2014/11/19

『三四郎』と『趣味の遺伝』の明治



この秋、『三四郎』『それから』『門』と、漱石の長編小説をたてつづけに再読してみました。

たしか10代か20代のときに読んでいるはずなのだけど、びっくりするほどなーんにも覚えていなかった。

20代のときにも確かに何かぼんやりとした感触の印象は残りはしたものの、はっきり覚えているのは「銀杏返し」という髪型といくつかの場面だけだった。(当時はインターネットでちゃっちゃと調べられる時代じゃなかったので、銀杏返しの画像を見て納得したのは結構後だった)。

結局耳かきでひっかくくらいの読み方しかしてなかったのでしょう。

今回あらためて読んでみたら、ものすごく面白かった。

『三四郎』『それから』『門』は三部作と言われていて、なるほど共通のテーマがあり、主人公は別人だけれども、そのテーマが変奏曲のように展開しています。

ドラマの中心に描かれているのは、三作とも恋愛の物語。
『三四郎』では初々しい恋だけれども『それから』『門』では不倫と略奪婚!

しかも友人の妻を横取りしてしまうという、センセーショナルな題材です。

でも、今回読んでみて、そのセンセーショナルな骨組みも、もしかしたら恋愛小説という形そのものも、漱石先生にとっては盛りたいものをいれる容れ物でしかなかったんじゃないか、と思いました。

もちろんそのドラマの渦中に翻弄される人びとの姿は抜群に面白いんだけど。

恋愛と略奪婚をテーマにした三部作に漱石先生が本当に盛りたかったキモは、簡単に言って「明治という社会の矛盾」だったんだと、今回読み通してみて感じました。

特に『それから』は、あれはもう全然恋愛小説なんかじゃなくて、明治に生まれた知識人の行く末を予告した、怖い小説だったんだと思う。

三部作のあちこちに、明治の社会に生きる人たちへの警鐘というか、告発に近い激しい批判が埋め込まれています。(でもこれを派手派手しい色で塗りたてず、ほとんど目につかないように背景に塗り込めているところがすごい。)

それから、近代社会の中で、社会の定めるオキテや一般的な考え方にあえて背を向けて生きる新しい「個人」の姿。

そして、宗教と「救い」に対する姿勢。

という3つが印象に深く残りました。

そうしてその後、漱石の講演筆記を集めた岩波文庫の『漱石文明論集』というのを読んでみたら、小説から感じた通りのことを漱石先生がもっとはっきり言ってました。

『三四郎』では、小説の冒頭から、この当時としては過激であったに違いない思想がさらりと表明されてます。

田舎出の三四郎は、初めて東京へ向かう列車の中で、のっけから「世間」を代表するような人びとに出会います。

急に誘ってくる謎の女、じいさん、そして後に「広田先生」として登場する「神主みたような」飄々とした男。

その謎の女と、隣席に乗り合わせた「背中にお灸の痕がたくさんあるじいさん」が話す場面。

<じいさんは蛸薬師も知らず、おもちゃにも興味がないと見えて、始めのうちはただはいはいと返事だけしていたが、旅順以後急に同情を催して、それは大いに気の毒だと言いだした。自分の子も戦争中兵隊にとられて、とうとうあっちで死んでしまった。いったい戦争はなんのためにするものだかわからない。あとで景気でもよくなればだが、だいじな子は殺される、物価は高くなる。こんなばかげたものはない。世のいい時分に出かせぎなどというものはなかった。みんな戦争のおかげだ。>

子どもを亡くした親の、率直な戦争批判。新聞連載の初回から、いきなりこれです。しかしこのじいさんの言葉を三四郎は聞き流すだけで、女のほうに気を取られている。

しかもその女に宿までついて来られてしまった三四郎の慌て加減が面白くて、読者も辛気臭いじいさんのことなんかはすっかり忘れてしまう。

そして数ページの後。浜松の駅に停車中、窓から西洋人のグループを見かけた後で、神主みたいなひげのある男(広田先生)が、西洋人は美しいですね、と三四郎に言う。

<「どうもお互いは哀れだなあ。こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでしょう。今に見えるからご覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。われわれがこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いも寄らなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。わるくすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。>

<「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「囚われちゃだめだ。いくら日本のためを思ったってひいきの引き倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。>

『三四郎』が朝日新聞に連載されたのは明治41年(1908年)。

日露戦争が終わってからまだ3年しか経っていない。日露戦争終結時の日本人がどのくらい熱狂的だったかは、たとえば勝利を祝う提灯行列の規模や、その後のポーツマス条約に激怒した群衆の暴動なんかの記事を読んだだけでも良くわかる。

日露戦争の勝利で日本中が狂ったように沸き返っていたときに、日本は「亡びるね」とさくっと言ってのける広田先生や、大事な子を殺されて「戦争はなんのためだったかわからない」と嘆くじいさんを、冒頭から登場させる。

そしてこの価値観はよくよく慎重に埋め込まれている。ものを知らない田舎もののじいさんや、まだ登場したばかりでどこの馬の骨ともわからない(名前もまだ出て来ていない) 通りすがりの謎の男の口から言わせることで、当時の読者の多くは「馬鹿げたことをいう通行人」くらいの印象で、スルーできたのだと思う。

三四郎の脳裏には

「日本は亡びるね」
「囚われちゃいけない。贔屓の引き倒しになるばかりだ」

という衝撃的な言葉が刻まれるけれども、その哲学を有する広田先生は、小説の中では社会的な地位を得ることのない一介の高等学校教師であり、その意見が世間を揺るがすことはない。

世間がなにか一つの色で染まっているときに、それと反対のことを口に出すのがどれだけ大変なことかは、2001年のテロの後のアメリカでさんざん見聞きしました。

あのときのアメリカ人たちの、「アメリカのあり方」に対して一切の批判を受け付けない態度、違う意見を口に出そうものなら、ほんとうに瞬時に、ミツバチの巣に迷い込んだスズメバチのように何百何千という露骨な悪意を一身に浴びることになる、何か化学的に変質してしまったような社会は本当に怖くてイヤだった。

日露戦争後の日本も、もちろん社会構造は現代アメリカとはものすごく違うけれども、それだけに、同じような圧力がきっともっともっと強い力で働いていたのに違いないと想像できる。
そして当時の日本では、昭和初期ほどまだ弾圧が激しくはなかったものの、完全な言論と思想の自由が保証されていたわけではなかった。

三四郎が言うように、そんなことを言ったら「すぐなぐられる。わるくすると国賊取り扱いにされる」場所のほうが、たぶん多かった。

その中で「日本は亡びる」と予言する広田先生を登場させる漱石の胆力と、それをエンターテイメントに紛れ込ませてしまう圧倒的な筆力には敬服せずにいられません。




 『三四郎』は、漱石自身が語るとおり、至極ストレートな小説です。

主人公が田舎出のまっさらなウブな青年で、都会で新しい思想や恋愛や人生を体験するというのがおおまかな筋であり、主人公がとにかく純粋であるので話がそれ以上こみ入りようがない。

読者は三四郎の純朴な目を通して明治の大都会と文明を体験し、新しい文明の中に生きる日本人に出会う。主人公がまっすぐな人間だから、読んでいてとても清々しい気持ちになれる。

特に年取ってから読んだら、もう三四郎がかわいくって仕方ない。
きっとそれは作者の漱石自身の、自分のもとに集まってくる文士青年たちへの温かく、かつ距離をおいた視線そのままなのだと思う。

故郷では秀才で、帝国大学生という身分を得て舞い上がっていた田舎出の三四郎は、大都会・東京の勢いに心のそこからびっくりし、自信を喪失する。

<今までの学問はこの驚きを予防する上において、売薬ほどの効能もなかった。……現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。>

大学生の三四郎は、猛スピードで変わりつつある社会と文明の勢いに目を白黒させながらも、その勢いを自分の未来に重ねて前向きに見ることができる。だから、この小説は明るい。

次の小説『それから』の主人公、代助は、30歳になっていて、社会に居場所を見つけられない。学問をきわめたために社会の矛盾を直視してしまって、その矛盾そのものを体現するような生き方をしている。
代助の悩みは三四郎よりもっとずっとずっと深く暗く、結局破滅に向かっているようです。

『門』の主人公宗介はそのまた数年後の姿。宗介はもう驀進する文明の機関車から降りてしまい、ひっそりと都会の片隅で生きていて、自分の罪だけに心を苛まれている。





日露戦争については、漱石先生は『趣味の遺伝』という短編で物凄くなまなましく描いてます。
青空文庫版はこちら

これは、戦争の凄まじさと、戦争による家族の喪失というきわめてヘビーな題材を、前世からの因縁がらみの恋愛話という耽美な話に落としこんでいる、奇妙な形の短編です。

ごっつい樫の木に優雅な牡丹かなにかが接ぎ木されているような感じの小説。

語り手(文士ではない学者、という設定)が、日露戦争が終わって旅順から引き上げ、凱旋してきた将軍(乃木将軍とおもわれる)を新橋の駅で大群衆に迎えられるのを見物し、その兵士の群れのなかに戦死したはずの自分の親友「浩さん」にそっくりな軍曹を見つける場面から始まります。

群衆のなかから出てきたちっちゃなおばあちゃんが、息子らしいその軍曹を見つけて駆け寄る。

<この時軍曹は紛失物が見当ったと云う風で上から婆さんを見下す。婆さんはやっと迷児を見つけたと云う体で下から軍曹を見上げる。やがて軍曹はあるき出す。婆さんもあるき出す。やはりぶらさがったままである。近辺に立つ見物人は万歳万歳と両人を囃したてる。婆さんは万歳などには毫も耳を借す景色はない。ぶら下 がったぎり軍曹の顔を下から見上げたまま吾が子に引き摺られて行く。>

戦争からかえってきた一人息子と再会する老母。泣ける場面だけれど、漱石先生は主人公である傍観者の目をとおして、飄々と、あくまでドライに書いている。

この軍曹の姿を戦死した友人に重ねて、息子を同じように迎えるはずだった老母の絶望的な悲しさが描かれます。

<親一人子一人の家族が半分欠けたら、瓢箪の中から折れたと同じよ うなものでしめ括りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母さんは今に浩一が帰って来たらばと、皺だらけの指を日夜に折り尽 してぶら下がる日を待ち焦がれたのである。そのぶら下がる当人は旗を持って思い切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至るまで上がって来ない。……白髪になろうと日に焼けようと帰りさえすればぶら下がるに差し支えはない。右の腕を繃帯で釣るして左の足が義足と変化しても帰りさえすれば構わん。構わんと云うのに浩さんは依然として坑から上がって来ない。これでも上がって来ないなら御母さんの方からあとを追いかけて坑の中へ飛び込むより仕方がない。>

そして漱石先生の筆は、何万人という兵士がネズミのように死んでいった、旅順の恐ろしい阿鼻叫喚の場面を描き、一人息子を亡くした母の暗い絶望を書いた後で、墓参りをする美しい女と、女が墓にたむける白い菊を登場させる。

戦地から帰って来た男たちの姿と血みどろの戦場から急に転調して、しっとりとした美しい和の風景が広がります。

そして話は急に、江戸時代の悲恋話に。

浩さんと、彼が出征する前に一度だけ郵便局で出会った美女が、実は祖父母の代に愛しあいながら結ばれなかった恋を現世に再現したカップルだということを語り手が発見し、浩さんの残された老母とそのお嬢さんが出会って、まるで嫁と姑のように仲睦まじくなるというところで物語はぷつんと終わる。

最初に読んだ時はなんだか腑に落ちない小説だなと思ったのだけど、 こうして『三四郎』やその前後の作品と並べてみると、漱石先生の実験魂がありありと見える。

連日新聞で報道され、日本がそれ一色になっていた日露戦争について、当時、日本人の誰一人として心動かされなかった人はいないはず。

アメリカが9.11テロの後、しばらくそれ一色だったように。または、地下鉄サリン事件のあと、日本の報道がオウム一色だったように、いやそれ以上に、寝ても覚めても日露戦争がみんなの頭にあったはず。

漱石先生は、戦勝気分に酔ってバンザイを叫ぶ群衆を見ながら、旅順の山で無残に死んでいった何万人もの若者たちと残された家族の個人の物語に、深く心を動かされている。

死んだ若者たちを無批判に集合的に「英霊」とか「軍神」なんて奉るようなことは、漱石先生にはきっと我慢ならなかったはずだと思う。

でも漱石は小説で国家批判を展開したいわけではなかったし、政治的小説やリアルなだけの「自然派」小説を書きたいわけでもなかった。

戦争による個人的な喪失の話を描くための文学的いれものを探した結果、恋愛奇譚に着地させるというウルトラ技に辿り着いたんだと思う。 

こんなにたくさんの若者を死なせて、かろうじて判定勝ちを得ただけで一等国気取りになって浮かれている場合か、という覚めた視点は、だから、『三四郎』冒頭の田舎者のじいさんや、世間的には認められない脇役の広田先生の口を借りてでてくるのであり、『趣味の遺伝』のドライな傍観者の目を通してちらりとのぞかせるだけにとどめている。

自分の仕事は日本人のためにちゃんとした文学作品を作ること、というのが、漱石先生の信念だった。

『趣味の遺伝』の構成は、でもやっぱりちょっと力まかせにねじったような感じがして、何を読んだのかよくわからない混乱した感じがのこる。
戦争の理不尽と、美しい女と、幻想的な奇譚のとりあわせ。さらっと読んだだけでは消化しきれない短編なのです。

でも思うけど、この話は、力のある映画監督が映像化したらすごく良い映画になるんじゃないかなという気がする。旅順の戦闘場面は『指輪物語』なみのCGで再現して。いかがでしょうか。




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