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2021/09/21

マトリックスと開拓宇宙の強い女


きのうは大雨が通り過ぎていきました。ひと雨ごとに秋が深まるようですね。



 なんと今年は『Matrix』の続編、4作目が公開されるんですねー。

というわけで、うちの青年とともに、鋭意Matrix復習中。

わたし、3作目はちゃんと見てなかったかもしれない。

2作目のネオとアーキテクトの会話が当時あんまりよく理解できなくて迷子になっていたような。という人多くないですか?わたしだけ? 今回3作を通してみてやっとわかった…。

第1作の公開から18年。ウォシャウスキー兄弟も姉妹になっちゃったし、世界は変わった。ほんとに変わった。こんな展開になるとは、誰も思ってみませんでしたよね。

『Martix』見直してみて、やっぱり名作だとつくづく思いました。

衝撃的だったよねー。

 

 


この夏、うちで静かにはまっていたのはAmazonの『The Expanse』でした。シーズン5までけっこう一気に観てしまった。

火星と小惑星帯への植民が進み、数世代後の世界。地球は国連のもとにいちおう統一され、火星と小惑星帯がそれぞれ地球連合に対立する勢力となっていて、とくに小惑星帯は中東やアイルランドの武装勢力をおもわせるロジックで地球を脅かし、謎の地球外生命体のテクノロジーをめぐって3者が軍事的・政治的かけひきをくりかえすというお話。

火星や小惑星帯の住民よりも地球の住民は恵まれているはずだけれど、実際はやはり貧富の差が激しくて、ベーシックインカムが実施されているけれど、仕事の口が極端にすくないので人口の多くは職にあぶれたまま最貧の生活をしている、とか、かなりディストピアな設定です。

それにしても、宇宙に出ていく時代になっても、人類の中身はこのままなのかねえ?と思ってしまうのだけど。

スピリチュアル業界では、今年は人類の中身がかなり大きく書き換わる元年になる、というようなことがいわれているのですが。

「オメガポイント」に達すると宇宙が「なくなる」そうですが、そのちょっと手前くらいに、適度に人類が我執をなくしていける時代が到来するのでしょうか。

国家がなくなってもいいくらいに?

財産がなくなってもいいくらいに?

…『イマジン』の世界が実現するのはまだ数百年先かなと思っていましたが、意外に人間の世界って数世代で変わるのかもしれないと最近思ったりする。

『The Expanse』は、キャラクターがかなり先進的です。
国連のトップはアジア/中東系の女性で、イラン出身の女優さんショーレ・アグダシュルーが演じてます。

シリーズいちのバッドアスソルジャーも女性で、火星生まれの海兵隊精鋭兵士、ドレイパー。演じてるのはサモア系の女優さん。パワースーツ姿がかっこよすぎる。

中心人物のホールデン君(『ライ麦畑』からの命名なのか?)は白人男性だけど、迷子の子犬みたいな感じの外見で、内面は頑固な強さがあるもののマッチョさからはほど遠いキャラクター。パートナーは黒人女性でこれまたバッドアスな天才エンジニア。とにかくとほうもなく強い女性キャラがぞろぞろ出てきて楽しいです。

こちらも次のシーズン6がファイナルらしく、今年公開されるという噂。見届けたいので、早くしてください。




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2021/05/01

ノマドランド


久しぶりに植物園へ行ってきました。

ツツジが満開。遅い桜も、木蓮も辛夷も、いろいろ咲いていてにぎやかです。



クリームイエローに濃いピンク。面白い色の八重桜。



いつも鳥を連想してしまう辛夷の花。


ちょっとホラーな木。


火曜日に、ショアラインのCrestシアターに『Nomad;and(ノマドランド)』を観に行ってきました。

映画館に行くのは去年2月以来、はじめてです。

予告編(ウェス・アンダーソンの新作だった)が始まったとたんに泣きそうになっちゃった。ああ映画館の画面ってこんなに大きかったんだっけね。

映画は良かったー。アカデミー賞とったので混んでるかと思ったけど、そこは安定のクレストシアター。ご近所の年齢層高めのオーディエンスで、客席は4分の1くらい埋まってました。

窓口に、「ほかのグループから3席離して座ってください」と、ダイヤグラムが書いてあった。前後左右3席ずつ離して座れというのだけど、なかなか難しい注文でした。



『ノマドランド』は淡々としていながらもとても面白かったし、画面が綺麗でした。


「ぜひ大スクリーンで」というのはうなずける。アメリカの平原をロードトリップしている気分が味わえます。

うちの青年と8年前のロードトリップで行ったサウスダコタ州のバッドランズ国立公園や、その近くの巨大みやげ物ショップWall Drugsが出てきて、懐かしかったのもあり。

主演は、『ファーゴ』の保安官役が素晴らしかったフランシス・マクドーマンド。『ファーゴ』はいろいろ個人的に思い入れの深い映画です。あれも平原の小さな町の映画でした。

Amazonの倉庫が、例年11月から新年にかけての最繁忙期に季節ワーカーを大募集しているのは聞いていましたが、そのなかにこういう高齢で車中生活を送っている人たちがかなり多いというのは、全然知らなかった。

鉱山が営業を停止して、町がひとつすっかりなくなってしまうところから始まる映画。

60歳すぎてなにもかもなくす。改造したヴァンに住み、年金暮らしもできず、アマゾンの倉庫やキャンプ場のトイレ掃除といった仕事をしなくてはならない未亡人の話、というと悲惨で暗い気がしてしまうけど、まったくしめっぽい演出はなくて、アメリカの広大で美しい荒野に向かって瞑想しているような主人公ファーンの姿が、のびのびした透明感をもって描かれていました。

この広々しすぎな国土よ。


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2021/01/20

和解と統合の就任式ファッションチェック



 無事、大統領就任式が終わりましたねー。

Qアノン信者の方がたの間では、本日正午に戒厳令が発布されトランプが頭首に返り咲くというファンタジーが駆け巡っていたそうですが(うちの青年の同僚でQアノン信者くん28歳も、最後までクーデターにのぞみをかけていたようですが、今日は返信がないとのこと……)、パラレルワールドではどうだか知りませんが、こちらの世界では、さいわい、血なまぐさいことは起こりませんでした。

そもそもトランプが全軍を掌握できると、なぜ思うのか……。

 


全軍(トランプ就任中につくられた宇宙軍も)の旗が就任式にはひるがえっていましたよ。

就任式は午前中だったのでもちろんリアルタイムでは見ず。

今日は治療の日だったので、クリニックで点滴を受けながら、YouTubeで録画を見てました。

 


 こちらの「ジョー・バイデン委員会」の動画にて。



レディ・ガガ様が国歌を独唱。

LGBTQの先鋭的な代弁者であるガガさんの国歌……「同性愛者は神に背いている」とかたくなに信じる一部の戦闘派クリスチャンさんたちは、さぞやイラッとしたことでしょう。
心の貧しき人に幸いあれ。平和を祈ります。



キラキラしたパワフルなパフォーマンスでした。
とっても気持ちよさそうに熱唱してた。

ドレスはスキャパレリだそうです。VOGUEマガジンの解説はこちら。

胸につけた金色の鳩。
オリーブの枝をくわえている鳩は、旧約聖書のノアの方舟の話にも出てくる「和解」と平和のシンボルです。




カントリーの大御所ガース・ブルックスが黒いカウボーイハットとジーンズであらわれて『アメージング・グレース』を歌ったのも象徴的でした。

トランプサポーターの本拠地である中西部カルチャーに「和解」を呼びかけるジェスチャーでしょうか。





ジェニファー・ロペスは真っ白なパンツスーツで登場、第二の国歌と言われる『アメリカ・ザ・ビューティフル』を歌いました。

祈りと祝福を捧げたのは、カソリック教会の司祭と、アフリカン・アメリカンの牧師(エピスコパル派)。これも一部の原理主義戦闘派クリスチャンの方がたには、気に入らないかもしれませんね。

なんといっても素晴らしかったのは22歳のアフリカン・アメリカン詩人、アマンダ・ゴーマンさん。

これもVOGUEから

カナリアイエローのジャケットと真紅のヘッドドレスが似合う、かしこい王女のようないでたち。



知的で明るい希望に満ちた、力強い言葉と落ち着いたエネルギーあふれるパフォーマンス。

アメリカの希望と栄光は過去にあるのではなく、建国以来まだまだ理想にむかって絶賛建設中であると、ポジティブな言葉で朗々と、音楽的な言葉をつむぐ。

過去を見据え、民主主義の輝かしい希望を歌い上げる力強い言葉でした。


落ち着いていて他者への深い思いやりがあり、感情に振り回されない冷静さと、コミュニケーション力と、繊細さと、広範な知識と実行力を持つ若い世代の人たちがたくさんいる。

この世代は軽やかに新しい社会を作っていくだろうと思います。




カマラさんはパープルのアンサンブル、ミセス・バイデンはティールとターコイズ。

スカートの丈が揃っている…。クラシックですね。

バイデンさんのスーツはラルフ・ローレン。




ヒラリーさんもパープルのパンツスーツでした。

ヒラリーのは赤みが強い江戸紫、カマラのは青みが強い紫。ジル・バイデンはティール、と、グラデーションになっている。

レッド・ステーツ(赤い州・共和党優勢)とブルー・ステーツ(青い州・民主党優勢)の統合ということで、赤と青をまぜた色、融和を意図したパープルなのか?

なんて深読みをしたりしてw。




しかしどうしても目立ってしまうのはオバマ夫妻。
就任式会場に登場したときも、バイデンよりも拍手が大きかった……

ミシェルのパンツスーツは(これも限りなく赤に近いけどパープル系のワインレッド。やっぱりカラーのプレゼンテーション、打ち合わせがあったのかな)アフリカン・アメリカンのデザイナー、セルジオ・ハドソンのデザインだそうです。




カマラさんのスーツも、ルイジアナに本拠を置くアフリカン・アメリカンのデザイナークリストファー・ジョン・ロジャーズさん、パールのネックレスはプエルトリカンのデザイナー、ウィルフレッド・ロサドさんの作だそうです(by VOGUE)。


そして、バーニー・サンダース議員の出で立ちも注目されてました。
「ちょっとそこまで買い物に」というような、シアトルの人がよく着てるかんじのジャケットに、ウールのミトン(かわいい)。

「民主的社会主義」者にふさわしい、ぶれないスタンス。



 ミトンがバズってます。
 

 学校の先生がリサイクル素材でつくったミトンだそうで、バーニーさんはキャンペーンのときからずっと愛用してるそうです。



就任式のあとの花火、これはバーチャルじゃなかったのね(笑)。
みごとな花火でした。

この日に爆発した火薬が花火だけで、ほんとうによかった。

閣僚にも初めてトランスジェンダーが登場し、有色人種と女性が多くなるバイデン政権は、これからのアメリカの実像を反映したもの。

バイデンにはオバマやクリントンのようなカリスマはないけれど、威勢のよいウソをばらまいてきた大統領が国の感情を真っ二つにしてしまったあとでは、かえってこのような、自信満々にアジテートしない、実直な大統領に期待をすべきなのだと思います。

「わたしに票を入れなかった人びとのためにも働く」という、この教科書どおりの当たり前のことが言えなかった前任者とは違い……。ちゃんと政治家らしいスピーチが聞けたことをまるで奇跡のように感じてしまうこのPTSD。

自分のことしか考えていなかった前任者とは違い、人を立てていく大統領に期待したいです。

就任一日目、さっそく、トランプが作っていた役に立たない壁の建設を取りやめ(土建業者がトランプ政権末期に追い込みで無駄に自然破壊をしていたやつ)、パリ協定に復帰しました。

国はとんでもない危機に面していますが、ゆっくりと、しかし本格的に、本当の実効性を持つ癒やしが始まることを素直に信じて喜びたいと思います。



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2021/01/13

炭治郎とオバマ


これは↑2018年の7月に行った、熊野本宮の大斎原です。

朝、だれも人がいなくて、川には低い霧がかかっていて、田んぼの上に蜻蛉がたくさん飛んでいました。すがすがしかった。

日本の原風景のひとつ、だと感じました。

日本にはなんだか切実な不安を抱いて陰謀論にはまっちゃっている人が続出しているようです。日本の神様たちがそっと、心を正して、安心させてあげてくださいますように。


ところで鬼滅の刃、ただいま20話目が終わったところです!佳境です。

日本の最近のアニメがつまらないっていってごめんなさい。

最近Netflixで期待して見たアニメが軒並みつまらなくてがっくりだったのですが、これは面白いっす!

『サムライチャンプルー』で育ったうちの青年も気に入ってます。


ウェブサイトはまだ「COMING SOON」になってますね。無限列車。
はやく公開されないかな。

CGを駆使した奥行きのある背景。特に、炭治郎たちが山へ歩いていく場面の、低い穏やかな山々の重なりが美しくて、ああ、日本の山だー!とぐっときました。

鼓の鬼がいる家のふすまや天井も美しくて、驚いた。
ふすま絵は誰かがかなり楽しんで描いてるのかなーって気がする。
浅草の夜の風景もよかったなー。

「水の呼吸」の技の描写も綺麗で大好きです。
浮世絵を劇画風にしたみたいな独特のタッチが面白い。

そしてキャラクターがみんな一生懸命でかわいいですねー。

最近のアニメには今の日本の自信のなさが反映されていて(何度も言うけど、攻殻機動隊よ………)見ていて息苦しく感じることがあるのだけど、このアニメにはまったくそれがなくて、みんなそれぞれ元気いっぱいで。

肋骨が折れても戦うって…昭和の星飛雄馬よりも根性あるのに!炭治郎くんはどよーんと暗くなることがなくてひたすらまっすぐにチャレンジしていくところがいいな。コロナで家籠もりのときに、このひたむきな明るさが刺さるの、わかります。


(なにげにネタバレてますが、もう日本語圏の人は全員見ている気がしている……)。

炭治郎はいい子だねー。釈迦なのか。菩薩か。ナウシカか。

こんなにほかの人のことばかり全力で気遣う少年はそうそうこの世に生まれていないよね。泣ける。みんな炭治郎みたいに人に優しく強く生きたいと思うからこそ、この作品は支持されてるのだと信じたい。

そして、いまのZ世代には日本にもアメリカにも、ああいう明るい目をした清々しい子たちがけっこういると思う。

世界のあちこちにミニ炭治郎がいるから、人類の未来は大丈夫だって思える。

ドロヘドロも鬼滅の刃も、原作者が女性だっていうのが面白いですね。
かなりグロい殺傷シーンがあるのも共通。『鬼滅』は息子が低学年だったら見せるのに躊躇すると思う。

とはいえ、現実にも鬼がいる。

人を中傷しつづけ、ウソをばらまき、嫌悪と恐怖を煽ることで支持者の熱情を掻き立てて、とうとう暴徒にしてしまった指導者とか。


暴力をふるったり人を揶揄したり、集団で狼藉をはたらいて鬱憤を晴らすことに下劣な喜びを見出す人たちや。

6日の議事堂襲撃の際の、なんともひどい映像や画像が次々に明るみに出てきて、見るたびに心が沈む毎日ですが、そんななかでクーリエ・ジャポンに掲載された『アトランティック』誌のオバマ前大統領へのインタビュー記事(原文は去年11月のもの)の翻訳を読んで、まじで泣けてきました。

静かに号泣。

あんな小学生みたいな駄々っ子がヒーローになるとは…」オバマが斬る右派ポピュリズム | クーリエ・ジャポン]

『アトランティック』誌の元記事はこちら

「何が真実で何が虚偽であるかの区別もつかないようなら、定義上、言論の自由市場は成り立ちません。定義上、この国の民主主義も機能しません。私たちはいま認識論的な危機を迎えています」


そうですね。そして11月以来、それが驚くほどの勢いで加速している。




「あなたや私が育った時代、アメリカ文化に登場する古典的なヒーローといえばジョン・ウェインやゲーリー・クーパー、クリント・イーストウッドみたいな人たちでした。男らしさを定める行動規範があったんです。男は有言実行で責任をとり、愚痴を言わず、弱いものいじめをしない。むしろ、いじめっ子から弱い人たちを守るのが男でした。

だから、ポリティカル・コレクトネスに辟易している人たちでも、まさか金持ちのボンボン的な──愚痴とウソばかりで、責任なんて絶対とらない人間──をヒーローとみなすようになるとは思いませんでした」

……うん(涙)。
群衆に向かって「議会へ向かおう!」と焚きつけながら自分はホワイトハウスに隠れてテレビを見ていて、議事堂から議員が「なんとかしてくれ」と電話をかけても一切出なかったという、「親分」。自分の言動に責任をとったことが4年間一度もなかった。テレビに出れば自己憐憫と愚痴ばかり。

ほんとうに、日本でトランプを礼賛している人たちが「親分」の品性を正確に評価できず、崇拝していることが一番の謎です。言葉の壁の問題だけなのかな。



さらにオバマの言葉。

「私には変わらない信念があります。それは人類がもっと優しくなれる。もっとフェアになれる。もっと合理的になれる。もっと寛容になれるという信念です。そうなるのは必然ではありません。歴史は直線で動きません。でも、善意の人がそれなりの数集まり、このような価値観のために行動する覚悟さえあれば、物事は良い方向に変わっていくのです」


うう…(号泣)。炭治郎……。

こういう言葉で語れる人が大統領であった時代もあったのに。つい数年前に。 もう遠い昔になってしまいました。



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2021/01/06

ダメ男と救われない男と



うちのお皿じゃありません。ボストン美術館で見た素敵なお皿。

なんとなくお正月っぽく、めでたい気がして載せてみた。どこの国のお皿かも忘れてしまいました。

ジョージア州で上院の2議席をめぐって追加選挙がありただいま開票中。がんばれジョージア。

例の「1万1780票見つけてちょうだい」と1時間にわたってトランプさんがジョージア州州務長官にネゴシエートしつづけた通話の件、BBCジャパンのこの記事が、いままでで一番、トランプさんの口調を正確に翻訳していると思いました。

 「ものすごく違法なんだから」………(´・ω・`)。


さてただいまHULUで『鬼滅の刃』を消化中。アメリカではNetflix配信じゃなくてHULUなんですよ。なので1か月無料お試し期間中でぜんぶ見てしまおうというせこい戦略。


しかしほんとうは『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』も気になっているのだ。

暮れにはいろいろ映画を観ました。

 


 

アダム・サンドラーが史上最悪のダメ男を演じる『Uncut Gem(アンカット・ダイヤモンド)』(2019)。

ほんとうにひどい話で、人間のわけわからないパワーに圧倒される。面白かったけど、ぐえええ、となる。こういう人実際にあちこちにいるのだろうな。ぞわぞわする。

でもこれダイヤモンドの話じゃないんだけど、どうして邦題はダイヤモンドなんだ。



ケネス・ロナーガン監督の『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2016)。これはもうほんとうに辛気臭い悲しい話で、ずどんときました。淡々とした語り口と、地味だけれど緻密な画面と。しみじみ沁みる、とても良い映画だった。男はつらいねー。

青年はボストンにいたときに友人たちとこの町に遊びにいったことがあり、「クリーピー(薄気味悪い)な町だった」と言ってました。

水べには豪邸が立ち並ぶ端正で静かな港町なのですが、住民のほとんど全員が白人で、よそものを受け入れない偏屈で特権的な(そしてその自覚がまったくない)コミュニティを感じたようです。外部のマイノリティから見るとクリーピーな、そんな小さな町の話。

救われない主人公についてNOTEにポストしたので、お暇でしたらご笑覧くださいませ。

ネタバレ全開なので、観た人限定です。観てねこの映画。


『The Last Black Man in San Francisco(ラスト・ブラックマン・イン・サンフランシスコ)』(2019)。うーん、とても詩的なんだけど、ちょっと繊細すぎてついていけないところもあった。切ない話。

 

 

 

『One Flew Over the Cockoo's Nest(カッコーの巣の上で)』(1975)。何十年かぶりに観て、ジャック・ニコルソンやっぱすげえと思い、反抗すべき権威を代理しているのが看護婦の「母性」であるところにびっくり。うーんそうだったのか。60年代初頭を舞台にした70年代なかばの映画。女性の描かれ方がこんなだったとは全然覚えていなかった。
なるほどー。

10代のころ、三鷹か高田馬場か下高井戸の3本立て映画館のどこかで観たときには、単純にマクマーフィーの心情にぴったり寄り添って(たつもりで)感動したのだけどなー。

青年は、なにかの映画で「マクマーフィーされちゃう」というセリフが気になっていたのだけど、やっとどういう意味だかわかった、と言ってました。




『Memento(メメント)』(2000)。なぜか観てなかった。ストーリーテリングがとても面白かった。でもクリストファー・ノーランの世界観にはあまり共感できない。

 




 『Ma Rainer's Black Bottom(マ・レイニーのブラックボトム)』(2020)。
戯曲の映画化。
これが遺作となったチャドウィック・ボーズマンと、正真正銘(淡谷のり子じゃなくて)ブルーズの女王を演じるヴィオラ・デイヴィスがとにかくすごいです。ど迫力。

濃い、というのはこのこと。

舞台劇をもとにしているのでほとんどが室内の場面なのに、1920年代のシカゴと南部が迫力たっぷりに描写されていました。必見。



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2020/12/31

今年と来年の抱負とグレート・ギャツビー


いくら2020年とはいえ、蟹インフェルノで1年をしめくくるのはいかがなものかと思いましたので、 抱負のことでもおはなしいたしましょう。

今年の抱負は、「罪悪感なしに生きる」ということでした。

これはだいたい、8割くらいは実現できたかな。

2021年の抱負はいくつかあります。攻撃性を手放す。動機をたしかめる。世界を信頼する。

この3つにくわえて、正直でいる。ということは死ぬまで常に実現しつづけたい抱負です。

 


こないだ村上春樹訳のフィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』を読みました。
前に読んだ気もするけど例によってまったく覚えてやしませんでした。

で、きょう、ごはんを食べながら1974年版の映画『華麗なるギャツビー』を観ましたが、すごくよかった。

最初はディカプリオがギャツビーをやってる2013年版を観ようとおもっていたのだけど、YouTubeで予告編を観て、うーんこれはちょっと思ってたのとちがう、と感じ、検索しているあいだに1974年版というのがあることを思い出し(未見でした)…。

1974年版のは、脚本がフランシス・フォード・コッポラなのですね。

 


VOGUEより。スーツのデザインはラルフ・ローレンなんだって)

 

舞台も、豪邸も、パーティーの様子も、音楽も、登場人物の服装も、話し方も仕草も描き方も、小説を読みながら想像したとおりという、めずらしい映画でありました。

たいてい原作のある映画って「そこは違う」と思うことがあるものだけど、この作品に関しては、まじでまったくなかった。というよりもむしろある意味、作品世界をより精細に見せてくれた、すごい映画だと思いました。
そうは思わない人もいるでしょうけれど。

小説の筋書きや人物像が、映画を観ながらさらにくっきりと理解できるというか、体験できて、理解が深まった気がしています。

ニック、ギャツビー、トム・ブキャナン、デイジー、ジョーダン、そして修理工のウィルソンとその愚かな妻。この人物たちがほんとによかったー! 原作のイメージそのまんま。

 

 


 

特にギャツビー役のロバート・レッドフォードと、デイジー役のミア・ファローが輝いてました。ミア・ファローの存在をすっかり忘れていた。この人の顔、すごく好き。

無邪気で美しくて強烈に魅力的で、繊細でイノセントで知性も高いのに、結局は富がもたらす快適さだけを頼りに生きてしまう富裕層の娘、デイジー。

最下層に近い層の出身で、強烈な意思と魅力で社会の階段を強引にのぼり、少年のような素朴さで金持ちの娘デイジーを崇拝するギャツビー。(テレビシリーズの『マッドメン』の主役ドン・ドレイパーは、ギャツビーが下敷きになってるのかもしれない、とふと思った)

デイジーやその夫で超利己的で自分のひどさを顧みないトム・ブキャナンのような人たちは、2020年にもたくさんいすぎる。

 終わりの歌もほんとにひどくて最高です。

「金持ちはますます金持ちになるし、貧乏人はそのまんま。でもいまは楽しいことしよう」みたいな歌詞で。1920年代と2020年があまりにも似ていることに戦慄します。

21世紀に1930年代が再来しませんように〜〜〜〜!!!!

2021年が、ニックのような真摯で優しいひとたちをたくさん生む、良い年でありますように。

 

 

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2020/12/29

ドロヘドロ愛。


 これはかなり前にバラードのダウンタウンで見た壁画。

まじでもう年末なんですか。

「ちょっと正月を延ばしてもらいたい」とCTちゃんに言ったら、

「あなた2020年が延長になるってことでいいんですか。延長料金高くつきますぜ」

と言われました。延長料金払ってまで延長するのは嫌だ。


 

ドロヘドロの話でもしましょう。

ここ数年、日本から出てくる新作アニメがつまらないなーと思ってたのだけど、Netflixでたまたま見つけた『ドロヘドロ』が、めっちゃ面白かった。



久々にオリジナリティのあるアニメが見られた感があって嬉しい。ほんとに最近の日本のアニメって、なんだろう、味のない金太郎飴みたいなの。

『ドロヘドロ』はそのなかで元気に異彩をはなっていて。なんなんだろうこの作品は、とぐぐってみたら、2000年から18年間連載されていたマンガが原作でした。
かなりコアなファンがたくさんいて、愛されている作品のようです。わかる。

原作は23巻まである。


アニメは12話でいまのところ終わっているので、続きが待たれる。いますぐ見たい。
ドロヘドロ・ロスがしばらく続いてます。

うっかりKindleで全巻買ってしまいそうな自分を必死におさえているところ。

じつはブラックフライデーセールで1〜5巻まで買ってしまったのだった。

原作の絵はちょっと大友克洋っぽいタッチでもあり、いろんな画材を使っているらしくて、世界のかきこみがおもしろい。

うううう、全部読みたい………。ニカイドウはどうなってしまうのだろう。カイマンは。

 



地獄のように荒みきったディストピアで、異次元の国から魔法使いたちが時々あらわれては人間を実験台にして改造してしまうという夢も希望もない設定で、魔法使いと人間の主人公たちはそれぞれいっさいの躊躇なく殺し合う殺伐としたはなしなのに、キャラクターがそれぞれ中学生のように純情でかわいい不思議。

グロい場面を思いきり描きながら、登場人物に嗜虐的なひとがほぼ皆無で、なんだかみんな自分の行いから乖離している。

どんな人が描いてるんだろうと思ったら、原作者の林田球さんという方はなんと、上野の芸大油絵科卒業の女性だそうです。へえええー。

内臓がベロリと出てしまったり首がちょんぎられたりするグロテスクな場面が多いけれど、なんだか不思議に超越していて、おもしろいですよー。

カイマンかわいいよー。クールなシン先輩も。



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2020/11/26

圧倒的に強い女と魔女


Netflixの『The Queens Gambit』(クイーンズ・ギャンビット)面白かった!最高でした。

『マーベラス・ミセス・メイゼル』とおなじく1950年代から60年代の話だけれど、こちらのほうが画面もしっとりしてて、映画っぽい。とても綺麗で空気感のある映像でした。





子役もいいけど、アニャ・ティラー=ジョイ。
この人の眼ぢからをここまで活かせるドラマはなかなかほかにないかも。

恵まれない孤児の境遇で、母の死などのトラウマを抱え、向精神薬やアルコールに依存する天才チェスプレイヤーのお話ですが、そう聞いて想像するような湿っぽさがほとんどない。

 



画面はしっとりしてるのですが、話の運びはまったくドライできびきびしていて、前向きで小気味よいです。

話がしめっぽくならないのは、主人公のベスが、アスペルガー?と思うくらいに感情をあらわにせず、動じず、人の目を気にしない意思の強い人だからでもあり、登場人物の心理がわかりやすいけれどとても抑えた表現で描かれているからでもあり。

ほんとに、これのすぐ前に見た『ミセス・メイゼル』はコメディだけど、共通点がいっぱいある。どちらも、1950年代〜60年代という、まだガチガチにしゃちこばった白人男性優位の価値観が全く揺らがなかった時代に、スタンダップコメディやチェスという女性の存在をほとんど認めていない世界に若くてきれいな女性の主人公が斬り込み、圧倒的な実力で居場所を獲得していく話。

どっちの主人公も挫折してもぐずぐず泣き言をいったりしないし、人間関係をおいてけぼりにしてまでも自分のやりたいことに突っ込んでいく。

でも2人ともオシャレでガーリーで、服や髪型が毎回すごくかわいい。まったく肩肘はらず、いばらず自信をもってカワイイを楽しんでいるのも素敵で、新しいヒロイン像だなあと思いました。

アニャ・ティラー=ジョイちゃんは96年生まれ、うちの息子より1歳下の24歳。
少女マンガのような顔だと思いませんか。

この人はなんといっても、2015年の『The Witch』(ウィッチ)が印象的だった。



アメリカ独立前の東海岸、ニューイングランドの村を追放されて森のほとりに住む家族の話。

お父さんは敬虔なキリスト教徒だけれど、頑固もの。信仰も頑固がすぎて村を出ることになる。

人に頼れないプライドの高さにくわえ、狩りなどの実用的な仕事が得意ではないので、家族はだんだん困ったことになっていく。お母さんはイギリスが恋しくて、人里離れた森に住むのは不本意で幸せではない。赤ん坊がいなくなった日から次々に不気味なことが起こりはじめて、両親も幼い妹と弟も長女のトマシンが魔女ではないかと疑いはじめる、という話。

わたしはホラー映画にはあまり興味がないのだけど、これはとても面白かったです。

ピューリタンの信仰にからみつく罪の意識と恐怖が、説得力抜群に描かれていました。

会話はすべて17世紀の英語で、聞き取るのがすごく大変だった。ていうか正直あまり聞き取れなくて字幕が頼りでした。ふだんから家でドラマや映画を観るときはクローズドキャプションの英語字幕を出しっぱなしにしてます。



全体に画面全体が陰鬱で、森も暗いし登場人物も暗い。 アニャちゃんの演じる長女トマシンだけがみずみずしく輝くように描かれているのだけど、魔女への恐怖が育ちはじめると家族がどんどん疑心暗鬼で崩壊していく。

出てくる魔女(こわいよ!!)のエピソードはすべて、当時のニューイングランドで採集された「目撃談」や噂話にもとづいているそうです。まじこわいよ!

サンクスギビングにぴったりの映画かどうかはわかりませんが……サンクスギビング発祥の地ニューイングランドを舞台に、恐怖とはなにかを解剖してみせてくれるような映画です。

 きょうのシアトルは、ちょうどこんな感じの暗くてしっとりした雨。

 

たのしいサンクスギビングを〜。

 

 

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2020/11/15

マーベラスなガールズトーク



ある日のひじきごはん。ひじきも素晴らしい。

ワシントン州はどうやらまたロックダウンに戻りそうです。寒くなってきて感染者が増えているし、ホリデーでたくさんの人が集まったり移動して感染が広がらないように、大きなクギをさしておかなければってことなのでしょう。

旅行から戻って以来、散歩以外ほとんど外に出てないし、うちにはほとんど影響がないけれど。
接客業にあまり大きな打撃にならないとよいのですが。




ここのところ、Amazonオリジナルのコメディ番組『Marvelous Mrs.Maisel(マーベラス・ミセス・メイゼル)』 に、はまってました。

選挙の日もその後の数日間も、うちはニュースを見ないでこのコメディを見てたのでした。

この番組がなかったら、選挙後の数日はきっと、もっとずっと辛かった…。これがあったから乗り切れた。


なんだか久しぶりにほっこり笑えるドラマを見た気がする。最近自分に足りなかったジャンル。


 



この3週間あまり、毎日晩ごはんを食べながら大切に1話ずつ観ていたのが、シーズン3を見終わってしまって、今、かなりのロスに見舞われています。


主人公たちは次々に色々な災難に次々見舞われるのだけど、全体にトーンがとっても明るくてドライで、可愛い。

舞台は1950年代後半のニューヨーク。主人公はアッパーウェストの高級アパートに住む裕福なユダヤ人家族の娘、ミッジ(ミリアム)。専業主婦で2児の母であり、何不自由ない幸せな生活を送っていたのに、突然夫が浮気をしたうえ家出したことがきっかけで、なぜかスタンダップコメディの道を歩みだす、というお話。

このミリアムという主人公のキャラクターがとても面白くて。

何不自由ない環境に生まれて、容姿端麗で才気煥発、常に完璧なプロポーションに気を配り、家事も社交も完璧で、弁が立ち、機転が利き、まわりの人の心を瞬時につかんで物事をスムーズに進められる、つまりなんでもできちゃう人。

これが少しの嫌味もない、素直で正直な主人公として描かれている、無理なく。

ミリアムちゃんがあまりにも何でもできすぎるので、夫のジョエルは自分の男としての沽券がぐらついてしまい、発作的に彼女のもとを去り、それがミリアムのコメディエンヌとしての道をひらくことになる。

ミリアムは、自分がいかに恵まれた境遇に生きているかに、ほとんど注意を払わない。そういう意味では傲慢ともいえる。でもこのキャラクターが嫌味でないのは、常に前向きで明るく、へこたれず愚痴もいわず、面倒なベタベタした感情にとらわれず、目の前のことに全力で集中して自分の意思で生きているから。



あと、50年代〜60年代の洋服やキッチン用品やインテリアがめっちゃカワイイです。

ミリアムちゃんは高級アパートメントの一室に6畳間くらいの衣装部屋をママと共有しているので、毎回違う素敵お衣装で登場。特に、鮮やかな色のAラインのコートは超かわいい。




1950年代、女性にも男性にもまだ確固とした役割が振られていた時代に、美しくパリッとして折り目正しい女子としての審美的価値をキープしたままで、コメディという無法地帯に切り込み、カチカチの常識にゆるやかに挑んでいくファンタジーです。実際にはありえなかっただろうけれど、こういうあり方はかっこいいなあ、と思わせる。

妊娠や出産について喋りはじめたとたんに、ミリアムちゃんが舞台から引きずり降ろされる場面がある。男性の局部について笑い話にするのは許されても、女性の生理や妊娠については公の場で語るのはNGというのが常識だったから。…というような、当時のアメリカ社会がいかにヘテロ白人男性の「良識」でコチコチだったかの描写や、マッカーシズムの影響なども、ちょろちょろと軽いジャブを出すように描かれています。

伝説のコメディアン、レニー・ブルースも、ミリアムちゃんのメンター的存在として登場します。
 

どうにもカチカチの固定観念でかたまった50年代〜60年代に、政治的にはまったくナイーブな女子が、ガールズトークと正直な観察とウィットでもって観客を笑わせて自分のものにしていくという、楽しいカタルシスが毎回適度に用意されていて。

ニューヨークの女子コメディというと『セックス・アンド・ザ・シティ』がどうしても浮かびます。わたしはあのシリーズ、リアルタイムでは見てなくて、去年コンプリートしたのだけど、最後のほうになってかなり食傷してきて、特にパリが舞台の最終回は、はぁぁああ?と、かなり頭に来ました。

少し前になにかでSATCの話になって、白金マダムMちゃんに「どのキャラが好き?」と聞かれて答えに詰まってしまったんだけど、考えたら仲良し4人組の誰もあんまり好きじゃない。

マンハッタンに住んで好きな暮らしができるほどキャリアに恵まれていながら、どうしてこの4人のWASP女性は毎回恋愛や結婚やゴシップにばかりエネルギーを注がなければならないんだろう?なんでお互いによりかかり合うんだろう?どうして「本当の愛」とやらを探してウロウロしているんだろう?と、だんだんイライラしてきたのです。そして、最終回で、キャリアを捨ててまで「本当の愛」をはぐくもうと思ってパリについてきたのに、あなたはわたしのことをまともに愛してくれないじゃないの、とくってかかる主人公キャリーにはまじで腹が立ちました。自分だって自分のことしか考えてないじゃないよ!自分の仕事を大切にしなかったのは自分じゃないんですかー?

ミリアムちゃんは、SATCの主人公とは真逆で、自分が恋人よりもコメディエンヌのキャリアを瞬殺で選んでしまったことに自分でびっくりしつつ、イケメンで長身で自分にぞっこんの外科医という理想の相手をさくっと置いて、ツアーに出てしまう。前のめりだけれど、視線が自分軸なところがとても好き。だから人を傷つけてしまい、その結果をいつも頭から浴びて、ひるんでも悪びれないし、負けないし文句もいわない。

頭のてっぺんから爪先までガーリーでありつつ、腹がすわってるキャラって、肩の力が抜けてていいなと思います。

そして、富裕なニューヨークのユダヤ人家庭のデフォルメされたユダヤ人ギャグも、よくわからないなりに面白いです。



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2020/10/14

秋のカオスと追憶、廃疾の王

 

またジェニファーちゃんが届けてくれたお庭の花に、にゃを子さんのお庭からひと枝いただいた紫式部も挿して、カオスのような秋の花束。

この写真だとほんとにぐちゃっと見えちゃいますけど、ほんとうはもっと渋く大人っぽい色合いです。



可愛い小菊の深い紅と、色づいたOak Leaf Hydrangea(カシワバアジサイ)、深い紫のアジサイ。

春や夏の花だったら暑苦しく感じてしまいそうな複雑な色の取り合わせが、かなり気に入っています。


こちらもジェニファーちゃんズガーデンからの、巨大ダリア第2弾。


こちらは先週マーケットで買ったダリアですが、腐っても鯛、枯れてもダリアというか。

茶色く枯れた部分が陽に当たるとゴールデンにも見えて、朽ちていく帝国のような趣きで、先日観た『ルートヴィヒ 神々の黄昏』をほうふつとさせました。

なぜこの映画が観たかったのかもう思い出せないのだけど、わざわざスケアクロウ・ビデオでDVDを借りて来て観たのでした。

Netflixの『The Kominsky Method(コミンスキー・メソッド)』でバーブラ・ストライザンドの『追憶』のテーマがでてきたので、『追憶』(原題は『The Way We Were』)を観たくなって借りに行き、ついでにもう1本と選んで借りてきたのが『ルードヴィヒ』。

 この春なぜかヴィスコンティ監督の映画が観たくなったのでしたが、もうその理由が思い出せない。『ベニスに死す』だけ観て、そのあと心にひっかかっていた。あれも疫病の町でミッドライフ・クライシスの作曲家がゆっくり死んでいくという、辛気臭い映画でした。

偶然で驚いたのだけど、『ルードヴィヒ』は1972年、『追憶』は1973年公開のほぼ同い年映画でした。


日本公開時のポスター。
「すべてがたいせつに思えた 愛でさえも」って、えっ?今では愛はたいせつじゃないんすか?
コピーの意味がわからない。

この2本、きっと10代のころ名画座で観たはずだと思うのだけど、きれいさっぱり記憶から消え、何一つ思い出せませんでした。観なかったのか。まあ10代のわたしが観ても何一つ理解できなかったであろうことは間違いないです。

あのころは、すべてがたいせつに…じゃなくて、なんかちょっとオシャレで文化的で頭よさそうな映画を観るだけで満足したつもりになってたんですね。今思うと、いじらしいほど頭悪い。かわいいものです。

『追憶』は心温まるラブストーリー的な映画だと思っていたけど、意外にこれまた辛気臭い話だった。舞台は第二次世界大戦中、そしてそのすぐ後。
アメリカは大戦中もこんなのんびりした生活を送ってたのね、と思うと切ない。



オリジナルのポスターはモノクロ(映画はカラー)。この赤いフォントのかっちょいいこと。
コピーもものすごくストレートですね。

DVDのボーナス・トラックにカットされた場面が入っていて、びっくりしました。特に重要で、映画のコアじゃないのかと思える2つの場面がなぜカットされてしまったのか。この映画の中心ではないのか。政治的意図はなくて、その場面をカットしたほうが試写会の一般観客の反応がよかったからという話だけど、ほんとかな。不思議すぎる。

カットされていたうちの一つは、活動家の主人公ケイティが、演説している若い女子学生を見て、自分の学生時代を思い、涙する場面。もう一つは、赤狩りの中、彼女が密告されたことが明らかになる会話の場面。この場面がなかったために映画の後半のストーリーがぼやけてしまってようわからんかったですよ。

若きロバート・レッドフォードは、やっぱりブラピによく似てる。逆か。


そして、約4時間の『ルードヴィヒ』。長いよ!公開時は3時間5分の「短縮版」だったそうですが。それにしても長い。

2夜に分けて鑑賞させていただきましたが、ぐったり疲れました。


豪華絢爛な衣装やお城や俳優さん&女優さんは、たしかに見応えありました。ヨーロッパの19世紀貴族階級の富の迫力といったら、ちょっと比較になるものがないですね。

愛したワーグナーにいいようにお金をせびられ、ワーグナーを追放したあとは婚約も破棄してつぎつぎに豪華絢爛すぎる城を建てまくる。人間としては気の毒ですが、国にとってはたいへん迷惑な王だった。しかし、19世紀の貴族社会が帝国主義といっしょに激しく沈没していく、激動の時代の豪華な黄昏の象徴としてこれほどぴったりな顔もないかもしれませんね。

狂王ルードヴィッヒ役のヘルムート・バーガーはたしかにキレキレの美しさです。
だんだんと自分の世界にこもってしまい、崩壊してゆく凄惨な姿もすごかった。

でもヴィスコンティの美学そのものは、あまりピンと来なかったです。重厚さがあまりにも強調されすぎていて、とにかく最初から最後まで重いー。4時間びっしり重い。

1973年当時になにか斬新な表現だったものがあるのなら、それは一体何なんだろうか。

そしてこの映画、わたしは当然ドイツ語だろうとばかり思い込んでいたので、中欧の貴族がイタリア語でしゃべるのに度肝を抜かれました。それはたとえば韓国ドラマをハワイ語の吹き替えで見るようなもの。ちょっと違うか。

いずれにしても、どちらの言語もまるでわかりはしないのですが。でも、「音」として聴いていて、ドイツ語の音律やリズムとイタリア語の音律やリズムは全然違うので、セリフの雰囲気がドラマと背景にそぐわない。

まあそんなことを言ったら、アメリカの映画はどこの国の話でも基本、英語ですが。

2本とも、それぞれの映画が描いた時代よりも、むしろ1972〜73年頃の世界をよく映し出してるんだな、と思いました。

 

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2020/10/04

タコの先生がすごすぎて絶句


先週につづき、ユニバーシティ・ディストリクトのファーマーズマーケットに行ってきました。

またまた超大輪のダリヤ。いま、マーケットの花屋さんに並んでいるのは8割がたダリヤ。
あとはヒマワリ、百合。アメリカンサイズですねー。

火焔のようなダリヤ。このクリーミーなオレンジ色が大好きです。



 今回は取り置きしておいていただいて、タキさんのお店でおいしいピッカピカのオクラ、モロヘイヤ、みょうが、ほくほくカボチャなどを買えました。ああ、ありがたい。こんなにおいしい野菜を作って、遠くまで売りにきてくださってありがとう。

 オクラはさっとゆがいてみょうがとかつぶし、レモン醤油で。最強!!

 


 
Netflixのドキュメンタリー『My Octopus Teacher』を見ました。

…と書いていたら、波のり翻訳者えりぴょんから「これ見て」とLINEが入った。またまたシンクロ来てる。みたよみたよー!

ミッドライフクライシスを迎えたドキュメンタリー作家が、南アフリカのケープタウンにある自宅のすぐそばの海(素晴らしい景色にかこまれた、素敵なおうちにお住まいのようです)に毎日潜っていき、ある一匹のタコに出会い、タコとの親交を深め、タコとその世界…習性や身体構造や知能や天敵や捕食行動などを深く知るようになり、タコとの絆を深めていくというお話です。

これがめっちゃくちゃ面白く、ごはんを食べつつ親子で1時間半、くぎづけでした。

ジャイアントケルプの森の中の映像も素晴らしいし、まじでおすすめです。

 


観た翌日も、家庭内でタコについてのディスカッションが止まりませんでした。

青年は、好きなように(なのかどうかは知りようがないけれど)身体の色ばかりか形状までも瞬時に変えられるタコの皮膚の構造について、デザイナーとしてたいへん興味を惹かれているようです。

タコってあんなに色がいろいろ変わるんだ!

茹でると赤くなるのしか知らなかったけど、ほんとに変幻自在で、ツノまで生えてくるんですね!

頭の形を簡単に変えられるなんて!赤くなったり黄色くなったり白黒水玉模様になったり。

そして、足(触手)がなくなると、ほんとに新しいのが生えてくるんだ!

 


そして、このドキュメンタリー中では触れられていないけれど、タコには「9つの脳がある」のです!

タコの脳は、8本の足にそれぞれ、独立した判断力のある「脳」というべき機能がある「分散型」の脳なのだそうです。

だからむしろ「脳が9つある」のではなく、「脳が9つに分散されている」ということですね。

本体の脳はこの分散脳システム全体の質量の10パーセントしかなくて、触手にある脳が合計60パーセントを占めるんだそうです。


そして、各触手には約200個の吸盤があって、これがお互いに瞬時に情報をやりとりしているらしい。

タコの神経系を研究しているワシントン大学の心理学の先生が、あたらしいホッケーチームの名前「クラーケン」(巨大タコ的な海の怪物)がなぜホッケーチームにふさわしいかについて解説してる動画をみつけました。


クラーケン

ワシントン大学にはタコ研究者が多いのか(ピュージェット湾にはタコがいっぱいいるので研究対象にしやすいのかも)、宇宙生物学(そんな学問分野があるなんて知らなかった)の研究をしている院生が、タコの神経系統での判断がどのように行われるのかのコンピュータモデルを作って発表している動画もありました。

「how sensory information is being integrated in this network while the animal is making complicated decisions(タコが複雑な判断を下しているときに、感覚器官からの情報がこの(神経の)ネットワークにどのように統合されているのか)」について、新しい知見をもたらす研究だそうです。研究の中身はまったくわからん。でもどう統合されてるのかめっちゃ興味しんしん。

脳が腕とか足とかにあって、瞬時に判断を下してるって、いったいどんな心持ちなんでしょうか!しかも8本がそれぞれ独立してるって。

しかし、これだけフレキシブルな身体構造だと、逆に脳が中央にしかなかったらどの触手をうごかしていいのか迷っちゃったりこんがらかったりするのかも??

そして、タコが身体の色を変えるのはタコの「判断」なのか、触手が決める判断なのか、その時タコの意識のなかでどんなことが起こっているのか。

タコにも人の感情に似たものがあるとすれば、身体の色が変わるとき、なにを感じているのか。

ドキュメンタリーでは、タコの好奇心と知性がフォーカスされていました。


毎日通ってくる人間にだんだん慣れてきて、触手をのばして人間の手に触ってみたり、ついにはまるで猫のように人間の腕に抱かれるようになったり。たしかに好奇心旺盛、というほかない。

UWの研究でも、タコの好奇心と知性が確認されてるそうです。

さらには、魚の群れで遊んでいるとしか思えないような行動もとらえられています。


この映画を観ていると、タコがかわいくみえてしょうがない。このドキュメンタリー作家さんに近寄り、触手を伸ばして手にさわったり、おとなしく腕に抱かれているようすは、猫みたい。




このドキュメンタリー作家さんは当然ながらこのタコとのあいだに深い精神的な絆を感じるわけだし、観ているわたしたちもそれに共感して涙を流してしまうのですが、タコのほうで人をどう思っているのかは永遠にわかりませんよね。

 犬猫は進化の途上で別れはしたものの、哺乳類というおおきなくくりでは同じで、脳の構造からしても、情動やその前身になる感覚がわたしたちとそれほど大きな隔たりはないだろう(人より純粋に感覚や情動を経験しているかも)と思われますが、頭足類は脳の構造、使い方、司令系統からしてまったく違う。

それでも行動を観察していると、好奇心と記憶が発達した、高い知能を持った存在だと確信するしかない。まさにエイリアン。

昔からSFでタコ型のエイリアンが何度も描かれてきたのは、いわれのないことではなかったんですねーーー。



タコ先生を観たら、こちらもぜひ。「タコの脳はどうしてそんなにすごいの?」TEDトーク。

しばらくタコ刺しが食べられなくなりそうです…。

 


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