2018/08/01
真夏の道で食べ散らかし放題
うひゃー、もう8月だ!
連日快晴のシアトルで30度Cに近付こうものなら「暑い」「溶けるー」とぬかす、ここのシアトル人たちをまとめて東京に送りつけてやりたい。
このごろ朝晩は15Cまで下がる。夜は寒いって。
でもさすがにおとといの昼間などは、もあーっと部屋中暑くなって、冷房入れようかなと思った。
(去年大家さんが古いパネルヒーターをエアコンに取り替えてくれたのでシアトルには珍しい冷房物件になった)。
でも東京の暑さを思い出して思い直し、代わりに扇風機をつけました。
もう草木も伸び切って、そろそろ秋の気配。
スーパーにもブルーベリーが山盛り。安くておいしいブルーベリーは、このへんに住むしあわせのひとつ。
近所の家の庭にヘーゼルナッツの木があって、その前をとおるとガサガサ食べかすが落ちてくる。見ると、枝のあいだにりすが3匹くらいいて、わき目もふらずに宴を繰り広げている。
道を歩けばあちこちにりんごとかプラムとかチェリーとかも食べ散らかされている夏のご近所なのだった。
Rのつく月じゃないけど牡蠣をごちそうになっちゃった。夏でもうまいす!
2018/07/31
あるアル中の話
Don't Worry, He Won't Get Far on Foot という映画を観てきました。
シアトルではUptown Cinemaその他で上映中。
監督は『グッド・ウィル・ハンティング』のガス・ヴァン・サント。
主演はホアキン・フェニックス。
泥酔して交通事故に遭い四肢麻痺になってもお酒をやめられなかったアル中男が、酒をやめ、アルコホーリクス・アノニマス(AA)のグループに出会って、マンガ家になるというおはなし。
めっちゃ地味な話やん!と思うでしょう。
わたしも観る前はちょっと退屈な映画を予期してたのだけど、これがぜんぜん退屈しなかった。
俳優さんがむちゃくちゃいい。
主演のホアキンもいいけど、ジャック・ブラックとジョナ・ヒルもすごいし、セリフを言わない人もめっちゃ説得力があるの、あれは一体なんなんでしょう。監督さんの力量なのか役者がみんなうますぎるのか。
アルコホーリクス・アノニマスは、カート・ヴォネガットがインタビューで
「これはとくにすぐれている、とお考えの宗教がありますか」と聞かれて
「アルコホーリクス・アノニマスです。この会は血縁関係にとても近い拡大家族を会員に与えてくれます。あらゆる会員が同じ破滅的な体験を持っているからです。」と答えていたのが強烈に印象的だった。
(「自己変革は可能か」プレイボーイ・インタビュー1973年7月、『ヴォネガット、大いに語る』飛田茂雄訳、サンリオ文庫)
ヴォネガットはつづけて
「そしてアルコホーリクス・アノニマスのすこぶるおもしろい特徴のひとつは、大酒飲みでない大勢の人が加入していることです。彼らがアル中患者のふりをするのは、社会的、精神的な恩恵がそれだけ大きいからです」
とも言っている。これを読んだ当時AAのことも全く知らなくて、何だそれ?と思ったのでよく覚えているんだけど、この映画はそれに対する、充分すぎる回答だった。
アルコホーリクス・アノニマスは日本にも組織があるようで、ウェブサイトに「12ステップ」の日本語版があった。
自分が無力であることを認め「意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心を」し、あやまちを認め、自分が傷つけた人に許しを求め、「祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求め」るというのが、その骨子。
委ねること、限界とあやまちを認めること、より良い価値を実践する力を求め続けること。
なるほど、と思った。
この映画が描いている、人を変革する力、人を不幸から救う力、というのは宗教の最善の部分だと思うし、ドグマに陥らず個人の救いになる宗教のかたちがあるならAAの実践しているこれがそうなのかもしれないとまったく本気で思う。
(アルコホーリクス・アノニマスは宗教を名乗ってるわけじゃありません、念のため!)
サンリオ文庫もなくなってしまった今、30年を経てやっとわかりました。
2018/07/30
蔵王堂とカエルたち
吉野の朝。5時ころに巫女M様に声をかけられてぱっちり目が覚めると外がこんなことになっていて、もう眠れる感じにならなかったので、そのまま支度をして早朝お散歩に。
いつもはよく寝るわたくしですが、旅先では貧乏症のため、わりと早起きになります。
宿の前には柴犬さんが。まだ道路が涼しいあいだに、ぺったりとおひるね。
宿は坂の上にあって、細い坂道を降りていくと、古い構えのお店が並ぶ門前町に出る。
瓦の庇の上に鍾馗さんがいた。この顔も格好も、完璧にデビルそのものだ。本人か。
もちろんまだお店はひとつもあいちゃいませんでしたが、気になる提灯があちこちの軒先に吊ってある。
蛙飛行事ってなんだ。
坂をどんどん下っていくと、金剛山寺の「蔵王堂」がバーン!と登場。
檜皮葺の屋根を持つ「東大寺に次ぐ規模の木造の建築」と前の日に宿の人が言っていたのを聞き流していて頭に入っていなかったのだけど、この山の中にほんとにここまで大きなお寺がぽんっと出てくると思ってなかったので、衝撃を受けた。
すごく立派な本堂。
でもやっぱり何度か火事で燃えて、これは16世紀に再建されたものだそうです。
本堂のなかは撮影禁止なので写真はありませんが、柱がみんな、一抱え以上ある大きな無垢の丸太であるところも山のお寺らしいワイルドさ。いままでに見たことのあるどんなお寺よりも、豪胆で率直な印象を受けました。
しかもツツジとか梨といった、ふつうこんなに巨大化しないだろうと思うような木もある不思議建築である。
ユネスコの世界遺産にも登録されてるんだそうです。
ここは役小角がひらいたといわれる独自の修験道の本山であって、高野山とも比叡山ともちがい、ご本尊は「蔵王権現」というここだけの独自の存在なのだった。
「権現」というだけに、神でもあり仏でもあり、神でもなく仏でもないという不思議に折衷的な存在。
役小角さんがが山の中で千日の修行を行ったのちに、この権現があらわれたと伝わっているそうです。
役小角さん。金剛山寺サイトよりお借りいたしました。
御本尊の蔵王権現は3体あって、年に一度くらいしか公開されていない。
今年は3月〜5月に公開されたそうで、残念ながら見られませんでした。
3体の蔵王権現が、釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩の化身として祀られているというのです。お寺のサイトに公開された写真がありました。
めっちゃ怒ってらっしゃいますけど、なんか親しみが持てるお顔である。
まだ拝観時間ではなかったので、外から見るだけで失礼しようと思っていると、法螺貝を抱えた若いイケメンお坊さんがやってきて、これから朝の行が始まるところなのでよかったらどうぞどうぞ♪と、とっても明るく爽やかに誘ってくださった。
うわーい!とありがたくお言葉に甘え、お坊さん(ほとんど若い人ばかりだった)8人くらいの迫力ある勤行を、本堂のどまんなかでM嬢と二人で聞かせていただくという、贅沢な目にあわせていただきました。
勤行の最後は、お経をとなえながら本堂の奥の像たち(如来や不動明王、聖徳太子もいた) を訪ねてまわる。これもお誘いいただいて、いちばん最後にくっついて回らせてもらう。最後に役小角像にご挨拶してシメでした。
若いお坊さんにいろいろお話お伺いして、もと来た坂を大汗かいて(すでに暑かった)上り、宿の露天風呂で朝日を浴びながら汗を流して、朝食の席へ。
そしてまだ8時。なんと贅沢。
ごはんを食べてチェックアウトして、そろそろお店があき始めた門前町をもう一度訪ねてみました。
(そして車の鍵をなくした)
どのおうちも歴史ある店構えでしみじみ素敵なのだけど、特に目をひきつけて離さないのがこのガマガエルが鎮座する「陀羅尼助丸」のお店。
これは黄檗などが主な材料とするお腹のくすりで、ガマガエルは原料にははいっていない。
リアルすぎるガマちゃんなのである。
カエル柄の暖簾も、味がある素敵デザイン。家にほしいかといえばほしくないが。
胃腸が弱いわたくしは、この陀羅尼助丸を買ってみました。まだ服用してみていません。
お店のおねえさんに「蛙飛行事」について聞いてみると、「カエルの格好をした人が神輿に乗って回る」という話。………?
探してみると動画があった。
蔵王堂で行われる、かなり盛大な行事なんですね。
ブログで詳細な写真とともに紹介している方もありました。
「蛙の姿に変えられた人間が、行者さんの法力によってまためでたく人間に戻してもらう」というストーリーのようです。
修験道の力を喧伝するマーケティングイベント的な感じですね。いつ頃から行われていたのかはお寺のサイトにも記載がない。
提灯のデザインが涼しげで素敵です。
夏の吉野山を貸し切りで
川で鮎たちと戯れてから吉野の宿へ。山のかなり上のほうにある「芳雲館」という古めの観光ホテルでした。
上はお部屋の窓からのながめ。
もこもこしているのは吉野桜の木々。
今年の春は下から上まで同時に咲いて、こんな夢のような光景だったそうな。
雲にまがふ花の盛りを思はせて かつがつ霞むみ吉野の山 (西行法師)
と昔から愛された吉野桜、花の時期には毎日4万人もの人が詰めかけるそうです。
しかし7月初旬の吉野に来る人はめちゃくちゃ少ない。
なんとこの日、この旅館は、わたくしとM巫女の貸し切り!でした。
遅め(7時少し前)に宿について、早速お夕飯。
二人分だけのお膳が用意された食堂の広間で、なんか『アダムス・ファミリー』にでてきそうな感じのおっちゃんが、「焼き物でございます」「お茶漬けでございます」とうやうやしくお給仕をしてくださった。
胡麻豆腐、冬瓜と湯葉の煮物、鹿肉のたたき、地元産の燻製チーズ、蕗味噌など、素朴で豪華な山のごはん。
そして鮎ちゃんが次々と登場。焼き物バージョンに
天ぷらバージョン。
10畳のお部屋に1泊2食付きで、露天風呂も事実上貸し切り。
これで、一人9000円ほどという激安ディール。
人件費とお湯代も出ていないに違いない。申し訳ないくらいでした。
夜遅く、山の端から月がさしのぼり。
翌朝もおなじ貸し切り広間で朝食。
早朝に目がさめてしまったので散歩に行き、帰ってきて大急ぎで露天風呂につかってからの朝ごはん、午前8時。
人の少ない夏の吉野もなかなか素敵ですよ。
いやでも、ここは最初一人で来るはずだったところ、M嬢に合流してもらってほんとに良かった。一人であのご飯は、きっと辛かったに違いないです。
2018/07/28
神さびた谷にフラミンゴ
丹生川上神社のフクロウちゃん。なでると「徳を受けられる」という。
めっちゃ素朴な像でした。
神社参拝後、午後の高見川で、M嬢はミソギをするのだと張り切っていました。
清流という言葉はこの川のためにあるような、きれいな水。
山の渓谷から流れてきたての水です。
そして、流れが三つ合流する箇所は少し深い淵になっている。
ここには鮎がたくさんいます。
アメリカ出張も小さなカバンひとつで行くいつも身軽なMちゃんなのにこの日は珍しく荷物が多いと思ったら、その大部分を占めていたのは巨大な浮き輪2つ、それをふくらませるための足踏みポンプ、シュノーケル用のギアだった。
足踏み式ポンプはたちまち壊れてしまったのだけどまったくひるまず、ふうふう息を吹き込んでフラミンゴの浮き輪が完成。
神さびた清流にピンクのフラミンゴを浮かべて鮎たちと戯れる巫女。不思議な午後でした。
2018/07/27
巫女との旅・丹生川上神社
浄見原神社のつぎに訪巫女M嬢のお気に入り神社は、丹生川上神社。
ここは「上社」「中社」「下社」があり、去年はそのうち「下社」を訪ねたのだった。
今度来たのは「中社」。
ここも実に静かで、神話の時代にそのままつながっているようなところでした。
境内の巨大杉がすごい。
樹齢800年は下らないだろうと思われる。ものすごい存在感のある樹でした。
この樹はさわると願い事がかなうことになっているので、下のほうはピカピカにすりへっている。でもそんなことは気にしないという感じのおおらかな余裕が。
神社のすぐそばに川(吉野川の源流のひとつ高見川 )が流れていて、それをわたったところに「元社」がある。
以前はここに本殿があったという場所。
このようになっています。
剥がれかけたペンキで、こんなことが書いてありました。
日本最古の水神で、水神総本社である。
祀られたはじめは何時代かわからぬ位古く、おそらく神武天皇の頃はこの辺りに神籬(ひもろぎ)の神として祀られていた。
天武天皇の時初めて社殿を建て、神社としての形が出来上がった。…ここにも天武天皇が。紀伊半島の小国であった古代大和国家が王朝の形をととのえていく時代の姿を垣間見る気がします。
奈良時代にかけて歴代天皇の行幸50回近くあって、その泊り給うところが吉野離宮であった。
平安朝に行幸が絶え吉野離宮も荒廃したので現在の地に神社を移して壮大なる建築に代わったが戦国の狂乱に及び灰燼に帰し、…往年の面影は失われた。
近世になって農業耕作の慈雨の恵みの神として一般の信仰が篤く各地から水神講を組織して参拝した。
現在、水を最も必要とする電源開発、電力会社、及び各都市の水道方面から篤く信仰されている。
電力会社から今でもたくさん奉納があるというのは本当みたいです。
この神社は高見川に源流が三つ合流するところにあります。
元社の向かいの河原を見下ろす場所に、小さなやしろが。
ミニサイズの可愛いお社だけど金属で屋根が葺いてあり、ちゃんと千木もあるミニチュア神社が、巨木の根本にちょこんと鎮座してます。
あまりの可愛さに巫女Mとともに萌え萌えに。
わたしは神話とか古事記とかぜんぜん知らないし、あまり興味もないのです。
人と国の歴史はいつも強烈に面白いなあと思うけど、歴史オタクになるほどの根気もない。
この紀伊半島の古道とか古い神社に、わたしはむしろ自分が親しんでいた『指輪物語』の世界をひしひしと感じるのです。
瀬田貞二さん訳の「中つ国」というの訳語には、日本神話の「葦原中国」の含みもあったんだなー!と思ってみたり。そんな単語は中学生のときには存在も知りませんでしたが。
前々年に玉置神社の奥の参道の初めて行った熊野古道でも、ここは、ロスロリエン?と思った。
それがきっと、そこに漂っているものの私なりの脳内変換なんでしょうね。
わたしの感覚の中では比喩以上の実感なんですが、どの方面からも相手にしてもらえそうもありません。
で、このお社にも、もう本当になんというか、指輪物語でトールキンが描いてた世界にドアが通じてる感じがしました。美しい。古くて人の触れられないものたちの世界。
あとで宮司さんにお伺いしたら、これは「山の神様」のお社だそうです。
人里の神様とは違う、古い古い存在なんですね。
もうひとつ、少し離れて、小さな滝が流れ落ちる上にあるお社。
これは不動明王のお社だそうです。
ここも本当に気持ちよくて素敵。
巫女Mちゃんの願いで、この神社ではご祈祷をお願いしました。
宮司さんがどこかにお出かけになっていたので戻るまでしばし散策。
というところも、都会の神社とは違って本当にのどかである。
冷たいお茶とお団子をいただいてお話をいろいろ伺った。
すごくひっそりした静かなところだけど、年に一度のお祭りのときには境内に周辺の村落からお神輿がたくさん集まって大賑わいになるそうです。その日は何キロも神輿をかついで来た村の若い衆たちが、いいところをみせようと喧嘩したりしていろいろとカオスなほどの状況がうまれるらしい。
綺麗な水色の狩衣で登場された宮司さん。
一瞬、平安時代が降臨。
素朴で古式ゆかしい佇まいにぐっとくる。
明治から昭和の敗戦までの、無理やり国体に合わせようとした時代は別にして、津津浦浦の神社というものが、仏教の寺院とともに日本の(「国」にというよりも)人と社会のなかで素朴に着実に働いてきたそのありかたはすごく面白いと思う。
教義も中心もない、すこーんとオープンで風が抜けていくところが、とてもとてもとてもおもしろい。この神との対話は。
理屈ではなくて感覚に訴えるインスティチューションなので、それだからこそこれから先の時代に強さを発揮するのではないかなんて思ってみたりする。
そしてそのようなあり方があり得て1000年以上もつづいてきたのは、きっと、教義をもつ宗教としての仏教が後ろに控えて結果的にサポートしていたからこそなのだろうなとも思う。
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