Netflixでさいきん観た映画『メランコリア』(2011)。
とても美しい、奇妙な映画だった。
映画の最初の8分間(この動画↑↑)に、終末がすべて描かれているのでネタバレもなにも。(このイントロ部分が最も美しくて、見とれる)。
宇宙をふらふらとさまよう巨大惑星が突然地球の近くにやってくる。
前半は主人公のひとりジャスティーン(キルスティン・ダンスト)の結婚式。美しく聡明で強靭な精神をもった彼女は、自分の役割を演じることができなくて、崩壊していく。
空に破滅の星が近づいているのを、彼女は知っている。
後半はその姉クレア(シャルロット・ゲンズブール)の物語。あの惑星メランコリアは一旦地球に近づいてまた去っていくんだ、と確信していた夫(キーファー・サザーランド)は、その計算が裏切られたことを知ると絶望に耐えられずにあっさり自死してしまう。
幼い息子と残されたクレアは、なすすべもなくだんだんと近づいてくるメランコリアを眺める。逃げる場所はない。
悲愴で美しい音楽はワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』序曲。ゆっくりと接近する巨大な青い滅びの惑星が、東の空から姿をあらわす。なんと美しい世界の終わり。
10代から20代の時に観たら、きっともう死ぬほど好きな映画になったかもしれないと思う。
鬱の病をかかえる人には、この主人公ジャスティーンの、いまその場にいられない、自分が機能しない、自分をとりまく世界とつながれない焦燥と絶望は、共感できるものだと思う。
だけど(もうそこは通り過ぎてきた)と思うおばちゃんとしては、ちょっとこの壮大な悲劇はロマンチックすぎて居心地が悪い。ジャスティーンに、そうじゃないし、それでもいいし、と言ってあげたくなる。まあ大きなお世話なんだろうけれど。
でも今。大統領選挙が目前の数日間。
なんだか毎日、朝起きるとどんどん大きくなっている、接近する巨大な陰鬱惑星メランコリアを見ているみたいですよ。
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