2014/12/07
1889年のクール・ジャパン『日本少年』
今年の夏、松山に行ったときに、子規記念博物館で購入した本『日本少年』。
ハワイでの通訳クラスの同級生で松山を案内してくれた、マダムNこと菅紀子さんの翻訳による本です。
著者の重見周吉さんはバリィさんで有名な今治の出身で、明治の半ばにイェール大学に留学し、医学部を卒業して帰国し、学習院と慈恵医大の教師になった人。
政府に送り出された官費留学生ではなく、同志社を卒業したあとでもうどうしても米国に行きたくて、イギリスの軍艦に乗せてもらい、船の中で雑用をして費用を稼いだという強者。イェール大の学部を卒業したあと、医学部の学費を捻出するため、自分が生まれ育った日本の風物を米国人に英語で紹介する『A Japanese Boy/日本少年』を書いて出版したのだそうです。これがベストセラーになってめでたく医学部を卒業できたという素晴らしい話。
当時はパナマ運河も開通していなかったので大陸をまわって片道2ヶ月の船旅。日系スーパーに行けばなんでも売ってる今の気楽な米国生活とはまるで違い、さぞや味噌と醤油のごはんが恋しかったことでしょう。
周吉さんはこの本で、ふるさと今治の学校のようす、子どもたちの勉強や遊び、お正月やお盆などの行事、お祭りなどをいきいきと紹介しています。
当時、開国してまもない日本は、礼儀正しく優秀な留学生や官僚たちを送り出す、風変わりながらも非常に洗練された文化を持った国として、欧米の人びとから高い関心をもって見守られていたのでしょう。
ちょうど、後期印象派のゴッホやルノアールといった画家たちも日本の浮世絵に影響を受けた作品を生み出していたころ。
今の「クール・ジャパン」なんかよりずっと深い興味が持たれていたんじゃないでしょうか。
マダム紀子の翻訳は、小学生の子どもにも読みやすいよう、ふりがなをつけ、読みやすく工夫されています。さすが地元の方だけに話し言葉の方言がオーセンティック。
125年前に書かれたこの本は、いまの日本人からしてみても、珍しい風物でいっぱいです。
わたしは特にお風呂と芝居小屋の部分が面白いと思いました。
銭湯のようす。
<今治には、このような銭湯が十カ所以上あります。それらはアメリカのドラッグストアのように、ほとんど通りの角にありました。それに夕方から夜中まで開いていました。休みの日は、明け方には宿泊もできる風呂が準備できていました。昼間、用意ができしだい、番頭さんが軒にのれんをつり、日が暮れると四角い紙のちょうちんを置きました。……… お湯が熱すぎるばあい、お客同士、互いにきちんと望みの湯加減を相談し、お客の一人が手をたたきます。すると入り口の番台から音で返事が来て、すぐに冷たい水がゆぶねの中に吹き出します。……>
芝居見物に行く前の、姉や妹たちはこんなふうに描写されてます。
<食べ物の準備のあとは少女たちの身づくろいです。彼女たちはだいたい人生の半分を着飾ることに使うのではないかと思います。ぼくは、一度も辛抱づよく待ったことがありませんでした。少女たちは派手なファッションに身を包み、えんえんと鏡に姿を映し(ガラスの鏡はまだなくて金属の鏡です)、一つ形を決めるまでに五十回以上も飾り帯を結び、髪飾りをああでもないこうでもないといじり、身のこなしの練習をしました。>
周吉さんの本で紹介された日本は、奥ゆかしくて活気があって、心優しい愉快な人々が住む、行ってみたいなと思わせる国です。
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