2010/10/09

辺境の小さな町

スノホミッシュのつづき。


スノホミッシュ( Snohomish )には、住宅街にも19世紀末から20世紀初頭の家が保存されている区域がある。

様式はまったくバラバラで、材料は細かい意匠の部分も木製がほとんど。洗練されているというより、どちらかというと奇抜なのが多いのだけど、絵本の家みたいで可愛い。
どの家も現役で人が住んでるので中の見学はできないけれど、外から眺めるだけでも楽しめる。


きっと町の創成期に当時の有力者たちがお隣に負けじと張りあっていろんな意匠を凝らしまくったのだろう。

町のサイトによると、19世紀なかば、町には最初、一番乗りの入植者のうちのひとりCadyさんの名前をとってCadyville という名前がつけられていたのだが、のちにそのあたり一帯にもとからいたネイティブ・アメリカンの部族の名をとってスノホミッシュと改名したとか。

Cady さん、あんまり人望がなかったのか…。単に最初に来たというだけの同胞の名よりも、(もう当時、すでに消え去りつつあって白人にとって脅威じゃなかった)土地のネイティブの伝統のほうが町の名にふさわしかったのだろう。北西部でも、ハワイや北米のほかのインディアンと同じように、白人と接触した部族は免疫のない病気にやられて人口が激減してしまった。今ではスノホミッシュ部族の生き残りはずっと北のほうの居留地に少し住んでいるだけで、町には皆無のようだ。

西の果ての辺境の町で、表通りに競って瀟洒な家を建てた町の有力者たちって、どんな生活をしてたんだろうか。


この変わった様式の家を建てたのは東部から家族を連れて移り住んだ木材業者。メイン州から家族を連れ、家財道具と一緒にホーン岬を回って移住した。まだパナマ運河の開通前ですね。
ワイルドウェストって感じではない静かな土地なのだが、世界のはてに来ちゃった気がしたかもしれない。奥さんも、こんな田舎(怒)とかひそかに思いながら東部から大切に運んできた家具調度を並べていたのかも。
何もなかったところに通りを作った家族たちには、ここは自分たちが作った町、という強力な自負があったことだろう。



住宅街にぽつんとある、営業時間の短い床屋さん。いつからあるものなのか不明だけど、例のグルグル回る看板が木でできてるの、はじめて見た。なんでも木で作っちゃった大工さんの伝統なのかもしれない。

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