2017/11/28
2017/11/27
クランベリーソース
サンクスギビングの日の夕日。ことしも平和で穏やかな感謝祭でした。
ことしも息子彼女Kちゃんちにおしかける。あいかわらずリビングを占領する、ブーンちゃん(うしろ)とミカちゃん(手前)。かさばる2人。
でも今年はKちゃんのお姉さんが他州に引っ越してサンクスギビングには来られなくて、犬も一緒につれてったので、一番小さくて一番アグレッシブなジャック(テリア)がいなく、いちばん声のでかいブリンちゃん(姉)もいないので、別の家にきたんじゃないかと思うくらい静かだった。
クリスマスには彼氏と犬と一緒に帰ってくるそうなので、またにぎやかになるでしょう。
今年も台所を仕切ってるのはパパのジムりんでした。
ターキーの写真とか全然撮ってないしw
食べるのに忙しくてのう。
うちから持っていったのは、Kちゃんママのリクエストでクランベリーソース。
そしてキャンディヤム、カラードグリーン、コーンブレッドといういつもの南部風つけあわせ。
クランベリーソースって意外に生クランベリーで作るご家庭が少ないみたいで、アメリカ人のサンクスギビングのデフォルトは、缶から出てくるやつなんだって。
Kちゃんも生まれてから生クランベリーのソースってあまり食べたことなかったらしく、いたく気に入っていただいた。
砂糖と水を沸かしてそこにクランベリーを放り込み、15分くらい煮るだけという超絶簡単な料理とすらいえないひと皿なんですが、ジャムとかソースって手作り感があるので、煮るだけカンタンなのにまるで丁寧な暮らしをしてるような錯覚におちいることができて便利です。
15分でできあがりー。クランベリーにはペクチンがいっぱい入っているので、冷蔵庫で冷やすとガツンと固まってくれる。なのでこれだけは前日に作るのがミソです。
お砂糖1カップ入ってますが、クランベリーの酸味が好きで、もりもり食べちゃう。
この日はほとんど消費してしまったので、うちに帰ってから翌日また作った。ハムにのせて食べるのが超うまです。
2017/11/24
ゴージャスなクイーン・アップルちゃん
ホノルルでの唯一の夜遊び! もうかれこれ二ヶ月まえですけど気にせずアップ。
マダムMと一緒におもむいた、チャイナタウンのはずれにあるクラブ『スカーレット・ホノルル』のラウンジ。
ヒルトンハワイアンビレッジから乗ったUberのドライバーが
「ほんとにここで降りるの?」
と首をかしげた。
ハワイシアターのすぐ向かいなんだけど、ほかには何もない、暗い一画。
一見したところ、地味であやしい外見の酒場。
でも、中はこんな。
ババーン!と壁一面に女王様の姿がある、キレイなラウンジなんですよ。
隣のクラブはスタンディングオンリーで週末はダンスフロア激混みになるそうだけど、こっちはテーブル席ばかりで、大人向け。
そして食べものも美味しかった!チキンウイング超ウマでした。
ここでは毎夜、ドラッグクイーンのショウが繰り広げられているのです。
そしてうちの息子の3つくらい年上の友達で、遊び仲間だったティミー君が、ここでアップルちゃんという女王さまになって出演していらっしゃるのでした!
ショウのたびに大騒ぎするので、ロクな写真は撮れませんでした。(しかもどういうわけかライブフォトで撮ってた)
すんげー楽しかった。
まともな写真がないのでこちらでご覧ください。こっちはラウンジじゃなくて隣のクラブのステージですって。
ティミーちゃん、小学校高学年くらいから知ってるけど、むかしからすっごく心の優しいいい子だった。
ママのEちゃんはティミーくんの志向を頑として反対してたんだけど、Eちゃんの親友のスヌーピ子がこんこんと長年にわたり説得しつづけた。
スヌーピ子も二児の母でうちと同じシングルマザーで、ハワイに住んでたときにはほんっとにたくさんお世話になりました。こんなに心の綺麗なひとはあんまりいないかも、っていうくらい、心根のまっすぐなママ。
薩摩の女性だけにきっぱりはっきりしてて肝っ玉が太く、底ぬけに心優しい。
店に飾られてる「半分アップルちゃん」のフォトは、地元フォトグラファーの作品。
これいいよね。素晴らしい。
ほんなわけでEちゃんも、いまではすっかり息子を誇りに思って応援してるのです。涙。
ほんまに楽しい時間でした。アップルちゃん、Eちゃん、ありがとうー。また行くよー。
これからホノルルに行く人はぜひ遊びに行ってみてね。
2017/11/22
ジミヘン切手
この間、何かを送る時に郵便局で目につき、即買いした切手。
シアトルの天才息子、ジミ・ヘンドリックスの切手です。
この切手を見た息子、このデザインは誰がみても「インスパイアド・バイ・LSD」じゃないかと笑ってました。
えーなんでそんなことを知ってるんだ。
と問い詰めると、「アシッド」も高校のときにふつうに学校で売ってる子がいた、といってました。米国ハイスクールの日常。
LSDは薬剤を紙に染み込ませた紙片を舌の上において服用するのが一般的ですが、そのシートを「アシッド」と呼びます。
こんなデザインのが多いんだそうです。
わたしは本物見たことないんですけど。
切手シートの裏はこんな。
サイケデリックで可愛いですね♡
破壊された神社仏閣の話
今日は午後から少し晴れて、むやみに生暖かいシアトル周辺でした。
コートがいらん!スカーフして出かけたら暑かった。
18度Cですってよ!
驚いたことに明日はサンクスギビングである。
うちはまたもや息子ガールフレンドのKちゃんちにお呼ばれなのでまったくストレスフリー。
世の中は忙しそうですが、とりあえずクランベリーソースを作り、猫とたわむれる。
サンクスギビングといえば、神社。はまるで関係ないんだけど、『現代ビジネス』掲載の、真鍋 厚さんという作家の方の記事『「八百万の神」すら潰そうとする、明治政府の蛮行に立ち向かった男』がむっちゃ面白かった。
明治時代に廃仏毀釈というのがあったのは学校でほんのり教わって一応覚えているけど、その時、同時に全国の神社も取り壊されたのだというのは、ぜーんぜん知らなかった!
「神道による神道の弾圧」というのがあったんですね!!
<最初の3年間で全国各地で4万社もの神社が取り壊され、事業完了を迎える大正2年頃には、19万社から12万社にまで激減したという。>
と真鍋さんは書いてます。 7万の神様が、神社を追われたのか!
宗教学者村上重良さんの論をひいて、
<「 民主主義や社会主義思想を弾圧し、思想的に対抗するために「神社と氏子組織を、地方行政のイデオロギー的拠点として強化した」>
とも。
帝国建設中の日本で、薩長土肥の政府が行った乱暴な改革。
全国津津浦浦に生きてあった小さな神社をいくつも取り壊して、皇室を頂点にしたピラミッド型に集約し、村にひとつの「氏神」で管理しようというこころみだったと。
真鍋さんはそして
<引用>
神社合祀」に象徴される地方の「自立性」を否定する強固な中央集権体制の確立は、現在も続く国からの財政的援助や指導を頼みにする地方の依存体質を作り出し、「地方の衰退」というブーメランを準備したと言っても過言ではないのである。
<引用おわり>
とまで言ってます。
江戸時代以前に建てられた社殿も取り壊し、樹齢何千年のご神木も売り払われたのだとか。
そしてその明治政府の愚行に対して激怒し大批判を繰り広げたのが、かの怪人、南方熊楠だったのだそうです。
去年、日本に行った時にたまたまふらっと訪ねたあちこちの神社は、その嵐を生きのびたんですね。
ここは、去年行ったなかでもとても印象強かった、陸奥の国のすてきな鹽竈神社。
ここの神社にいるのは、いままで会った狛犬さんの中でも飛び抜けて素敵な、忘れられない狛犬さん。
わたくし、日本にいた時は神道についても神社についてもまったくおぼろげにしか認識してませんでした。
「国家神道」と全国津津浦浦の神社の関係とかも、ほんとに日本に暮らしていてよくここまで何も知らなかったものだと思うくらい関心がなくて、明治神宮もお稲荷さんも山の上の神社もほぼみんな一緒くたに考えてた。
いまはなぜか神社仏閣ブームなんだそうですけど、なんとなく、明治以来の国家神道の呪いというか縛りがやっと解けてきたのではないだろうかっていう気がする。根拠はなにもありませんが。
もともと神社ってイデオロギーとか政治とは縁遠いものだったのに、明治政府が無理くりキリスト教を真似て求心力のあるものに作り変えようとして、そのまま世界大戦に突入するときの感情装置として使われて、敗戦とともにとんでもない感情的負債を背負ってしまった、ということではないだろうか。
それがやっと、戦後半世紀以上たって、ようやく「浄化」されてきたのではないかなんて思うんですよ。靖国神社のあたりの問題はまだまだわだかまり続けるのでしょうけど。
廃仏毀釈にしても、あんまりよく知らなかったわー。
別の記事で真鍋さんは、廃仏毀釈を「国家による強制改宗」であり、タリバンによるバーミヤン仏教遺跡群の破壊以上にひどい歴史的暴挙だったと言ってます。
薩摩では1000以上のお寺が廃寺になって、藩内にひとつの寺もなくなってしまったのだとか!
江戸時代から明治維新、昭和の敗戦を経て現在までの日本の精神史に、今めっちゃ興味をひかれてます。
明治維新でぷつんと切れたように見えてつながっていたもの。
昭和の敗戦でぷつんと切れたように見えてつながっていたもの。
そして本当になくなってしまったもの。
いまアメリカの大学でアメリカ現代史の講義を受けてて、50年単位、100年単位の俯瞰で見るとなるほどなーと見えてくるものが、数年単位にズームすると見えなくなるのが面白いと思う。
それを日本にあてはめてみると、なんかいろいろ乱暴ながら太い脈がみつかりそうでドキドキする。 たとえば、遊郭からソープランドへ、そしてアイドルへの系図とか。
日本現代史については、わたしはきっと、アメリカ史以上に知らないかもしれない。
とりあえずマダムMにもらった南方熊楠の本を読まなくちゃ!
それを日本にあてはめてみると、なんかいろいろ乱暴ながら太い脈がみつかりそうでドキドキする。 たとえば、遊郭からソープランドへ、そしてアイドルへの系図とか。
日本現代史については、わたしはきっと、アメリカ史以上に知らないかもしれない。
とりあえずマダムMにもらった南方熊楠の本を読まなくちゃ!
ラベル:
スピリチュアル・信仰・宗教,
祈る人,
読んだもの,
歴史
2017/11/21
フリーランスの勘違いと傘人口
今日も雨の揺れる運河橋。
この手すりがわりあいに低いんですよ!
先週はちょっと仕事が詰まっててついに自主休講してしまったけど、今週はもうサンクスギビングの週なので(ほんとか!)課題も少なく、期末の前の静けさ的な、まったりした週です。
フリーランスのみなさん、どかんと来たプロジェクトがひとつ片付くと、うっかり盆と正月と夏祭りが一緒に来たような解放感にひたってしまうことはありませんか?そんなうかつなの私だけかしら。
別に浮かれるほどの仕事をしたわけではないのだが、ちょっと普段以上の負荷がかかってたものが片付くと、うっかりもう全宇宙からすべてが許されたような、大船に乗った気持ちになってしまう。せいぜいカヌーくらいにしか乗ってないんだけど。困ったものだ。
雨のなか、駅のほうから噴水広場のほうに歩いていくと、うっすら虹が出てました。
そしてカナダ雁のみなさんがやってきた。
なんだかちょっとおめでたい感じw めでてーのはてめぇの頭ん中だ!と誰かにいわれた気がする午後。
小雨以上にふつうに雨が降っていたのだけど、頑として傘をささないシアトルの人々。
傘人口はごらんのとおりの割合。
2017/11/17
カニアカププの廃墟へ
オアフ島で、ラウラウちゃんと行った短いハイキング!
カニアカププという場所です。カニアカププ。Google日本語変換に覚えさせるのにちょっと苦労した。
ここは何かというと、カメハメハ3世が建てた、夏の別荘跡です。
ヌウアヌの森のなかにあります。
毎日通勤で少なくとも1000回くらい往復したパリ・ハイウェイのすぐ近くにあるトレイルだけど、存在も知りませんでした。今回のオアフ島で、ほんとにわたしは12年住んでいたのだろうかと思うくらいいろんなニューな場所をマダムMやラウラウちゃんに教えてもらった。
おせんべちゃんも同行!
「この子は山になると張り切るのよー」
とラウラウちゃんがいうとおり、もう車を降りたとたんに
「ここはオレにまかせとけ( ・ิω・ิ) という勢いで先頭に立って行かれました。
トレイルの入り口は、ヌウアヌ・パリの旧道沿い。
この道は外灯が一本もない狭い道です。
むかし、一度、並行して走ってるパリ・ハイウェイがどうかして閉鎖されてて、夜も更けてからこの旧道を通って帰らねばならず、かなり怖かったです。
当時小学6年くらいだったうちの息子はまじでビビってた。
足元は雨のあと(ヌウアヌは毎日一度は雨が降る)でぐちゃぐちゃになっているというので、わりと新しいスニーカーを履いていくつもりだったんだけど、ラウラウちゃんのすすめで「スリッパ」(ビーチサンダル)を借りてペタペタと行きました。
おかげで、足のうらは赤土で真っ赤になったけど、靴は汚さずにすみました。
さすがだわ、ラウラウちゃんはもう筋金入りのカマアイナである。
私にはハイキングでスリッパという発想はなかった。
麦わら帽子も大変ステキ。これを私がかぶったら農作業のおばさんである。
あと、ラベンダーオイルで作った自家製の虫除けスプレーも借りた。これはまじでよく効きました!
こんな入りぐちがたくさんあってよくわからない。もう何もかもおまかせで、おせんべちゃんとラウラウちゃんのあとに続く。 頼もしい。ありがとうございます。
なにかの主のような巨大なバニヤンツリー。
ヌウアヌは竹やぶでも有名です。笹竹ではなくてかなり立派な竹がみっしり生えている。
息子はこの近くのヌウアヌ小学校のボーイスカウトに入ってて、そこの団では毎年、年末にここの竹やぶで竹を切出して、「かどまつ」を作って売って活動資金にしてました。
朝早くからお父さんやスカウトマスターたちがチェーンソーをもって大きい子たちを連れて竹やぶに伐採に行き、小さい子とお母さんたちは切った竹と松の枝を組み合わせて門松を作るという、一日がかりの作業で、けっこう大変だった。松のヤニが手につくと取れないのよね。
門松は30ドルとかそんな値段で、けっこうバカスカでもないけどよく売れてた。
竹やぶを抜け、巨大バニヤンツリーのところで左手に入って木の根をくぐり、ヤブを抜けていくと、綺麗な滝に出る。
やや躊躇しながら流れを飛び越える勇敢なおせんべちゃん。
その先はもうちょっと大きな滝のてっぺんになってます。
この滝は20メートルくらいの崖になってて、滝を上からのぞいてみようとしたら、おせんべちゃんがものすごく吠えて引き止められました。
「お前は何を考えとるじゃ!」みたいな勢いでした。
おいしそうなキクラゲが!
凛々しいおせんべちゃんでした。
これだけでもなかなか素敵なハイキング、といってもここまではトレイル入り口から10分も歩いていない。
すれ違ったハイカーは2組だけ。
雨が降ったり止んだり。妖艶なジンジャーがあちらこちらに。
ほんとにこんな道で、倒木を乗り越えたりくぐったりで、短いトレイルだけどアドベンチャー気分満載でした。
カニアカププの廃墟へは、さっきのバニヤンツリーのところまで戻って、その先へ数分。
ここはヘイアウ(神殿、聖地)ではないのだけど、やはりネイティブハワイアンの歴史的な場所だけに、お供え物がおいてあったりする。
私たちも、ラウラウちゃんちのお家の庭からティーリーフをもって行きました。
この碑にはカニアカププの由来が書かれてます。
1845年に完成した、カメハメハ3世の夏の離宮で、外国からの賓客や、酋長たち、普通の人たちをもてなす場所であったこと。
そして、1847年の「Hawaiian Restoration Day」には、お祝いのルアウが開かれ、1万人の人が集ったこと。
この狭い敷地に1万人??というのも驚いたけど、それよりHawaiian Restoration Dayってなんなのだろう、とぐぐってみた。
全然知りませんでした。英国海軍のポーレット提督という人が、この年、5か月にわたって勝手にビクトリア女王の名前のもと、ハワイを占領していたんだそうだ。
5カ月後に本国からやっと別の提督がやってきて、ハワイと英国の「対等な立場」を確認して占領をとき、その日、7月31日が「主権回復の日」として祝日となって、その盛大なルアウがひらかれたんだそうです。
で、そのとき英国から来た提督がリチャード・トーマスという人で、この人の名前と、主権回復を記念してハワイ最初の公園「トーマス・スクエア」ができたんだそうだ。へー!
そのポーレットという提督はその後どうなったかというと、その時の艦長の職は解かれたようだけど、別の船をあてがわれて、クリミア戦争に行ったりしてる。
当時の大英帝国にしてみれば、ちょっとしたフライング、くらいなものだったんでしょうね。
英国領になるのはまぬがれたものの、そのちょうど半世紀後、1898年にはハワイ王国はアメリカの領土にされてしまうのでした。
ネイティブハワイアンの中には、今でもハワイの主権を回復すべきだと考えている人たちがあり、彼らにとってこの「主権回復の日」はとても重要な祝日なのだそうです。
ここに1万人を集めたルアウってどんなだったんだろうか。
今回のハワイでは、イオラニ宮殿でのツアーに始まって、歴史をあらためて深く実感できました。
この廃墟にラクガキをしたりする心ない人がいると、少し前にニュースになっていたそうです。馬鹿者はどこの国にもいるものだ。
バカな人のユニバーサルな特徴は、ほかの人への想像力がはたらかないことですね。
んーわたしもあまり人のことは言えないな。
わたしはけっこう強力な晴れ女として友人に知られてるんだけど、この日は、この廃墟についた途端に大粒の雨がざーっと降ってきて、全然止む気配がなく、ずぶ濡れになってしまいました。
なにかとても大切なものを託されたような。心にのこる場所でした。
登録:
投稿 (Atom)