2017/10/21
もり過ぎのわたくしとワイアルア
ハレイワの隣、ワイアルアは、その昔、サトウキビ農園のために作られた小さな町。
人口3,761人。
それが、そんなにいるんだ!と思うくらい静かで、もちろん信号もスタバもなく、マダムMと一緒に車でうっかり通りすぎてしまったくらいの、ちっちゃい町。
メインの建物はいまでもかつての砂糖工場。そこが今では、お土産ものとか、ハンドメイドの石鹸とか、そこでローストしたコーヒーとか、サーフボードとかの店になっていて町おこし的なインスティチュートになってます。
写真はその入口で、とってもロウキーなたたずまい。このカニ的なものは、きっと昔、サトウキビ畑で使われてた何かだとおもう。
(ていうか、そうでなければ一体なんなのだ)
裏手にはコーヒーの木もあり、なぜか『モヤモヤさまぁ~ず』が取材にきたらしくて、その看板みたいなのがあった。
中はゴチャゴチャした倉庫みたいで、おばちゃんもおじちゃんもむっちゃくちゃ愛想よくて、あたたかい。
「アロハ~!!ウェルカム〜!ゆっくりしてってねえ」
と満面の笑みで言われると、たくさん買い物してあげたくなり、ここでちいさなTiki像(デザインド・イン・ハワイ、メイド・イン・チャイナ) とか、はちみつを買った。(そんなにたくさんでもないねww 自社比です。)
ハレイワのオシャレな変貌ぶりを見ると、ここも誰かもっと、なんとかしてあげて!という気もするけど、こういう超ローカルで全然ヘタに商業的な色気がないかんじが、魅力なのでもある。
むかしのバンク・オブ・ハワイ。いつごろからいつごろまで営業してたのかは謎だけど、たぶん砂糖プランテーションの時代にできたのではないかな。
いまは版画の工房になっているようです。
スタバはないけど、スタバよりおいしいオシャレコーヒーショップがあるのだ!
いまどきなレトロ感と清潔感がいっぱいで、ポートランドXノースショア、という感じ。
水着用バッグとかも売っててかわいい。
多肉植物のくらげちゃん。
カウンターの中には、いかにもサーファー・ガールふうのブロンドの可愛いバリスタちゃんが2人。
次々と、地元の人らしい老若男女がやってきていてけっこう繁盛してました。
この町に住んでたら、通うわ、わたしも。
まずアサイボウルで朝ごはん。
マダムはサンドイッチとペストリーを注文してて、それもおいしかった(ひとくちもらった)。
かわいい赤カップにはいってきたマキアート。
ハワイから帰ったらさっそく歴史の授業を2コマ取ることになっていて、そのために読んでおく宿題がジャック・ケルアックの『路上』 でした。
ハワイのビーチでビートジェネレ―ションの小説を読むなんて、シャレオツじゃん!と思ってみたものの!ええ、もちろん、たったの数ページしか読めませんでしたよ!
いつになったら自分について学ぶのか。遅いんだよ読むのがよ!
結局やっと主人公がデンバーに着いたところでまだ止まってるし!授業はもう先に進んでしまったので、また積ん読本が増えてしまったんだね。
いつもいつも、自分にできることの3倍くらいお皿にてんこ盛りにしてしまう、「バッフェで両手に山盛りの皿を持ってさらにデザートも2人ぶん載せようとするおばちゃん」的な、欲望まるだしのわたくしです。
ハワイでも最後の週はけっこうときどきテンパっていた。もったいないようだけど、でもハワイでテンパるのはわりと幸せ。
だって思い立ったらビーチで散歩できるし!外晴れてるし!
ところがマダムMは気をきかせて自力で空港へ行ってしまわれた。ハレイワから!
そんなに気をつかわせるほどテンパっていたのか、とあとからとっても反省。
ほんとうにごめんなさい。テンパっているようでも、その2秒後にはおやつのことを考えているのだから、ほっといても大丈夫なんですよ!
でもその午後は、愛しいハレイワのコーヒーギャラリーで仕事にけっこう集中できました。感謝だ。こんなに幸せでいいのかと思うくらい幸せである。
ハワイという場所は、12年住んでただけに、「しがらみ」とまではいかないけどいろいろな係累があって、だからちょっと尋ねるのに勇気がいる場所だった。
この日の夕方は、カブスカウト時代から息子が中学卒業するまでお世話になった、ボーイスカウトのお父さんお母さんたちとの会合でした。
毎週金曜の夜、ヌウアヌ小学校の食堂に集まって、子どもたちがボーイスカウト活動をしているあいだ、毎週毎週下ネタ話でむっちゃくちゃ盛り上がっていた父母の会でした。
わたしの英語力では下ネタの細部まではあんまりよくわかんなかったのが残念だけど、ほんとに愉快なお父さんお母さんぞろいでした。
2017/10/20
モクレイア
ノースショアで泊まった家は、ハレイワとモクレイアの中間あたり。
朝、朝食前に、車で5分くらいの距離にあるモクレイアの海岸に散歩にいきました。
観光地ではないので人はほとんどいなくて、釣りをしている人が一人、散歩に来てる近所の人が数人だけでした。
同じノースでも、ワイメア湾やサンセットビーチとは違って、とても穏やかな海。
でもモクレイアの海岸には恐い怪談がつたわっています。
日本から来たプランテーション労働者のお話だから、明治か大正の頃か。
サトウキビ畑で働いていた男女数名の日本人の若者たちが、夜、釣りをしにこの海岸に来て焚き火をしていたところ、若者が一人になったところへ世にも美しい女性があらわれて若者を誘惑。恐ろしい怪物の姿に戻り、若者を海に引きずりこんでしまいましたとさ。
という話でした。うろ覚えですが。
朝の清々しい海岸には、怪物の気配はありませんでした。
ここをずーっと西に向かっていくと、カエナ・ポイント。いつか行ってみたい。
サトウキビ畑の全盛期には、ホノルルから島の西端をぐるっと回って北端のカフクの先までいく鉄道が通っていたそうです。
本当に静かなビーチでした。
これが家の前にあったらなー。
2017/10/19
シェイブアイス帝国
ハレイワ・タウンも、6年行かない間に一部激変してました。なんといってもこのマツモト・シェイブアイスのアップスケールな変貌ぶりに仰天。
むかしはそれこそ築100年みたいな雑貨屋の奥のカウンターでお兄ちゃんやお姉ちゃんたちが大汗かきながら次々とオーダーをこなしていたのだが。
まず出口が道側から横側に変わり、木の下にはちょっとした広場ができてて、ハワイアンミュージックの演奏中でした。
広場の反対側にはこじゃれたコーヒーショップも出来ていた。
暗かったジェネラルストアが、オリジナルグッズとかがたくさん並んだ小ぎれいな店に変わってました。
すごいなー。ワイキキの変化よりもこれが一番びっくりしたかも。
カウンターの中のシェイブアイス部隊も近代的にアップグレード。
なんだかインダストリアルである。まるでドールプランテーションのカウンター。
食べるつもりはなかったんだけど、とにかくほんとに暑くって、お店を見ている間にも大汗で、と自分に言い訳をしつつぺろっと食べてしまいました。しかしアズキを追加で頼んだら、このシェイブアイスの下にたぶん100グラムくらいのアズキをでっ!と投入された。さすがにそれは食べ切れなかった。
でもオアフのシェイブアイスならやっぱりモイリイリのワイオラ・シェイブアイスが一番ですよ、忘れないでね!
ほかにも、代官山…?みたいなオシャレブティックやオシャギャラリーができていた。
でもフリフリチキンのあるパーキングはそのまま。すっごくうまそうかった。
ああこの次は買って食べるだよ。
ハレイワ・マーケットプレイスはそんなに変わらず。
パタゴニアの前では猫さんが、やる気なさそうな警備のおっちゃんの足元で仕事をされている。
パタゴニアの中はお店の人もお客さんも日本の人ばかりでびっくり。
コーヒーギャラリーもあんま変わってませんでした。
あーでも、天井のファンキーな絵がなくなってた。
だんだんファンキーさはなくなって、洗練されたオシャ街になっていくハレイワなのですねえ。
2017/10/18
ハレイワの不思議ハウス
冷たい雨の降る薄暗いシアトルです。半月前のあっついハワイを思い出すのがもう難しい。
レンタカーを借りて1泊だけノースショアに滞在しました。
選んだわけじゃないけど安い「コンパクト」を指定したらビートルのコンバーチブルだった! さすがハワイ。
面倒くさそうな気がして屋根は下ろしませんでした。
考えてみれば、オアフ島に住んでたあいだ、ノースに泊まったことは一度もなかった。
サーフィンもしないしそれ以前に泳げないのにノースが大好きで、住みたいとまで思っていたのに。
AirBnBでみつけたメリーベスさんのおうちは、理想的なノースショアリビングそのまんま、みたいなかわいい家。
プランテーションハウス(サトウキビ農園で働く労働者が住んでいた社宅的な住宅)として建てられた、築100年くらいの物件だそうです。
隣には少し大きな家があり、そこはサトウキビ農園の現場監督の家だったそう。
メインストリートから舗装されていない赤土の道をちょっと入ったところにあり、この一画の数軒の家はみんな同じときに建てられた住宅なのだそうだ。
この築百年の物件を、メリーベスさんはマーサ・スチュワートにも褒められそうな完璧さでガーリーなコテージにしてます。
メリーベスさんはカリフォルニア出身で、緻密なタッチで人物を描くアーティスト。
もうここに住んで10何年っていってたかな。
ガレージの前に置いてあるこの椅子も、家とおなじくらい古いのだそうです。
この家ではいろいろと不思議なことがあったんだけど、泊まった翌朝明るくなってから聞いてみたら、メリーベスさんもこの家で不思議体験をしているのだそうです。
妹さんが亡くなったときには、その瞬間に会いにきて話をしたのだとか、親友のお葬式から戻るとぴったりしまっていた木戸がぱん!と開いたとか。
でもイヤな感じはまったくなくて、彼女のオープンで優しい気持ちが投影されているみたいで、とても明るく心地良い家でした。
フューシャピンクが似合う家。メリーベスさんも白とピンクが似合う人。
外に咲くブーゲンビリアの色とも合っている。
植物がとにかく元気。
リビングにもピンクの花が。
ハワイの家にはエアコンなんかないのが普通。風通しの良い家ならいつもの年はそれでまったく問題なく清々しく暮らせるのですが、今年はほんとに暑くて、この日もむぅっとしてた。
でも、網戸をソロソロと風が通っていくので、夜は快適でした。
リビングルームに鏡がたくさんあるのがわたしはちょっと怖かったんだけど、とくに誰かが這い出てくるところとか中で黒髪の人が髪にブラシをかけてたり…などは目撃せずにすみました。
でもね、ベッドルームに寝てたマダムMが、明け方気づくとハワイアンか日系人風の日に焼けた男の人がずっとベッドのわきに立って、彼女の足首を握ってたんだって。
不思議とぜんぜん怖くはなくて、なぜかうちの息子が来たんだと思ってたらしい。
そして、翌日、日本に帰ってから、ずっと悩んでた足の痛みがなくなってることに気づいたそうです!
なんかフレンドリーなスピリットだったらしい。
この家を守るのは、番犬ジギーちゃん。わたしは小さい犬ってちょっと苦手なんだけど、このジギーちゃんはむっちゃ可愛かった。とてもお利口そう。そしてこの人にはいろいろ見えている。
中庭のジギーちゃん。
わたしは寝るのにリビングルームのスリーパーカウチを使わせてもらったんだけど、夜、ふっと気配を感じて見ると……見られてました。
翌朝メリーベスさんに聞いたら、ゲッコーちゃんは甘いものが好きで、コーラがこぼれているとよく飲みに来るんだそうです。
ずーっと見られてたんだけど…そうか、「こいつは何も喰えるものはもっておらんのか」と思ってらっしゃったんですね。
明け方妙な時間に目覚めたら、外でオンドリが啼きだして、もう夜明けまでノンストップ。
ニワトリの声が気になる人、爬虫類だめな人などにはおすすめできませんが、古い家が好きな方には超おすすめのハウスです。
メリーベスさん、出発前に、近所の人が釣って燻製にしてジップロックに詰めておすそわけといってもってきた燻製の魚を、一袋ぽんとくれちゃいました。これが!むっちゃおいしい!!パイクプレイスマーケットで売ってるスモークサーモンよりおいしい。
なんの魚だったかもってきた近所の人もあまり自信なさそうだったけど、「たぶんアクレ?」とかいってたような。 まだうちの冷蔵庫にあって、大事にすこしずつ頂いてます。
2017/10/16
クカニロコ
オアフ島で行ってみたかった場所。
ワヒアワにある「クカニロコ・バースストーン」遺跡 。
ホノルルの方からノースショアに行く途中の道端にあります。
スコフィールド陸軍基地を通り過ぎ、H2のハイウェイの終点の先、ワヒアワの街を抜けてすぐの左側。
ここも何十回となく通ってたのに、こんな遺跡がハイウェイのすぐ近くにあったなんて、ぜんぜん知りませんでした。
マダムMが以前行ったときには中に車が停められるようになってたそうですが、現在は入り口に柵がしてあります。
逡巡したすえ、奥の方で掃除をしているようなので柵の前に車を停めて近づいていくと、メンテナンスをしていたおじさんが「そこに停めちゃだめだよ。道端に停めな」と教えてくれた。
最近あまりにも訪問者が多くなり、物を盗まれたりするトラブルがあったようなので、入り口を閉めることにしたのだそうです。
カメハメハ・ハイウェイの両側は草地になってるので、道端に路駐して歩いていく分には普通に入れます。
ここは古代のハワイの王族の女性たちが出産する場所だったそうで、このサイトによれば、こういうバースストーンはハワイ中にあるのだけれど、王族用と決められていたのはこことカウアイ島の一箇所だけなのだとか。
上の写真で右側の木立があるあたりがその遺跡で、大きな石がごろごろと赤土の中に置かれていて、まわりは花壇のように石で囲ってある。
マダムの話だと、以前は真ん中まで入れるようになっていたそうだけど、今は「No Public Access」という札が立っていたので、立ち入りは遠慮しました。
なんでも最近ここはパワスポとして有名で、安産祈願とか子宝祈願とか、婚活祈願までしにくる人が続々やってくるのだそうです。
周りを囲む石にはいくつもレイがかけてあり、真ん中の石にもレイがかけてあった。
ハワイアンの人々からすれば自分たちの聖地なわけで、あまり観光客にわさわさ来てほしくないという気持ちがあるのかもしれない。
実はここについての記事を先日翻訳する機会があって、それで是非行ってみたかったのです。
わたしたちも、場所に敬意を払うため、チャイナタウンでレイを買っていきました。
ここを訪れた、たくさんのお母さんたちに敬意を表して。
マダムMもわたしも、それぞれの一人息子が無事に成人できました。
ここに行って、神様に単純にそれを感謝したくなった。 子どもを育てられた時間をほんとうにありがとう。
神社じゃないから子宝祈願とかは意味が違うのかもしれないけれど、ここを守るなにかがいるのだとすれば、子どもを持ちたいとか、すこやかな家族を育てたいとか、そういう切実な望みを持ってうやうやしくここを訪れる女の人たちにハラを立てたりはしないと思う。そう思いたい。
ネイティブハワイアンの人たちの中には、「うちの聖地に関係ないあんたたちがなぜ?」とイラっとする方もいらっしゃるかもしれないけれど。
その気持ちも汲み取ったうえで、行くときにはよその人の聖地だということを忘れず、真摯に向かえば、きっと大目にみてくれると思いますよ。
この時会ったメンテナンスのおじさんみたいに。たぶん別に歓迎もされないけど、礼儀をわきまえて行けばむげに追い返したりしない。
オアフ島の「おへそ」とも呼ばれる、島の中央に位置する開けた台地にあって、遠くに見えるワイアナエ山脈の右側の山が、仰向けに横たわる妊婦さんの姿になぞらえられている。
これはいつごろからそう言われ始めたものか。
気持ちの良い風が吹き抜ける、爽やかな場所でした。
晴れ晴れした場所だという以外わたしは何も感じなかったけど、マダムはなんだかすごいパワーを感じてしまって大変だったそうです。
ラベル:
スピリチュアル・信仰・宗教,
ハワイ,
祈る人,
旅行
登録:
投稿 (Atom)