2016/10/25

自虐の国のゴジラ


「デジタル・クリエイターズ」のための原稿です。いつもは「ぽんず単語帳」のほうに載せるのだけど、今回はエイゴじゃなくてエイガねたなので、こちらに。




ゴジラに、わたしは期待をしていた。



10月の第2週に、全米の数都市の数館で、3日間だけ、しかも1日1回限りという超限定で『シン・ゴジラ』が公開された。

日本で異常なまでに話題になっているのを聞いていたので、わたしはかなり期待して観に行ったのだった。



たまたまその時、カリフォルニアに用事があって行っていたので、はからずもグーグル本社からほど近いシリコンバレーの映画館で「ニューゴジラ」のアメリカ上陸をみとどけることになった。



この映画館は全席完全指定で、ボタンを押すと足乗せ台がぐいーんと出てきて椅子というより寝台みたいになるキングサイズのシートが売り。


一つの椅子が巨大なので席数はそれほどないけれど、前のほうまでほぼ満席だった。



IT業界のギーク(オタク)君たちが密集する地区だけに、米国のほかの地域よりもゴジラについての認知度は格段に高いとおもわれ、ゴジラが登場するたびに館内のあちこちから歓声が上がるという、かなり熱い上映会だった。



ゴジラの足のかたちのスリッパを履いて観にきている人さえいた。



そんな熱い米国ゴジラファンにまじって観たシン・ゴジラ。



いや面白かったんだけど、ううーん、惜しい! 



もうちょっと頑張って、アメリカ人にぎゃふんといわせてほしかった。



以下感想。(ネタバレあります)




1) この映画は、自虐的。良い意味で。

2)政治家と官僚のおじさんやおばさんはとてもリアルだった。

3)ところが架空生物「カヨコ」の破壊力が尋常ではない。

4) アメリカがファンタジーランドとして描かれている。

5)いろいろな意味で閉じている。





(これはパルコのコマーシャルですが)。

1.    まず、この映画を観たアメリカ人の多くは、日本人とはなんと自虐的な人々であることか、と思うのではないか。



でもそれは、ゴジラ本体のつぎにこの映画が誇るべき美点だと思う。



先住民に対する略奪や他国への侵略というような自国の負の歴史を世界史の中で包括的に眺めることを「自虐」と捉える困った人たちが日本にも一定数いる。わたしには理解できないけれど、そういう人は、きっと「誇り」と「盲信」を履き違えているのだろうと思う。

実際、自覚的になにかを信じるのはとても難しいことであるし、もしかしたら日本人にとってなにかを信じるということ自体がチャレンジなのだろうかとも思う。

日本というのは、鎖国>開国>帝国>敗戦>高度成長その他。…という歴史の中で「信じる」ということに凝りてしまった特殊な国といえるのかもしれない。

誇りにできる共通システムがないので、日本の「愛国」という概念はとてもとても抽象的な、感情論になる。



アメリカ人、とひとくちにいってもいろいろいるけれど、アメリカ人の多くはおおむね、自国のシステムとパワーを全面的に信じ、誇りを持っている。(もちろんそこには強烈な矛盾があるし、ほつれが顕在化して今現在の社会問題になってはいるけれど)ベトナムを経験しても、イラクの戦争が泥沼になっても、国内に貧困がはびこっていても、自国の約束するシステムと自国の未来をめげることなくやみくもといっていいほどに信じようとするのがアメリカのコンテクストだ。

二大政党のどちらも、強く正しいアメリカをうたわなければ決して選挙には勝てない。

そしてそれは、決して空疎な形容詞ではなくて、リアルな感情である。

右の人も左の人も、解釈は違うけど国の基幹である思想とシステムの正当性については揺るぎない確信を持っている。ブッシュの愛国とオバマの愛国ではかなり違うけれど、どちらもほんとうに真面目に、国が体現するシステムを愛しているのだ。あるいはそのように人に信じさせるのが上手い。



それに対してこの映画に描かれる日本の人々は、「日本という国のありかた」と、「日本ができること」に対して絶望している。

正体不明のモンスターが東京を破壊していても、政府はなかなか動けない。組織が硬直しているので会議ばっかりやってて初動が遅いし本質的な問題をとらえて決断できる人がいない。能力のある若手は苛立つが、なかなか力を発揮できない。そして自衛隊はわりとあっさり壊滅してしまう。政治家や官僚たちは諸外国特にアメリカの圧力の前に、首都を核攻撃の標的にされてもなすすべもない。



官民共同体の力を集めた決戦であやうくゴジラに打ち勝っても(はみ出し者の技術者たちのグループと、産業界の力の結集でってところが最高に泣かせる)、東京駅の真ん前に黒い巨大なカタマリとしてゴジラは残り、カタルシスのすくない勝利なのである。これが素晴らしい。



たぶん、この無力感や自信のなさをアメリカの観客はとても居心地わるく感じると思う。

アメリカンにとっては、自国の無力さを思い切って描くこの姿勢は「自虐的」としか捉えられないのではないかと思う。でもそれがよいのだ。


そう言われたら、アメリカンたちに教えてあげればいいのだ。バカだなあ、それは内省というんだよ、と。

やみくもに「俺についてくれば強いアメリカがカミングバック」なんてメッセージを信じたがる某大統領候補の支持者たちよりは、壊れた都市を前に自国とおのれの無力さをみつめるこの映画の主人公たちのほうが、百億倍くらい建設的だからだ。




2)登場人物の多いわりに静的な画面がほんとうに日本らしくて、面白かった。

この政治家たちのダメさと、硬直したシステムを面白おかしく描く静かな演出はアメリカの観客にもちゃんと伝わっていて、会議や会見の場面でもしっかり笑いが起きていた。

みんな同じように表情の乏しい政治家や官僚はリアルで、「巨大不明生物特設災害対策本部」の地味で実直なはみ出し者たちにもかなりのリアリティを感じることができた。



3)…それなのにカヨコ。


それまで前のめりになって観ていたのに、「カヨコ・アン・パタースン」役の石原さとみがでてきた途端にわたしはどひゃっ!とのけぞった。なぜカヨコ!

断っておきますが、
石原さとみの演技や英語力がだめというのではないですよ!

とってもチャーミングなキャラクターだったし、カリフォルニアなまりの英語も自然でベリーグッドだった。



これが、「西海岸に留学したあと外資系企業で働いてる気の強い人」または「押しの強い帰国子女」という役柄であれば、なにも文句はない。



しかしながら、どう間違っても「アメリカ生まれアメリカ育ちの日系3世で米国大統領を目指す超エリート」の英語ではないし、カヨコの言うこともやることもアメリカ人ではないのである。

(それに、ワシントンDCの高官として日本に派遣されるレベルのエリートはたぶんZARAで買い物はしないよ!!)



石原さとみの問題ではなくて、設定そのものが無理筋すぎるのだ。もしネタでなく真面目なら、ここはホンモノの英語圏の女優を使わなければ無理である。


これはたとえば、まるっきり東北弁の人が関西生まれ関西育ちのたこ焼き屋の女将さんを演じるようなもの。「違和感」というレベルではなく、意味がわからない。



アメリカのB級映画には今でも、ちゃんとした日本語が喋れない怪しい日本人がでて来る。

それはそれで味わい深いけれど、真面目に受け取るわけにはいかない。カヨコはそれの逆バージョンであり、しかもなんとしたことか、この映画のメインキャラの一人で、アメリカを代表する顔なのだ。

フェイクなアメリカ人・カヨコの破壊力はすさまじい。
例えば
防衛大臣役の余貴美子など、とても説得力があり存在感を放っていたのに、カヨコは登場しただけで、そのリアリティを軽々と粉砕してしまうのである。

怪獣映画とはいえ、この映画は真面目なSF映画と同じ位のシリアスな体験を提供できるポテンシャルがあるはずだし、日本の観客に対しては、きっとそれが成功しているからこれだけの大ヒットになっているはずなのに、英語圏の観客にとってこの映画を少しでも真面目に受け止めるチャンスを、カヨコの存在が徹底的に粉みじんに破壊してしまった。ゴジラ以上の破壊力である。

カヨコが出て来てなにか喋るたびに、どっひゃ〜〜〜!となって心拍数が上がるので、後半はあんまり映画に集中できなくて、もういいからはやくゴジラ出てきて!ゴジラ!と願うのみだった。



4)カヨコが「わたしの国」と呼ぶアメリカは、そして、「実力があれば誰でものしあがれる」国として、なんだかぼやけた輪郭で描かれている。



そもそも「実力」とは何かが一コマも描かれていないので、カヨコにどんな実力があるのかも謎である。

アメリカの政治家にとって、実力と言うものの中に、「アメリカンスタンダード」を体現しているかどうかということがあるのは間違いない。

それは中身というよりはむしろ外見であり、「正当性」を感じさせる力、「わたしはアメリカの価値観を体現している」と人に信じさせるコミュニケーション力、「つながる力」である。
それにはとほうもないアーティキュレーションが要求される。ヒラリー・クリントンだって、遊説先によって少し英語のトーンを変えているくらい、微妙なコミュニケーション力なのだ。
たぶんそれは日本の政治家がまったくもって持っていないし、ひょっとしたら見たことも聞いたこともないものだ。だからダメとかいってるのではなくて、そういうシステムなのだ。

どんなに頭が良くても、インド訛りのインド系アメリカ人や日本訛りの日本人または日系アメリカ人が米国大統領に選ばれる可能性は、現時点ではゼロである。

この映画ではアメリカが重要な役割を果たしている。戦後ずっと日本の首相のうしろに控えていた顔のない存在として。それはいいんだけど、きっとアメリカの観客にはそれがまるっきり伝わらない。それが惜しい。

戦後の日本で自分たちの国が演じていた役割をちらっとでも理解する代わりに、この「カヨコ」を観て、アメリカンたちは困惑して帰っていくことだろう。
ゴジラはクールだったしあの女の子は可愛かったけど、笑っちゃうよね、と。


5)そういう意味でも、この映画はとても閉じている。
製作時に国外の観客までは考えなかったのだろうけれど、あまりにも残念なのだ。

上映後、場内では拍手が起きていた。ゴジラのコアなファンたちには満足のいく映画であったらしい。

でももっと辛い、もっとつながれる、もっと動かされる、もっと普遍的な映画にもなれたはずなのに、と思うと、わたしは少し悲しかった。

唯一の被爆国でそして311の大災害を経験したばかりの国の人が作ったこのゴジラは、もっともっと、世界中の人たちにつながれる映画であってほしかった。

世界一の核保有国であり、歴史上唯一、市民の上に核爆弾を落としたことがあり、その事実を「仕方がなかった」「正義だった」とほとんどの国民が考えているこの国のひとたちを、すさまじいリアリティで説得し、感動させて、震え上がらせ、瓦礫の街の目線にいっとき共感させる映画であってほしかった。

自分の国の首都が核ミサイルの標的にされる無念さを、ゴジラへの畏怖とともに体感して、震えてほしかった。



わたしはちょっとばかり、ゴジラに期待しすぎていたらしい。

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2016/10/22

ベンジャミン牧場



3年前に引っ越したときに引っ越しギフトでもらったベンジャミン。

わさわさ枝が出てくるのをちょきちょき切って水に挿しておくとすぐに根が出てくるので、植えておくともれなく立派に育つ。



だんだん部屋がベンジャミンたちにテイクオーバーされていく。わたしは操られているのかもしれない。

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2016/10/18

いまぼくに




このあいだ、日本語学校の古本市で1ドルで買ったなかに、谷川俊太郎さんの詩集がありました。
いまぼくに

うわーすごいわー。涙でるー。

ネスカフェのコマーシャルで使われた「朝のリレー」も入ってるけど、いま一番ひびくのは、老いることをうたった詩の数行。




だがお前さんもいつかはばあさんになる
それは信じられぬほどすばらしいこと

うそだと思ったら
ずうっと生きてってごらん

(あかんぼがいる)





百年のその一日一日をいろどったのは
青空と米と野菜といさかいと歌のとりどりの色

(夕焼け)


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2016/10/17

ウイルスの祝福



風邪をひいてました。

ハッピーアワーに行った木曜日まで、1週間くらい、思いがけずちょっと今年始まって以来って感じのいそがしさ(当社比)に見舞われ、よしっなんとか山は越した!と思ったころ、机に向かっていたらぐらっと頭の左上あたりの空間が揺れた。

おやこれはなんだろう。めまいってやつかな。

と思ってハッピーアワーに行ってついでにユニクロとザラで買いものをして帰ってきてご飯をたべていたら、喉の奥がもわっと嫌な感じに腫れてきた。

うわ!風邪だよ!今週に限って風邪をひくわけにはいかないんだ!頼むよ!
と思ったがもうあとのまつり。

金曜の夜は寒気がして熱も出て、約10時間寝てビタミンCをしこたま飲んだものの、咳とはなみずに見舞われる。週明け月曜は客先に行く予定があったものだから、大あせり。

熱が出る日というのは、でも本当は、嫌いではない。
身体のどこかがとほうもなく痛くなるというのでないかぎり、熱があってぼーっとして自分の身体のまわりになにか重くて暑苦しい殻が一枚加わったような感じがして、時間の流れ方が変わる。

ぬるい海に棲むなにか動きの緩慢な生物になったような気がする。

まる1日か2日、みかんを食べながら寝ていられるのだったら風邪もエンターテイメントなのだ。

でも書かなきゃいけないペーパーがあって、締め切りの仕事があって、ミーティングの約束があるときには、風邪はなにかの、たちの悪い呪いのように感じられる。

でもたぶん、数日で治る風邪は、「呪い」というよりもどちらかというと「祝福」に近いなにかなのだと思う。

ウイルスによる祝福。

あまりうれしくはないが、呪いというほどのものでもない、というような。
(祝福は通りぬけていくものだけど、呪いはダラダラと残るものだ。と思う。)

熱が出て、咳とはなみずがでて、頭が痛くなって、関節が痛くなって、次にお腹が痛くなって、と、4日間でフルコースの祝福をふりまき、さらに3日ほど喉の痛みと咳をのこしてウイルスくんたちは去っていきました。

ビタミンCとキムチと豆腐スープと昆布茶じゃないKOMBCHAをこれでもかというほど投入しつつ、どうしても1日寝ているという選択肢がなかったのでスーパーで売ってるアメリカンサイズの風邪薬(咳とはなみず止め)を買ってのんで少しハイになり顔にブツブツの腫れものができた。


アメリカンサイズ風邪薬。ターゲットで買う時に「IDみせて」といわれた。IDをスキャンしないと買えないシステムだったらしい。子供たちはこんなものを乱用するのか。たしかにちょっとハイにはなるけど。

コンブチャに含有されている微生物たちが光輝く天使の軍団のようにウイルスくんたちを蹴散らす図を頭に描きつつ、おなかがやばくなってきた晩に1本半一気飲み。

コンブチャすごい!下痢はなんとか1晩でせきとめた!

いったいどのくらいの数のウイルスがわたしの体の中で増えて出ていったのか、「もやしもん」の細菌みたいに目に見えたらすごいよね。

ウイルスが体にはいって、大増殖して、去っていたあとの自分はすこし何かが変わっている気がする。
ていうSFがなかったっけ?


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2016/10/12

ハッピーアワー

先週の木曜日。
ベルビューのMonsoonのハッピーアワー。

烈しく仕事をしながらも食べることに飽くなき情熱を傾け、探求してやまない、バイタリティあふれる女傑のみなさま3名と、ひさしぶりのお茶会。

話題はやはり、猫。そして食べものの方面へ。舞踏家薫さんに、水キムチっていうのを教えてもらった!
発酵食品はやはり時代を制しているようです。 


このモンスーン、何年か前にSeattle Restaurant Weekのときにランチで行ったら1時間も待たされて、もう2度と行かんと思ったのだけど、ハッピーアワーのサービスはとても行き届いておりました。

隣のテーブルに、一人で来て、本を読みながら手羽の唐揚げをつまみにワインを飲んでいる女性がいた。酒飲みはかっこいいな。ハッピーアワーに一人できてお茶と唐揚げ。では致命的に間がぬけてしまうのよね。

手前はディープフライの大根ケーキ。

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2016/10/07

使って喜ばれる鎌


だんだんとジャングル化が進みつつある、うちのリビング/仕事場。

日あたりのよい場所はすべて植物に占領されてしまった。しかも、いざという時にも食べられないものばっかり!!(アロエをのぞく)。

ミントとかタイムとか、ローズマリーとかラベンダーとか、近所の家ではわさわさとヤブになっているものがなぜかうちの窓辺やベランダでは育たない。

ゴムの木は、この夏、うちの息子が、バラードにあった知り合いのショウルームが閉店する時にもらってきたもの。

最初は自分の部屋に置いていたのに、出張でちょっと留守にして帰ってきたら、わたしの机の横に勝手に移転していた!おい!

横に張り出していた枝があまりにも邪魔なので切断しようと、CTちゃんに「ノコギリ貸して」と頼んだら貸してくれたのが、これ。


最高級小鎌。

…これは……ノコギリではなく、草刈り鎌では…?

ちょっと大変だったけど、なんとかこれで切断に成功しました。



メイド・イン・ジャパンの味わい深い鎌は、CTちゃんが富山の実家から持って帰ってきたのかと思ったら、ホーム・デポでお求めだったそうです。

 ところで

「使って喜ばれる」

というコピーの主体はだれなのか。ゴムの木には喜んでいただけたのか。
いまのところは元気そうです。
命名、ガルダちゃん。インドだから。

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2016/10/06

ファンの仕業


Seahawks 、Ramsに負けたけど、そのあとは気持ち良く勝ってますね。最初のゲームでウィルソン君が負傷した時にはひーこれで今シーズンは終わりか!と一瞬思ってしまいましたが。(最初の試合は苦しかった!)

近所を歩いてたら、こんな消火栓が! 
だれかがシーホークスカラーに勝手に塗っちゃってますよ!
この消火栓の半径20メートルくらいにでっかい「12」の旗を出している家があるので誰がやったかバレバレなんだけど。

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2016/10/05

わたしの欲望タワー


平和に散歩をしていたら、突然ガンをつけられた。

なぜにそんなところに座っておられたのか、まるでフクロウのように眼光するどい方である。そしてやにわに、
わたしの頭を掻け
と想念で命令されたので、素直に従いました。あーこわいこわい。

ところで先日、メルマガのデジタルクリエイターズとぽんず単語帳のほうに「Desire」と「Greed」についての記事を書きました。

「Desire」をうまく感じの良い、ポジティブなニュアンスの日本語に訳せないなあ、と思っていたのと、そういえばdesireとgreedの違いっていったいなんだっけ?とつらつら考えながら散歩をしていたら、あの『ウォール街』のゲッコーの「Greedは正しいんだ!」という演説を思い出したというわけです。


(マイケル・ダグラス、若い!このとき43歳。)

ゲッコー氏に共感する人がこの国にはとても多いんですよー。

結局「デザイア」と「グリード」の違いは、そこにリソースを取り合う人がいるかいないか、ということにつきる、とも思ってそう書いたたんだけど、もいっかいよく考えてみると、相手がなくても、greedになることはあるね。


 食べても食べても満たされないとか。
いくら財宝を積んでも幸せにならないとか。

 「これでよし」というラインが崩壊しているときがgreedになってるといえるのだろうか。

でも必要かどうかは主観なので、greed(強欲)なのかdesire(熱望)なのかは結局見方の問題ということでしょうね。

結局は、誰か(自分を含む)を傷つけたり、害になってるかどうかで呼び方が違うということでしょうか。

それも主観と立場によって違うけどねー。




ところでこちらは、6月〜7月に日本に帰ったときに買ってスーツケースに詰めて持って帰って来た本のタワーです。
このほかにキンドル版でも10冊くらい(コミック含む)。

本は10冊までにしよう。とか、行く前には思ってるのに、東京で書店を見つけるとふらふらと引き寄せられ、必ずそこには1冊か2冊の書籍が
あなたとここでめぐり会ったのは運命!」とか「わたしを読むとあなたの人生は変わる!」とわたしに話しかけている。とくに古本屋はやばい。

「そうですか、こんなところで待っていてくださったとは(感涙)」と、すぐ話にのせられてしまう人。



そしてこちらは、先週土曜日、ベルビューの日本語学校PTAが開催してる大古本市で購入したタワー。

仕事がけっこうテンパッていたのだけど、寄付したい本もエコバッグに1袋くらいあったので無理やり時間を作って橋をわたって(湖のむこう岸で開催なので家から20分くらい)開始時間の11時ちょうどに行ったら、なんと入り口に4重のとぐろをまいた行列ができていた!

全長100メートルはある(推定)行列でしたよ!当たり前だけど日本人ばっかり!
ふだんシアトルでは日本の人にあまり会わないので、こんなに大量の日本人が一堂に会しているのを見るのはちょっと新鮮だった。

ここの古本市は本当に量・質とも誠にすばらしい。日本でもこんなイベントにはめったにおめにかかれないですよ。

 今回は、夏に買った本が机の近くに積んであるのがいちおう気にはなっているので、コミックが何冊か買えればいいや、という心づもりでした。んが、やはり欲が出て、つい文庫本やハードカバーの箱もチェックしてしまう。これはgreedでしょうか。

値段が値段なのでもう目についたら即お買上げ。
で、戦果はマンガ18冊、それ以外の本11冊、雑誌3冊。


戦果のマンガその他。すべて美品!これがすべて1冊50セントから1ドルでした。

すばらしい。日本語学校PTA様、ありがとうございます。
なるべく次回までにすべて読み切って、また寄付したいと思います。

「ダーリンもの」の元祖『ダーリンは外国人』も、初めてちゃんと読んだ!面白かった〜。


神保町の「神田にゃんこ堂」で買ったバッグ。

「本がいっぱいありすぎ、時間は少なすぎ」。わたくしの人生を代弁しています。

今、うちにある積読タワーをすべて読みきることができる日は来るのか。
欲望は積み上がるばかり…。

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2016/10/03

ゴジラが来るよ


アメリカ組のみなさん、ゴジラがきますよー!!来週!

シン・ゴジラがあまりにもあまりにも話題になっていてつらいので、いっそ日本に観に行こうかと半分本気で考えるほど思い詰めていたら、ゴジラのほうから来てくれたよ!これを引き寄せの法則っていうんだね(違う)。

どういうわけか、全米数都市で、来週の火曜・水曜・木曜のしかも1日1回ずつの上映という、単館ロードショウですらない単発イベント。

これで反応をみて、ロードショウの規模を決めるのかもしれませんね。

シアトルではRegal Meridian 16とかlandmark guild 45thとかで上映。なぜかベルビューは入ってないみたいです。

英語タイトルは「 Godzilla Resurgence」。蘇るゴジラですね。

「Shin Godzilla」 で検索しても、Google先生はお近くの劇場の上映時間を教えてくれますよ。

わくわく。できれば東京で観たかったけど、でも嬉しいなあ。
まさか英語吹き替えじゃないよね。

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2016/10/02

奴らがたむろする場所



この間、ノースゲートのほうに行く途中で、息子にカラスのたまり場を教えてもらった。
 ノースシアトル・コミュニティ・カレッジがあるすぐ近くに今、小学校と中学校(たしか)が建設中で、かなり広い敷地が工事現場になっている。

そこに、奴らがおりましたよ!すんげーいっぱい!

ちょうど時刻は日暮れどき。

ほんとうに、ゆうに1000羽くらいのカラスがこの工事現場に大集合して思い思いにくつろいでおった。
建設中のビルの屋根の上にも、 砂利山の上にも。水たまりのまわりで水を飲んだり、砂利の上でなにかついばんだり、ただ高いところに止まって眺めていたり。

この写真じゃ多さがわからないけど、とにかく大集団!ちょっとした壮観だった。

イエローストーン国立公園のバッファローの群れよりも、むしろ野生の王国な感じを受ける眺め。
カラスのほうがバッファローより観ていて面白いかも。バッファローは主に寝てるだけだったし。

カラス観察家の息子によると、ここから小グループにわかれてねぐらに向かうらしいです。
 (息子は大学の構内でもよくカラスを観察しているらしく、ときどき大きな袋入りの殻付きピーナツを持ち歩いている。家のまわりで餌付けをしないように厳重に言ってあるけど、ときどきバス停から帰る途中でこっそりやってるっぽい。)

つまりここは、シアトル中のカラスが、眠りにつく前に集まる社交の場。

どうしてそんな情報が行き渡るんだろう。面白すぎる。集まってくるカラスたちは、クラブにいくワカモノたちみたいにわくわくしてるのかも。


電線にもびっしり。

シアトルにいるカラスは、東京にいっぱいいるハシブトガラスより小柄でほっそりしてます。

カラス同士のコミュニケーションを見ていると、ほんとうに面白い。
奴らはリスより頭が良いことはたしか。ていうかリスの世間は狭いのにたいして、カラスの社会はすごく広いし、いろんな決まりがあるようだ。

共同体がいくつも集まって大集団を作ったり、散ったりするところとか。
ほとんど言語といってもいいような何種類もの啼き声で連絡しあっているところとか。
人間の社会みたいなネットワーク。
死んだ仲間をとむらう習慣もあるそうだし。

どうしてカラスってこんなに頭がいいんでしょうね。
人間の作り出した環境に一番よく適応してるのはカラスなのではないだろうか。

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2016/10/01

近所にお墓が…!


9月30日。
近所の庭が突然、墓場になっていた。

ハロウィーンまで、まだまる一ヶ月あるんですけど。やる気まんまんである。

こういうお墓のディスプレイを戸口の前にするなんて、日本だったら「縁起でもない」って多方面から怒られそう。そんなことない?


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