな、という気に急になって、激混みの宇和島屋へGO。
水菜と鶏肉、里芋の簡単お雑煮だけ作って、いただきました。柚子がないのでレモンで代用。
お餅がぐでっとのびた無残な写真なので、ちっちゃくアップ。いちおう証拠写真てことで。
今年はさらに手抜きをしてクックパッドで見た、鶏肉に味付けをして鰹と昆布だけのお出しに入れるのにしてみたんですが、やっぱりいまいちだった。ウチのは鶏皮ともも肉で出汁をとってストックにしたのに、食べる前に鰹節でもう一度出汁を取る。これがお正月の味として刷り込まれている。
たぶん皆さんそうだと思うけど、お雑煮は母から教わったのが一番ですね。
元日はおぞうにつくって食べて、本読んで、だらだら過ごしました。
大晦日に東海岸のエージェントさんから「今日中にお願い!450ワード」という鬼メールが入っていたんですが、すいません今日は1日出かけてて無理です、とお断りしたので、元日の夜はおもむろにそのお仕事…。これが初仕事…、とほほ。いえいえいえいえ、ありがたいことです。
今年も皆様、どうぞ健康で充実した良い1年になりますように。
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シアトル日記
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おめでとうございます!
返信削除鶏皮ともも肉で出汁を取り、鰹節を後から足す…というお出汁、今年なぜか母が作っていました、初めて。美味しかったです。あ、でも梅干しも出汁に加えてた〜。今までは昆布とたくさんの鰹節で、丁寧に取るお出汁だったのだけど、なかなか母のようにきれいなお出汁は取れなくて。
今年も絵日記、楽しみにしています!
あきこさん、新年おめでとうございます!
削除お寄りくださってありがとうございます。マダムに読んでいただけて光栄♪ 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
お母様、なぜ、今年、急に…?梅干しも美味しそうですね。ああ、きれいな塗りのお椀の美しいおだしが目に浮かびます。こんななんちゃってお雑煮の写真をアップしなければよかったーーー。(悔。
うちのお雑煮は、そういえばどういう由来であったのか、母に聞かずじまいでした。祖母も東京の下町の人だったのだけど、鶏のおだしになったのは、母の代からなのか祖母のときからなのか。祖母は戦前の人ですから、母の時代にちょっと洋風にアレンジしてみたのかもしれません。お雑煮も代々少しずつ変形しながら受け継がれるんですね。
うちの息子にも教えておこうかしら。どんなアレンジになるか楽しみのような、怖いような。