2020/03/12

知事命令


ワシントン州ではCOVID-19感染拡大防止のために、11日から250名以上の集会やイベントに全面中止令が出ました。日本みたいな「おねがい」「要請」じゃなくて、州知事による「命令」です。違反すると刑事罰に問われます。

シアトル市内の公立校もついに、当面月末まで休校になりました。

そしてなんと、ニューヨークのブロードウェイの劇場が今日夕方から閉鎖というニュースが!
世界の終わりまでにぎやかであってほしかったブロードウェイが…。

毎日、昨日まで当たり前だった世界が急激に変わっていく。ニュースをきくたびにぎくっとしてひんやりとしまいます。




3月中に事態が収束するとよいけれど、まだ感染者はこれから増える(というか明らかになる)だろうしパニックのピークはこれからなのかもしれません。

うちの息子の会社(ボストン)のも、スタッフの家族に感染の疑いがあったとかで今週はキャンパスを閉鎖しているとのこと。

会社の株もおととい1日で14パーセントも下落したそうです。しぇー!!どちらかというと不要不急のものをあつかう業界だし、中国市場が落ち込んだままなら、今年はこれが収束しても厳しいとの見込み。

うちには失くす財産はありませんので直接すぐにのダメージはないものの、毎日の株の乱高下を見てると、ヒュルヒュル〜って音がしてきそう。経済が下むいたらすぐにダメージをがっつりくらうフリーランスですので間接的には大打撃の重い足音がきこえます。

いちばん直近に大打撃をくっているのはパフォーマンスアートの現場ですよね。
そのために生活のすべてを傾けて準備している舞台や音楽の発表の場がなくなり、演奏家や役者さんだけでなく劇場の裏方さんたちの仕事も一斉になくなるという状況を考えるとほんとうに胸が痛い。

シアトル交響楽団では、ホールを閉鎖するかわりにストリーミングで無料コンサートを行って、寄付をよびかけています。
こういう試みがどんどん出てくるといいですね。

こんなときには不安をまきちらすモンスターが跋扈するものです。

そんなのにやられないように、手を洗ったら落ち着いておいしいお茶でも飲んで、静かな通りを散歩して、車が少ないので特別おいしくなっている空気を吸って、心静かにできることを考えてすごすことにします。


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2020/03/11

サウンドボード


自分が漠然と考えていること、感じていることをきちんと言葉化してみると、考えていたことや自分自身についての理解が、ひとつ次元が変わるほど深く変わりますよね。

わたしはふだん一人暮らしだし家で仕事をしているので、下手をすると1週間くらい人と口をきかないこともあります。テキストやメールでクライアントさんや友人と連絡はとっているものの、リアルに人と話をしないと少し頭がぼんやりしてくる気がする。




ボストンにいるうちの青年を訪ねて2月末から2週間ほど滞在して、今回はずいぶん深い話ができ、うちの少年がこんなに率直に話ができる友人に変身していたんだ、と驚きました。ほんとに行ってよかったです。

仕事やキャリアについて、観た映画や絵や読んだ本について、価値観について、集中したいときのフローの入り方や意識のもち方についてなど、青臭い話題をながながとお互い気楽に真剣に話せたことが、びっくりするくらいのデトックスになりました。





わたしは過去に鬱をわずらったことがあり、近年はいろんな方法を使ってずいぶん気楽な人になってきたものの、ときどき謎の落ち込みにアタックされます。ニューヨーク旅行中にも突然どーんと恐怖の大王みたいなのが降りてきたのですが、息子を相手に言葉化することで、謎の下方スパイラルを軽度にくいとめられました。

このとき、息子が本当によい「サウンドボード」になってくれてるのに気づきました。




まじめに聞いてくれる人にむかって話すと、自分も真剣にならざるを得ず、言葉にしていくことで自分の考えがかたまって、一歩引いて見られるようになる。いまさらながら、ひとに話すことの効果を実感しました。

文章で言語化するのもよいけれど、人を相手に話すのはスピード感が桁違い。

人の話をまじめに聴くというのは意外に難しい。自分の考えを押しつけず、一歩下がって相手の思考に心をあわせていくのはけっこうなエネルギーを使います。


うちの息子はいつの間にか、ぬるい励ましなど言わず、ときどき的確な質問をしつつ集中して耳を傾けることができる、かなり優秀な聞き手になっていた。わたしのほうが、人の話をいままであまり真剣に聞いてなかったし、真剣に話してもいないことが多かった、と反省しました。もはや親子の立場は逆転していることが多いです。とほほ。

自分の息子に対して言うのもなんだけど、この人随分苦労したんだな、と思ってしまいました。

親が甲斐性なしだと逆に子どもはしっかりするものなのかもしれませんよ。

ときにはお互いに意見が違うことがあっても、基本的な価値観が合っていて、互いを尊敬でき、大切に思い、安心感を持てる友人がほんの数人でもいれば、それにまさる幸せはないです。

わたしはまったくもっておっちょこちょいなので、自分自身よりも信頼のおける友人がまわりで見守っていてくれることがほんとうにありがたいです。


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2020/03/10

ハーバードの自然史博物館


ハーバード大学の自然史博物館。


前回は近くのサイ像をみただけで帰ってきてしまいましたが、今回は中も見物してきました。

入館料は、大人15ドルなり。

 地味な建物にある地味なミュージアムですが、みごたえたっぷりでした。


お宝のひとつは、入ってすぐの部屋にある、ガラス製の植物標本のコレクション


ハーバード大学の依頼でチェコのガラス作家、ブラシュカ父子が1887年から1936年まで、半世紀をかけて制作した、780種!4,300点!の植物モデル。
 


解像度の高いカラー写真もない時代に科学教育用の教材としてつくられたもので、あくまでも正確でほんものそっくり。素晴らしい3D資料。

そしてほんものと同じに美しい。


果物に生えたカビ!!や、腐った果物!!のモデルもあり、実物大だけじゃなくて、部分の拡大モデルもあります。


バナナの花。


かびの拡大モデル。かわいい。

ひとつひとつ本当にきれいで、見飽きません。



もともとブラシュカさんは、19世紀なかばにイソギンチャクなどの海の生物のモデルを大学の研究室むけに作っていたところハーバードから声がかかって植物標本制作の大事業にとりかかることになったそうです。


海の生物モデルは数点しか飾られてなかったけど、これがまた植物モデル以上に繊細で素晴らしい。クラゲ、アメフラシ、イソギンチャク。触手の繊細なこと!神モデル。


こちらは岩石標本の部屋。

高校のとき地学の先生と地学室が大好きで、地学部にはいってたことがありました。

地学室のなにが好きって、引き出しに入ってる岩石標本が大好きで、暇さえあれば石をながめていた。


たんに結晶と岩石が好きだったのでした。だったらもうちょっと真面目にサイエンスを勉強すればよかったのにねえ。


超特大のデザートローズ。


さすがに高校の地学室とは比較にならないコレクションでした。ものすごい標本がたくさんあった。


超特大のアメジストもあるし。

石たちに真剣に見入っているひとびとがけっこう多かったのも印象的でした。


これは鳥がつくった家。こんなの鳥がつくれるなんて絶対おかしい。ニューギニアの踊る鳥の仲間も絶対にヘン。鳥ってあやしい。

このほかにも、剥製の部屋や化石標本の部屋もあり、さらに、ピーベリー民俗博物館という博物館も併設されていて、同じ入館料で見ることができます。

ピーベリーのほうは、4階に展示されている19世紀末のシカゴ万博の展示がおもしろかった。

しかし、3時間ばかりかけてガラス製植物や化石や剥製や岩石標本を見たあとで、もうすっかり疲労困憊してしまい、民俗博物館のほうはもうほとんどなにも頭にはいりませんでした。

美術館や博物館は見ているだけなのに、すごく消耗することがある。
とくに古いものをたくさん見ると、とてつもない情報がうわーっと押し寄せて来て知らない間に疲れていることが多いようです。


クジラちゃんもいました。なんと大きな生物なのだ。こんなに大きな身体を持って生きるというのはいったいどういう気持ちのするものなんでしょうか。

身体の端まで5メートル以上先ってちょっと想像できない。


  鯨の世紀恐竜の世紀いづれにも戻れぬ地球の水仙の白

  大きなるステゴサウルス小さなる頭脳もて草食の夢いかにみし

(『世紀』馬場あき子)

今朝たまたま開いた本のページに馬場あき子先生のこの歌が出てきました。なんてタイムリー。

「いづれにも戻れぬ地球」はどこにいくのか。


ぜんたいに19世紀の風情がただよう博物館でした。(古い建物なので古い匂いがする)

自然史博物館というもの自体、19世紀〜20世紀初頭の産物なのですね。

「博物学」の時代は、未知の世界をコレクションするというロマンが熱い時代だったのだな、としみじみ思いました。



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2020/03/09

桜が開花


快晴のシアトル。まだぴりっと寒いけど、桜が咲き初めています。

ワシントン大学植物園(Washington Park Arboretum)の枝垂れ桜。


なかなか迫力のある木です。


こんな森が手近にあるなんて幸せ。

ボストンやニューヨークに比べて、やっぱりシアトルは空気がばつぐんに良い。

街なかでも住宅街は緑が多くて森の匂いがして、すがすがしいです。



植物園にこんなトーテムポールが設置されていた。
新しくてピカピカだけど、どっしりした存在感のあるトーテムです。


自然のなかに置かれていると、室内に設置されてるのとは質のちがう迫力がそなわる感じがします。

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身の丈1.8倍の邸宅


ボストン・コモンの隣、ジョージ・ワシントンの騎馬像があるパブリックガーデンの門の前から並木のプロムナードがはじまっていて、広い通りの両側にはぴったりくっつきあって建っている優雅な古い建物がつづいています。


うちの青年が住んでいるのは、そのくっつき建物のひとつ。


これはうちの青年が住んでるとこではありませんが、その何軒か先の家の玄関です。ここは特に華麗。華麗な玄関もあるし、そこそこの玄関もある。

うちの青年が住んでるのは、おそらく19世紀後半か20世紀はじめのものだと思われる、裕福な家族が住んでいたに違いない地下1階地上4階の邸宅。
…を、16室!!に切り分けて、貸し出しているアパートです。


これは共通の玄関。

この左側の、昔は玄関の間だったと思われるホールをふたつに仕切ってふたつのアパートにし、それぞれに無理やり極小キッチンとバスルームをつくってある。

うちの青年のは奥のほうの部屋で、窓は北がわの路地にむかってひとつだけ。
なので日がさすのは朝の数時間のみ。


この無理矢理つくったバスルームの上がロフトになってて、青年はそこにベッドをつくって寝てるので、いつか寝ぼけて落ちるのではないかと心配です。


ロフトの上から見るとこのようになっている。落ちたらかなりの大惨事。


壁や天井は無駄に華麗な装飾でいっぱいで、いまは使えない暖炉がででーんと鎮座しています。


暖炉のなかにはなぜかフクロウが。

小さな部屋ですが一等地なので、お家賃はうちの青年がもらっているインターンのお給料の半分をさくっと超える。

身の丈の1.8倍くらいの住居です。


夏の終わりに部屋探しをした末に、こういうアパートに決めようと思う、と電話してきたときには、なんとまあバカバカしいと思ったのですけど、街の中心に住み、静かな自分だけのスペースを持つことはなによりも重要だと決めたと言っていました。

家賃を払ってしまうとほとんどなにも残らないので、毎日のようにガーリックパスタばかり食べているそうですww


入居して半年、どうにかやりくりをつけながら、日々手応えを感じて楽しくやってるようです。

まだまだこれからですが、奇跡のような幸運に恵まれて本当にやりたい仕事を始められたのだから、思うところを迷わずまっすぐ進んでいくしかありません。がんばれ青年。


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2020/03/08

疲れる街


ニューヨークの3日間は、おおむねお天気がよくて(少し雨も降ったけど)、3月初旬としては異常なほど暖かかったです。
到着した日の気温は15度Cちかく。快晴でした。

ぽかぽか陽気で、セントラルパークも夢のように美しかった。


この日の夜は、ニューヨークに在住のクライアントさんと会ってお話しました。

それまではメールとメッセージや電話だけでやりとりをしていたので、実際にお会いするのは初めて。

とても素敵な日本人女性で、東京の超有名広告代理店で勤務したあとニューヨークに拠点を移し、会社を起こして東京とニューヨークを往復しているというバリバリの業界ウーマンです。

ニューヨークはもう10年ほど住んでいるそうですが、「ここは疲れる街ですよ」と、しみじみ言ってました。

年をとったら日本に住みたい、と計画しているとも。


これは行きのバスの窓から。マンハッタンの道路はカオス。わたしには絶対ここで車の運転はできないと思います。


ニューヨークの街を一人で歩いたり地下鉄に乗っている人は、だいたいちょっと怖い顔をしています。

家族づれの観光客や、恋人や夫婦で歩いている人はもちろんふんわりニコニコしているけれど、一人で早足で赤信号の横断歩道を渡っていくニューヨーカーたちは、まわりの何にも目をやらず、すこし眉間にしわをよせる感じでひたすら自分の目的地をめざしています。

それにくらべてシアトルの人たちは、やっぱりマイルド。どこかのんびりしてて鷹揚です。


東京の人も歩く速度は速く、疲れた顔をしてるけど、ニューヨークの人とはなにか違う。

ニューヨークの人の疲労はもっとこう、ツブツブしてる。それぞれが色の違うカプセルにはいってるみたいに、固いものをまとってる感じです。

東京では、それほど一人ひとりがツブツブしていない。東京の人の疲労は全員の上に低い雲みたいにぺったりはりついていて、同じかたちと色をしているように見えます。

街が要求するものってそれぞれ違うんですね。

街は人がつくるものだけど、街も人をつくっていく。

ニューヨークって、自己肯定感がちょっとでも低かったり、目的意識を感じていない人は、きっとすぐに食べられてしまう街なんだな、と、2度めのニューヨークで漠然とですが、肌に感じました。



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